みやこをつなぐ旅 琉球・大神島編 | かんながら

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旅の記録です

バレンタインデーと、十六日祭の頃。

 

 

 

この年が明けてから、もはや住んでると誤解されるくらいこの島にいる。

こういうことあるんだよね。

 

阪神淡路大震災あとにも、東京から沖縄に毎週のように通ってたし。

東日本大震災のあとは、山中湖の某ペンションの東京営業部みたいに通っていたし。

 

伊勢平氏おじさんの「赤いワンピースを着て微笑みながら去っていく」ビジョン(そして、壇ノ浦。)の行く先は、

 

「シルクロード」か「その先の、シュメール」

って伊勢平氏おじさんと確認しあっていたけど、まだそちらの兆しも見えてこない。

 

 

それどころか、ちょっと前はボスポラス海峡は近かったんだけど、そういえば、ボスポラス関係者ふたりにも、もう長いこと会っていない。

 

最後にあったのは、木更津の熊野に行ったころ(ピーナツは瓢箪!?千葉に熊野があった 〜双子座新月前のいろいろ)。

って、あれって6月じゃん。

半年以上経っている。

 

しかも、この記事のコメントに「揖保乃糸」の播州の人からのコメントがあったりするから笑っちゃう。

彼からは、東大寺南大門の運慶作の仁王像が「少林寺の型をしてる」ってことを教えてもらった。

 

もうすぐ東大寺のお水取りも始まる。

「鵜の瀬」から始まる火と水のまつり(恋しくて 〜葛の葉をたどる旅 若狭への旅)。

「良弁(ろうべん)」。

良弁は東大寺の開山。ふもとには「良弁滝」がある。

伊勢原の大山、つまり雨降山の「大山寺」を開いたのも良弁である。

 

 

修二会の二月堂にあるのが「良弁杉」。

「大山」は、元は「白山信仰の山だった」(百年祭のしめくくりは、大山阿夫利神社へ 〜新しいいのちの循環へ)。

 

 

そして、よく読んでみたら、3代目に「弘法大師」が入ってて、僧侶を務めたってなっている。

 

大山寺は、奈良の東大寺を開いた良弁僧正が天平勝宝七年(七五五)に開山したのに始まります。
行基菩薩の高弟である光増和尚は開山良弁僧正を継いで、大山寺二世となり、大山全域を開き、山の中腹に諸堂を建立。
その後、徳一菩薩の招きにより、大山寺第三世として弘法大師が当山に入り、数々の霊所が開かれました。大師が錫杖を立てると泉が湧いて井戸となり、また自らの爪で一夜にして岩塊に地蔵尊を謹刻して鎮魂となすなど、現在は大山七不思議と称される霊地信仰を確立しました。
また日本古来の信仰を大切にし、尊重すべきとのお大師様のおことばにより、山上の石尊権現を整備し、伽藍内に社殿を設けるなど神仏共存を心掛け手厚く神社を保護してきました。
元慶八年には天台宗の慈覚大師の高弟・安然が大山寺第五世として入山。伽藍を再興し、華厳・真言・天台の八宗兼学の道場としました。
これより大山は相模国の国御岳たる丹沢山系の中心道場として各地に知られ、別当八大坊をはじめとする僧坊十八ケ院末寺三、御師三百坊の霊山として栄えました。
しかし明治初年の廃仏毀釈により、現阿夫利神社下社のある場所から現在の場所に移りました。
関東一円を初め日本中の強い信仰に支えられ、幸いにもご本尊を初めとする,数々の寺宝は破壊を免れました。
明治期に数多くの信者たちの寄進によって現在の位置に本堂をはじめ数々の伽藍が再興され現在に至っています。大山寺はまさに多くの信者に支えられた一大霊地といえます。

雨降山 大山寺HPより

 

空海か。

空海も幼い頃からの恋人が丹後にいたとかいないとか?

 

 

わたし、禅定に入ったって言って、彼女の元に行った、って直感的に思ったけど、そういうことは思うだけで罰当たりってことになるんだろうな。

とにかく丹後に女性が幽閉とか、丹後にいた、って多い。

聖徳太子のお母さんの「間人(はしうど)皇后」。ゆかりの地名は「退座」からの「たいざ」。

そして、これまたわたしと同じ名前の「(細川)ガラシャ」。

 

 

 

そもそも白山信仰の山だったのを、空海が来て、その後天台になったりもしてる、いろいろありそうな、伊勢原の「大山」。

 

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わたしはそのとき必要な場所にいつく。

ネコは人でなく、場所(家)につく、っていうでしょ。

 

 

そろそろ異邦人も疲れてきたので、終(つい)の住処がほしいけど、その兆しは今のところまったくない。

 

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犬の「ゆり」に懐かれるようになった。

この間から、食堂にくるようになってて、

 

 

「ゆりは誰かのことが好きなのかね〜」

などと何やら意味を含ませたコメントも耳にした。

 

 

だけど、わたしは、誰かのことが好きだからここにいるんじゃないって、知っている。

「誰かが好きだから来るのか」って同じ匂いのする島の住人に聞かれたときは、素直に「島が好きだから」って答えた。

 

 

シンプルに、「好きな人がいるから」ってことにできればいいんだけど。

 

いや、そういうことにしようと思って、言ってみたたんだけどさ、前に(大神の島の大寒の大禊 その2 〜 みやこを繋ぐ大神と長浜と)。

だけど見事な拒絶を受けて、玉砕した。

 

 

「好き」は、ある。

けど、「好き」な気持ちは、いずれは冷める。

やっぱり「ここにいるため」に、「好き」の気持ちを用意しているだけ、のような気がする。

 

めんどくさいよな。

これじゃ恋愛できないって自分でもわかる。

 

 

でも、くるはず。

「その激しさを、受け止める人があらわれたら」(Heal the World  〜ウエサクの満月の前に)。

 

 

バレンタインデーデート。

たまたま。

 

デートってふたりで会えば誰が相手でもデートってことに。

ザ・美志摩基準。

 

行ってみようとしたおすすめカフェは、「バレンタインデーだから」休業。

 

で、天丼。

体操選手?のタレントさんの店。

 

 

せっかくデートっぽいセッティングだったんだけど。

 

 

 

満月の夜の海。

 

 

 

 

 

 

朝の景色。

 

 

 

十六日祭は、先祖のためのまつり。

この黄色い紙は、「あの世で使うお金」。

 

あの夜で先祖が使うためだって。

なんかね、燃やす時刻も大事らしくて、使う時間に燃さなきゃダメとか、人数分とか、いろいろあるみたい。

 

うちかびっていうのは「打ち紙」らしい。

紙に、コインの型を打った紙だから。


 

 

 

燃やすのを手伝わせてもらいながら思った。

「かみ」か。って。

 

 

やっぱりお金が神なんだな。

で、人間の誰かが儲かるようにできている。

神にまつわる習慣、みんなそう。

 

 

宮古島市が関わってたホテルが、三菱地所に売却のニュース。

宮古島は不動産バブル真っ只中らしいけど、ナイチャー(内地の人)がどんどん移住して、きてもはや「リトル大阪」と化している。

 

 

テレビでは出雲大社特集。

 

 
「『これ=わたし』を帰してくる」と連れられて宮古島。
 
 
そういえば、大神島にはダブルブッキングにあったりして長くいたんだった。
ダブルブッキングされてた相手の方が、吉祥寺の沖縄料理屋の「琉球」で昔会ったことのある人だったり、その間も
いつもの「ザ・美志摩劇場」が繰り広げられていた。
 
 
つきあっていないのに別れてくれとか、これも伊勢平氏おじさんのときと同じパターン。
これもまた「自分の意志を発揮していないと、他の誰かの奴隷になる」のカタシロそのものだった。
不自然な関係性。
 
 
 
人は一貫したことを口にするわけではない。
そのときはそう思っても、そのあとそう思わなくなったりもするし、わたしはもう人の言うことにいちいち傷つかない。
もともと図太かったけど、さらに伊勢平氏おじさんとの2年半で、鍛えられた。
それでも、ずっとそれに晒され続けたらわたしの鋼の心も折れそうになる。
 
 
できすぎと思うぐらい、絶妙なタイミングで年越しそばのヒロさんや、ヨギの治療師が愛を送ってくれてなんとかやり過ごせた。
 
 
 
すごく怖い横顔を眺めながらのドライブも、伊勢平氏おじさんとの山行きで何度もあったっけ。
 
 
「笑って?」
 
伊勢平氏おじさんよりは、隔たっていないから言ってみる。
 
 
「できない」
「感情ないのに?」
「そんなのは、本当の笑いではない」
 
「でも。」
わたしは言った。
 
 
「まわりの人をしあわせにする笑顔ってものがある」。
 
 
 
 
自分が楽しいから笑う、というのも笑顔だが、
まわりをしあわせにするための笑顔だってある。
 
 
子どもはつらくても、母親を喜ばせるために笑える。
それは本当の笑いではない?
母親が笑顔になれたら、子の笑顔もほんとうのそれになると思う。
 
 
みんな、それに救われている。
わたしだってそうしてきた。
母が、父が、父の家族がしあわせでいられるなら、わたしは「いない存在」でいいと思って生きてきた。
 
 
母を悲しませたくないから、笑い、どんなときもしあわせでいるようにしてきた。
そのぶん、悲しみは、意識の奥深くに溜まったかもしれないけど。
 
 
ふと思い出したのは、松尾大社に展示されていた、
櫟谷宗像神社から出たという平安後期と思われる最古の女神像(月の光に誘われて 安曇野から京都へ 〜その3 西の猛霊 松尾大社)。
 
 
「目を弓なりに曲げる笑いは、世をことほぐ豊かな笑いである。」
 
 
世をことほぐ豊かな笑い。
あの笑顔で、あの女神は人々をしあわせにしてきた。
 
 
わたしの中に、あの女神のかなしみが流れ込んできて、わたしは泣いた。
 
 
 
今松尾大社の記事を読み返してみて、写真をみてふと気づく。
 
 月読神社の「聖徳太子社」
古老たちは、「学問の神」と伝う。
 
学問の神。
島の「学問の神様」はもしかして、「聖徳太子」ではあるまいね?
なんといっても聖徳太子の母は、「間人皇后」。
 
6世紀末、聖徳太子の母で、用明天皇の后の穴穂部間人皇后が、蘇我、物部氏間の戦乱からこの地に逃れ住み、乱がおさまった後、都へ帰る時に里人へ感謝の念を込め自らの名「間人」を村名に贈った。里人は皇后の名をそのまま地名にするのはおそれ多いとして、皇后の御退座にちなみ、「間人」と書いて「たいざ」と読み伝えたといわれている。
 
絶対に読めない「間人=たいざ」。
間人というのは、みんなが注目している「丹後」にある地名である。
 
 
だったらいろいろつながってくる。
丹後からは、纏向の仙人の住むあのあたり(卑弥呼時代の豊かな営み〜 その2 たまきの秘宝と穴師坐兵主(あなしにいますひょうず)神社とおぢば)にお嫁入りしてきていて、「親戚のいるエリア」だと言っていたし、
現在のシンクロとしては、旧暦の正月には三輪山関係者とそうめんを食べたばかりである(大神(おおみわ)から大神(おおがみ)へ その2 〜三輪そうめんがつなぐ縁)。
 
 
あの島のある人にも「月の神様」の存在を感じるけど、
なぜ月読神社に、聖徳太子が祀られているのかは謎である。
 
もしかしたら聖徳太子は北極星?
「南無妙法蓮華経」がわたしの中でなぜかこだまする聖徳太子。
 
 
 
あーあ、だんだん気持ち悪くなってきたよ?
 
 
丹後〜纏向〜たまき(珠城=纏向・玉置=熊野・玉城=現・南城市)。
法隆寺で不思議な光景をみたのは、今上天皇の大嘗祭の前の日だった(鎮魂祭 〜龍田の神と聖徳太子とともに石上神宮へ)。
 
 
「ちはやふる かみよもきかず たつたがわ
からくれないに みずくくるとは」
 
 
伊勢平氏おじさんと初めて山に行ったとき、
もえるように真っ赤にそまった川のイメージとともに降りてきた、意味がよくわからない、謎のうた。
 

 

「どこにいきたい」

「どこでも」

 

で、橋でつながっている島めぐり。

 

着いた先に大きな岩。

「マムヤーは、美女で、みんなに結婚してくれって言われて困って、ここにきて海に身を投げた」って島では言われてるって教えてくれた。

 

 

 

「美女(みやらび)」。

みやらび?

諸鈍長浜節(瓢箪から駒が出て、さて、次は? 〜成田山・星供養)に出てくるのも「女童(みやらべ)」だよ。

島中どころか、大和にまでその美しさが知れ渡って、琉球の按司にも「忘れられない」と言われたほどの。

 

ええ、「諸鈍の女ってだけで、美志摩のことではないでしょ」ってツッコミはなしに。

 

 

 

地図でみたとき、たしかに「マムヤーの墓」はサインがきてたけどね。

書かれている(公式の)話より、「みんなに求婚されて身を投げた」っていう方が何故かしっくりくる。

 

 

そして窟に隠れて機織りしていたとさ。

どこかで聞いたはなし。

 

 

そして、そこに重なる「かぐや姫」。

月に帰った女神の話。

「浦島神社」で山の上に北極星が見えた(月の光に誘われて 安曇野から京都へ 〜その4  浦島太郎と月読命の秘密)、っていうことと、その近くにある、島の女を感じる「竹野神社」(月の光に誘われて 安曇野から京都へ 〜その5 空と海が出会うところは)がなぜかかぶる。

 

変な夢をあの頃見てる(白い蛇がきた)。

そして夢の先にある旅先は、「飛鳥」だ。

子どもの時から大好きだった飛鳥。

 

 

そこで、わたしは纏向の仙人と出会うのである(飛鳥と卑弥呼と自然農 〜その2 大好きな場所と時代をかんじて)。

そして何度も「はふりと」って間違えて嫌な顔をされた「祝戸」の山に行く。

 

 

そこには「金比羅大神」が海人族の印と思われる船形の石の上に突き刺さっていた。

なるほどね。

 

 

金比羅は、四国・香川県だもん。

あの島の人は行かない方がいいかもね。

だから、封印されちゃったんだな(謎)。

 

 


九尾の狐につながる「玉藻」に出会ったのも飛鳥。

 

 

九尾の狐が祀られてたのは、一ノ谷の戦いで見事、扇を射抜いた「那須与一」の生誕地の那須だったけどね(九尾の狐と陰陽師 〜玉藻の前という天竺から来た美女)。

そしてそこには、怪我した鹿が湯治したっていう「鹿の湯」があった。

 

 

 

 

約束のピザ屋はまさかの休業で、仕方なく別の店に。

約束は持ち越し決定。

 

 

なぜか連れられてきた「しろくまカフェ」。

しろくまさんは行きたがってたけど、いけずじまい。

 

 

なんで、そのかわいさとまったくマッチしない、おじい・おばあのこのコンビでくることになるのか?とても謎。

子連れでもないのに。

 

 

やはり、しろくまさん「を」連れてきたのか。

もしくは、しろくまさん「が」連れてきたのか。

 

 

 

 

 

 

写真を振り返ってたらデートっぽい。

気遣ってくれてたんだな。

やさしさをありがとう。

 

 

で、空港に降ろされてバイバイ。
クルマを見送って、空港のベンチに。
飛行機までざっと4時間あるんですけど。
 
ま、何時間でも待てるけど。
ぼーっとしてるの、何の苦痛もないから。
 
 
で、ふと久しぶりにスマホチェックしたら、あった。
 
「大神にいるんですか?」
という人魚姫さんからのメッセージ。
 
3日以上前じゃん。
 
で、電話。
・・・繋がらない。
 
着信拒否?
まさかね。
 
リトライ
 
繋がらない。
 
 
これ以上かけ続けたらストーカーみたいだからメッセージすることに。
「今空港にいるんですけど、飛行機の時間まで会えますか?」
 
 
こちらはすぐ連絡がついて、予約してもらった居酒屋へ。

 

 

待ち合わせ場所へ向かうバスの中にはこんな張り紙が!!

 

人魚姫と心ゆくまで飲みたい&モンブランに乗ってみたいの2つの理由が重なって、延泊決定。
 
で、翌日。
モンブランの方はまさかの満席で乗れなかったため、また夜の飛行機までの宮古島の丸一日がノープランに。
 
 
そうだ、桜井のあの人に連絡してみよう!
ってことで、
「今日空いてますか?」を発動。
 
桜井のあの人とは、「三輪そうめん」につながった、「はりみず御嶽」に行こうと思っていた。
そして、石畳を通って宮古神社の元宮に案内した。
このあいだ、わたしがひとりで歩かされたルートである(大神の島の大寒の大禊 その2 〜 みやこを繋ぐ大神と長浜と)。
 
 
そもそも、「パイナガマビーチ」に行った理由は、小さいニーニーが「夢でみた」って言ったからなのだが、本人は「覚えてない」「言ってない」を連呼していた。
 
 
これも、伊勢平氏おじさんと同じパターン。
「言った」「言ってない」
の攻防。
 
 
だったら、わたしの幻聴ってことか。
わたしの方は、そのときのこと、その場所にいるかの如く思い出せるんですけど。
 
それともわたしは、他の人とは違う次元を生きているってことなんだろうか。
 

 

一通り、先日の「三輪山ルート」を案内したら、

 

 
 
「『ヤマトガー』って知ってますか?」
 
 

で、「大和井(やまとがー)」。

国指定史跡 「大和井」。

大和井(やまとがー・井戸)は平良市街の東北に位置する泉(洞井)である。「雍正旧記(ようせいきゅうき)」(1727年)に記されている内容から、1720年ごろに掘られたと考えられている。井戸の周りは大小の切り石を円形に積み上げてあり、上り下りの通路には石段が設けられている。

伝承によれば、首里王府派遣の在番役人など一部の者のみが使用し、一般の人々には開放されなかったといわれている。かつては泉にいたるまでに2ヶ所の門があって、水守りもいたとの言い伝えがある。宮古島の人々と水とのかかわり合い、石工技術の見事さを示す遺石造跡として類例のないものである。

 

大和の人だけに。

 

 

すごくいいところだった。

そして、この井戸の写真、Facebookにのせたら、すぐさま「本土のものですよ」ってコメントきた。

「まいまい井戸」。

 

 

天理同様なにかがわたしには合わず、ちょっと痛い目にあったけど。

 

 

本土と沖縄は繋がってる。

しかも奈良。

そして中継地点っぽい丹後。

そこにみえる「出雲」の存在。

 

 

人魚姫さんと合流して、図書館へ。

いろんな本を眺めて、自分自身のいろいろをつなげる。

 

そういえば、宿でみた本も全部すばらしかった。

 

 

 

やっぱりヤマトと琉球は、不可分だって確認。

 

なにわの審神者(さにわ)も、

出会った沖縄の人たちの多くも、

 

お互いを違うと思ってる。

 

 

でも。

 

 

「母は同じで父親の育て方が違っただけで原点は同じ」

 

 

って丹後の神人の謎のコメントは、深い意味があるのかもしれない。

 

 

「間人」っていろんな意味があるみたい。

暇人とか、中世の村落で、住み着いてから年月が浅く、正式な村の住人としての権利を認められていない者の称、とか、とても皇后の名前に当てる言葉じゃなさそう。

 

それに、地名の「間人(たいざ)」は、立岩のあるところみたい。

 

 

 

立岩っていえば、島じゃん。

神様が降りる岩だもん。

 

 

島の信仰は、立岩が鍵である。

立岩に神は最初に降り立つから。

 

 
籠が開くと龍がでる。
この日は台風さながらの嵐になった。
 
 

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