Heal the World  〜ウエサクの満月の前に | かんながら

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旅の記録です

 
和魂のほうのfacebookの過去の振り返り投稿に、6年前にルルドに行った時の様子がでていた。
 
ルルドにはその後何度か行ったが、最初に行ったのは2010年カミーノ・デ・サンチアゴ巡礼の旅。
最初にクレデンシャル(スタンプ帳みたいなもの)をルルドでもらった。
一般的には、ピレネー山脈の手前をスタートにする人が多いけど、スタートはルルドだって思った。
すでに冬で、ルルドには人はいなかった。
訳もわからず聖水のプールで沐浴した。人がいなさすぎて、間違えて男性の列に並んでたくらいだ。
カトリックの洗礼を受けるどころか信者でもなかった。なんとなく列があったから並んだら沐浴することになったのだった。
その後夏に行ったときは、違う場所かと思うくらい混雑していた。
わたしは治したい病もないし、願い事もないのでしろくまさんだけが列に並び、わたしは川のほとりでひとり水あびしていた。
 
6年前に行ったのが、たぶん最後。
その後は日本の神社や山ばかり行くようになった気がする。
 
 
 
その夜のこと。
キャンドルセレモニーに行ったらすごい人で、様子がおかしい。
夏の混雑する時期でも、早朝と夜は人は少ないのである。
 
その日は、ヨーロッパ各国から軍人が集結して、なにやらセレモニーがあったようで、キャンドルサービスは彼らとともに行うことになっていた。
広大なルルドのサンクチュアリーいっぱいにキャンドルが灯されて、地上の星が揺らめいているようであった。
 
彼らとともに唱えるアヴェマリアが、聖地ルルドに響き渡った。
 
軍の音楽隊が奏でる Heal the World を口ずさみながら、EUでヨーロッパでは国境も事実上なくなったし、通貨もひとつになったし、わたしたちはもうひとつの地球家族として歩み始めたって思った。
 
 

 

で、コロナの今。
 
前回の記事(籠に入った龍・宮城へ〜琉球弧・島巫女ネットワーク)にも書いたけど、コロナにかかりたくないからってワクチンに殺到していた人たち(の一部)は、ワクチンの副反応を恐れて、「体力のある若い人から」などと言い始めたり、
 
みんな「そこまでして生きたいの?」と疑問に思うことばかりである。
 
核シェルターが話題になったときもそう思った。
「自分だけ生き残ってどうやって生きるんだろう?」って。
 
核で廃墟になったところに自分だけ。
そちらの方がよほど恐ろしい。
核戦争がきて死んでしまうより、生きることの方が絶対に大変である。
 
 
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伊勢平氏おじさんが副反応のリスクを恐れて打たないと言っていたワクチンを打つと言い始めた。
 
「自分が助かりたいから、ワクチンを打つんですか?」
「もちろん」
 
「だったらリスクのあるワクチンはわたしに打たせて、自粛生活してればいいじゃないですか」
と答えたら、
 
「キミは陰謀論で思考が停止している!!」
となじられた。
 
「リスクの根拠を数字で出せ!」
「出どころが明確な資料を出せ!」
 
 
わかるけどさ。
数字は作るものだし、今少なくともマジョリティは「ワクチンを打つ」ってことになってるんだからないよ、そんなもの。
もしそんなものでたら世の中が混乱するじゃん。
 
 
だからヨギの治療師がやってるような反対運動に共感できないんだから。
人は恐怖に陥ると、とんでもないことをしでかす生きものだ。
だから、怖がらせてはいけないのである。
 
 
コロナが特殊事情の病気であるということは昨年この病気がではじめた頃からずっと思っている。
だいたい「無症状感染者」なるものが存在する病気がレアなのである。
 
通常は「具合が悪くて困っているから病院に行って検査する」のだから。
 
 
がんとか、比較的新しい病気だけである。
わたしが子どものころはそんな病気はなかった。
医療は「具合が悪くなってから」受けるものだったから。
たぶん貧しい国でも少ないはずである。
具合が悪くないのに病院に行く余裕はないからである。
 
 
伊勢平氏おじさんにももちろん言われたが、
「(無症状感染者が)他の人にうつして重症化するのが困る」
ってことであるが、
 
 
症状が軽くすんで本人が気づかなかった、おたふく風邪や水疱瘡だって、同じである。
 
「誰からうつされたのか」が特定できないケースの方がたぶん圧倒的に多い。
それらは問題になっていないのだ。

 
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それにしても。
 
どうして人はそんなに生きたいんだろう?
わたしには、多くの人たちは文句ばっかり言っててちっとも幸せそうにみえない。
 
 
経済的に支えてくれている夫に不満を抱えながら離婚しないで、
家庭を壊したくないとかいって結婚したまま中途半端な恋愛をして、
パワハラを受けながら仕事に行き、
「しあわせになりたい(今はしあわせじゃない)」といいながら、
「長生きしたい」っていう。
 
 
そんな人生なのにコロナにかかって死にたくないとか、理解できない。
 
伊勢平氏おじさんは、現役時代はすごい仕事をやってきた人らしいが、それだけの知性と経験がありながら、今、その影響力は(わたしの知るところでは)株とゴルフくらいでしか発揮しておらず、わたしのしろくまさんより20年以上長生きしてきて、「まだ死にたくない」って思ってるみたいだ。
 
わたしが「わたしのいる世界を天国にしたい」というと「そんなことできない」と否定する。
「人間はひどいもんなんだよ」って。
 
確かにその通りだ。
わたしはそれだけのお金と知性があっても困窮しているわたしに「自立しろ」とだけ言ってちっとも助けてくれようとしない伊勢平氏おじさんは「ひどいやつ」だと思う。
わたしを助けてくれようとするのは、わたしの方が相手のことを心配するような貧しい人たちや自分自身が貧困を体験した人ばかりだ。
 
 
自分の住む世界がしあわせじゃなくて、自分の力で天国にすることもできないのなら、生きることになんの希望もないけどな。
 
 
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わたしのことを「天使みたい」と声をかけてきたダンスの先生(次の、ステージへ)とは最近ときどき一緒になる。
彼もみえない世界のことがわかる人みたいだ。
みえていないはずの茂みの中の蛇が、その姿までわかるらしいから。
 
みえる世界がそれほどあって、感情があったら大変だろうと思ってきいてみた。
 
「好きとか、嫌いとかの感情ってありますか?」
「ありますよ」
「わたし、恋愛感情とかってないんですよ。」
「そうでしょうね。あなたは、全部受け入れちゃうでしょうから」
「最近、あなたに足りないのは恋愛っていわれて、自分でもそう思うんですけど、どうやったら恋愛感情って持てますか」
 
しばらく、間をおいて、彼は言った。
「あなたのその激しさを、受け止められる人が現れたら」
「え?」
 
「必要なのは、勇気。」
 
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There are ways to get there
If you care enough for the living
Make a little space
Make a better place
マイケル・ジャクソンの、Heal the Worldに描かれるように、社会との距離がおけて、自分の小さな居場所に静かに留まれる、そんな日が来るとは思わなかったが、今まさにそうなっている。
Heal the world
Make it a better place
for you and for me and the entire human race
 
There are people dying
If you care enough for the living
Make it a better place
For you and for me
 
 
ほんの少しの思いやりがあれば、この世は天国になる。
影響力のある人ほど、この世を天国にする力があるんだけどな。
 
 

コロナはわたしたちを正気に戻させてくれる、とわたしは信じる。