みえない世界からの答え 〜226 Mtg @ しぶや | かんながら

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旅の記録です

しろくまさんの写真展を見にきてくださるお客様がいて、ご案内に。

 

亡くなるほんの数日前、ウチを訪ねてくれて、最後の加計呂麻島の旅で大量に収穫してきたもずくでもずくパーティ。

最後にうちに招いたお客様かもしれないな。

 

ちょうど、「いつだったら行けますか」って問いに、

確実にいる日が土曜日しかなくて、「次の土曜」って返事したら、

 

「226ですか!?」

って言われてハッとする。

 

 

今年はそういえば、いつもの関係者の方々からもなにわの審神者(さにわ)からも距離を置かれているみたいですっかり忘れてた。

ついに見えない存在のみなさんの御用から卒業させてもらったと思っていたが、そうじゃなかった。

 

 

この筋の関係者とみしまが2月26日に渋谷待ち合わせ。

これは、間違いなくあちらの世界からのお呼びかけ。

 

 

 

 

今日は菊の印が目につく。

 

 

最後に(というか、それが最初で最後の訪問だった)うちに来たときに、「うがふくさん(狐の帰る國〜うがふくさんとの旅)」が生きているみたいだった、ということとか、前回の記事(そして、東京。天神さん動く 〜みやこと琉球を結ぶもの)に書いた、聖徳太子のお母さんの「間人皇后」の「間=はし」と読んで、「はし」はペルシャ(現在のイラン)のことだとか、「東廻(あがりうまーい)」(みしまの先祖をたどる旅 続き2)のことだとか、いろいろ。

 

 

 

歩かされているところがあまりにも被りすぎる。

丹後や熊野は、誰もが行くメジャーどころであるから、珍しくもないけど、

「阿波」(関東平野に誘われて 〜海なし県の水の神浦和の波うさぎのゆくえ神に抱かれる 〜軍用イルカと波動測定器、そしてユダヤ?)とか、「あがりうまーい」が被るとしたら、?って思う。

 

 

 

阿波の穴吹川で検索して出てきた、浦和の過去記事(関東平野に誘われて 〜海なし県の水の神)読み返して、絶対読めない「調(つき)の宮」。

そしてそこに何気なくある「足立」という地名。

 

 

 

戦国時代、足立区域は武蔵国(現:東京・埼玉など)足立郡に属し、有力武将の支配領域の境界に位置していた。
宮城氏・舎人氏は足立郡のほぼ全域を支配していた岩付太田氏に家臣として仕え、武蔵千葉氏は相模国(現:神奈川)の大名・北条氏に従っていた。

付近では度々合戦が繰り広げられ、足立の武将たちは「どの勢力に味方するか」という一族の存続をかけた選択を迫られた。
特に、岩付太田氏は北条氏の勢力拡大に従属・離反を繰り返し、家臣たちはその動向に翻弄された。

今回の展示では、足立区に存在した三氏の成立過程や城館、足立区とその周辺で起こった合戦と三氏の選択、そして天正十八年(1590年)に北条氏が滅んだ後の動向などを通じて、彼らの選択がどのような結果をもたらしたのか、古文書を読み解きながら、戦国時代の足立区の様子を紹介します。

足立区郷土博物館HP)

 

「なんで足立?」と思ってた答えは、2年も前にきてたよ(謎)。

しかも、問いにすら出会う前に。

 

伊勢平氏おじさんが子どものころ相撲大会で優勝しちゃったという熊野神社。

 

 

なぜ沖縄?
なぜ熊野?
なぜ大神?
 

伊勢平氏おじさんは全部つながってた。

 

 

今日のデートのお相手は、「源氏」らしいけど、あきらかに同じなにかを共有してる。

 

奥武島の行きつけの天ぷら店ももちろん一緒。

 

 

 

そして、今何となく注目している南城市・佐敷の「月代宮」。

三山統一した、尚巴志の城。

 

 

 

あがりうまーい(東廻り)の拝所のひとつ。

与那原のヒロさんにも連れていかれたように思う。

 

なんか、「月の石」って話がでてきたはずだけど、記憶が抜け落ちていたので、もう一度メールで聞いてみる。

 

「月代」とは第一尚氏が守護神とした霊石の名称のことです。 その霊石が「月」のヨリシロという意味でしょうか。

 

というお返事とともに、「場天ノロから聞得大君 へ、あるいはテダシロから ツキシロヘ」という保坂達雄氏の論文が送られてきた。そこにはわたしの沖縄の原点にいる初代ヒロさんの「与那原」の「御殿山」(2週連続の沖縄 〜 駒が回り始めた!? その2 ふたたび安須森へ)のことが書かれていた。

 

 

image

 

ここまででも十分すぎるくらい、見えない世界の全力の応援を感じるできごとであった。

 

でもさらに。

 

「うちの祖父は、終戦のまさにその日に召集されてたみたいで戦死を免れたらしいんですよね」

「皇統護持作戦というのがあったようですよ」

「ああ、なるほど」

 

 

長年の、いろんな不思議がわたしの中で静かに氷解した。

 

 

 

(昭憲皇太后御歌)

人のため 身のためものを

おもふこそ 

うつせみの世の ならひなりけれ

 

「うつせみの世」か。

 

変わり目を示唆しているような気もする。

だって蝉の抜け殻のことだし。

 

 

蝉といえば、蝉丸?

「これやこの ゆくもかえるも わかれては しるもしらぬも あふさかのせき」

 

意外なことに百人一首で唯一、濁点、半濁点が使われてないうただって。

 

なんだか能「蝉丸」には、捨てられた皇女がでてくるみたい。

 

「あふさかのせき」は、清少納言も冬至の頃、詠んでいる(牛頭天王と、馬頭観音 〜夏至直前・祇園祭に出るものは 鶴と亀?

ミホのススミに誘われて 〜美保神社の諸手船(もろたぶね)神事)。

 

清少納言の方は、

夜をこめて鳥の空音(そらね)は謀(はか)るとも

よに逢坂(あふさか)の関は許(ゆる)さじ

 

 

そういえば、蝉って菅原道真がうるさいから「蝉」って言われてたって聞いたこともある(ミシャグチ神と天神とそして蝉 〜諏訪から安曇野へ天神さんに連れられて)。

 

 

高野山の仁王さんの胸元にも「蝉」がいた(七夕だから 〜比売神さまと空海とE.T.と)。

 

 

 

なぜにこのタイミングでみかける?

蝉の抜け殻(うつせみ)。

 

まだ2月ですけど。

 

蝉が抜け出して世に出たのかもしれないよ。

2022年2月22日は、ダブルで、聖徳太子の薨去の日(2月22日)のご縁日だったしね。

 

なぜかこのタイミングで、聖徳太子と菅原道真がなんだかとっても近しく見えたしね。

 

 
情報がありすぎて整理できない。
でも、ここまでの旅はつながっているみたい。
 
何度も、「キミは利用される」(金環日食ふたご座新月・水星逆行の八ヶ岳 〜3度目の挑戦のゆくえ意思のチカラの使い方 〜ネガティブと、どうつきあうか)って伊勢平氏おじさんから言われてきて、わたしの「嫉妬」のせいだって指摘されたけど、このところわたしもようやく「何かに」利用されてるな、って気づくようにはなった。
 
わたしは利用されても構わないんだけどさ。
だって、一方通行はないわけだから。
 
わたしだって、他の誰かの思いと共鳴しあって、自分の現実をつくっているんだし。
 
 
「自分の意志を発揮していなければ、他の誰かの奴隷になる」。
力のある存在が、この世を動かしていることは間違いない。
でも、それを支える存在がいてそれは成りたつ。
 
 
王だけが存在しても、民がいなければ、王たりえないのである。
 
 
もうそろそろ、人のせいにするのは終わり。
あたらしい時代は、わたしたちの手でつくる。
 
 
あたらしい時代を、わたしたちの手で。
 

(関連記事)

狐の帰る國〜うがふくさんとの旅

そして、東京。天神さん動く 〜みやこと琉球を結ぶもの

みしまの先祖をたどる旅 続き2

関東平野に誘われて 〜海なし県の水の神

神に抱かれる 〜軍用イルカと波動測定器、そしてユダヤ?

ミホのススミに誘われて 〜美保神社の諸手船(もろたぶね)神事

浦和の波うさぎのゆくえ

牛頭天王と、馬頭観音 〜夏至直前・祇園祭に出るものは 鶴と亀?

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