角燈と砂時計 
令和改元を機に引っ越してきました。

速さが勝負のネット空間、日々の話題を追ってると、それだけで人生終わってしまうので・・・

ワンテンポ遅かったり、タイミングずれてたりするかも、ですが、
のんびりゆっくり、でもって一応じっくり、マイペースで書いていきます。

(ちなみに、旧宅はこちらです。→ goo:角灯と砂時計

  • 13Oct
    • 「表現の不自由展・その後」架空鑑賞物語・・・『2019年』あるいは『注文の多い展示会』

      ※この物語は事実に基づいていますが、あくまでもフィクションです。実在する人物・団体・催事等とは、あんまり関係ありません。10月のある晴れた暑い日で、時計は13時を打った頃でした。名古屋の繁華街を二人の若い男女が、こんなことを言いながら、歩いておりました。「何か、ほんとに色々あるんだね。私も、ちょっと気まぐれに「アート」とか、やってみたいもんだなあ」「う〜ん、キミが創造する作品、想像できるようなできないような、お客さんは、きっと倒れるだろうねえ」――「あいちトリエンナーレ2019」。フラフラと気紛れに、あちらこちらの展示を鑑賞してきた太郎と花子です。開始早々3日で公開中止になり、それでも、ここにきて、まるで最後っ屁のように1週間だけ再開することになったという、お騒がせな企画「表現の不自由展・その後」にやってきました。⚪序愛知芸術文化センターの10階、受付の行列は長く、ちょっと躊躇ったものの、せっかくだからと、とりあえず最後尾に列びました。すると「表現の不自由展・その後 鑑賞の流れ」というものが配られました。細々といろんな注意事項が書かれています。裏面は写真・映像等をSNSで拡散しないという趣旨の「同意書」になっていました。受付が始まると、列は案外サクサクと進み、受付(整理・抽選)番号の入ったリストバンドをもらいました。「何かこれ、すごい倍率になるよね。二人揃って当たりって、有り得なくない?」「無いね。てか二人共ハズレが普通でしょ」「ま、ダメ元だからね」ヒソヒソと話しながら当選番号発表を待ちましたが、驚いたことに太郎の方が当選してしまいました。「無欲の勝利? ゴメン、俺だけ」「いいよいいよ。じっくり見てきて。噂の映像、しっかり観てきてね」「あ〜、あれなあ。俺としては、例えばそれが、ヒトラーやスターリンだとしても、そもそも人の顔写真を燃やすってこと自体、悪趣味だと思ってるから」「だよね〜。・・・太郎、洗脳されないでね」「されんわ。2+2=4!」「2-2=0! じゃ、ごゆっくり。また後で。」当選した太郎は、そこから花子と別行動。8階へ移動し当選の証としてリストバンドにスタンプを押してもらいました。ちょっとした高揚感があり、特別な人になったような心地がします。そして身分証明書提示、手荷物を預け、同意書にサイン。会場入口では金属探知機を使ったボディチェックまで受けました。今度は逆に何者かの管理下に置かれたような気分になりました。入場までの僅かな時間には、これをお読みくださいと「あいちトリエンナーレのあり方検証委員会 中間報告」を渡されました。けっこうな分量のある文書です。そして何やら大型のパネルが2枚用意されています。斜めに目を通していくと・・・◎「表現の自由」をめぐる論点◎【芸術って心地よいもの?】 ホラー映画やギャング映画を見る時に、「きれい・気持ちいい」鑑賞だけを求めないでしょう?時には人が目を背けたくなるようなヒリヒリする表現があってもいいのでは?【芸術がつくられた背景を知ろう】 芸術作品を見るときに、作者がこれまでどんな作品を発表してきたのか、今どんなことを考えているのかを知ると、全然違って見えるかも【芸術と政治】 ヒップホップが公民権運動のなかで生まれたり、ビートルズがベトナム戦争に反対していたことは有名だよね。政治的な背景を持っている作品のなかにも、それがすぐに分かるものと、そうでないものがあるんだ。【抗議の自由?] でも伝え方に気をつけないと。ヘイトスピーチ(憎悪表現)で誹謗中傷したり、差別を助長したりするのは絶対ダメだよ。◎「検閲」をめぐる新しい動き◎【従来型の検閲】 大きな権力による直接的な規制【現代型の検閲?】 間接的な圧力・レッテル貼り 同調圧力 大衆のネット上での批判 脅迫・度を越した抗議(凸電) 過度な自粛・自主規制【公的な美術館や図書館は様々な意見や主張を乗せるためのプラットホーム】どんな意見を取り上げ、組み合わせるかを考えるのが、専門家の仕事。その主張は、声の大きさや数の多さでは区別しません。・・・といったことが書かれていました。「いや、まあ、そりゃそうなんだが・・・」これはつまり、自分は何をしても全て「表現の自由」だからOK、自分が何かされたら概ね「検閲」に等しくNGという、そういうことかな、などと太郎は解釈しましたが、そうか、これが「事前教育プログラム」ってヤツかと思い至り、あまり気にしないことにしました。⚪破そしてようやく、30人がぞろぞろと入場。「こりゃ狭い! 落ち着いて鑑賞するって感じじゃない!」というのが太郎の第一印象でした。それでも、まずは20分、自由に鑑賞してくださいとのことなので、順に観ていくことにしました。いま、日本社会で「あること」が進んでいます。自由に表現や言論を発信できなくなっているのです。その領域はさまざまです。新聞や雑誌などの各メディア、美術館や画廊、各種公共施設、日常生活、路上の活動など。その内容もさまざまです。報道や娯楽番組、天皇と戦争、植民地支配、日本軍「慰安婦」、靖国神社、国家批判、憲法9条、原発、性表現、残酷表現など。その不自由のあり方もさまざまです。検閲、規制、忖度、弾圧、クレーム、NGなど。私たち実行委員会はこの事態を憂い、美術とその関連領域に絞って、2015年に東京のギャラリー古藤で「自由を脅かされた表現」を集めた「表現の不自由展」を開きました。あれから5年が経ちましたが、この「不自由」はさらに強く、広範囲に侵蝕しています。ここで私たちは改めて「自由を脅かされた表現」を集める「表現の不自由展・その後」を開きます。今回はほぼ美術表現に絞っての選定です。自由をめぐっては立場の異なるさまざまな意見があります。すべての言論と表現に自由を。あるいは、あるものの権限を侵害する自由は認めるべきではない。本展では、この問題に特定の立場からの回答は用意しません。自由をめぐる議論の契機を作りたいのです。そして憂慮すべきなのは、自由を脅かされ、奪われた表現の尊厳です。本展では、まずその美術作品をよりよく見ていただくことに留意しました。そこにこそ、自由を論じる前提があることと信じます。そして、展示作品の背後にはより多くの同類がいることに思いを馳せていただけないでしょうか。本展では年表パネル、資料コーナーも充実させました。作品をご覧になった後は、資料をじっくりと見ていただき、いまの日本の「不自由」について考えていただければ幸いです。2019年8月表現の不自由展 実行委員会アライ=ヒロユキ、岩崎貞明、岡本有佳、小倉利丸、永田浩三という「ごあいさつ」。太郎は独りごちます。はあ、何というのか自(被害者)意識過剰な人達だなあ、こんなこと、いつも考えてんのかなあ、疲れないかなあ。だいたい、「本展では、この問題に特定の立場からの回答は用意しません。自由をめぐる議論の契機を作りたいのです」と言ってはいるけど、先の「事前教育プログラム」やら、この「ごあいさつ」やら、無茶苦茶語ってるような気がするぞ。「まずその美術作品をよりよく見ていただくことに留意しました」と言う割には、やっぱり狭いし。いや、しかし、まあ、そこは良いとしよう。この実行委員会の5人っていうのは、表現の自由を守りたいという熱を制御できないんだ。真面目過ぎる人達なんだ。きっと。じゃ、ご希望に沿って、とにかく作品をしっかり見るよ。九条俳句「梅雨空に『九条守れ』の女性デモ」俳句は、五・七・五の十七音で表現される、世界で最も短い詩だ。市民が作ったこの句は、東京都の北、埼玉県さいたま市大宮区の三橋公民館の俳句サークルで第1位に選ばれ、2014年7月の月報に掲載されるはずだった。だが公民館側はそれを拒否。戦争放棄を掲げた「日本国憲法9条」を扱うことは政治的であり、議論が分かれ、一方の側に立てないというのが理由だった。作者は提訴。自治体の政権への忖度や過剰規制を象徴するとして、多くの市民による応援団が結成された。2018年12月、作者の勝訴が確定した。(永田浩三)い、いや、ちょっと待て。これって「アート」なのか? 俳句を書にして額装してるだけですよね? てか、これを第1位に選ぶ俳句サークルって、どんなんなんだ?おっと、イカンイカン。「時には人が目を背けたくなるようなヒリヒリする表現があってもいい」んだった。実行委員会の人達は、これが「月報に掲載されるはずだった。だが公民館側はそれを拒否」したという事態について、表現の不自由を示す「アート」に値すると信じているんだった。アルバイト先の香港式中華料理屋の社長から「オレ、中国のもの食わないから。」と言われて頂いた、厨房で働く香港出身のKさんからのお土産のお菓子長いタイトルを持つこの作品は二重構造を持っている。本来展示するはずだったかたち、そして検閲で変容したかたちである。検閲とは、2018年に開催された五美大展(国立新美術館)でのこと。腐敗の怖れありと箱の中の菓子が出品禁止とされたが、一年経った後も腐敗せず、個別包装菓子へのこの懸念はいかにも過剰だったようだ。むしろ、ここから民族問題の主題の拒否が根底にあるとも憶測された。美術表現では、作家の日常をあらわすため、行動の記録や関わったものなどの痕跡を呈示する手法がある。これは言葉通り即物的で、作家の主観的解釈を含まないだけに社会環境そのものを客観的に示すことできる。大橋には、他に米軍機が飛行する日常を捉えた映像作品《Birdwatching》がある。料理店の社長は日本人だが、香港人スタッフの好意を拒絶することで、異民族への眼差しが透けて見える。しかしこれは一つの解釈でしかなく、別の見方もあろう。ここに本作の多義性の長所があり、見るもの自身の考えで差別について考えるよう誘う。同じように、検閲のプロセスと作家のアクションの資料により、作家は私たちがどのような閉じた社会に生きているかも呈示する。その答えは見るものの中にある。(アライ=ヒロユキ)参ったなあ。「アート」って奥深い。何か、自分がノホホンとし過ぎてるのかっていう不安が襲ってきたよ。とてもじゃないけど「料理店の社長は日本人だが、香港人スタッフの好意を拒絶することで、異民族への眼差しが透けて見える」なんてこと、俺には思いつかないよ。「しかしこれは一つの解釈でしかなく、別の見方もあろう」はともかくとして「ここに本作の多義性の長所があり、見るもの自身の考えで差別について考えるよう誘う」なんてことも、俺は考えつかないよ。遠近を抱えて(4点組)本作は1975年から10年間ニューヨーク滞在中に制作され、1986年、富山県立近代美術館主催「86富山の美術」で展示される。1993年、大浦は制作の意図を次のように語った。「自分から外へ外へ拡散していく自分自身の肖像だろうと思うイマジネーションと、中へ中へと非常に収斂していく求心的な天皇の空洞の部分、そういう天皇と拡散していくイマジネーションとしての自分、求心的な収斂していく天皇のイマジネーション、つくり上げられたイマジネーションとしての天皇と拡散する自分との二つの攻めぎあいの葛藤の中に、一つの空間ができ上がるのではないかと思ったわけです。それをそのまま提出することで、画面の中に自分らしきものが表われるのではないかと思ったのです。」(大浦信行「自分自身の肖像画として―作家の立場から」、1993年6月6日、富山近代美術館問題を考えるシンポジウム)本作は展覧会終了後、県議会で「不快」などと批判され、地元新聞も「天皇ちゃかし、不快」などと報道し、右翼団体の抗議もあり、図録とともに非公開となる。93年、美術館は作品売却、図録470冊全て焼却する。その後、6年越しで争った作品公開と図録再版の裁判も敗訴する。2009年沖縄県立博物館・美術館「アトミックサンシャインin沖縄」でも展示を拒否されている。事件後、大浦は映像作品のなかで「遠近を抱えて」の図像を繰り返し用いる。本展覧会を契機に制作された『遠近を抱えてPartII』においては、作品を燃やすシーンが戦争の記憶にまつわる物語のなかに挿入され、観る者に「遠近を抱える」ことの意味をあらためて問うものになっている。(小倉利丸)ああ、解説長い。でも「芸術作品を見るときに、作者がこれまでどんな作品を発表してきたのか、今どんなことを考えているのかを知ると、全然違って見えるかも」って事前教育プログラムにもあったし。これを読まないと「作品」を理解したことにならないんだよね。猛烈、面倒くさいんだけれど、それでも、理解してからでないと批判もしちゃいけないんだよね。⚪急多少疲れを感じ始めた太郎ですが、そうこうしている内に、20分経ってしまったようで「これから20分ほどの映像をお見せします」とのアナウンスがありました。「お、例の映像だな」それぞれ「表現の不自由」に関する展示を鑑賞していた30人です。同じ映像を観るために移動して集まると、太郎は、奇妙な一体感を感じました。ちょっとした緊張感もあります。やがて上映がはじまり、進み、そして終了。すると、観ていた人達の中から、ちらほらと拍手が起きました。「え? そういう反応?」ちょっと驚いた太郎ですが、映像の内容云々ではなく、1ヶ月以上の中止を経て、再び上映されたという、そのことを喜ぶ人がいた、ということなんだろうと理解しました。太郎自身は、なるほど、昭和天皇の肖像をバーナーで焼く、それだけの映像でないということだけは分かったのだけれど、この映像作品が「アート」として、どのような意味を持つのか、そこはやっぱり分かりませんでした・・・いや、違う。意味なんて無くても良いんだ。「表現の不自由展・その後」の趣旨からすると、「アート」として上映されるってこと、その事自体に意味があって、そこだけが重要なんだ、そうなんだ・・・どうやら自分で思う以上に疲労していた太郎ですが、ほどなく「ガイドツアー」も終了時間となり、人波に流されるようにして会場を後にしました。外で待っていた花子に気がつくと、ちょっと足を止めた後、ゆっくり近づいて来ました。「太郎、どうだった?」太郎は、困惑したような、それでも笑っているような、あるいは、目の前にいる花子の、その向こうを見るような目をしています。「夢を見たんだ――」「は,はい?」「例の映像、表現としてはアリだと思ったよ」「・・・」「――君が完全な状態に復帰できるまで3つの段階を経なければならない。学習、理解、容認の三段階である」「えっと、何の話?」「2+2 は・・・5 かもしれないだろう?」「太郎・・・」🍥🍥🍥 🍥🍥🍥 🍥🍥🍥 🍥🍥🍥 🍥🍥🍥 🍥🍥🍥 🍥🍥🍥 🍥🍥🍥※参考ウェブページ黒ごまプリン:表現の不自由展 あいちトリエンナーレ→https://ameblo.jp/30mika/entry-12534300524.htmlろばみみブログ:嵐の前…と、あいちトリエンナーレ→https://ameblo.jp/counseling-robamimi/entry-12534780815.htmlヤフーニュース:あいちトリエンナーレ「表現の不自由展」再開後初の天皇動画上映に拍手が湧いた理由→https://news.yahoo.co.jp/byline/shinodahiroyuki/20191010-00146092/あいちトリエンナーレのあり方検証委員会 中間報告→https://www.pref.aichi.jp/uploaded/life/258075_875476_misc.pdfあいちトリエンナーレ:「表現の不自由展・その後」10月13日(日)、14日(月・祝)の入場方法に関するご案内→https://aichitriennale.jp/news/2019/004336.htmlあいちトリエンナーレ:表現の不自由展・その後(A23)→https://aichitriennale.jp/artwork/A23.html表現の不自由展・その後→https://censorship.social/表現の不自由展・その後:ごあいさつ→https://censorship.social/statement/表現の不自由展・その後:出展作家→https://censorship.social/artists/表現の不自由展・その後:作者非公開 9条俳句→https://censorship.social/artists/9jou-haiku/表現の不自由展・その後:大橋藍 アルバイト先の香港式中華料理屋の社長から「オレ、中国のもの食わないから。」と言われて頂いた、厨房で働く香港出身のKさんからのお土産のお菓子→https://censorship.social/artists/ohashi-ai/表現の不自由展・その後:遠近を抱えて(4点組)→https://censorship.social/artists/oura-nobuyuki/※参考文献『1984年』ジョージ・オーウェル 新庄哲夫訳 ハヤカワ文庫(昭和47年)『注文の多い料理店』宮沢賢治 ちくま日本文学003(2007年)🍥🍥🍥 🍥🍥🍥 🍥🍥🍥 🍥🍥🍥 🍥🍥🍥 🍥🍥🍥 🍥🍥🍥 🍥🍥🍥※関連過去記事脅かされているのは「表現の自由」ではなく「公共の福祉」でしょ・・・あいちトリエンナーレ・その後他人(の金)をアテにする時、不自由になるのは当たり前・・・あいちトリエンナーレ2019

  • 06Oct
    • 脅かされているのは「表現の自由」ではなく「公共の福祉」でしょ・・・あいちトリエンナーレ・その後

      確信犯的に強行したかと思えば、3日で中止。グダグダした挙げ句、会期終了(10月14日)間際になって、5・6日のうちに再開するとか、いや、8日以降だとか。あくまでも原状復帰を求める「表現の不自由展・その後」実行委員会と、何らかの注釈(責任逃れ)提示を加えたい「あいちトリエンナーレ2019」実行委員会との間で、折り合いがつかない、ま、要するに揉めているのでしょう。私的には、ぶっちゃけ「どうとでもしてくれやい」という気分になっています。何しろ、展示再開 or 中止のまま終了、どちらに転んでも「表現の不自由展・その後」側の「勝利」なんですから。展示再開ならば「日本にはこんなにも表現の不自由がありますよ」という彼等の「展示意図」および「作品」が県に「認められた」ということになるし、展示中止のままであれば「ほら、ご覧なさい。やっぱり日本は不自由な国なんだよ」とアピールすることでしょう。愛知県民の一人として「してやられたな」と思います。腹立たしい限りです。ま、これはね、およそ芸術方面に明るいとは言えない怪しげな人物を芸術監督に任命したところから既に間違っていたわけで、次に、県職員もどこかの段階で展示内容を知ったはずなのに結果として放置したまま、挙げ句、脅迫を理由に中止しておきながら犯人が捕まった段階ですぐ再開するというのでもなく・・・ここのところのフラフラぶりを見るにつけ、トップたる県知事の罪は途方もなく大きいなと思います(この記憶、次の選挙に活かします)。※参照過去記事→他人(の金)をアテにする時、不自由になるのは当たり前・・・あいちトリエンナーレ2019ということで、今回は「そもそも論」です。⚫此処で問われ脅かされているのは「表現の自由」ではなく「公共の福祉」の方でしょ。もうね、あーじゃこーじゃ(屁)理屈はいいですから、改めて、まっさらな気持ちで、これを見てください。会場にて「展示」されていたという「映像作品」です。注1:一部、というか、全編にわたって不快な表現が含まれます。注2:一部の、というか、ほとんどの方のお気持ちを害する可能性があります。では、どうぞ!朝日新聞などは「昭和天皇を含む肖像群が燃える映像作品」などというヌルい表現をしてます(それもまた「自由」なのかもしれません)が・・・一応解説。冒頭しばらくは動きが少なく、昭和天皇の肖像が「燃えている」状態ですが、1分くらいから画面にバーナーが入ってきまして、はっきりと人為的に「燃やしている」のが分かります。2分過ぎ、別の絵に切り替わります。何かを見つめる女性とのオーバーラップ(ここだけは「アート」と言えなくもない?)から、やはり陛下の肖像が「燃えて」いますが、2分20秒、またもやバーナーを使い、人の手で「燃やして」います。3分30秒、トドメの一撃。どなたの足か存じませんが、残された灰を踏みつけてます。だからですね、こういう「表現」をしたい人も、そりゃいるんでしょう。「自由」にしていただいて結構です。発表の場くらい、他に(!)いくらでもあるでしょうし。肝心なのは、多くの人々が、例えばこの「映像作品」を、自分のお金を払ってでも見たいと思うか、自分のお金を使ってでも人様に見せたいと思うか、ですよ。県の予算も、国の補助金も、元は「みんな」のお金なんですから。そして他でもない(愛知県民であり日本国民でもある)私のお金でもあるんですから。無論、私は見たいと思わないし、見せたいとも思いません。おそらく、実行委員とそのシンパ以外、大抵の人が同じように思うことでしょう。きちんと内容を知ったうえで、大多数の人が、少なくとも過半数の人々が、このような展示に自分のお金を払いたくない、使いたくないと言うなら、それを公共の事業として、公共の施設において公開するのは、やはり不適切だということです。もうね、それに尽きます。えーと、尽きますが、⚫本当のところ、この展示は「アート」なんですか?一応、アチラさんの主張も聞きましょう。と言いたいところですが、実のところ、この「映像作品」、展示期間中実際に足を運んだ方々の報告等にあるだけで、あいちトリエンナーレのサイトを見ても、どういうわけか出てきません。トリエンナーレとしては「表現の不自由展・その後」という名前の一つの作品扱いだからなんでしょう、たぶん。ちょっと困ってます。ただですね、イヤラシイことに、あいちトリエンナーレの公式サイトとは別に、表現の不自由展・その後実行委員会によるサイトがありまして、そこに行けば「表現の不自由展・その後」に出展している作品個々の解説があります。それによると、大浦信行さんの作品として「遠近を抱えて(4点組)」というのもがありまして・・・小倉利丸さんによる、こんな解説が付いてます。本作は1975年から10年間ニューヨーク滞在中に制作され、1986年、富山県立近代美術館主催「86富山の美術」で展示される。1993年、大浦は制作の意図を次のように語った。「自分から外へ外へ拡散していく自分自身の肖像だろうと思うイマジネーションと、中へ中へと非常に収斂していく求心的な天皇の空洞の部分、そういう天皇と拡散していくイマジネーションとしての自分、求心的な収斂していく天皇のイマジネーション、つくり上げられたイマジネーションとしての天皇と拡散する自分との二つの攻めぎあいの葛藤の中に、一つの空間ができ上がるのではないかと思ったわけです。それをそのまま提出することで、画面の中に自分らしきものが表われるのではないかと思ったのです。」(大浦信行「自分自身の肖像画として―作家の立場から」、1993年6月6日、富山近代美術館問題を考えるシンポジウム)本作は展覧会終了後、県議会で「不快」などと批判され、地元新聞も「天皇ちゃかし、不快」などと報道し、右翼団体の抗議もあり、図録とともに非公開となる。93年、美術館は作品売却、図録470冊全て焼却する。その後、6年越しで争った作品公開と図録再版の裁判も敗訴する。2009年沖縄県立博物館・美術館「アトミックサンシャインin沖縄」でも展示を拒否されている。事件後、大浦は映像作品のなかで「遠近を抱えて」の図像を繰り返し用いる。本展覧会を契機に制作された『遠近を抱えてPartII』においては、作品を燃やすシーンが戦争の記憶にまつわる物語のなかに挿入され、観る者に「遠近を抱える」ことの意味をあらためて問うものになっている。※表現の不自由展・その後:出展作家 大浦信行→https://censorship.social/artists/oura-nobuyuki/は、はあ〜、ですね。ここに「映像作品」が含まれているのかしら。もうひとつ、嶋田美子さんの作品として「焼かれるべき絵」(エッチング)と「焼かれるべき絵:焼いたもの」(版画を1/3くらい焼いたもの、版画を焼いて灰にするまでの経過を撮ったスナップ、実際の灰、富山県立近代美術館宛の嶋田さんからの手紙、富山県立近代美術館からの返信)というものもあります。こちらは、アライ=ヒロユキ氏による解説。この作品は、「’86富山の美術」に出品された大浦信行の《遠近を抱えて》への検閲事件を契機に生まれた。まず版画作品《焼かれるべき絵》は、「無傷」のものと燃やされ半分ほどなくなったものが対になっている。さらに富山県立近代美術館へ抗議の意を示すアクションも付随し、そのトータルで作品を構成する。本展では、焼いた過程の写真、館へ送った灰や文章、封筒、返事なども併せて展示する。冷戦以降の現代美術においては、多文化主義(民族問題など)やジェンダー論(性差別など)を主題とする政治性を持つアートが台頭した。嶋田美子は日本ではいち早く呼応した作家。そのなかでも、自国の負の歴史をもっとも厳しく批判し、作品とするひとりだ。本作のモチーフは顔がないためわかりにくいが、その大元帥服から戦前・戦中・戦後と長く帝位に就いていた昭和天皇と推定できる。彼には戦犯追及の声もあったが、結局は逃れた。顔の剥落により、この像は誰でもないという匿名性も帯びる。戦争責任を天皇という特定の人物だけではなく、日本人一般に広げる意味合いが生まれるのだ。版画だけに「天皇像」は複数に増殖するが、これは日本人一般への責任の広がりの強調としても作用するだろう。※表現の不自由展・その後:出展作家 嶋田美子→https://censorship.social/artists/shimada-yoshiko/これまた、まあその、何だろうなあという感じです。とにかく、そういうことなので、これらの作品展示の近辺で(どさくさ紛れに?)冒頭紹介した映像も流されていたんだろうと思います。せっかくなんで、このサイトにある「ごあいさつ」も引用しておきましょう。5人の実行委員連名(責任者ナシ、集団指導体制?)で書かれています。いま、日本社会で「あること」が進んでいます。自由に表現や言論を発信できなくなっているのです。その領域はさまざまです。新聞や雑誌などの各メディア、美術館や画廊、各種公共施設、日常生活、路上の活動など。その内容もさまざまです。報道や娯楽番組、天皇と戦争、植民地支配、日本軍「慰安婦」、靖国神社、国家批判、憲法9条、原発、性表現、残酷表現など。その不自由のあり方もさまざまです。検閲、規制、忖度、弾圧、クレーム、NGなど。私たち実行委員会はこの事態を憂い、美術とその関連領域に絞って、2015年に東京のギャラリー古藤で「自由を脅かされた表現」を集めた「表現の不自由展」を開きました。あれから5年が経ちましたが、この「不自由」はさらに強く、広範囲に侵蝕しています。ここで私たちは改めて「自由を脅かされた表現」を集める「表現の不自由展・その後」を開きます。今回はほぼ美術表現に絞っての選定です。自由をめぐっては立場の異なるさまざまな意見があります。すべての言論と表現に自由を。あるいは、あるものの権限を侵害する自由は認めるべきではない。本展では、この問題に特定の立場からの回答は用意しません。自由をめぐる議論の契機を作りたいのです。そして憂慮すべきなのは、自由を脅かされ、奪われた表現の尊厳です。本展では、まずその美術作品をよりよく見ていただくことに留意しました。そこにこそ、自由を論じる前提があることと信じます。そして、展示作品の背後にはより多くの同類がいることに思いを馳せていただけないでしょうか。本展では年表パネル、資料コーナーも充実させました。作品をご覧になった後は、資料をじっくりと見ていただき、いまの日本の「不自由」について考えていただければ幸いです。2019年8月表現の不自由展 実行委員会アライ=ヒロユキ、岩崎貞明、岡本有佳、小倉利丸、永田浩三※表現の不自由展・その後:ごあいさつ→https://censorship.social/statement/こりゃまた随分と能弁ではありますが、ゴメン、年表パネルやら資料やらをじっくり見なきゃいけない「芸術表現」なんて、そりゃ「アート」としても、たかが知れてるんじゃないの? と思ってしまいます。悔しかったら、これらの「アート」に、自分のお金を払う人がどれくらいいるものなのか、自分たちで会場手配して展覧会でも何でも開いたら良いでしょう(何とか言うサイトでは支援金も相当に集まっているようですしね)。そういうことなら(批判はするでしょうけど)誰も止めませんよ。日本は自由の国ですから!以下は、長〜いおまけです。既にあちらこちらで指摘されていることではありますが、⚫昔「政治・経済」の授業で習った憲法の話。『政・経 資料集』。私の高校時代、笑っちゃいますが、1982年版です。日本国憲法について色々書き込んでます。真面目な生徒でした。自慢じゃありませんが、政治経済に限れば、学年トップ10に入るような優秀な生徒でもありました。えへへ。拡大すると、第12条に「国民」、でもって第13条には「為政者」と注意書きしてます。先生は、以下のような説明をされました。自由とか権利とかは、国民が(!)努力して保持するもの、濫用してはならず、公共の福祉のために利用する責任を伴う(!)もの。自由を含む国民の権利について、為政者は、公共の福祉に反しない限りにおいて(!)最大限尊重しなければならない。それを踏まえたうえで、こちら、第21条があります。と、このように習ったと記憶しております。なので、表現の自由に関して憲法21条だけを言うのは、これがテストであれば、48/100点くらいでしょうか。ついでに言うと、アチラの方々は、このテの「不自由」について、やたら「検閲」だと言い募りますが、そういうキツイ言葉を、それこそ濫用するのも感心しませんね。そんなん言い出したら、新聞だってTVだって、原稿依頼しておきながら社論にそわないからと不掲載にする、あるいは、取材しておきながら自らの狙うストーリー上使えないからとお蔵入りにするわけで、それらも「検閲」ですか? 違うでしょ? たまに、そう言ってるのも聞きますし、実際、その取捨選択が不穏当な事例もあったりして、褒められたことじゃないにしても、それでもやはり、検閲ではありません。およそ全ての媒体(メディア)が、場の提供者として、発信者のナマの表現をそのまま認めるはずもないですし、そのこと自体は、まあ、当たり前です。ならば、公共の施設・事業であっても(と言うより、公共の施設・事業だからこそ)表現の場を提供する者として、あるいは主催する者として、そこで発表される内容の適・不適を判断し、場合によっては不可とするのも当然じゃないですか。そうしなければ「公共の福祉」を維持することは叶わず、それはつまり、より多くの人々の「自由及び権利」を奪うことに繋がりかねません。本来、表現する側(国民)が自ら自由の「濫用」を戒め、公共の福祉のために自由を「利用する責任」を自覚しているなら、今回のような問題は起きません。が、自分達に都合の良いところだけ取り上げ拡大解釈する方々に、それを言っても詮無いことでしょう。法律や憲法の条文以前に「守るべき人の倫(みち)がある」と知らず解らず、どこまでも自由のみを言い募るごく少数の人達こそが、逆に、他の大多数の人々にとって息苦しい世の中を、不自由な世界を作り出しているんです。最後に、おまけのおまけ(と言うか宣伝)。⚫〈梅雨空に「九条守れ」の女性デモ〉なんて、ダサ句。「表現の不自由展・その後」の作品群は、ほとんどが、それ自体「アート」としてどうなの? くらいのものなんですが、「9条俳句」という、作者非公開の「作品」もあります。俳句は、五・七・五の十七音で表現される、世界で最も短い詩だ。市民が作ったこの句は、東京都の北、埼玉県さいたま市大宮区の三橋公民館の俳句サークルで第1位に選ばれ、2014年7月の月報に掲載されるはずだった。だが公民館側はそれを拒否。戦争放棄を掲げた「日本国憲法9条」を扱うことは政治的であり、議論が分かれ、一方の側に立てないというのが理由だった。作者は提訴。自治体の政権への忖度や過剰規制を象徴するとして、多くの市民による応援団が結成された。2018年12月、作者の勝訴が確定した。(永田浩三)※表現の不自由展・その後:出展作家 作者非公開→https://censorship.social/artists/9jou-haiku/まあ確かにね、判決として「作者勝訴」ではあったんですが、そもそもこの句が「秀句」に選ばれたこと自体がね・・・ということで、この俳句に関して、以前「gooブログ」で書いたものがあります。よろしければ、どうぞ。→#249 「梅雨空に『九条守れ』の女性デモ」が秀句なら「五月晴れ『安倍頑張れ』の女性デモ」は如何?

  • 29Sep
    • 電車やヨットも良いけれど・・・16歳・環境活動家(!)、グレタ・トゥーンベリさん(と仲間たち)。

      「未来の世代の目があなたたちに向けられている。私たちを裏切るなら決して許さない」時の女性(一応「ひと」と読んであげて)、グレタトゥーンベルさん(実は「ちゃん」?)ですが、いやまあ、その、何ともかんとも・・・いわゆる「ポリティカル・コレクトネス(政治的正しさ)」が蔓延しているマスメディア界隈では、彼女に対する批判はタブーのようで。というか、むしろ結託しているようで。いちいち持ち上げたり、わざわざ呼び寄せて語らせたりしてます。何しろ、いたいけな少女が、やむにやまれず、怒りを滲ませつつ、涙ながらに、訴えちゃうわけですからね。ただ、その分ネットで色々なこと言われちゃう、というよくある風景になってます。大人や社会に反発してみたり、視野が狭かったり、誰かの言うことだけを真に受けたり、私憤と公憤とをごっちゃにしたり、自分が世界を変えるんだと力んでみたり、そういうことのためなら学校サボることもOKだという思い違いをしたり、アレしたり、コレしたり・・・してるだけだろう、と。けれども、この際、彼女自身のことは良いんです。所詮16歳の子供(!)ですから。問題なのは、それこそ、周囲の大人やら社会やらですよ。このテのぼんぼんちゃんや跳ねっ返りさんは、世界中、いつでもどこにでもいるもんです。が、大抵の場合、放っておくか、優しく諭すか、ナマ暖かく見守るか(あるいは「親父にもぶたれたことないのに!」とか言われながら殴りとばすか)、が、本来の大人の役目です。電車を走らせる電気も、ヨットを製造する過程においても、何ならスウェーデンの冬を越すにも、二酸化炭素の排出は避けられません。現状維持を望むのは、すなわち(スウェーデンのような「先進国」の子供は別として)、今現在飢えたり凍えたりしている「貧しい地域」の子供達には、その暮らしにあまんじなさい、と言うに等しいことです。そこら辺について指摘することもなく、彼女に拍手する大人達は、実のところ、彼女をバ◯にしてるか、それとも御自身が馬◯なのか、そのどちらかでしょう。あるいは、(環境保護利権に群がる)大人や社会にとって利用価値のある間だけ、彼女と一緒に踊りましょう、ということかもしれません。ま、心配せずとも、そうね、3ヶ月もすれば、彼女のことなんて大抵の人々は忘れるでしょう。でもって、極一部の人が、しつこく持ち上げるか、あるいは、やり玉にあげるかってことになるのでしょう。とすれば「彼女の人生、この先まだまだ長いのに」なんて、老婆心(老爺心?)ながら不憫に思ったりもします。いつか「フツウの女の子に戻りたい!」とか叫ぶ日が来るかもよ、です。あ、したらその時は「ネット上で忘れられる権利」を訴える活動に馳せ参じるのか・・・最後にもうひとつ。彼女はアスペルガー症候群ということで、本人もそう言っているそうです。それ自体は特別なことではないし、実際隠すことでもないから良いんだけれども。メディアがそこに言及することで「アスペルガーだから仕方ない」「アスペルガーだからOK」なんて受け止めちゃう人がいるとしたら、世の大多数のアスペルガー症候群の人達にとって迷惑この上ないことだよな、と思います。もちろん「やっぱり。だからアスペルガ−はダメなんだよ」という反応は、もっとダメですが。🍥🍥🍥 🍥🍥🍥 🍥🍥🍥 🍥🍥🍥 🍥🍥🍥 🍥🍥🍥 🍥🍥🍥 🍥🍥🍥既に視た、という方も多いでしょうけど・・・なかなかに「エモーショナル」ですね。でも、(ウチの)奥様などは「その路線で行くならカンペ見ちゃダメ、見なきゃ不安なら、淡々と訴える方が(少なくとも日本人には)効果的でしょ」とのこと。女は女に厳しいですな。私自身は、とりあえず「飛行機は使わない、って言うくらいなら(NYまで)ヨットではなく泳いでいったなら、もっと良かったのに」というところです。こちらは、昨年末。この時はまだ、色々と「可愛げ」が垣間見えたりしてたんですが。でも、とりあえず「飛行機は使わない、って言うくらいなら(ポーランドまで)電車ではなく歩いていったなら、もっと良かったのに」というところです。🍥🍥🍥 🍥🍥🍥 🍥🍥🍥 🍥🍥🍥 🍥🍥🍥 🍥🍥🍥 🍥🍥🍥 🍥🍥🍥「学校」へ行くことが全てだとは思わないけれども、でも16歳(に限らず)、「勉強」はやっぱり必要だよ。学びて思はざれば則ち罔し。思ひて学ばざれば則ち殆ふし。一人の大人として、一応言っておきます。ふふふん。🍥🍥🍥 🍥🍥🍥 🍥🍥🍥 🍥🍥🍥 🍥🍥🍥 🍥🍥🍥 🍥🍥🍥 🍥🍥🍥旧ブログから、関連テーマ一覧です。よろしければ、どうぞ。※「国連」のハナシ→https://blog.goo.ne.jp/kawai_yoshinori/c/7966e634682489c191a789a48b4b9321※「正しさ」の胡散臭さ→https://blog.goo.ne.jp/kawai_yoshinori/c/6e74fd063bea3ec94554ab4d28bc6448

  • 22Sep
    • 靖国参拝、駐日英国大使は注意などしていないそうで・・・タイムズも同じ「マス」の貉でした。追記あり

      自慢じゃありませんが、ワタクシ昭和の男、未だに紙の新聞とってます。「極右」産経新聞ですが、ソコはまあ「相対性理論」なんで、気にしません。(でも、たまに心を洗いたい時などは、朝日とか中日とか買って読んだりしてます)ちなみに、愛知県東部で手に入る産経はというと、大阪発行の「6版」というやつで、前日の夕方6時頃が締め切りのようです。なので、野球どころか、相撲結果すら前々日のモノになります。いや、ノンビリさんです。が、もう今更、新聞に「最新ニュース」など期待していないから良いんです。と、ここまでは前置きでして・・・先日、こんなベタ記事がありました。(産経新聞9/21大阪6版)これね、一読「アヤシイなあ」と思いました。(ワタクシの知る限り)まずもって「近隣諸国」以外の軍関係者が靖国神社を訪れるのは、わりと普通のことですし、(ワタクシの思うところ)そんなことで、英国大使が自国民に対していちいち注意などするはずがありません。タイムズがそのように報道したのは、まあ実際そのとおりのようで、とは言え、為にする記事というか、本当は特に問題になってないんだけれども「物議を醸した」みたいに扱う、の類なんでしょう。※THE TIMES:UK military rugby team visit shrine for war criminals in Japan(それにしても「shrine for war criminals in Japan」て何なんでしょう)けど、産経もね(ベタ記事でスペースないからかもしれないけれど、とりあえずお知らせだけというつもりかもしれないけど)、正直「裏を取れよ〜」とは思いました。思いながら、ネットの方を確認したら(2019.9.20 17:48の段階で)、紙面と同じ本文に続けて、 靖国神社を参拝した英軍人で構成されるラグビーチームに、ポール・マデン駐日英国大使が日本で神社の参拝を避けるよう注意したとする英紙タイムズの報道に対し、在日英国大使館の報道官は20日、「大使はいかなる人に対しても日本の神社を訪れないよう指示したことはない」との談話を発表した。一方で「英国政府は靖国神社を訪問することの敏感さについては十分に理解する」とした。※THE SANKEI NEWS:英国軍ラグビーチーム、靖国神社参拝 物議醸す 英紙報道 「指示したことはない」と大使館報道官 →https://www.sankei.com/world/news/190919/wor1909190027-n1.htmlという一文が添えられていました。実際、靖国神社とは言ってませんが、こんなのがありまして。→https://twitter.com/UKinJapan/status/1174943181957320704で、靖国神社については、こんなことも。→https://twitter.com/UKinJapan/status/1174943183270137856まあ、そうですよね。ふふん、と納得です。そうなると、タイムズが報じたという〈チーム関係者は「(参拝は)とても考えが甘い行為だった」と話している〉辺りも、参拝それ自体のことではなく、SNSにチームとして写真をアップしたこと(後に削除)について話したのを、都合よく切り貼りして取り上げただけかもしれませんね。ま、いずれにせよ、タイムズも「やる時はやる」ということで、朝日とかニューヨーク・タイムズとかと変わるところなし。つまりはマスメディアという同じ穴のムジナ? その後、訂正記事とか出したのか、ちょっと気になりますけど、いやあ、勉強になりました。そうそう、産経はというと、翌日こんなベタ記事がありました。(産経新聞9/22大阪6版)うむ!以下、9月26日追記。この件に関して、産経新聞は〈英紙の靖国「誤報」 戦没者を傷つけるな〉と題する社説(主張)を掲載しました(26日付大阪6版)。社説というと、一番読まれないなんて噂されますけど、一部紹介しておきます。 英タイムズ紙が、英軍人で作るラグビーチームによる靖国神社参拝に対して、ポール・マデン駐日英大使が注意したと報じた。これに対して英大使館は公式ツイッターで「大使は、神社を訪れないようにと誰かに指示したことはありません」と否定した。〜〜〜 〜〜〜 〜〜〜 ところがタイムズ紙は「戦争犯罪者の神社を訪問した」と伝え、英大使からチームのリーダーが「いかなる神社にも訪問しないように言われた」と報じた。〜〜〜 〜〜〜 〜〜〜 タイムズ紙の報道は本紙も転電したが、日本や英国だけでなく、その他の国へも広がった。 韓国の新聞、通信社なども取り上げた。韓国有力紙の中央日報(日本語版)は、「駐日英国大使が叱責」などの見出しで、タイムズ紙の報道を引用した。 そのうえで、中央日報は「歴史に対する無知が露呈する姿を見せた」と、参拝した英軍チームを厳しく非難したのである。 事実と異なる反日的な報道が内外を独り歩きすることが繰り返されてはならない。※産経ニュース:【主張】英紙の靖国「誤報」 戦没者追悼を傷つけるな→https://www.sankei.com/column/news/190925/clm1909250001-n1.htmlちなみに、「ザ・タイムズの報道によると」と断りを入れてはいますが、まんまと「誤報」を後追いしてしまった中央日報の記事はこちらです。※中央日報:英国軍ラグビーチーム靖国神社で記念写真…駐日英国大使が叱責→https://japanese.joins.com/article/800/257800.html?servcode=400&sectcode=410ひょっとすると、中央日報の誰かさんと元記事を書いた THE TIMES の Richard Lloyd Parry という人とが「お友達」で、はじめから示し合わせていたのかもしれませんね。以上、追記でした。🍥🍥🍥 🍥🍥🍥 🍥🍥🍥 🍥🍥🍥 🍥🍥🍥 🍥🍥🍥 🍥🍥🍥 🍥🍥🍥おまけ。同じ日のベタ記事もう一本。(産経新聞9/21大阪6版)人種差別とか、いじめとか、ついでにセクハラとか・・・若い頃の、その自覚もなかった行為で(それ自体問題と言われれば、そりゃそうかもしれないけど)政治家(や有名人)を叩くの、いい加減止めようよって思います。何かちょっと、美しくない。🍥🍥🍥 🍥🍥🍥 🍥🍥🍥 🍥🍥🍥 🍥🍥🍥 🍥🍥🍥 🍥🍥🍥 🍥🍥🍥こちら、旧ブログの同じテーマ「メディア論」の一覧です。よろしければ、覗いてやってください。https://blog.goo.ne.jp/kawai_yoshinori/c/3cc1a1cec53d3eaa83c57e387bf4c89

  • 15Sep
    • 他人(の金)をアテにする時、不自由になるのは当たり前・・・あいちトリエンナーレ2019

      思わぬカタチで全国区になった「あいちトリエンナーレ2019」ですが、まだグズグズしてます。(「アート」を愛する)1人の県民として、いささか残念です。でもまあ、いろんな人が、あーじゃこーじゃ言ってること自体は、それぞれの自由(!)ですから、勝手にしたら良いと思います。いや、思いますが、一連の「事件」は、いわゆる表現の自由みたいな、そんな大仰なことではなく・・・人のお金をアテにする時(あるいは、人が用意した舞台を使う時)、不自由になるのは当たり前ですよね!・・・くらいのことを理解できる「大人」と、そうでない人との喧嘩に過ぎない、という気がしたりもしてます。⚫自由とか不自由とか、それ以前に。「表現の不自由展・その後」実行委員会の面々は、そうですね、ちょうど、親のスネをかじっているのにもかかわらず、自由だ権利だと喚き散らす小僧だか小娘だかみたいなものじゃないでしょうか。(もしくは「もう、放っといてよ!」とか喚く割に「ちゃんと私を認めて!」と叫ぶ=反権力を装いながら権威のお墨付きを欲しがる、みたいな?)何よりかにより、アーティストなら、あくまでもアートで語ればいいのに、ですわ。彼等が、真にアーティストであり、あるいは、そのパトロンであるのなら、時や場所にこだわらず、ご自分の自由になる範囲で(!)表現したらよろしかろう、です。金を出しても口は出さない、そんな奇特な人は、極々稀にしかいませんから(と言うか、いたとしても、それは多分アナタ達の嫌いな「お金持ち」ですよね?)。⚫アーティストはアートで語ろうよ。「ReFreedom_Aichi」なるプロジェクトが立ち上げられたそうで・・・あいちトリエンナーレ2019の全ての展示の再開を目指すプロジェクトです。国内外の作家が集結し、表現の自由への理念を掲げ、セキュリティ対策、市民との協力、アーカイブを包括的に行います。全ての展示の再開をもって、あいちトリエンナーレを「検閲」のシンボルから「表現の自由」のシンボルに書き換えましょう。※ReFreedom_Aichi→https://camp-fire.jp/projects/view/195875・・・だそうでして、こんな説明をしてます。ReFreedom_Aichi は、あいちトリエンナーレ2019参加アーティストたちが主体となり、複数のプロジェクトを打ち出しながら、全ての展示の再開に向かう働きかけを「表現の不自由展・その後」実行委員会、あいちトリエンナーレ実行委員会に対して進めていきます。あいちトリエンナーレ実行委員会、「表現の不自由展・その後」実行委員会とは別の組織です。現在はそれぞれのアーティストが多元的なアクションを起こしていますが、それらを「再開を目指す現実的な取り組み」へと集約します。その「まとまり」を作ることによって、再開のための交渉の場にアーティストの窓口を設定し、アーティストと観客の声をその交渉のテーブルに届けます。あと「ステートメント」では、こんなことも言ってます。この状況に対し、二組のアーティストが公金に頼らない対話や展示の場として、名古屋市・円頓寺近辺に二箇所のアーティスト・ラン・スペースを立ち上げました。また一部のアーティストらが中心となり、「ジェンダー平等」を掲げた本芸術祭において、女性の人権問題をテーマにした《平和の少女像》に脅迫が向けられている事態に対し、性差別をはじめとしたあらゆる差別に反対する声明文を出しました。他にもアーティスト・ステートメントは複数あがり、今後も様々なアーティストから、この事態への返答としてのワークショップ、シンポジウム、展示など、多くのアクションが予定されています。はあ、そうですか、としか。ところどころ日本語おかしいし・・・とりあえず、日本が自由の国で良かったですね、と言いたいです。これだけ好き勝手なことを言ってもしても、逮捕・監禁の恐れはないんですから。ただ、出来ることなら、アーティストの皆さんには、あくまでも「アート(作品)」で語ってもらいたいです。⚫もともと怪しげな「あいちトリエンナーレ 2019」(芸術監督・津田大介氏)のコンセプト。ホント言うとですね、ワタクシ自身は一旦OKを出した作品(誰が承知していてもしていなくても)を会期中に展示中止するのは間違いだと思います。ちゃんと公開し続けて、ごく一部の賛同と、大多数の厳しい批判を、責任者が正面から受け止めれば良いんです。ただ近頃は、「削除・中止」=「勝利(敗北)」みたいな風潮があるので、その裏返しとして、今更再展示はナイかなと思います。猛烈「政治問題」化してしまってますからね。と言うか、今回のトリエンナーレに関して言えば、、その「コンセプト」からして多分に「政治的」だったりしたわけでして・・・「政治は可能性の芸術である」––––ドイツを代表する政治家・ビスマルクの言葉だ。ゴルバチョフや丸山眞男など、後世の政治家や政治学者が積極的に引用し、政治というものの本質を一言で表現したものとして定着している。ビスマルクはその生涯において同様の発言を繰り返しており、「政治は科学(science)ではなく、術(art)である」という国会でのスピーチも記録に残っている。・・・という文言で始まり、われわれは、情によって情を飼いならす(tameする)技(ars)を身につけなければならない。それこそが本来の「アート」ではなかったか。アートはこの世界に存在するありとあらゆるものを取り上げることができる。数が大きいものが勝つ合理的意思決定の世界からわれわれを解放し、グレーでモザイク様の社会を、シロとクロに単純化する思考を嫌う。近代以降、日本のものづくり産業(ars)をリードし続けた愛知という地域は、都市であり地方であり、「普通の日本人」だと自認する人々が暮らす非凡な社会である。ナショナリズムとグローバリズム、エリート主義と反知性主義、普遍主義と相対主義、理想主義と現実主義、都市と地方、高齢者と若者––––われわれが見失ったアート本来の領域を取り戻す舞台は整った。・・・で締めくくるというね、分かるようで良く解らない、その意味で良くできたコンセプトです。(そもそも芸術家ではないし、ジャーナリストとしても怪しい)芸術監督、津田大介さんの名前で提示されてます。※あいちトリエンナーレ:コンセプト→https://aichitriennale.jp/about/concept.htmlそうそう、津田さんと愛知県知事、大村秀章さんは「お友達」らしいんですが、これが例えば、右寄り展示でその監督と安倍さんがお友達だったりした日にゃ、エライ騒ぎになっていることでしょうね。⚫本来、“ワン・オブ・ゼム”でしかない「表現の不自由展・その後」ですが・・・でもって、皆が皆「お友達」というわけではないと思いますが、「あいちトリエンナーレ2019」参加アーティスト一覧(それを眺めるだけでも結構楽しいです)がこちらです。※あいちトリエンナーレ2019:アーティスト→https://aichitriennale.jp/artwork/index.html参考までに、一覧の「A23」にある「表現の不自由展・その後」(正直、一覧の中で相当に浮いてます)には、現在こんな解説が出ています。※8月3日をもって展示を中止し、企画展の実行委員会と事務局が今後も協議していく方針が確認されています。この部屋の中は、まるで展覧会の中のもう一つの展覧会のような雰囲気を醸し出しています。ここに展示されているのは主に、日本で過去に何かしらの理由で展示ができなくなってしまった作品です。その理由は様々ですが、「表現の自由」という言葉をめぐり、単純ではない力学があったことが示されています。表現の自由とは、民主主義や基本的人権の核心となる概念の一つです。本来は、権力への批判を、いつでも、どこでも、どのような方法でも、自由に行える権利を指します。しかし現代において、その対象は為政者や権力者とは限りません。そのため、表現の自由は無制限に認められるわけではなく、他者の人権を損なう場合は調整が行われます。私たちは、この展覧会内展覧会で、それぞれの作品が表現する背景にあるものを知ると同時に、これらの作品を「誰が」「どのような基準で」「どのように規制したのか」についても知ることができます。「表現の不自由展」は、日本における「言論と表現の自由」が脅かされているのではないかという強い危機意識から、組織的検閲や忖度によって表現の機会を奪われてしまった作品を集め、2015年に開催された展覧会。「慰安婦」問題、天皇と戦争、植民地支配、憲法9条、政権批判など、近年公共の文化施設で「タブー」とされがちなテーマの作品が、当時いかにして「排除」されたのか、実際に展示不許可になった理由とともに展示した。今回は、「表現の不自由展」で扱った作品の「その後」に加え、2015年以降、新たに公立美術館などで展示不許可になった作品を、同様に不許可になった理由とともに展示する。※あいちトリエンナーレ:アーティスト A23→https://aichitriennale.jp/artwork/A23.htmlもうね、正に政治そのものですわ。そりゃ「アート=政治」というコンセプトからすれば「政治=アート」なのかもしれませんが・・・⚫こんなハズじゃなかった「あいちトリエンナーレ」。ところで、この3年に一度の芸術祭トリエンナーレなんですが、前回は豊橋も会場のひとつだったりしまして・・・飛び舞う鳥のもとで、人は何を想うか/ラウマ・リマ驚きのプロジェクションが豊橋を侵食/石田尚志静寂と闇、音と光が反復する大空間/久門剛志・・・といった「作品」がありました。で、ですね、いわゆる「評価の定まっていない」「海のものとも山のものともつかない」アートを観てですね、9割くらいの「何じゃこりゃ」と、1割くらいの「おーっ」とがあって、かなり楽しかったです。ちなみに・・・3回目となるあいちトリエンナーレは、創造しながら旅(キャラヴァン)を続ける人間をテーマにしたい。それは常に未知への、好奇心による無限の探求のかたちをとる。・・・で始まる「あいちトリエンナーレ2016」のコンセプトは、芸術そのものが未知への旅である。同様に、人間の営みそのものが未知への旅である。そして、芸術祭のかたちもひとつの旅だ。それはたくさんの人が集い、あらゆるボーダーを越え、来るべき響きとかたちを求める探究のキャラヴァンである。わたしたちの時代の「ゴールデンレコード」はわたしたちで作ろう。展覧会、舞台芸術をはじめ、さまざまな好奇心をもった人が集う多彩なイヴェントが行われる場所が、わたしたちの「キャラヴァンサライ」、つまり、旅の疲れを癒しつつも、次なる未知への旅への英気を養う家(サライ)となるのだ。今、無限の想像力を結集して創造の旅(キャラヴァン)が出発する。※あいちトリエンナーレ2016:コンセプト→https://aichitriennale.jp/2016/about/index.html・・・となってました。それらしくて素晴らしい。もちろん「政治色」ナシです。そんな経験もあるだけに、今回の「事件」はホント残念です。⚫「表現の不自由展・その後」実行委員(様)の言い分「表現の不自由展・その後」の「作品」それ自体は、わずか3日間の展示で公開中止となりまして、それが「アート」なのか「ヘイト」なのか自分自身で判断することは叶わなくなってしまいました。なので、というわけでもないのですが・・・特集3「表現の不自由展・その後」中止事件私たちが問われているのはなにか/臺宏士フランスの哲学者ヴォルテールはこう言った。「私はあなたの意見には反対だ。だがあなたがそれを主張する権利は命をかけて守る」。私たちの社会はなぜこれほど不寛容で暴力的になったのか。誌上公開!「中止」させられた「表現の不自由展・その後」/アライ=ヒロユキ公開後、わずか3日間で「中止」させられた企画展「表現の不自由展・その後」。そもそも、どのような目的で開催され、どんな作品が展示されていたのか。実行委員会のメンバーであるアライ = ヒロユキさんが報告するとともに、「中止」前にアライさんが展示風景を撮影した作品の一部を誌上公開する。全てのアートは「政治的」である/アライ=ヒロユキ猛烈なバッシングで中止に追い込まれた「表現の不自由展・その後」だが、メディアが伝える作品制作者の生の声は多くない。「平和の少女像」制作者が自身の考えを語った。※週刊金曜日:8月23日(1245)号→http://www.kinyobi.co.jp/tokushu/002868.php・・・ という記事に釣られて、うっかり『週間金曜日』買っちゃいました。で、ですね、臺宏士さんは、社会が〈不寛容で暴力的になった〉理由を、例によって〈「安倍政治」の影響〉に持っていってたりして笑っちゃうんですが、それはともかく。この際ですから、アチラさんの言い分を聞きましょう。アライ=ヒロユキさんによれば、そもそも・・・「表現の不自由展・その後」は、あいちトリエンナーレ2019の一企画、展覧会内展覧会です。ルーツは、15年のギャラリー古藤(東京)で行われた「表現の不自由展」。こちらは第2次安倍政権発足以降、特に14年に頻発した検閲事件への危機感から集まった34人の実行委員(筆者も参加)が企画しました。共同代表は岡本有佳、永田浩三。12年のニコンによる「慰安婦」写真展中止事件(作者は安世鴻)への抗議行動のメンバーを母体に発展したものです。 内容は今回のほぼ原型となるもので、日本軍「慰安婦」、強制連行、天皇制、憲法9条、福島の放射性物質汚染、安倍政権批判などを理由に検閲をこうむった作品を集め、参加作家もかなり重複しています。ただ画廊開催のため展示作品の大きさに制限があったこと、商業文化の検閲も対象としていました。 これを見て気に入った津田大介芸術監督が参加を持ちかけてきたことが「その後」の発端です。参加にあたり、代表は置かない5人の実行委員が対等の実行委員会とする(筆者、岩崎貞明、岡本有佳、小倉利丸、永田浩三で構成)、津田芸術監督の推奨作家も含める、選定を商業美術を除いた「美術」に限る、大型作品の展示が可能になったこと、があります。・・・ とのことでして、えーっと、色々語るに落ちてて面白いですね。⚫件の「アート」作品群・解説(『週刊金曜日』から)。でもって〈誌上公開!〉というだけあって、展示中止中の各作品、実物の写真も掲載されているんですが、それをそのままココに持ってくるのは著作権上アウトなので、以下、参考までに解説だけ引用しておきます。どんな「作品」なのか想像して、そのウンザリ感を楽しんでください。①キム・ソギョン/キム・ウンソン 平和の少女像正式名称は「平和の碑」。《平和の少女像》の実物大FRP作品(右)とミニチュア。2012年、東京都美術館でミニチュアが展示されたが、同館運営要綱に抵触するという理由で作家が知らないうちに撤去された。②大浦信行 遠近を抱えて昭和天皇をモチーフにした作品(右)。1986年、富山県立近代美術館で展示。展示会終了後、県議会や地元新聞から批判され、右翼団体の抗議もあり、図録は非公開後の93年に美術館が焼却。2009年沖縄県立博物館・美術館も展示を拒否。写真左は動画『遠近を抱えてPartⅡ』の一場面。③安世鴻(アン・セホン) 重重―中国に残された朝鮮人日本軍「慰安婦」の女性たち朝鮮人日本軍「慰安婦」12人の写真を撮影。2012年、東京・ニコンサロンでの展示が「諸般の事情」で直前に一方的に中止とされる。安氏は裁判で争い、2015年、勝訴。2015年に開催の「表現の不自由展」はこの事件をきっかけにしたもの。④趙延修(チョウ・ヨンス) 償わなければならないこと朝鮮学校の高校生が、日本軍「慰安婦」の「日韓『合意』に憤って描いた作品。この作品を含めた地域交流事業「ウリハッキョと千葉のともだち展」(2016年12月、千葉市美術館)に対して、2017年、熊谷俊人・千葉市長が地域交流事業にふさわしくないなどとして補助金の交付を取り消した。⑤岡本光博 落米のおそれあり作品名は交通標識の「落石のおそれあり」をもじったもの。70年以上の歴史を経て沖縄の米軍基地は日常化している。だが落石と異なり、米軍機の墜落は人為的事故だ。2017年の沖縄県うるま市の地域美術展に出品されたが、自治会長が「展覧会に相応しくない」と言い、市の判断で封印された。(最終日のみ場所を変えて再公開)⑥中垣克久 時代の肖像―絶滅危惧種 idiot JAPONICA 円墳―かまくら型の外壁に憲法9条尊重、靖国神社参拝批判、安倍政権の右傾化への警鐘などの言葉を掲げる。天頂部には日の丸があり、底部には星条旗がある。2014年の東京都美術館の「第7回現代日本彫刻作家展」で、作品のメッセージが館からの検閲で問題視され、その部分の撤去を強いられた。⑦嶋田美子 焼かれるべき絵/焼かれるべき絵:焼いたもの②の大浦信行への検閲事件を契機に生まれた。「無傷」の絵と燃やされ半分ほどなくなったものが対になっている。富山県立近代美術館へ送った灰や文章、封筒、返事なども併せて展示。モチーフは顔がないためわかりにくく、大元帥服から昭和天皇と推定できるが、顔の剥落により匿名性も帯び、日本人一般への責任の強調としても作用する。⑧Chim↑Pom 気合100連発/耐え難き気合100連発東日本大震災後、現地の瓦礫撤去の若者たちとの映像作品。以下サイトより一部転載。「ある国でのビエンナーレへの出品をキュレーターから打診された際に、主催者の国際交流基金よりNGが出た。(中略)つまりは『安倍政権になってから、海外での事業へのチェックが厳しくなっている。(中略)最近は放射能、福島、慰安婦、朝鮮などのNGワードがあり、それに背くと首相に近い部署の人間から直接クレームがくる』とのこと。(Chim↑Pom)」⑨白川昌生 群馬県朝鮮人強制連行追悼碑群馬県高崎市の県立公園「群馬の森」に朝鮮・韓国人の強制連行犠牲者の追悼碑がある。県が立ち退きを求め、設置者と裁判中だ。本作はこれをモチーフとする。2017年、群馬県立近代美術館(追悼碑と同じ公園内)で開催の「群馬の美術2017」では、係争中の事件に関わるためと展示を拒否された。ふぅ〜。ということで、最後にもうひとつ。⚫「アート」の「多義性(古典となる可能性)」について。同じくアライ=ヒロユキさんですが〈全てのアートは「政治的」である〉の中では、こんなことも仰ってます。「表現の不自由展・その後」は、公的空間での公表の際、検閲や規制などの干渉を受けたものを集め展示した。本展への最大の批判に「イデオロギー性が強い」という指摘がある。だが裏を返せば、作品にイデオロギー性を投影しているのは批判する側だ。美術作品は常に多義性を持つ。その多義性確保のための権利を訴えるのが本展の企画趣旨のひとつ。多岐な視点の社会批判をイデオロギーに矮小化するのは知的怠惰である。う、うん、そうね。実際、多義性を持つ美術作品であれば、長い時間をかけて、あるいは「古典」として残っていくこともあるかもしれませんね。けど申し訳ないんだけれども、上に引用した「解説」にあるとおり、「表現の不自由展・その後」に出品された個々の(!)作品には、多義性なんて無いでしょう。だって、解釈の仕方を説明しちゃってるわけだし。しかも、全ての作品(解説)が同一の方向(斜め左?)を向いちゃってるし。アライ=ヒロユキさんてば、無自覚なのか意図してのことなのか、多岐な視点の社会批判(多様な意見)を尊重すべきだというごもっとも論でもって、(多義性を持つことのない駄作含め)いかなる作品であっても公的空間に展示すべきだという持論(?)を補完しようとなさってますね。何ともはや、こういう小難しく高級そうで、その実、意味不明な文章を書いちゃうのって、どうなんでしょう。知的怠惰なワタクシには分かりませんわ。

  • 08Sep
    • 「美しく優しい時間」・・・『ヴァイオレット・エヴァーガーデン 外伝ー永遠と自動手記人形ー』

      〈ご家族・ご友人も是非お誘いあわせの上、貴方の大切な人と一緒に映画をお楽しみください〉※ツイッター:ヴァイオレット・エヴァーガーデン公式→https://twitter.com/Violet_Letter/status/1169511471467749377仰るとおり「大切な人(ウチの奥様と三女)」と一緒に行ってきました。映画『ヴァイオレット・エヴァーガーデン 外伝ー永遠と自動手記人形ー』です。……大切なものを守るのと引き換えに僕は、僕の未来を売り払ったんだ。良家の子女のみが通うことを許される女学校。父親と「契約」を交わしたイザベラ・ヨークにとって、白椿が咲き誇る美しいこの場所は牢獄そのもので……。未来への希望や期待を失っていたイザベラの前に現れたのは、教育係として雇われたヴァイオレット・エヴァーガーデンだった。※ヴァイオレット・エヴァーガーデン 外伝ー永遠と自動手記人形ー公式サイト→http://www.violet-evergarden.jp/sidestory/というストーリー。とても良かったです。〈これからご鑑賞予定の方や、「ヴァイオレット」を初めて観る方へ、美しく優しい時間をお届けいたします。 ご来場を心よりお待ちしております〉※ツイッター:ヴァイオレット・エヴァーガーデン公式→https://twitter.com/Violet_Letter/status/1170169819582357504はい、正に「美しく優しい時間」を過ごしてきました。『ヴァイオレット・エヴァーガーデン』は、TVシリーズも視たし、当時、うっかり小説版も買って読んでしまった、というくらい、ひっそりとながら、楽しませてもらっている作品でした。が、その後、世の中的にいろんなことがありまして・・・この『外伝』、公開2日目のファーストショーながら、お客さん、7割くらいの入りだったでしょうか。数量限定の公開記念グッズは既に無く、パンフレットも完売という状況でした。それは多分、とても良いことで、また嬉しいことです。でも何だろう、ちょっと複雑な心境でもあったりして。仕方がないので、いまさらフライヤー貰ってきましたよ。それはともかく、今回、エンドロールの途中で席を立つお客さんが1人もいなかったのは、ちょっとした驚きです。映画自体が良かったのはもちろんですが、監督から「この作品の制作に関わった全ての人の名前を載せた」という趣旨のコメントがあったりして、その想いが、皆に伝わったからでしょう。日々、理不尽なこと、やりきれないことは確かにあるのだけれど、それでもやっぱり、人は優しく世界は美しい、なんて思いました。エンドロールで流れた歌です。そうそう、映画の中で「郵便配達は、幸せを届ける仕事だ」というセリフがありました。アニメも、たぶん同じです。いや、世にある仕事のほとんどは、何らかのカタチで「幸せを届ける」もので、だからこそ、人は対価を払います。でも、届けられた手紙の中に幸せを見つけられるかどうかは、受け取る側の感受性次第という面もあるのでしょう。何なら、手紙という文化が必要とする手間や時間が関わっているような気もします。持ち帰ったフライヤーのもう一面は、新作劇場版の告知になってます。随分前から置いてあったもののようで、公開予定が「2020.1.10」と明示されてますが、実はこの部分、現在の予告等では「鋭意制作中」という表現になってます。※ヴァイオレット・エヴァーガーデン公式サイト→http://www.violet-evergarden.jp/私などが言うまでもないし、余計なお世話でしょうけど・・・いろんなこと、ゆっくり待ちます。・・・ ・・・ ・・・ ・・・ ・・・あの事件そのものもですが、その後の世間の、特にマスメディアの反応などは、実際、どうしたものかと今でも思います。下は、京都アニメーション放火事件に関連する過去記事。※被害者実名報道と真相解明再発防止と・・・いやいや、そりゃ、ほとんど関係ないでしょ。→https://ameblo.jp/hermitofthemask/entry-12501231173.html※京アニ被害者実名報道・・・マスメディアはその意義を謳ってるけど、やっぱり、ごこかズレている。→https://ameblo.jp/hermitofthemask/entry-12515697104.html

  • 01Sep
    • 京アニ被害者実名報道・・・マスメディアはその意義を謳ってるけど、やっぱり、どこかズレている。

      何か・・・結局そうなるのかって感じです。 京都府警は27日、京都アニメーションの放火殺人事件で亡くなった35人のうち、これまで身元が公表されていなかった男女25人の実名を明らかにしたのにあわせ、実名公表などについての遺族らの意向も報道陣に説明した。遺族感情に配慮してきた府警のこれまでの対応を踏襲したものだ。事件発生から約40日を経て犠牲者全員の身元が公表されるという異例の事態となったのも、一連の対応の結果といえる。 〜〜〜 府警は身元公表について、全犠牲者の遺族に対して取材対応の拒否や実名公表の可否について意見を聴取するなどした。その結果として、報道各社に対し「この遺族は取材対応を拒否している」などと、遺族それぞれの意向を伝えた。 また、実名公表を拒否する遺族もいるとした上で、身元公表に踏み切った理由について「事件の重大性に加え、社会的関心が非常に高く公益性があるため、公表した方がいいと判断した」と説明した。 〜〜〜 一方、府警からの身元公表を控えるよう要望していた京アニの代理人は同日、「弊社の度重なる要請にかかわらず、本日、被害者の実名が公表されたことは大変遺憾」とのコメントを出した。※産経ニュース:京アニ放火 京都府警、異例の身元公表→https://www.sankei.com/west/news/190827/wst1908270038-n1.html京都府警はそれなりに頑張ったとは思うんだけれども、これから先、マスメディアとの協力関係を維持していくために、公表やむなしというところに至ったんでしょう。ちなみにこのニュース、新聞の見出しでは〈京都府警「重大性・公益性を考慮 発生40日 異例の対応〉となってました。いや、それにしても、警察の実名公表後、マスメディアの報道は、まあ、例によって例の如くで、付ける薬はありません。ただそれよりも、今回、特にイヤラシイなあと感じたのが、どの報道機関においても、被害者実名報道の、その意義を力説していたことです。いやいや、そんなに一所懸命説明するのは、むしろアナタ達自身、後ろ暗いところがあるからじゃないですか、とか勘繰りたくなりますね。巷間、しばしば指摘されることですが、要するに商売のネタが欲しいだけなんでしょ、って話です。もちろん、買う(読む、視る)人がいるから売る(報道する)んだよ、という理屈もあるんでしょうけど、それはもう、卵か鶏かという類でして。そりゃ私だってね、被害者の中に『ヴァイオレット・エヴァーガーデン』の美術監督、『響け!ユーフォニアム』のキャラクターデザイン担当がいた、とか聞けば、「そうなんだ・・・」「映画とか続編とか、どうなるんだろう」みたいに、うっかり反応しちゃいますよ。でもそれは、目に入ってしまったから読んだだけ。求めていないし望んでもいません。そこは断言しておきます。私如き一視聴者、鑑賞者にとってそのような情報は、例えば、何も報道されず知らないままでいたとしても、少しも困らないことで。本来、関係者や京都アニメーションから、然るべきタイミングで公表・告知していただければ、それで十分です。ましてや、事件の真相解明とか再発防止とか、ほとんど関係ないですし。公表された被害者遺族の中には「実名公表を拒否する」方や「取材対応を拒否する」方もいらっしゃるそうですが、困ったことに(あるいは巧妙なことに)、マスメディアの出す被害者一覧では、どなたの遺族がそれに当たるのか分かりません。これでは、マスメディアが個別に遺族の同意を得て取材し報道しているのか、そうでないのかが分かりません。二言目には、とにかく「公表しろ」というマスメディアも、自分達に不都合な情報はしっかり隠しているわけです。そういうことを自覚した上で「何しろワタシら、卑しい商売なんで、実名知らせてもらえないと商売上がったりなんですよ」くらい言えばカワイイもんですが・・・ともあれ、買う人がいるから売っている、ということなら、こちらとしては、今後、被害者報道は、読まない視ないを徹底していくしかないですわ。流れで目に入ってしまったなら、どんなカタチであれ、不愉快である旨きちんと意思表示しておくとかね。そう、とにかく不愉快です。・・・ ・・・ ・・・ ・・・ ・・・せっかくなんで、ここからは「マスメディアの人」が実際どんなことを言っているのか、その一端を。以下産経新聞ですが、京都府警による実名公表を受け、ここぞとばかりに社会面2面を、被害者の「一人一人が刻んだ人生」とか「確かな存在」とかで埋め尽くした、その脇に添えられていた記事です。(あまりにも力作だったので)全文、手コピーで引用しておきます。興味のある方は、どうぞ。(ちなみに、普通に全文引用したその後で、私的茶々入れバージョンも書いてみたので、そちらへ飛んでもらっても大丈夫です)⚫卑劣な犯罪 生まない社会に 社会部長 徳永潔 京都アニメーション放火事件で、京都府警が27日、犠牲者25人を実名で公表しました。府警によると、多くの遺族が実名での報道を拒否しているとしています。産経新聞は不条理な形で肉親を奪われた遺族の悲嘆を深く受け止めます。一方で性別と年齢だけでは失った存在の大きさを伝えられません。優れた作品を世に送り出した一人一人が刻んだ人生を実名によって伝えることこそが、悲しみを社会で共有し、卑劣な犯罪を検証して、再発防止につながる道になると考えます。 今回の事件では、作品を通じて国内外に数多くのファンがいるアニメ会社が狙われました。事件に巻き込まれた著名な監督や多くのアニメーターらの安否情報がインターネットで錯綜し、無事かどうか心配する声が広がっていました。 府警はこうした状況を踏まえ、「身元を秘匿すると誤った事実が流れる恐れがある」として今月2日、犠牲者10人の実名を公表し、残る25人についても27日、「事件の重大性を考慮した」として実名を明らかにしました。ただし、このうち20人の遺族は「実名報道を拒否している」としています。 遺族が取材や報道に接するたびに苦しむ現実は重く受け止めます。一方で匿名のままでは、事件の重大性を具体的に伝えることができません。人々に深い感動を与えた作品を創作してきた方々が残した確かな存在の実感も伝えられません。 誰が犠牲になってしまったのか事実を伝えていくことで、理不尽な事件への怒りや、犠牲者を悼む気持ちが広く社会に共有され、事件の再発防止につなげることができると考えます。事実がなければ、同様の事件を封じ込める手がかりを失うことになりかねません。 もし、府警が匿名で発表し、遺族や被害者の情報の囲い込みをしていたら、遺族や負傷者に話を聞く機会が制限され、実際に何が起きていたのか、検証が難しくなっていたとみられます。 報道機関だけでなく、あらゆる個人・団体が、さまざまな出来事の真実性を検証できる状況を担保することは、自由な社会の維持に不可欠です。事実が捜査機関に囲い込まれ、情報が操作されることになれば民主的な社会が揺らぎかねません。 もう一つ重要なことは、匿名のままでは、遺族らが同じ境遇の被害者を探し出す手がかりを失い、苦しみを共有できなくなる恐れがあるうえ、自治体や医療機関、専門家らが支援を差し伸べられない可能性すらあることです。 産経新聞はこれまでも原則実名報道をしてきましたが、公共性や公益性などを総合的に勘案し、熟慮したうえで今回も実名で報じます。 遺族を含めた事件のあらゆる被害者の方々の心情に寄り添い、取材で傷つけることがないように、十分に配慮しながら、このような凶悪な犯罪を生まない社会をつくるための報道をしていきます。ね、ね、力作でしょ。全体の趣旨としては、要するに「実名の公表・報道は必要不可欠、止めません」と言ってるだけなんですが。例えば・・・産経新聞は不条理な形で肉親を奪われた遺族の悲嘆を深く受け止めます。一方で性別と年齢だけでは失った存在の大きさを伝えられません。遺族が取材や報道に接するたびに苦しむ現実は重く受け止めます。一方で匿名のままでは、事件の重大性を具体的に伝えることができません。・・・異論を受け入れるふりをする「一方で」、でも自説は決して曲げない、その典型的パターンです。ま、とにかく、色々突っ込みたいところが有りすぎるので、段落ごとに茶々を入れておきます。⚫私的茶々入れバージョン 京都アニメーション放火事件で、京都府警が27日、犠牲者25人を実名で公表しました。府警によると、多くの遺族が実名での報道を拒否しているとしています。産経新聞は不条理な形で肉親を奪われた遺族の悲嘆を深く受け止めます。一方で性別と年齢だけでは失った存在の大きさを伝えられません。優れた作品を世に送り出した一人一人が刻んだ人生を実名によって伝えることこそが、悲しみを社会で共有し、卑劣な犯罪を検証して、再発防止につながる道になると考えます。―――悲しみの共有と犯罪の検証・再発防止、ほとんど関係ないし。 今回の事件では、作品を通じて国内外に数多くのファンがいるアニメ会社が狙われました。事件に巻き込まれた著名な監督や多くのアニメーターらの安否情報がインターネットで錯綜し、無事かどうか心配する声が広がっていました。―――真に安否を気遣っているのなら、関係者からの連絡を静かに待てば良い。私はそうします。 府警はこうした状況を踏まえ、「身元を秘匿すると誤った事実が流れる恐れがある」として今月2日、犠牲者10人の実名を公表し、残る25人についても27日、「事件の重大性を考慮した」として実名を明らかにしました。ただし、このうち20人の遺族は「実名報道を拒否している」としています。―――重大な事件だから被害者の実名を公表する、という、そこからして理論の飛躍があると思うんだけれども。「(府警は)としています」という表現も、どこか責任逃れの匂いがするし。 遺族が取材や報道に接するたびに苦しむ現実は重く受け止めます。一方で匿名のままでは、事件の重大性を具体的に伝えることができません。人々に深い感動を与えた作品を創作してきた方々が残した確かな存在の実感も伝えられません。―――人々の、少なくとも私の感受性もみくびられたもんです。 誰が犠牲になってしまったのか事実を伝えていくことで、理不尽な事件への怒りや、犠牲者を悼む気持ちが広く社会に共有され、事件の再発防止につなげることができると考えます。事実がなければ、同様の事件を封じ込める手がかりを失うことになりかねません。―――だから、怒り・悼む気持ちの共有と事件の再発防止は関係ないし。誰が犠牲になったのかという事実が、次なる事件を封じ込める手がかりになるとも思えないし。 もし、府警が匿名で発表し、遺族や被害者の情報の囲い込みをしていたら、遺族や負傷者に話を聞く機会が制限され、実際に何が起きていたのか、検証が難しくなっていたとみられます。―――火災の状況、という意味ではそうなんだけれども、それこそ、警察・消防に任せておけば良いんで。それにしても「囲い込み」って表現はナイんじゃないかしら。 報道機関だけでなく、あらゆる個人・団体が、さまざまな出来事の真実性を検証できる状況を担保することは、自由な社会の維持に不可欠です。事実が捜査機関に囲い込まれ、情報が操作されることになれば民主的な社会が揺らぎかねません。―――出たな、自由な社会・民主的な社会を維持させているのは俺たちだ、理論。けどアナタたちだって、検証不可能な報道やら情報の囲い込みやら、散々してきましたよね。 もう一つ重要なことは、匿名のままでは、遺族らが同じ境遇の被害者を探し出す手がかりを失い、苦しみを共有できなくなる恐れがあるうえ、自治体や医療機関、専門家らが支援を差し伸べられない可能性すらあることです。―――今回の事件については、京都アニメーションが会社としてサポートする体制を整えているわけだし。全否定しないけれども、被害者・遺族にしてみたら、たぶん余計なお世話。不特定多数に情報が出回ると、怪しげな癒やし団体やら宗教団体やらも「支援」を申し出てきたりしますしね。 産経新聞はこれまでも原則実名報道をしてきましたが、公共性や公益性などを総合的に勘案し、熟慮したうえで今回も実名で報じます。―――結論それ。はあ、そうですか、としか・・・ 遺族を含めた事件のあらゆる被害者の方々の心情に寄り添い、取材で傷つけることがないように、十分に配慮しながら、このような凶悪な犯罪を生まない社会をつくるための報道をしていきます。―――実名公表を望まない、という心情には寄り添うことはないのかしら。そんなんで凶悪な犯罪を生まない社会をつくれるのかしら。上記は、社会部長さん署名記事でして、その点だけは評価します。が、紙面には、続けて他人(いわゆる有識者)の口を借りてモノを言う、なお約束記事もありました。コレも全文手コピーで紹介しておきましょう。⚫実名発表にルール 山田健太専修大教授(言論法)の話 社会の見る目が、実名報道は人権侵害的だと批判的になっている。被害者や関係者のプライバシーや被害直後の環境を考慮し、取材や実名報道のタイミングはこれまで以上に十分な配慮が必要だ。一方で今回、警察が取材や報道に対し細かな条件を付けたり、情報開示のタイミングを一方的に決めたりしたことは大きな課題を残す。公的機関は職務上知り得た情報を原則、速やかに開示すべきだ。犠牲者を実名で発表するルールを社会で維持する必要がある。警察が調整を直接担い、公表を止めるような行為は、社会全体で共有すべき情報を覆い隠すことになり好ましくない。これまた「一方で」だよ。公的機関(警察含む)が「職務上知り得た情報」は、むしろ原則非公開でしょ。何しろ事件被害は「個人情報」の最たるものだと思うんだけれども。この方には警察不信があるようですが、一般庶民の多くは、被害者の実名は社会全体で共有すべき情報なのか、というところを問題にしているわけで。⚫判明時点で公表を 日本大の塚本晴二朗教授(ジャーナリズム倫理)の話 社会的影響が大きい事件は歴史的資料として事実を残す必要がある。実名か匿名か判断する基準を作るのが難しい以上、実名とすべきだ。本来は身元判明の時点で公表するのが原則。警察に時期を含めて判断を任せると、都合の悪い情報を抱え込む恐れがある。誘拐報道のように警察がマスコミに情報提供し、報じる時期などは両者が協議する仕組みが有効ではないか。「警察は遺族の味方」として、マスコミを敵視する風潮があることに危機感を覚える。マスコミには「実名が発表されても迷惑がかからない」と、社会に信頼してもらえるような取材が求められる。実名か匿名か判断する基準を作るのが難しい以上、匿名とすべきだ、というのもアリでしょ。本来は身元判明の時点で公表するのは、ルール・原則というより、単なる慣例でしかないと思うんだけれども。この方も警察に対する不信感があるようですが、その割に、マスコミを信頼していると言うか叶わぬ期待をしているというか・・・これまでマスメディアが重ねてきた行状を踏まえれば、現状、実名を発表されることは迷惑でしかないんだけれども。  以上、そのズレっぷりがあまりにもオモシロかったので、(自分で言うのも何ですが)労を厭わず、新聞記事を全文引用、紹介してみました。いや何とも、さすが「レガシーメディア」と言うだけあって、(もちろん皆が皆じゃないんだけれども)新聞・テレビ関係者の頭ん中は前世紀、あるいは昭和のまんま。個人情報保護の趨勢どこ吹く風、文章・コメントの行間・間合いから特権意識だだ漏れ、でございます。・・・ ・・・ ・・・ ・・・ ・・・同じテーマ「メディア論」の記事一覧→https://ameblo.jp/hermitofthemask/theme-10109626168.html旧宅(gooブログ)での同じテーマ「メディア論」の記事一覧→https://blog.goo.ne.jp/kawai_yoshinori/c/3cc1a1cec53d3eaa83c57e387bf4c893

  • 25Aug
    • 正直、心の底からどうでも良くなっているのだけれども・・・文在寅(ムン・ジェイン)韓国大統領

      韓国人・・・と言うより、韓国政府・・・と言うより、専ら韓国大統領その人のパーソナリティによるものだと思うんだけれども・・・ここ数年のお隣さんの言うこと為すこと、どう反応したものかと、ホント困ってしまいます。連日のニュースについても、正直なところ、心の底からウンザリで、どうでも良い感じになってます。もうね、いっそ「北」に同化したいと考えているご様子のあの人には、何を言っても無駄でしょうから、この際放っておけば、と思います。いちいち怒るのも時間とエネルギーの無駄だし、鼻で笑っておくくらいで丁度いいってもんです。一部のシンパ、あるいはスパイ以外の、多くの日本国民が、既にそういう空気なんじゃないかと思います。が、もちろん、日本政府はそういう気分に流されてはいけないんであって、韓国に対する抗議とその他の国々への説明には、引き続き、精一杯力を尽くしてもらいたいですね。韓国だっていつか(?)分かってくれるでしょ、なんて姿勢ではなく、その他の国々に今(!)理解を得ていく必要があるわけで。何しろ相手は、100年単位で「告げ口外交」に磨きをかけてきた国なんで、外務省の皆さん、そりゃ面倒で骨の折れる仕事だとは思いますが、敗戦後、黙るか謝るかで遣り過してきた分を取り戻して頂戴、というところです。ついでに、と言うか、本当はそれが肝心なんだけれども、この流れで行くと、在韓米軍の撤退も現実のものとなりかねないわけでして。日本としては、観光業への影響もさることながら、国防上「対馬が最前線」ということで、それを前提に、いろんなことを練り直す必要があるよなあ、とか、これまた防衛省の皆さん、面倒な仕事が増えますが、頑張ってもらうしかありませんね。ともあれ、選んでみてどうしようもない人だったとしても、余程のことがないかぎり、任期いっぱい、好き勝手やるのを止められないのが大統領制というもので、それも民主主義制度の一つには違いないんだから、そこら辺、韓国の人々も・・・以下略で。・・・ ・・・ ・・・ ・・・ ・・・※参照ニュース産経ニュース:【GSOMIA】米で募る韓国への「怒りと不信」 影響甚大→https://www.sankei.com/world/news/190823/wor1908230022-n1.html産経ニュース:米政権、韓国・文政権に「懸念と失望」 韓国非難鮮明に→https://www.sankei.com/world/news/190823/wor1908230041-n1.htmlこちらは、会員登録(無料)が必要なんですけど・・・ 8月15日、韓国ソウルで、大規模な反文在寅デモがあり、そこで親日スローガンが叫ばれたことは、ほとんど日本で伝えられていない。韓国は反日一辺倒ではない。むしろ、最近の特徴はこれまで表に出ることがほとんどなかったアンチ反日が多数出てきたことだ。保守派は、現在の韓国の反日が「親北反日」になっているとしてアンチ反日の声を高めている。  デモ参加者の多くは韓国の国旗・太極旗と米国の国旗・星条旗を持っていたが、日の丸を持っている人もいた。「今の反日は親北容共で韓国に有害だ」「現在の日本は敵でなく、共産主義と共に戦う味方だ」という演説が相次いだ。壇上からの「日本は友人」「敵ではない」「反日は愛国ではなく反逆」という呼びかけに参加者が抵抗なく唱和した。 日本で多数報じられた「NO安倍」プラカードを掲げた反日デモは、面積や密度からして「親日」デモより動員数は少なかった。産経ニュース:【正論】韓国変質、登場したアンチ反日 モラロジー研究所教授、麗澤大学客員教授・西岡力→https://special.sankei.com/f/seiron/article/20190823/0001.html・・・ ・・・ ・・・ ・・・ ・・・庭の紫陽花。何かの勘違いで今頃狂い咲き。花言葉:「移り気」「浮気」「無常」でも色ごとで言うと、白は「寛容」だったりします。・・・ ・・・ ・・・ ・・・ ・・・※おまけ。別宅で以前書いたもの。#283 「一般に、言い訳のうまいやつは、それ以外は何をやってもだめだ」・・・隣国大統領に捧ぐ#285 「世の中には“邪悪な人間”がいる」・・・でもって、それを解らない(フリをする)人がいる。

  • 07Aug
    • 被害者実名報道と真相解明再発防止と・・・いやいや、そりゃ、ほとんど関係ないでしょ。

      京都アニメーション放火事件について、私自身は・・・たとえその名前がわからなくても、突然未来を奪われる悲しさとか怖さとか、たとえその間柄を知らなくても、突然大切な人を失う悔しさとか遣る瀬無さとか、そんなことを想うだけで少し潤んだり・・・けれど、それは、ひょっとしたら、猛烈におこがましいことなんじゃないかとも思ったり・・・もしもその人が、私にとって本当に大切であるならば、生も死も、信じて待ちましょう。もしも私が、その人にとって本当に大切でいられたのならば、生も死も、自ずと伝わってくるでしょう。それで充分。それが精一杯。ウチの庭。ユリの蕾に絡んで咲くヘクソカズラ。百合の花言葉:純粋 無垢 威厳屁糞蔓の花言葉:人嫌い 誤解を解きたい 意外性のある・・・ ・・・ ・・・ ・・・ ・・・ここのところ、被害者・当事者がそれを望み、警察がそこを配慮して実名発表を控える、ということがしばしばあります。すると、その度に、報道関係者は実名報道の意義とか正当性とかを必死こいて訴えるわけですが、送り手側が力説すればするほど、受け手側は益々冷めていっている、ような気がします。一読ご尤も風な理屈をどれほど並べ立てられても、所詮は紙面やら放送枠やらを埋めるためでしょ、と多くの人が受け止めていることでしょう。少なくとも、私はそうです。ま、彼らも仕事ですし、色々と分からないでもないんですが、例えば被害者の人となりとか、実績とか、夢とか、そういう情報を切り売りしたところで、真相解明とか再発防止とかに繋がるわけじゃない、そこだけは解かれ、と言いたいです。以下、参考までに。これは、産経新聞の主張(社説)。 京都アニメーションの放火殺人事件で、京都府警が2日、亡くなった35人のうち、遺族側の了解が得られたとして、10人の身元を公表した。 テレビアニメ「らき☆すた」の監督を務めた武本康弘さんをはじめ、いずれもかけがえのない命を絶たれた人々である。改めて冥福を祈るとともに事件の理不尽さを思い知る。 事件から16日目の公表となったことについて、府警は「遺族と会社の意向を聞きながら慎重に進めてきた」と説明した。残る25人についても今後、遺族らに理解を求めた上で公表する方針という。 突然の凄惨(せいさん)な事件である。遺族や関係者に実名の公表を躊躇(ちゅうちょ)する思いがあることは十分に理解できる。それでも、実名の公表、報道は必要であると考える。 過去の事件、事故でも、産経新聞をはじめとする報道機関は、警察や自治体に被害者、被災者らの実名の公表を求めてきた。実名は真実を追究する取材の出発点であり、原点であるからだ。 加えて可能な限り、実名による報道を心がけてきた。実名は記号や数字ではなく、一人一人の人間が生きてきた証しとしての重みを持つ。事件、事故の実相を伝えるために、実名による報道は不可欠である。匿名報道による感情の希薄化を恐れる意味もある。※THE SAKEI NEWS:【主張】被害者の実名「真実」の追求に不可欠だ→https://www.sankei.com/column/news/190804/clm1908040002-n1.htmlこちらは、両論併記のフリをしつつ、人の口を借りてモノを言うパターン。 一方、羽衣国際大の浮田哲(うきだてつ)教授(メディア論)は「インターネット社会では被害者の名前が公表されないままだと、被害に遭っていない人が被害者として挙げられるなど誤った情報が流れる可能性もある」と実名公表がなされなかった際の影響を危惧する。 さらに「警察が公表基準を明らかにしないまま情報をコントロールするのは危険。基本的に警察は情報を出すべきで、扱い方は各メディアが判断すべきだ」と指摘した上で、「当然メディア側も被害者感情に配慮する必要があり、警察とメディアが協議していく必要がある」と述べ、メディア側の対応も重要だとの見方を示した。※THE SAKEI NEWS:京アニ放火、遅れる被害者氏名公表 識者「警察は国民を意識か」「扱いはメディアが判断を」→https://www.sankei.com/west/news/190731/wst1907310037-n1.htmlこちらJCASTトニュース記事は、産経以外の姿勢も伺えて、それなりに面白いです(まあ、似たり寄ったりではありますが)。京都府警が2019年8月2日、京都アニメーション放火事件の犠牲者のうち10人の氏名を公表したことを受け、3日付の新聞紙面にも、一斉にその顔写真などが掲載された。35人が亡くなったこの事件では、京アニ側が警察・マスコミに実名の公表・報道を控えるよう要請し、京都府警も発生から約2週間、発表を行わなかった。こうした中での報道ということもあり、複数の新聞が実名報道に踏み切る「意義」を、3日付の紙面で強調した。※JCASTニュース:新聞各紙は「実名報道」の意義をどう訴えたか 京アニ事件、犠牲者公表で主張の「必要性」→https://www.j-cast.com/2019/08/03364261.html?p=all・・・ ・・・ ・・・ ・・・ ・・・とにかくワタクシ、メディア関係者が他人(警察)に頼って、楽して実名情報を得ようとする(そして、ソレをもとに紙面を埋めようとする)姿勢が気に入らないんです。以下、旧ブログでの関連過去記事。※ PROM.36 「共有不可欠」なのはソコ(被害者名)じゃない、んじゃない?→https://blog.goo.ne.jp/kawai_yoshinori/e/fbc66ad873931b9d4bd46a09451534f4※ #157 続・相模原殺傷事件について→https://blog.goo.ne.jp/kawai_yoshinori/e/99419f1bdfc6ada163ffb8f916ab7642※ #223 遺族の嘆願黙殺―被害者実名報道→https://blog.goo.ne.jp/kawai_yoshinori/e/c1103f93071d31f1eca7ca4b8ef40ff1

  • 31Jul
    • 隔離であれ共生であれ、世の中、大抵のことは「慣れ」です・・・『ブレス しあわせの呼吸』

      映画『ブレス しあわせの呼吸』を観ました。某レンタルショップで目が合ってしまったというだけの理由だったんですが、これが、そうね、なかなか良かったです。運命の恋に落ち、家族や友人に祝福されて結婚し、最高に幸せな日々を送っていたロビンとダイアナ。ところが、出張先のナイロビで、突然ロビンが倒れてしまう。診断結果はポリオ、首から下が全身マヒとなり人工呼吸器なしでは息もできない。時は1959年、医師からは「余命数カ月」と宣告される。英国に戻り息子が生まれたが、ロビンは絶望の中にいた。病院を出たいと望むロビンのために、医師の反対を押し切り自宅で看病する決意をするダイアナ。無謀とも呼べる彼らの決断は、ロビンの運命を大きく変えていく――※映画『ブレス しあわせの呼吸』公式サイト→http://breath-movie.jp/about.php・・・という、いかにも映画的なストーリーですが、実話(しかもプロデューサーの両親の話)を基にしているのだそうです。おっと、こういう説明をしてしまうと、相当重たい内容なんじゃないかと身構えてしまうかもしれませんね(実際、重いところもあるわけですが)。けれど、そんな息苦しくなるような映画ではありません。むしろ、英国流のちょっとズレたユーモアがそこここに散りばめられていたりして、約2時間、きちんと楽しめるモノになってました。で、とりあえず、ワタクシ的に「まあ、ココだよな」というシーンを。映画の終盤、ロビンと家族・友人達が、ドイツで行われた“重度障害者の生き方”専門家会議というものに参加した時のスピーチです。会場には欧州各地から「重度障害関係者」が集っているわけですが、始めに、英国で障害研究財団理事長をしているロビンの友人が、前振りがてら、軽くジャブをかまします。まず最初に興味深い事実をお話ししますこの会議のテーマは―“重度障害者の生活管理”ですでもここに障害者はいません会場には、失笑やら苦笑やらが漏れます。「障害の世界、あるある」のひとつですが、ま、そうですよね。そして、ここからがロビン本人。会場の人々に問いかけます。なぜ障害者を監獄に閉じ込める?患者たちの姿は隠されている健全な社会の一員とみなされていない皆さんはとても真摯に―障害者たちのケアをなさっていますでも私を見て下さい何が見えますか?奇妙な生き物が―かろうじて生きている?それとも病院の壁から飛び出してきた―1人の人間ですか?この椅子の下の機械が―私のために呼吸してくれています自宅のベッド横には人工呼吸器がすばらしい友人たちもいるそして妻がいてくれる私は自分では何もできないでも今ここにいます麻痺した時死のうと思ったとても死にたかっただが妻に止められた“生きなければならない”と息子の成長を見守るためにだから生きてますそう言われたから妻のおかげで妻と共に妻のためにあの瞬間から日々―死のリスクを受け入れているただ生存するだけでなく―人生を生きるためにだからどうかお願いです皆さんの病院へ戻り―障害者の患者に伝えてほしい彼らも人生を生きられるのだと皆さんには権限があるゲートを開き―彼らを自由の身にということで(いきなり大きく出ちゃいますが)有史以来、多数者は・・・理由が病気であれ障害であれ、自分を不安にさせる少数者を隔離して閉じ込めて、自分の周囲にはいないものとして過ごそうとしてきました。言うなれば、不安を壁の向こうに追いやり、直接見えなくして無かったことにするようなものです。不思議なことに、大多数の人は、それで安心してしまうのです。「障害者」を隔離することに慣れてしまい、いつしか、そこに疑問を感じることもなくなってしまったのですね。けれど、その壁は絶対ではありません。見えなくしたから存在しないというわけでもありません。ある日突然、自分自身が、あるいは自分の大切な人が、壁の向こう側へと追い立てられるかもしれないのです。病気を患い、障害を負う過程は百人百様、千差万別です。そりゃ中には、何らかの過失によるものもあるのでしょう。けれど、大抵の場合は不可抗力です。良い人でもそうでなくても、有名な人でも無名でも、そんなことには一切関わりなく、時も場所も選ばず、ただひたすら理不尽に襲ってくるものです。ならば、ソレを含めて当たり前の人生と受け止めるしかないじゃないですか。病気や障害が理由で、できないことは、そりゃ沢山あるかもしれないけれど・・・病気の人や障害のある人を見て、ちょっと恐いなあと思うこともあるかもしれないけれど・・・この映画を観て、時折クスッとしながら、「ちょっと、手伝っていただけますか?」と問うことに、「はい、大丈夫ですよ(いえ、残念ですが、できません)」と応えることに、人それぞれ、少しずつ慣れていけたら良いなあ、というか、むしろ、慣れるしかないことだよなあ、なんてことを思いました。その意味(だけ!)で、重度障害のある国会議員が誕生したのは、まあ、良いことだと思います。(山本太郎氏のこれまでの実績も、れいわ新選組の示している政策も、ワタクシほとんど買ってはいませんが)今後6年間、二人の国会議員ご自身が「しあわせ」になれることを願い、周囲の人をも「しあわせ」にすることを期待してます。(正直なところ、お二人ともユーモアが足りない気はしますが)・・・ ・・・ ・・・ ・・・ ・・・こちら参考までに。色々と興味深い内容です。※AbemaTIMES:ALS患者が国会へ、「重度障害者に国会議員が務まるのか」との意見に”車椅子の大臣”八代英太氏と乙武洋匡氏の見方は→https://abematimes.com/posts/7012476こちらは、ほとんど関係ない、というか、内容様々なのですが。※旧ブログ、テーマ「ぶらり図書館、映画館」一覧→https://blog.goo.ne.jp/kawai_yoshinori/c/bc35e3c8f575c9b7d92076040d9cf98b

  • 24Jul
    • 参議院議員選挙2019、結果論であそぼ。

      遅ればせながら・・・参院選挙、結果出ました。まあ、その、総体として想定内というか、ま、こんなもんかな、という結果ではありました。が、一応選挙前にあーじゃこーじゃ言った手前、何かあるでしょ、ということで、ここはひとつ、世の評論家、コメンテーターと呼ばれている方々と、そうね、同じ程度に勝手気儘な解釈を披露しておきましょうか。◆愛知選挙区まずは地元、愛知選挙区についてです。※NHK選挙WEB:愛知選挙区→https://www.nhk.or.jp/senkyo/database/sangiin/2019/23/skh43414.htmlもうね、あまりにも「そうですよね」な結果で、面白くも何ともありません。国民民主党と立憲民主党、それぞれの支援組織が、一体どのように棲み分けているのか知りませんが、ワタクシとしては「愛知民社」と言われていた頃が、ただただ懐かしいです。◆静岡選挙区お次は、(投票できないんだけど)気になってたお隣の静岡県。※NHK選挙WEB:静岡選挙区→https://www.nhk.or.jp/senkyo/database/sangiin/2019/22/skh43413.html上様(立憲民主党)、落選です。榛葉さん(国民民主党)と、もう少し競るのかと思いましたが、案外差がついてますね。けど、そりゃアナタ・・・「神君家康公」の血を引く者として「太平の世を守るためにこそ、常に刀を磨いておかなければならない」とでも仰っていただけたらよかったんですが、何しろ、日本国憲法は「日本人の歴史的経験と叡智が詰まった、日本人が誇るべき文書」だと宣い、9条を含め憲法改正阻止を真面目に(!)訴えてましたからね。いくら「知名度抜群」ではあっても、そこまで言われちゃうと流石に引くよなあ、という有権者も多かったのではないかと思います。ま、結果論ではありますが。※参考過去記事 角燈と砂時計:殿(徳川家広さん)ご乱心 !?・・・世が世なら「主君押込」モノ !!→https://ameblo.jp/hermitofthemask/entry-12475907456.html◆比例代表さて、比例代表ですが・・・これもまあ(ワタクシとしては気に入らないけれど)事前予想範囲内でした。※NHK選挙WEB:比例代表党派別得票・獲得議席数→https://www.nhk.or.jp/senkyo/database/sangiin/2019/00/hsm12.html⚫立憲民主党目立つのは、やはり立憲民主党ですね。比例だけで4→8。選挙区を合わせると9→17ですか。ま、確かに「躍進」ではあります。ちなみに立憲民主党、比例の選挙公報は、こんなでした。暮らしから始まる経済成長へは、まあ良いとして、国民一人ひとりの暮らしを豊かにし、教育や福祉への投資によって次世代の可能性を切り拓く「ボトムアップ経済」へ。って何? どういうこと?「トップダウン」より「ボトムアップ」・・・何となく雰囲気良さげな言葉を適当に編み出してアピールしてるわけですが、それが立憲民主党の答えです。とか言われても、その答えの意味がワタクシにはさっぱり解らないんですけど。ま、暗に現政権の経済政策が大企業だったり東京中心のトップダウン式だったりする、という(それ自体、正確ではないと思うのだけれども)批判を込めたつもりなんでしょう。公報のこのお題目で投票した、なんて人は、そうはいないと思いますが、何ともはや、こういうのが「野党第一党」になっちゃうんですねえ。⚫れいわ新選組あと、れいわ新選組も、まあ、頑張りました。というか、これは(一応、良い意味で)山本太郎氏のパフォーマンスというかプロデュースというか、に、やられました。そこは素直に認めましょう。「山本太郎」票を大量(?)に集めて、でも、特定枠のお二人のみが当選。山本氏ご自身は落選したわけですが、次の衆議院に改めて出馬する意向とか。ま、それも(一応、良い意味で)制度を上手に使いこなしているわけで、文句はありません。とは言うものの、れいわ新選組。選挙公報はこんなでしたよ。(れいわ緊急八策)①消費税は廃止②全国一律!最低賃金1500「政府が補償」③奨学金徳政令 ④公務員増⑤一次産業戸別所得補償⑥「トンデモ法」の見直し・廃止⑦辺野古新基地建設中止⑧原発即時禁止・被爆させないこれ、候補者面々の関心・実績(があるとして、ですが)と全く関係ないですよね。実際、特定枠で当選されたお二方にしても、これらについて何か言えるとも思えないんですけど。ま、とりあえず、24時間介護を必要とする重度障害のある人々に対して、ハード・ソフト両面での「合理的配慮」は如何にあるべきか、周囲の試行錯誤する姿をも含め、一般の人々が「見慣れる」というのは大切なことで、その限りにおいて、お二人の当選者には頑張ってもらいたいと思います。この際「緊急八策」は置いといて良いから。ぶっちゃけ、山本太郎氏が質問に立つことはないんだし(ワタクシ的にはそれが救い)。⚫NHKから国民を守る党一議席獲得! これには、正直驚きました。NHKからスクランブル放送の実現究極のシングルイシュー戦略。文字通り、それ以上でもそれ以下でもない。そこが良かったのでしょう。ワタクシとしては、国会議員がそれで良いのか? と思わないでもないんですが。と言うのも、民主主義は数。一人では何も動かせないんで。今後、如何に輪を広げ、仲間を増やし周囲を説得していくか、ですね。◆でもって雑感メディア的には「改憲勢力 2/3を割り込む」というところが大きく扱われているわけですが、でも、これってもともと「分かりやすく足し算してるだけ」の面があって、2/3あれば、とか、2/3なければ、という簡単な話ではないはずです。事実、ここしばらく衆参ともに2/3以上の勢力を持っていたのに、改憲の発議どころか、憲法審査会での議論すら全く進んでいないんですから。だったら逆に、参議院で2/3を割ったからこそ、何か動くかもしれないと、ちょっと希望的観測をしたりして。あー、でもやっぱり、枝野クンがいる限り無理ですかねー。何しろ「大躍進」の立憲民主党らしいですから。けど、そうやって鼻息が荒くなっている枝野クンへ。確かに「野党第一党」なのかもしれないけれど、比例に関して言えば、得票率、自民党の35.4%に対して15.8%、議席数でも19対8。ダブルスコア、大差の2位、言うなれば周回遅れですからね。そこんところお忘れなきよう、人のことよりアナタこそ「謙虚な姿勢」でお願いしますよ。あと、れいわ新選組(というか山本太郎氏)。2議席獲得は素晴らしいんだけれども、仮にドイツのような5%条項があったら当選できないレベルの得票率ですから。これは社民党、NHKから国民を守る党にも言えることではありますが。◆結語今回の選挙では、多くの有権者が、元〇〇という、ただ昔の名前で出ているだけの人には投票しませんでした。だからこそ、その中で当選された皆様には、今後6年間、国会議員として国の現在と未来について、真面目に議論を重ねていってもらいたいと思います。くれぐれも、端から政権取る気なし、みたいな無責任発言は控えてくださいね。何しろ「良識の府(死語?)」の一員になられたわけですから。

  • 16Jul
    • 第25回 参議院議員選挙 愛知選挙区 ポスター&公報であそぼ その③

      参議院議員愛知選挙区、以下のごとく、ポスターを貼りきれない(泡沫?)候補も含め、4枠に12人が立候補しております。※愛知県選挙管理委員会:候補者の氏名及び党派別→https://aichi-senkyo2019.jp/images/candidate_01.pdfそのこと自体、選挙戦を盛り上げているのか、あるいは下げているのか微妙なんですが、ともあれ「ポスター&公報であそぼ」の、その③、です。⚫酒井やすゆき(自由民主党)これは・・・冒険しましたね。掲示板全体の中でそれなりに目立つと言えなくもないんですが、御本人の人物としての器みたいなものまで小さく見えちゃうのが難点でしょうか。未来を起点に今を考える。Back casting自民党のくせに(?)、キャッチコピーとしては、まあ、良いと思います。1 災害から命と生活を守る強い国をつくります。2 お子さんからお年寄りまで。 みんなが安心できる社会保障制度へ。3 AIなどの先端技術を使って「働き方改革」。 これからも経済成長する社会をつくります。4 あなたが主役の「地方創生」を推進します。5 世界の中心となり、動かす外交を加速させます。6 「AICHIメガリング構想」を進めます。の、6項目掲げてますが・・・いずれもよく聞く話で、正直なところ「憲法改正も、ちゃんと言えよ〜」です。ソレ以外は、ぶっちゃけ誰でも、どの党でも言ってるし。あ、でも、6「AICHIメガリンク構想」を進めます。世界が求めるイノベーションとものづくりがある愛知。知多半島と渥美半島を橋で結び、愛知県域のヒト・モノ・カネの流れを円滑にすることで、世界に発信できる活気ある愛知をつくります。は、オリジナルかな? とは言え、知多半島と渥美半島っていうのは、ちとローカル過ぎるんじゃないかと。せっかく「夢」を語るのなら、やっぱり紀伊半島、四国、九州南部へと可能性の拡がる「第二国土軸」の呼び水として、伊勢湾口道路(渥美半島と志摩半島を橋で結ぶ構想)の方が、(県選出とはいえ)国会議員が訴えるものとして上策だと思います。※酒井やすゆき→http://www.sakai-yasuyuki.com/⚫田島まいこ(立憲民主党)何時でも何処でも「斜に構える」立憲民主党。誰ひとり置きざりにしない社会へ。は、「ふふん」と鼻で笑っておいて。元国連職員は、「だから、どうした!」です。🍀すべての子どもが幸せに成長出来る社会🍀女性の活躍を全力で応援🍀人生百年時代の安心システムづくり🍀災害に強い町づくり🍀愛知を世界で愛される地域にの、5項目。これまた、いずれもよく聞く話。でもって「立憲主義」とは、ほぼ関係ありませんな。ただ、🍀女性の活躍を全力で応援・働く時間、場所を柔軟に選べる働き方を推進します。・子育てを終えた女性の職場復帰を支援します。については買います。率直に言って「働きながら子育て」なんて、どだい無茶な話でして。「育児を終えてから始めても大丈夫」な世の中になればこそ、晩婚・少子化傾向を反転させることも可能でしょうから。そんなわけで、安易に「女性目線」とか「母親目線」とか言ってないところも買いなんですが・・・ひとつお願い。「グダグダ言ってないで、真面目に憲法論議してほしい」と考えているワタクシのことも置きざりにしないでね。※田島まいこ→https://www.maiko-tajima.com/⚫牛田ひろゆき(安楽死制度を考える会)ポスターありません💧ひとつの選択肢「安楽死制度に反対ですか」とか、単純に問われましてもねえ・・・・自分の最後は自分で決めたい・制度を使いたくない人は使わなければよい・耐え難い痛みや辛い思いをしてまで延命したくない・家族などに世話や迷惑をかけたくない・人生の選択肢の一つとして「お守り」のように安心それはまあ、確かにそうで、いちいちごもっとも。なんですが・・・こういう「命題」を直接選挙で問うというのは、どうなんでしょう。死に方=生き方に係る話ですし、もっと言えば、命は、必ずしも「自分だけのモノ」「自分だけで決めて良いモノ」ではないですからね。※(牛田ひろゆきさん「候補者の氏名及び党派別の一覧」にはリンク無かったので)安楽死制度を考える会→http://honshitsu.org/どさくさ紛れに、こちら「安楽死・尊厳死」について、昔ワタクシが書いたもの。→#174 『君がくれたグッドライフ』・・・一般論じゃ語れない「イキカタ」⚫末永友香梨(NHKから国民を守る党)ポスターありません💧来年からインターネットでもNHKが視聴できるように国会で決定しました。!!このままでは「テレビがない」「NHKをみていない」でも 支払いの義務が発生します!!!!NHKから国民を守る党はNHKスクランブル放送の実現に向け国の中心から変えて行くため全国から立候補しています。NHKから国民を守る党 NHKをぶっ壊す!いや〜、NHK、というかテレビ自体、あまり視ないワタクシとしては、実際、素敵!って思うんですけれども。この感覚を一体どれくらいの有権者が共有しているのかと、そこら辺を考えると、ちょっとねえ、ではあります。※末永友香梨(というか、NHKから国民を守る党)→http://www.nhkkara.jp/index.html◆12人分のまとめふぅ〜〜〜。12人、終わりました。さて、ど〜れ〜に〜、じゃなくて、誰にしたもんでしょうか。ワタクシ思うに、年金を含めてですね、日々の暮らしであれ、安心・安全であれ、結局のところ国家がしっかりしていればこそ、でして。現行憲法は、その外交・防衛政策を構築していくうえで足枷になっているだけなんだけれども(としか思えないんだけれども)、県選出議員の公約として、ソコの議論を期待するのは、やっぱり無理というものなんでしょうか。少々悲しくなってます。◆比例代表についてところで比例代表。ちょとした縁(→#105 「リアルあかりちゃん」登場!?)もあることだし「ヒゲの隊長」こと佐藤まさひささん(「まさひさ」をしっかり書かないと、票を野党の佐藤さんとかと勘案されちゃうそうです。気を付けましょう)かなあ〜と考えているのだけれど、今回は、地元豊橋出身の元F1レーサー山本左近さんも立候補してたりして、ちょっと悩ましいところです。◆憲法論議についてそれにしても、憲法論議の盛り上がらないことと言ったら・・・それをね、一部政治家の方々は「国民が望んでいないから」という方向で言い訳してるわけですが、勘弁してもらいたいと思います。貴方達は「政治家」ですよね?たとえ国民が望んでも不可は不可であろうし、国民が望まなくても必要ならばそれを訴えていくのが政治家でしょう。国民の声とかを聞いて「ハイハイ、やらせていただきます」、国民の声がないから「んー、望まれていないからねー」って、それじゃ単なる「御用聞き」ですよ。貴方達が真面目に議論をすれば、国民だってちゃんと関心持ちます。要は、関心持たれたら困る人達が「関心ないから」って議論から逃げてるだけでしょ。国民と向き合っているフリをして、その実バカにしてます。もう、たいがいにしてほしい。例えば「家計第一」とかって言うんなら、そのために、日本向けの石油運んでるタンカーを自前で(!)守るのは当然でしょ。それこそ正に「国の仕事」であって、その仕事が憲法上できないというのなら、そりゃ憲法の方が間違ってるんです。おっと、うっかり熱くなってしまいました。◆選挙区1人区についてまあ「そう熱くならないで」という方は、とりあえず下記、一人区、野党統一候補に関する4野党1会派と市民連合とやらの「政策協定」でも読んでやってちょうだい。ほんのちょっぴり、分からなくもない項目もありますが、トータルで、まあ、参っちゃいますね。ここに署名している方々は、コレをそのまま「受け止め」ているわけだから、端から議論の余地なんてありませんがな。それでいて「議論します」「逃げてません」とか仰るんですから、いやもう、全くもって不真面目な方々です。万が一にも、実際に政治を担うことなんて無いと知っているからこそ、ここまで無責任になれるんでしょうね。です。1 安倍政権が進めようとしている憲法「改定」とりわけ第9条「改定」に反対し、改 憲発議そのものをさせないために全力を尽くすこと。2 安保法制、共謀罪法など安倍政権が成立させた立憲主義に反する諸法律を廃止すること。3 膨張する防衛予算、防衛装備について憲法9条の理念に照らして精査し、国民生活の安全という観点から他の政策の財源に振り向けること。4 沖縄県名護市辺野古における新基地建設を直ちに中止し、環境の回復を行うこと。さらに、普天間基地の早期返還を実現し、撤去を進めること。日米地位協定を改定し、沖縄 県民の人権を守ること。また、国の補助金を使った沖縄県下の自治体に対する操作、分断を止めること。5 東アジアにおける平和の創出と非核化の推進のために努力し、日朝平壌宣言に基づき北朝鮮との国交正常化、拉致問題解決、核・ミサイル開発阻止向けた対話を再開すること。6 福島第一原発事故の検証や、実効性のある避難計画の策定、地元合意などのないままの原発再稼働を認めず、再生可能エネルギーを中心とした新しいエネルギー政策の確立と地域社会再生により、原発ゼロ実現を目指すこと。7 毎月勤労統計調査の虚偽など、行政における情報の操作、捏造の全体像を究明するとともに、高度プロフェッショナル制度など虚偽のデータに基づいて作られた法律を廃止すること。8 2019 年 10 月に予定されている消費税率引き上げを中止し、所得、資産、法人の各分野における総合的な税制の公平化を図ること。9 この国のすべての子ども、若者が、健やかに育ち、学び、働くことを可能とするための保育、教育、雇用に関する予算を飛躍的に拡充すること。10 地域間の大きな格差を是正しつつ最低賃金「1500 円」を目指し、8 時間働けば暮らせ る働くルールを実現し、生活を底上げする経済、社会保障政策を確立し、貧困・格差を解消すること。また、これから家族を形成しようとする若い人々が安心して生活できるように公営住宅を拡充すること。11 LGBTsに対する差別解消施策、女性に対する雇用差別や賃金格差を撤廃し、選択的夫婦別姓や議員間男女同数化(パリテ)を実現すること。12 森友学園・加計学園及び南スーダン日報隠蔽の疑惑を徹底究明し、透明性が高く公平な行政を確立すること。幹部公務員の人事に対する内閣の関与の仕方を点検し、内閣人事局の在り方を再検討すること。13 国民の知る権利を確保するという観点から、報道の自由を徹底するため、放送事業者の監督を総務省から切り離し、独立行政委員会で行う新たな放送法制を構築すること。※市民連合:5/29(水)4野党1会派と市民連合による政策協定調印式のご報告→https://shiminrengo.com/archives/2474・・・ ・・・ ・・・ ・・・ ・・・※関連記事第25回 参議院議員選挙 愛知選挙区 ポスター&公報であそぼ その②第25回 参議院議員選挙 愛知選挙区 ポスター&公報であそぼ その①※旧ブログ(goo)、テーマ「選挙へ行こう!」一覧。→https://blog.goo.ne.jp/kawai_yoshinori/c/259cd4a2092afd6036138739263ea061

  • 15Jul
    • 第25回 参議院議員選挙 愛知選挙区 ポスター&公報であそぼ その②

      参議院愛知選挙区、4議席に12人。激戦と言うか、候補者乱立ぎみです。(ウチの近所の掲示板では)7月13日時点でお一人増えましたが、未だ4人の方がポスターなしです。ま、色々あるのでしょう。※愛知県選挙管理委員会:候補者の氏名及び党派別→https://aichi-senkyo2019.jp/images/candidate_01.pdfでは、前回の続き「ポスター&公報であそぼ」の、その②、まいりましょう。⚫古川ひとし(労働の開放をめざす労働者党)色使いが渋くて割と好み。でも「労働者党」がかぶっているのはいただけません。搾取労働、差別労働を一掃する。ですか・・・うわっ、公報、字ばっか。搾取労働・差別労働の廃絶のために。しかもスゴイ言葉遣い・・・非正規・低賃金・強欲な搾取労働と闘います!「介護は人間の崇高な文化です」すべての国民が等しく介護を担う仕組みを作りましょう!バラ撒きを競い合う政治の先は、国民の愚民化!ファシズム体制への道を掃き清めます!白抜きの3項目までは、まあ良いとして、この細か〜い字ばっかの文章を読んでもらえると信じているとしたら、それ自体、政治家としてどうなんだろうと思うんだけれども・・・何かね、それでも読まなきゃっていう真面目な人の時間こそが搾取される感じ? 分量、せめて1/3くらいに削ってほしい。※古川ひとし(というか、労働者党)→http://wpll-j.org/#⚫平山良平(社会民主党)うーん、工夫してる感は伝わってくるんだけれども、背景の噴火が・・・見る人を、ちょっと不安にさせるような、そういう狙いなのかな?時給 1500円 最低賃金ワタクシ自身、前にそんなこと書いたことあるし(→#275 (昔ながらの)自民党らしさ全開?・・・外国人労働者受け入れ問題/出入国管理法改正案)、その目標自体は賛成しちゃう。でも、この色使いは違う気がする。こちらも、工夫してる感が伝わってきます。平山良平が思うこと憲法同性婚を認め、性の多様性を尊重しよう原発を廃炉に最低賃金を全国一律、時給1500円に消費税と法人税関西生コンの闘いに連帯しよう沖縄の辺野古基地建設は中止せよちょっと工夫が過ぎて、ゴチャゴチャしてる気もしますけどね。せっかくなんで本文を読むと・・・憲法憲法の平和的生存権と9条は、いのちの保障制度です。戦争の放棄は自衛隊員のいのちを守っています。朝鮮半島を含め平和への歩みが拡大しています。「防衛費」ではなく、教育、保育、医療、福祉そして年金に税金を使って、顔をあげて笑顔の生まれる生活を作りましょう。沖縄の辺野古基地建設は中止せよ辺野古基地建設反対は沖縄県民の願い。沖縄を平和の島に。アメリカの戦争政策に手を貸すな!うんっ! 社民党っ!!村山首相の時代を、そんな時代もあったねと、チラと思い出したりもするのだけれども、ま、頑張って。※平山良平→http://www.h-ryouhei.jp/⚫石井均(無所属)ポスターありません💧シンプル! と、褒めて良いんでしょうか?〜〜〜消費税を廃止するのは簡単です。消費税が導入される前の、所得税と法人税に戻せば良いだけです。いや、ワタクシ、消費税そのものには反対じゃないんで。むしろスッキリ10%にしてもらいたいくらいです。〜〜〜私の政治信条は自由平等公平な社会を作ること、弱者に標準以上の生活水準を確保することです。??? 結果平等を目指しているのかな? ここで言う「弱者」って誰?と、批判的な反応をしておいて言うのも何ですが、この方のホームページには憲法改正問題や南京大虐殺に関する提言・見解もあって、それらは案外、というか、かなり「保守的」です。お時間あれば、読んであげて。※石井均→https://hi1202.jimdofree.com/⚫岬まき(日本維新の会)ニャゴヤ(名古屋)の河村たかし市長とツーショット。いや奥田まりさん含めてスリーショット? 東三河(愛知県東部)の人間にはあまりアピールしないと思うんだけれども。身を切る改革。日本1子どもを応援する。常勤スクールカウンセラー。消費税アップ反対。減税へ挑戦。これ、字が小さいうえに、配置的にもうひとりの写真、あたかも奥田まりさんの公約みたいに見えちゃいます。実際そうなのかしら。これまた字ばっかですね。申し訳ないけど、項目抽出で。減税日本から、⑦設楽ダム、建設反対。何で? というか、他の公約を読むといちいち名古屋名古屋って書いてあって、だったら「三河のことに名古屋の人が口出すな」って気がしないでもない。日本維新の会から、①憲法改正への取り組み。教育無償化、統治機構改革、憲法裁判所の設置。まあ、そうなんですが・・・色々言っちゃうと思考が分散して「改正」への迫力がなくなるんですよね。※岬まき→https://www.facebook.com/%E5%B2%AC%E3%81%BE%E3%81%8D-350025392326182/ふぅふぅ。これでようやく8人。この続きは、さらにまた次回で。・・・ ・・・ ・・・ ・・・ ・・・おまけ。ワタクシ的に気になっているお隣の静岡選挙区。こちらは2議席に4人ということで。まず自民現職は優勢。でもって、国民民主現職(だけど「常に初陣」)と立憲民主新人(「一人ひとりにやさしい政治」)の「上様」が拮抗してるそうです。いやあ、分かりやすくて羨ましい。・・・と思っていたら、実は「NHKから国民を守る党」からも一人立候補していて、2/5なんだそうです。でも、例によって(?)ポスター貼れてないところが多いみたいで、う~ん、ちょっと、何だろうなあ、です。

  • 13Jul
    • 第25回 参議院議員選挙 愛知選挙区 ポスター&公報であそぼ その①

      何ともはや、近年まれに見る盛り上がらない選挙でございまして。とは言うものの、参議院オンリーなら、ま、こんなもんかなあ、とも思います。で、そんな中、自らを投票へと奮い立たせるためにも、前回に続いて選挙の話。政党としての公約については、前回記事で概ね言いたいことを言ってしまったので、今回は選挙区。例によって猛烈個人的な好みと偏見に基づき、選挙ポスターと選挙公報で遊んでみます。愛知県はですね、4議席のところへ12人立候補。一応「激戦区」ということになっております。ただし、選挙ポスターすら貼れない、明らかに「冷やかしでしょ」な人も見受けられますし(もちろん、ご本人は至って本気、真面目に当選するおつもりかもしれませんが)、ウチの近所の掲示板では、7月6日時点では、このように歯抜けになっておりました。ちなみに、前回(3年前)の結果はこちら。自民1,公明1、民進2。この時は民進党ですが、うん「愛知民主」の残滓ですな。(この時の拙記事あります)→#152 「見た目が9割」愛知選挙区編 その1→#153 「見た目が9割」愛知選挙区編 その2さらにちなみに、前々回(6年前)の結果がこちら。(上記、2つの表は ※ウィキペディア:愛知選挙区 より)民主党とか、みんなの党とか、懐かしいですねえ。この時は3議席だったからか、公明党は立候補してません。で、今回の立候補者一覧です。※愛知県選挙管理委員会:候補者の氏名及び党派別→https://aichi-senkyo2019.jp/images/candidate_01.pdfはい、各党派、仲良く1人ずつ立候補してます。ぶっちゃけ、自・公、国民民主は、まあ固いとして、残り1議席をどの党が取るか、というところでしょうか。それでは、以下、届け出順に一人ずつ見ていきます。⚫安江のぶお(公明党)すっきり爽やか。32歳。明日への挑戦。選挙前からポスター等でチラホラとお見かけし、「けっこう若い?」と思っていたんだけれど、32歳ですか。でもって、小さな字だけど4項目。今こそ!政治家改革を小さな声に寄り添う政治を中小企業支援で日本を元気に日本をリードする魅力ある愛知へまあ、そんなとこですねって感じです。小さな声に寄り添う政治を弁護士として多くの相談を受けてきた経験を生かし、「未婚のひとり親」への更なる経済支援や介護従事者の待遇改善など、「小さな声」を「かたち」にしていきます!う〜ん、そしたら、3児(既に皆有権者だけど)の父にして会社員たるワタクシの小さな声もかたちにしてほしいなあ。「憲法(改正)が直接、今の政権の行いに必要なわけでない」(公明党山口代表)なんて悠長なこと言ってないで、侃々諤々やってちょうだい、です。ともあれ、票読みをほぼ外すことない公明党から立候補するんですから、当選する見込みがしっかりあるということなんでしょう。※安江のぶお→https://yasue-nobuo.com/#⚫橋本べん(オリーブの木)ポスターありませんでした💧与党も野党も期待できない だから オリーブの木とか言われてもですねえ、いや、それよか「オリーブの木」って、まだ言ってたのね、みたいな感じ?対米自立 ベーシックインカム 消費税減税原発即時ゼロ 官民格差是正税金革命を! 国会議員の年収を400万円に 老老介護手当の創設を 原発は即廃止、水素革命をう〜ん、それなりにオリジナリティは見受けられるのだけれども、正直なところ「対米自立」以外は、賛成しかねますな。ちなみに、ウチの三女(19歳)は、顔写真で選ぶならこの方だと言っております。※橋本べん→https://www.hashimotoben.com/#⚫大塚耕平(国民民主党)うん、オーソドックスな構図です。正直な政治、年金も 経済も。えーと、暗に「現与党は正直でない」と批判しているつもりなんでしょうね。ま、それはそれとして・・・党名がやけに小さいんだけれども、そこら辺、ちょっと色々勘ぐってみたりしても良いかしら?☆印、6項目あるんですが・・・☆自立した国家アジアに競争相手のいない唯一の先進国という時代は終わりました。通商や外交・防衛の現実を直視し、自らの意思で問題の解決と恒久平和実現に向けた責任を果たす「自立した国家」をめざします。うん。そしたらまず「平和を愛する諸国民の公正と信義に信頼して、われらの安全と生存を保持しようと決意した」(日本国憲法前文)なんていう他力本願な姿勢から改めるところから始めないとね。あ、でも、☆国のかたち地域のことは地域で、自ら決め、実行し、責任をとる。身近な政策制度や細かいルールづくりは自治体が担い、国は経済政策、通商や外交・防衛、社会保障などに専念する。そんな「国のかたち」を追求します。ということに関しては、概ね賛成です。何にしても、某自動車メーカー&系列企業の組合員票辺りを手堅くまとめてくるんだろうと思います。実はウチの次女さん(21歳)も、むにゃむにゃむにゃ・・・※大塚耕平→https://ohtsuka-kohei.jp/#⚫すやま初美(日本共産党)うん、安定の構図。あなたによりそい、思いをとどける。うん、文学。ハラスメントのない社会へでもって、ちゃっかり「流行」に乗るところは流石。なんだけど・・・ブレずに野党共闘って、なんじゃそりゃ。3つのプランを実現します1 8時間働けばふつうに暮らせる社会に2 くらしを支える社会保障に3 お金の心配なく学び、子育てできる社会をはあ、まあ、そりゃそうなんだけれども、こっちが「お金の心配」をしちゃいますね。一応左側に、大企業、大株主、米軍関連予算触れば、7.5兆円出てくるようなことも書いてはありますが。希望と安心の未来を〜〜〜定数4の愛知選挙区で立憲野党が過半数を獲得するためには、日本共産党の勝利が決定的です。ご一緒に政治を変えましょう。はい? 「立憲野党」?昔、何でも反対する人々が「革新勢力」なんて呼ばれていたものですが、近頃は、とにかく憲法に関する議論は「しない、させない、聞きもしない」のが「立憲主義」とされているようで、ちょっと困惑しております。さて、2回続けて次点だった共産党、今回は滑り込めるかな? 自・公および国民民主に対する批判票が綺麗に分散されれば、あるいはひょっとするかもね。※すやま初美→https://suyama-hatsumi.jp/#ここまで、選挙公報の原本はこちらです。※愛知県選挙管理委員会:選挙公報→https://aichi-senkyo2019.jp/images/candidate_02.pdfふう。ということで、ここでひと区切りにします。何しろ12人いますんで。5人目以降、続きはまた次回で。

  • 07Jul
    • 立憲民主党、枝野クンへ。いっそ、憲法「非」改正の国民投票なら文句ないんじゃない?

      日本国憲法と言えば・・・ 朕は、日本国民の総意に基いて、新日本建設の礎が、定まるに至つたことを、深くよろこび、枢密顧問の諮詢及び帝国憲法第七十三条による帝国議会の議決を経た帝国憲法の改正を裁可し、ここにこれを公布せしめる。御名御璽昭和21年11月3日・・・と、いうことになってます。でもって、その前文の冒頭には・・・ 日本国民は、正当に選挙された国会における代表者を通じて行動し、われらとわれらの子孫のために、諸国民との協和による成果と、わが国全土にわたつて自由のもたらす恵沢を確保し、政府の行為によつて再び戦争の惨禍が起ることのないやうにすることを決意し、ここに主権が国民に存することを宣言し、この憲法を確定する。※衆議院:日本国憲法→http://www.shugiin.go.jp/internet/itdb_annai.nsf/html/statics/shiryo/dl-constitution.htm・・・と書かれています。アレコレと(いかにも翻訳調の)込み入った修飾語を省けば、つまり「日本国民は、主権が国民に存することを宣言し、この憲法を確定する」という意味になりますね。ソコのところ自体、色々と突っ込みたいところがあるわけですけれども、百万歩譲って文字通り受け止めるとしましょう。ただ、そうだとしても、制定から既に70年。その間、補則条項を除いても九十九ある条文全てにおいて一字一句変わっていないということで、現に有効なモノとして、何と世界最古(!)の憲法になるのだそうです。いや、素晴らしいですね。これだけ長期にわたって不変だったということは、制定当時の人々が、日々流転する内外の情勢全てを見通す千里眼の持ち主だったか、あるいは、その後、今日に至るまでの日本国民が、憲法を守る(「護る」じゃないですよ)ということについて、余程ノーテンキだったかのどちらか、ということなんじゃないでしょうか。いや、そういう話はともかく、改めて申し上げますが、憲法は「国の最高法規」です。家訓とか社是とか、何ならクラス目標とかじゃありません。なので「ソコに理想を掲げるな」とまでは言いませんが、あくまでも現実と陸続きの「法」でなければならないはずです。なのに! 国政選挙なのに!自民党と日本維新の会以外は、ま、ぶっちゃけ及び腰。良くて「議論しましょう」、悪ければ「(自民≒安倍案には)絶対反対」。十年一日ならぬ、七十年一日ですわ。いえね、共産党みたいにハッキリ反対ならいっそ清々しくて良いのだけれども、どうにもこうにも、姑息だなあと思うのは枝野クン率いる立憲民主党でありまして。「立憲ビジョン2019」と題する参院選挙公約には、解散権の制約や知る権利の尊重など、立憲主義(※4)に基づいて国民の権利拡大に寄与する観点から憲法議論を進めます。憲法9条の改悪や解釈改憲には明確に反対し、基本的人権の尊重、平和主義、国民主権という日本国憲法の原則を徹底して守ります。とあります。「解散権の制約」―何それ、とか、「憲法9条の改悪」―改めが、正か悪かを決めるのはキミじゃなく、そこを私達に問うてくださいよ、とか、色々突っ込みたいんですが、コレのタイトルが「立憲主義を深化させます」ですからね。ちなみに、ここでの「立憲主義(※4)」は、(※4)政治権力の独裁化や、一部の人たちの恣意的な支配を、憲法によって抑制しようとする立場。と注釈がついてます。いや〜、ここのところの憲法審査会が、立憲民主党(というか枝野クン)の恣意的な「入り口論」でもって機能不全に陥っていたことを思うと、笑ってしまいますね。しかもコレ、公約5項目のひとつ【参加民主主義ビジョン 透明性の高い「まっとうな政治」へ】の中に紛れ込ませてあって、パット見、憲法関連目立たなくしてるし。※立憲民主党:立憲ビジョン2019 参院選挙公約→https://special2019.cdp-japan.jp/#rikken_visionもう、枝野クンてば・・・本音のところで、どうしても憲法論議したくない、けど「立憲主義」との整合性はあるように見せたい、ということかしら?ならね、いっそ憲法改正の発議ならぬ、憲法護持の国民投票でも仕掛けてくださいよ、です。つまり、改正項目挙げて国民投票にかけるんじゃなしに、「憲法非改正=憲法現状維持に賛成ですか、反対ですか」と問いかける国民投票です。立憲主義政党として、それならOKでしょ? 住民投票、市民・県民投票大好きな政党とか団体とか、何ならマスメディアとかも、それなら「共闘」してくれるはずですしね。それで「賛成多数」となった暁には、「日本国民は、主権が国民に存することを宣言し、この憲法を確定する」という前文を含め、今日現在の(!)国民総意の太鼓判、「押し付け疑惑」も晴れるわけですから。それすら「いや、まず、国民投票の細則があーじゃこーじゃ」とか言い訳して「やらない理由」を述べ立てるとなれば、それはいよいよ憲法改正反対も何もあったもんじゃない。つまりは枝野クン、実際、様々な不備のある憲法を論じるとなると色々と面倒なんで触りたくないだけ。立憲民主党は、その名前と裏腹「非立憲主義・反民主主義」の集団ということになります。あ、でも、どうせなら「現状維持に賛成・反対」のみならず「そもそも憲法要りません」という選択肢もあると良いな。何しろワタクシ、有史以来、革命も王朝の交代も無かった我が国に「成文憲法」は必要ない、すなわち「成文憲法不要」論者ですので。「参加民主主義を促進することで、多様な声を受けとめる仕組みをつく」るという立憲民主様、お願い、この声を受け止めて♡コチラは旧宅、同じテーマ「それ行け!エダノくん。」の記事一覧です。→https://blog.goo.ne.jp/kawai_yoshinori/c/b34649fe5fe5677a1df640171a61f35f・・・ ・・・ ・・・ ・・・ ・・・選挙戦は、まだ始まったばかり。各種メディアの皆様、「自公で過半数ナンチャラ、改憲勢力3分の2カンチャラ」みたいな情勢報道はどうでも良いです。公約、ちゃんと吟味してください。ということで、以下、参考までに、その他の(主な)政党の憲法関連公約。自民党。しっかり大項目のひとつとして掲げてます。※自民党:令和元年参議院選挙公約→https://jimin.jp-east-2.storage.api.nifcloud.com/pdf/manifest/20190721_manifest.pdf?_ga=2.193739502.215762645.1562396608-1677545487.1550346575日本維新の会。踏み込んでいるのは良いのだけれども、資料として地味過ぎ?※日本維新の会:第25回参議院議員通常選挙 日本維新の会マニフェスト→https://o-ishin.jp/sangiin2019/common/img/manifest2019_detail.pdf公明党。連立与党として自民にお付き合いしてるだけ感が漂っているような・・・※公明党:公明党政策集 Manifesto2019→https://www.komei.or.jp/campaign/sanin2019/_assets/pdf/manifesto2019.pdf国民民主党。安保法制は廃止、でも憲法議論はする。見事にどっちつかず。※国民民主党:国民民主党 新しい答え2019→https://www.dpfp.or.jp/election2019/answers日本共産党。pdf資料が見つからなかったので引用で。うん、清々しい。 安倍首相は、憲法9条改悪に異常な執念を燃やし、自民党は「早期の憲法改正」を参議院選挙公約に掲げました。 自民党の9条改憲案には、二つの大問題があります。 第一は、戦力不保持と交戦権の否認を掲げた9条2項の後に、「前項の規定は、...自衛の措置をとることを妨げない」としたうえで自衛隊の保持を明記していることです。そうなれば2項の制約が自衛隊に及ばなくなります。2項は「立ち枯れ」「死文化」し、海外での無制限の武力行使が可能となってしまいます。 第二は、憲法に明記する自衛隊の行動について、「法律で定める」としていることです。ここにも、ときの政府と多数党の一存で、これまで憲法との関係で「できない」とされてきた自衛隊の行動を無制限に拡大できる仕掛けが盛り込まれているのです。――安倍9条改憲に反対し、断念に追い込みます。※日本共産党:希望と安心の日本を―参院選挙にあたっての日本共産党の公約→https://www.jcp.or.jp/web_policy/2019/06/2019-saninsen-seisaku.html社民党。ごめん、省略。れいわ新選組。色々謎すぎる(ウケ狙いが鼻につく)ので、申し訳ないけどスルー。

  • 30Jun
    • 新型出生前診断:受ける受けないは個人の自由、産む産まないは自己責任・・・で、それで良いのかな?

       妊婦の血液でダウン症など胎児の染色体異常を調べる「新型出生前診断」について、厚生労働省は25日、検査のあり方を議論する検討会を今秋ごろに設置すると正式に発表した。今後、検査の実施施設の要件などが話し合われる見込み。※産経ニュース:新型出生前診断の検討会を今秋設置、厚労省→https://www.sankei.com/life/news/190625/lif1906250020-n1.htmlということで・・・その手法が確立して以来、「ニーズ(需要)がある」を理由に、なし崩し的に対象が拡大してきた新型出生前診断(NITP)ですが、ここにきて、ようやく一定のブレーキがかかりました。TVや新聞では、深刻なフリをしつつ通り一遍の綺麗事論評があり、一方ネットでは、全てではないにしろ、その自覚があるのかないのか、いわゆる優性思想そのもの的なコメントも飛び交っています。今回は、どこか傍観者然としたそれらの意見に対して、ワタクシの思うところを、ひっそりとではありますが、記しておこうと思います。確かにNITPは「手軽」です。そして、ほとんどの場合、結果は陰性であり「安心」を得ることができます。その意味で、ニーズが高いというのは、そりゃそうなんでしょう。産婦人科にとっては、ひとつの「商品」でもありますしね。けれど、100人に1人もしくは2人は陽性反応が出ます。これは確率論であって、決して避けられません。それを高いと取るか低いと取るかは人ぞれぞれでしょうけれども、ほとんどの人は、自分が陽性になることはないと高をくくって検査を受けた(受けようとしてる)のではないかと思います。しかし、いえ、だからこそ、いざ陽性反応だと知らされた場合、どう対処して良いのか分からず、結論を出すまでの時間も足らず、急かされるように決断して、つまりは後々まで後悔することになったりもします。(実のところ、NIPTで「発見」できるのは、先天性疾患・障害の極一部です。なので、せっかく検査を受け安心していたのに、結果としてはトリソミー以外の疾患・障害のある子が生まれた、ということは十分有り得ます。逆に偽陽性、すなわちNIPTで陽性であっても、羊水検査で陰性ということもあります。NIPT陽性というところで慌ててしまうと「正常」な子を中絶してしまう、という可能性もあるわけですね)だからこそ、十分なカウンセリングを必要とするのであり、本来「気軽」に受けて良いような検査ではないのです。とは言え、最終的にはですね、検査を受ける受けないは確かに自由であり、自己責任なのかもしれません。けれども、陽性反応を受けて確定検査をして、その結果産む産まないの選択を迫られた時、それをも自己責任というのは、あまりに酷じゃないでしょうか。モノソミー、トリソミーといった染色体異常は、生物としてのヒトが、個体の多様性を担保するために有性生殖の道を選んだ、そのことに付随する必然です。それが、特定の誰かに直接関わるのは単なる偶然で、神様のいたずらとしか言いようがありません。高齢出産、人工授精、体外受精等によって、その確率が高くなるという事実はあるにせよ、彼女の身にソレが起きたのは偶然であることに違いはなく、責任のとりようがありません。誰も、何も悪くないのです。障害児・者が生きていくには(健常者との比較で)お金がかかるというのは、そのとおりです。ですが、それを理由に「生まれてからではどうにもならないけれども、生まれる前なんだから何とかするべき」みたいなことを何故に平気で言えるのでしょう。「障害のある子」を授かり、身籠ったのは自己責任ですか?お腹の中にいる子を、それでも産みたいと思うのはワガママなんでしょうか?例えば、彼女自身が「障害児を産みたくない」「障害者の母にはなりたくない」と言い切るのなら、それはもう「そうですか」と言うしかありません。けれど「産めない」の理由が、いわゆる社会や、あるいは彼女自身の中にある誤解や偏見、圧力といった種類の「障害」であるのならば、そんなものに拘る必要はないのです。夫の反対や家族の無理解、世間体の悪さとか、何なら子供の将来とか、そういったもの全てを削ぎ落とした時、ほんのわずかでも「産みたい」という気持ちが彼女にあるのなら、まずは、その想いを全力で支えられる国であってほしいと思います。そういう国の、国民の一人で在りたいとワタクシは思っています。(と言うか、本来、胎児の「障害」を理由とした中絶は違法です。現状では「経済的理由」を相当に拡大解釈して「諦める」という選択が許されているだけなのです)国(国民)にお金が無いわけじゃない。もちろん、無尽蔵にあるということでもないのですが、ただひたすら、優先順位の付け方の問題です。かつて、ハンセン病患者隔離政策があり、知的障害者の強制避妊施術があり、そのどちらも「誤り」であったと国は認めました。いずれも様々な意見があり、一直線ではないにしても、それは、やっぱり国として、その民として、心の進化です。たぶん。ヒトは一体、どの段階で人になるのでしょう。あるいは、どこからが障害で、どこからが病気なのでしょう。染色体異常を抱えつつも、与えられた生を今、現に生き、生活している人々がいます。その同じ人の命を、生まれる前ならばという人智で断ち切る、そんなことが許されて良いはずがありません。今はまだ、染色体の本数が多い少ないを発見するという段階の出生前診断ですが、明日にでも、遺伝子レベルでの重複・欠失が診断できたり、特定の病気が発症する遺伝子の有無を検査したりできるようになるかもしれません(実際、人工授精・着床前診断であれば、それも既に可能のようです)。そうなった時、どこまでが「生まれて良い命」で、どこからが「生まれてはいけない命」だと判断するのでしょう。自信を持ち、確信を持って答えられるという人は、是非、教えて下さい。貴方ご自身は、生きていても良い人ですか? 生まれてきて良かった人ですか?コチラは旧宅、同じテーマ「命―畏れと戦き」の記事一覧です。→https://blog.goo.ne.jp/kawai_yoshinori/c/e85897858b87ce43499b6a142310ff37・・・ ・・・ ・・・ ・・・ ・・・以下、参考までに。⚫新聞記事の中で、読まれることが最も少ないと噂される社説(産経は主張)から。 出生前診断は、「命の選別」や「命の尊厳」に深くかかわる倫理的問題をはらんだまま、以前よりも簡便でリスクが小さい新技術の登場で普及が加速した。 この動きに国が「待った」をかけ、立ち止まって議論する場を設けることを評価する。学会や有識者だけでなく、幅広い国民を巻き込む議論としたい。 当事者の決断は尊重すべきである。ただし、特定の障害の有無を胎児の段階で判定する技術自体に命を選別する意図がある。出生前診断が、現行の母体保護法では認められていない「胎児の異常を理由とする中絶」を強く誘導していることは、否定できない。※産経ニュース:【主張】出生前診断 命の選別に広範な議論を→https://www.sankei.com/column/news/190625/clm1906250002-n1.html⚫奇貨か横槍か、国(厚労省)の「待った」を受けた産婦人科学会のお知らせ。 〜〜〜この新NIPT指針は、リプロダクティブライツの観点から、1)出生前診断に関する正確な情報を示し、妊婦自身の的確な判断の一助となるようにすること、2)妊婦と真摯に向き合い、妊婦に寄り添うことを主眼としています。 この新NIPT指針案は、令和元年度第2回臨時理事会(令和元年6月22日開催)において審議され、指針改訂が承認されました。そして同日、新NIPT指針を臨時総会で報告し、了承が得られましたので、新NIPT指針をお知らせします。 一方、新指針案に関しては、令和元年6月21日付けで、本会理事長宛てに厚生労働省母子保健課から要望書がありました。その内容は「国においてもNIPTに関する審議会を設置し必要な議論を行うので、実施についてはその議論を踏まえて対応されたい」とのご要望でした。そこで、理事会および総会では、その意を汲み、ひとまず指針の運用開始を保留とし、厚生労働省での議論の進み方を注視しながら、運用の詳細や開始時期について今後、判断することが了承されました。※日本産婦人科学会:新しい「母体血を用いた新しい出生前遺伝学的検査に関する指針」に関するお知らせとお願い→http://www.jsog.or.jp/modules/news_m/index.php?content_id=640⚫NIPTそのものに反対しているわけではない、というスタンスの小児科学会。 私たち小児科医はNIPTの普及が、染色体の病気の子どもたちの存在を否定しかねない、深刻な事態を招いていることを認識しています。NIPTを希望する妊婦とご家族の意思、判断は尊重されるものですが、検査前に質が担保された遺伝カウンセリング等を通じて、染色体の病気の子どもとご家族の実情を知っていただき考える機会を持っていただくことを願っております。小児科医の関与が不十分な状況でNIPTが普及することは、NIPTを希望する妊婦とご家族から、この機会を奪うことを意味しており、染色体の病気のある方とともに生きる社会の実現を遠ざける結果になると危惧しております。※日本小児科学会:母体血を用いた出生前遺伝学的検査(NIPT)新指針(案)に関する日本小児科学会の基本姿勢→http://www.jpeds.or.jp/modules/guidelines/index.php?content_id=106⚫NIPTの、その先をも見ていると思われる人類遺伝学会。 NIPT は、遺伝子(染色体)を調べることで、授かった生命に関わる重要な結果を提供します。よって、さまざまな情報を正確に伝えた上で、ご家族に判断していただくという視点や、妊婦のみならず子ども(胎児)にも十分な支援を行うことが大切です。そのため、ご家族には、検査の内容や精度に加えて、現在対象となっている3種類のトリソミーを持つ方々の自然歴や社会生活、患者家族の実情などの詳細を、事前に、具体的に伝える必要があります。そして、事前、事後の遺伝カウンセリングを通じて、さまざまな疑問に正しく答え、ご家族にとって、そして胎児本人に対しても大切な生命に対する支援の機会が失われないことが重要です。特に、トリソミーに関しては、生まれた後の成長や、そのご家族のことを経験し、熟知している医療者による説明と支援の機会が失われてはならないと考えます。 さらに、将来的には3つのトリソミー以外の遺伝性疾患などに検査対象が広がっていくことは自明であり、それらについても十分な説明、支援ができる体制を現段階から整備していく必要があります。※日本人類遺伝学会:母体血を用いた出生前遺伝学的検査(NIPT)に関する新指針(案) に関する日本人類遺伝学会の意見表明→https://jshg.jp/wp-content/uploads/2019/03/1e29e36e99990dfa47972e61c402c78f.pdf⚫こちらの団体は明確に「反対」していますが、意見それ自体としては、まあ、そうだろうと思います。 このように、出産・育児全般の劣悪な環境、障害児やその家族へのサポート体制の不備、いまだに根強い障害や遺伝病への差別・偏見が、障害の有無を早期に知り、障害をもつ子の出生を回避すべきという強い圧力となって、女性やカップルの選択を方向づけています。 このNIPTが、一般の産婦人科医院で提供されるようになり、さらには、妊婦検診に組み込まれるようになれば、「誰もが受けるのが当然の検査」、「受けない選択がしにくい検査」になっていきます。 しかしながら、出生前診断の後に選別的中絶を行った結果、その事実をずっと心の奥底に重荷として抱え続けている女性がいます。産まれた子どもを前にして、出産前に検査を受けたことや検査を受けるかどうか迷ったことに対して自責の念を感じる女性もいます。NIPTは、より多くの女性に提供される可能性が高く、その分、より多くの葛藤や苦悩を生み出します。 妊婦の不安を本当に払拭するには、女性本人に障害があろうとなかろうと、高齢妊娠であろうとなかろうと、また、生まれてくる子どもに障害があろうとなかろうと、安心して産み育てることのできるよう支援体制を充実させることです。※立命館大学生存学研究所:「新型出生前診断(NIPT)の拡大実施に反対する意見書」→http://www.arsvi.com/2010/20190313.htm⚫やや古いものですが、この問題に「正解」は無い、ということで。 出生前診断・着床前診断の急速な技術的発達は、その社会的な位置付けという問題を解決するどころか、ますます難しくしている。日本より制度が整備されていると言われることの多い欧米でも、新型出生前診断についてはダウン症関連団体を中心に拙速な導入に対する批判が起こっており、欧州人権裁判所にも異議が提起されている。日本においては、当事者や専門家の中だけに留まらない、より広い国民的な議論がまず求められるが、たとえ規制の仕組みが整えられたとしても、それが現実の状況に適合しているかの確認と見直しは、不断に必要となるであろう。※諸外国における出生前診断・着床前診断に対する法的規制について(2013)→http://dl.ndl.go.jp/view/download/digidepo_8173847_po_0779.pdf?contentNo=1

  • 23Jun
    • 危険も不安も織り込み済み(というか、普段は気にしてない)・・・それが庶民の生きる道。

      「是非、安心できる医療や介護をどうするのかという具体的な案をしめしていただきたいと思います」先日行われた党首討論(国家基本政策委員会合同審査会)での、立憲民主党枝野代表、締めのお言葉です。いや、まあ、全くもってご尤もだとは思います。彼も、極稀に「まっとうな」ことを仰っしゃりますなあ。※衆議院TVインターネット審議中継2019年6月19日(水)国家基本政策委員会合同審査会(党首討論)→http://www.shugiintv.go.jp/jp/index.php?ex=VL&deli_id=49208&media_type=にしても、議論の出発点として「いわゆる2000万円報告書」という表現を繰り返すのは、毎度のことながら、印象操作と言いましょうか、何と言いましょうか。これね・・・「老後2000万円の貯蓄が必要、政府が年金制度破綻を認める」みたいなカタチで世に広まった話ですが、ま、近頃大抵のことは、その気にさえなれば出処確認することが可能でもありまして、いや、良い時代になりました。ということで、既にご存知の方も多いとは思いますが、この騒動、もともとは金融庁金融審議会「市場ワーキング・グループ」による報告書「高齢化社会における資産形成・管理」にある、こちらの一文です。 (2)で述べた収入と支出の差である不足額約5万円が毎月発生する場合には、20年で約1.300万円、30年で約2,000万円の取り崩しが必要になる。(p16)はい、そもそも、いろんな前提のついた表現ですね。前後しますが、ここにある「(2)で述べた」の指す部分はというと、 我が国では、バブル崩壊以降、「失われた20年」とも呼ばれる景気停滞の中、賃金も長く伸び悩んできた。年齢層別に見ても、時系列で見ても、高齢の世帯を含む各世代の収入は全体的に低下傾向となっている。公的年金の水準については、今後調整されていくことが見込まれているとともに、税・保険料の負担も年々増加しており、少子高齢化を踏まえると、今後もこの傾向は一層強まることが見込まれる。 支出もほぼ収入と連動しており、過去と比較して大きく伸びていない。年齢層別に見ると、30代半ばから50代にかけて、過去と比較して低下が顕著であり、65歳以上においては、過去と比較してほぼ横ばいの傾向が見られる。 60代以上の支出を詳しくみてみると、現役期に比べて、2〜3割程度減少しており、これは時系列で見ても同様である。 しかし、収入も年金給付に移行するなどで減少しているため、高齢夫婦無職世帯の平均的な姿で見ると、毎月の赤字額は約5万円となっている。この毎月の赤字額は自身が保有する金融資産より補填することとなる。(p8〜10)※金融審議会 市場ワーキング・グループ報告書「高齢化社会における資産形成・管理」→https://www.fsa.go.jp/singi/singi_kinyu/tosin/20190603/01.pdfつまり「平均的な姿」で見ると「毎月の赤字額は約5万円」、よって30年で「約2,000万円の取り崩しが必要になる」よと言う、至って単純な試算(算数?)を示しているだけのことでした。これはもう「一部表現が誤解を与えた」というより、伝えるべき人間が、あえて誤解もしくは誤読してみせた、と言っても良いような話です。何しろ参議院選挙前、マスメディアや野党にとって「年金」は美味しいハナシらしいですからね。いろんな意味で。ちなみにこの報告書、年金も関係あるにはあるんですけれども、そもそもメインはソコじゃないですからね。金融庁は概要も用意してます。ま、分かりやすいような、そうでないようなモノなんですが、こちらです。金融審議会 市場ワーキング・グループ報告書「高齢化社会における資産形成・管理」概要→https://www.fsa.go.jp/singi/singi_kinyu/tosin/20190603/03.pdfそう、この報告書は(年金制度も含めて)あくまでも、高齢化社会における生産形成・管理がメインテーマなんでございますよ。そこら辺が「これまで通り」では立ち行かなくなる恐れがありますよ、皆で対応しましょうね、というだけのハナシなんです。でもって、その意図するところは「はじめに」に・・・ 〜〜〜本報告書の公表をきっかけに金融サービスの利用者である個々人及び金融サービス提供者をはじめ幅広い関係者の意識が高まり、令和の時代における具体的な行動につながっていくことを期待する。(p1) 〜〜〜今後とも、金融サービス提供者や高齢化に対応する企業、行政機関等の幅広い主体が、今回の一連の作業を出発点として国民に本報告書の問題意識を訴え続け、国民間での議論を喚起することにより、中長期的に本テーマにかかる国民の認識がさらに深まっていくことを期待する。(p2)そして「おわりに」に・・・ 〜〜〜前述のとおり、現時点で一つの解はない。今回の当ワーキング・グループの議論も、絶対的な解決方法を提示できているわけではなく、ブループリントを描いたのみと言えるかもしれない。ただ、それでも皆が高齢者対応を模索している中で、意義が大きい議論であると考えられる。この議論においては、個々人や金融サービス提供者、行政機関などのあらゆる主体がメインプレーヤーであり、多様な主体が意識を共有して、協働していくことが非常に重要である。公的な場に留まらず、シンポジウムなどの場、さらには周りの者ともこの問題を話し合い、皆で高齢社会における資産形成・管理や金融サービスのあり方に対する知見を深めていくことを通じて、対応のあり方が進化していくものと考えられる。この報告書が契機の一つとなり、幅広い主体に課題認識等が共有され、各々が「自分ごと」として本テーマを精力的に議論することを期待している。(p36)・・・と、あるとおりです。その意味では、麻生さんが報告書を「受け取らない」としたのは良くない、という批判自体は当たってるかもしれませんね。でもまあ、それもこれも含めて、通常であれば見向きもされない、何なら予算消化のためにやっているのかしら、的な地味な報告書が、結果として党首討論の場で議論さることに繋がったんだから、良しとしましょうか。もっとも、その党首討論、お決まりのごとくに「噛み合わない」感満載でしたけれどもね。これはもう、本気で「討論」する気があるなら、とにかく時間をもっと取らないと、と言うに尽きます。ただ、前回の党首討論に比べたら、はるかにマシだったとは思います。最後に、関連する世論調査から。【問】金融庁審議会の「老後2000万円貯蓄」に関する試算について《試算を受け、年金制度への信頼度はどうなったか》不信感が増した 51.0変わらない 44.6信頼感が増した 2.2他 2.1《報告書を受け取らないと表明した麻生太郎金融担当相の対応は適切と思うか》思う 16.9思わない 72.4他 10.7《これまで老後は年金だけで暮らしていけると思っていたか》思っていた 13.9思っていなかった 84.2他 1.9(産経新聞6/19大阪6版より)うーむ。「変わらない」の中には、もともと(!)不信感を持っていた人も入ってるでしょうし、もともと(!)年金だけで暮らしていけると思っていなかった人が8割以上ということで、なるほど、マスメディアや野党の思惑ほどには、一般ウケ(?)が良くないわけです。だからもうね、マスメディアの皆さんも、何でもかんでも「安全・安心」をキーワードにするの止めたら? と思います。そりゃ「危険」とか「不安」とか、いくらでも言い続けられるし、政権や体制を批判するのに、これほどラクで便利な言葉は他にないというのはわかりますけど、何と言うのか、普通に生きてる人々は「世の中危険がいっぱい」で「不安に付ける薬はない」ということくらい、とうに知っているんですから。・・・ ・・・ ・・・ ・・・ ・・・参考までに、旧宅にあるものの中から「党首討論」関連で。#251 政治(国会)に関心を持ち続けるのは、もはや苦行です・・・国家基本政策委員会合同審査会(党首討論)#255 枝野君的に「もう終わらせたい」ってことなんじゃないかと・・・党首討論(6/28)

  • 16Jun
    • 氏素性の知れないオトコの子孫が天皇になるのは・・・理屈はさておき、やっぱり嫌ですよ。

      半分以上の人が「よく分からない」けど、何となく「ま、良いんじゃない?」と言っている。・・・という「世論」に乗っかるように、日本共産党やら立憲民主党やら(必ずしも皇室を敬っているとは思えない人々の集まり)が、女性天皇および「女系天皇」を容認すると言ってます。・・・という報道が続いているんですが、率直に言って、それでも、やっぱり、ワタクシ「女系天皇」は嫌ですね。⚫「女系天皇」なんて存在しないというか、そもそも女系(母方の血筋のみで天皇と繋がる、父方の血筋は問わない)では、天皇になれませんから。126代、2000年以上にわたってそうなんですから。たまたま今日を生きているだけの私達が、全く前例のない「女系天皇」という存在を認めるとか認めないとか、それを論じること自体不遜でしょ。愛子内親王に親しみを感じるからと言って「じゃ天皇(女性天皇)に」とか、何なら「そのお子さんも天皇(女系天皇)に」ってハナシではないんです。そういう理屈はね、前にも書いたので、※女系天皇と女性天皇「違い理解せず」過半数・・・まさかと思ったけど、ウチの娘達もそうでした(恥)。→https://ameblo.jp/hermitofthemask/entry-12462260483.htmlここでは、仮に、仮にですよ。女性天皇を認めた場合の未来予想図を示してみましょうか。⚫女性天皇&「女系天皇」の未来予想図(感覚的に分かりやすくするためなので、不敬だとか言わないでくださいね)愛子天皇(現内親王)がご結婚されているという前提ですが、その夫君(皇配)は、たとえ氏素性が知れなくても、いわゆる馬の骨でも、新たに皇族となり殿下と呼ばれます。どうでしょう、この段階でも、少々「むむむ」と思いませんか?もちろん、男性皇族と結婚する一般女性も、その日を境に皇族となるわけでして、ソコを男女差別だと言われると返す言葉はありませんけどね。では、未来予想図Ⅱに行きましょう。いわゆる「女系天皇」をも認めるとすると、愛子天皇と皇配殿下との間に生まれた子が(男性であれ女性であれ)そのまま天皇になりますね。「女系天皇」とは、すなわち、父方の出自を全く問わないということですから。今、何となく「女系天皇も良いんじゃない?」とか思っちゃっている人達は、ここのところ、よ〜く考えていらっしゃるんでしょうか? 天皇の父親(つまり、ここで言う愛子上皇の夫君=太皇配?皇太配?)には、一体どういう人物を想定していらっしゃるんでしょう?というか、ワタクシなんぞは、天皇の夫となる、あるいは天皇の父となる、そんな重責に耐えられる(一般の!)オトコが、この世の中に存在するとは思えないんですけれどもねえ。いや、もちろん、ここでも、皇嗣男性と結婚される女性についても同じだろ、と突っ込まれれば返す言葉はありませんけどね。ただ、それについては、一応「これまではいた」と返しておきます。ともあれ、そんなわけで、一人でも多くの人が「何となく」で終わらせずに、ちょっとでも想像力を働かせれば、時の「世論」なんて、そのうちに変わっていくだろうと、そこら辺は、ワタクシ楽観しております。⚫(一部)政党のおためごかしそれにしても許せないのは、(一部の)政治家と(多くの)メディア人ですよ。分かってない人が多いなら、分かるように説明するのが仕事でしょうに。それをせず「世論」に乗っかるだけっていうのは、まあ、色々勘ぐられても仕方ないですね。共産党の志位和夫委員長は「女性・女系天皇について」こんなことを言ってます。 皇室の内部での男女平等という見地からこの問題に接近すると、「もともと世襲という平等原則の枠外にある天皇の制度のなかに、男女平等の原則を持ち込むこと自体がおかしい」という批判も生まれるでしょう。 私は、そういう接近でなく、国民のなかでの両性の平等、ジェンダー平等の発展という角度から接近することが重要ではないかと考えています。「日本国の象徴」「日本国民統合の象徴」の地位にある天皇を男性に限定しているという現状をただすことは、国民のなかでの両性の平等、ジェンダー平等を発展させるうえでも意義ある改革になるのではないかと、考えるものです。※しんぶん赤旗電子版:天皇の制度と日本共産党の立場→https://www.jcp.or.jp/akahata/aik19/2019-06-04/2019060401_01_0.htmlいやはや、分かりやすく説明するどころか、「人民民主共和制」と辻褄を合わせるためだか何なんだか、やたら話を難しくして煙に巻こうとしているのがアリアリと伝わってきますね。ま、共産党の場合、現状国民世論が「天皇の制度」を良しとしているから、まあ(仕方なく)そういうことにしてるだけ、でしょうからね。一方、立憲民主党の、例の報告書にはこんな文言があります。なお、前述のとおり、男系男子での血統を維持しようとする観点から、昭和22年に皇籍を離れた旧皇族の男系男子子孫に新たに皇籍を付与し、皇位継承へ とつなげるという見解が一部あるが、以下の理由から採用には困難な問題がある。① そもそも、男系男子維持は天皇・皇族男子が必ず継嗣として男子に恵まれる ことを前提としなければ成り立たない制度であり、仮にさしあたり誰かが皇籍取得しても、男子の誕生という偶発的事情に依存する状態が変わらない以 上、そもそも安定的な皇位継承は望めず解決にならない。② 旧皇族は既に70年以上一般国民として暮らし、その子孫も一般国民として生まれ育ち、今上天皇との共通の祖先は約600年前までさかのぼる遠い血筋である。そういった旧皇族の誰かが突然皇籍取得して国民の前に現れても、 国民からの自然な理解と支持、それに基づく敬愛を得ることは難しい。とりわけ、現代社会においては、情報流通の速度や範囲拡大が急速に進み、国民一人ひとりが情報取得・発信における主体性を高めている。こうした社会の 変化をも背景にしつつ今後も皇位継承者が多くの国民から自然な理解と支 持を得るためには、幼少の頃から皇室に生まれ育ち、国民も予測可能性をもってその成長を見守ってきたという事実が極めて重要となっていると考え られる点にも留意すべきである。③ 一般国民の皇籍取得については、現在でも皇族と結婚した女性に限られてお り、歴史的にも極めて異例である。国民と皇族の身分を明確に区別するということは皇室制度の混乱を避けるための伝統であり、実際、旧宮家系男性の 皇籍取得を探る場合でも、当事者の意思への依存・その資質を見極める基準 や主体・取得後の国民の反応と影響など、実現可能性自体への疑問とともに 様々な混乱が予想される「象徴天皇制の未来のために〜安定的な皇位継承を確保するための論点整理〜」(p13〜p15 下記からpdf資料ダウンロードできます)※【常任幹事会】安定的な皇位継承を考える会から論点整理の報告→https://cdp-japan.jp/news/20190611_1796はっはっは。出来ない(やらない)理由はいくらでも出せるよ、の典型ですね。本当は認めたくない(やりたくない)だけなんだけど、そうは言えませんものね。せっかくなんで、ちょいと茶々入れときましょうか。①そういう言い方が許されるなら、そもそも世襲というのは必ず子宝に恵まれることを前提としなければ成り立たない制度でして、男子の誕生が(1/2の)偶発的事情であるのと同様、男女問わず子供の誕生自体(1か0かの)偶発的事情という気が・・・②これはね、まるっと女性天皇の皇配となる人、あるいは「女系天皇」の父となる人にこそ当てはまる話でしょう。むしろ「(父方を)600年前まで遡れば天皇に繋がる」ことが大切なんであってですね。「(父方を)1代遡るだけで、もう天皇と切れている」人との比較で、天皇として、どちらがより受け入れやすいかというと、ワタクシは断然、前者ですね。③いやだから、旧皇族は一般国民じゃないから。ほんの70数年前まで皇族だったわけだから。ついでに言うと、被占領下の「外圧(内圧?)」でもって一度に多数の皇族が皇籍離脱させられたことこそが、歴史的に極めて異例なんですのよ。うん、まあ、立憲民主党にしてもね、あの人やその人の発言を鑑みるに、「世論」が皇室を慕っているからそれに合わせているというだけで、アナタ達自身は、本当のところ、ちっとも敬っていないんですよね、というのが行間ににじみ出ている報告書ではあります。⚫本来、理屈じゃない。たぶん。ふぅ〜。ま、そんなわけで、今回、非常に非論理的な記事だなあと自分でも思いますが、けれども、天皇とか、皇室とか、何なら「国体」とか、そういのは本来理屈じゃないので。そういう理屈じゃない方面の話をしている時に、合理性だの現代の価値観だの持ち出してくるっていうのは、それだけで胡散臭いなあというのが正直なところです。今現在、天皇皇后両陛下、愛子内親王殿下は、多くの人々に親しまれ敬われていますが、それこそ、内親王殿下が氏素性の知れない男性とご結婚するとか、その男性との間に生まれた子が天皇になるとか、そういう話になった時、同じ人々がそれを普通に祝福するかと言うと、そこはちょっと、悲観的にならざるを得ません。メディアは猛烈バッシングするでしょうし。そうなった時、共産党やら立憲民主党やらは、一体どうするつもりなんでしょう。実際「世論に従って」天皇および皇室の廃絶に向けて動き出すかもしれませんよね。ちなみに、上記、立憲民主党の論点整理は、あわせて、皇位継承の新たな方策としての生前退位については、現在「先例となりうる」も一代限りの特例法として整備されている。しかし、将来にわたり天皇が象徴としてその時代時代の国民の期待に応えるためには、退位は恒久的な制度として法制化すべきであり、その法整備に関する議論も活性化させるべきことを付言する。とか言って締めてます。はあ、いや、その、ワタクシ個人的には「天皇が象徴としてその時代時代の国民の期待に応える」必要はないと思ってるんで。まして、それが譲位とか「女系継承」とかに係るというのなら、国民に「見えるお務め」は省いていただいて構いませんよと言いたいくらいです。アイドルじゃないんですから。もちろん、アチラコチラへとお出ましくださる方が嬉しいですけれども、それよりも大切なのは、ただひたすらに皇統を継いでいっていただくことですから。・・・ ・・・ ・・・ ・・・ ・・・余談ながら、上皇ご夫妻のご動静がアレコレと報道されるのは、あまり好ましいことではないとワタクシ思います。こんな調子では、いつかは訪れるその日には、一体どうなることかと心配です。攘夷された意味がないじゃないですか。そりゃ、ま、(第一義的には)悪いのはメディアなんでしょうけど。その辺りについて、旧宅で書いたものです。もし宜しければ、ご参考までに。※#299 平成から令和へ・・・御代替わりの宿題→https://blog.goo.ne.jp/kawai_yoshinori/e/accadbb336d78ae17cdd0cac82e1219e

  • 09Jun
    • 殿(徳川家広さん)ご乱心 !?・・・世が世なら「主君押込」モノ !!

      〈今の日本国憲法というのは、えー、日本がアメリカに占領されて、占領軍、アメリカ軍が日本人に押しつけたものでは、ございません〉は、はい?・・・ ・・・ ・・・ ・・・ ・・・のっけから私事ではございますが、ワタクシ、愛知県の東端に住んでおりまして。仕事では静岡県の西端をかすめたりしております。で、ですね、目に入ってしまったんですよ。湖西市の某市議会議員さん(立憲民主党)連絡事務所前で、徳川家広さんのポスター。枝野幸男クンとのツーショット。「う、うん? 徳川家広? 何処かで聞いたような・・・」ということで、頭の片隅に置いておいたら、ウチで取ってる新聞(大阪発行)にこんなベタ記事がありまして。(産経新聞5/30大阪6版)あー、そういうことだったのか、です。でもって、愛知県民のワタクシ、静岡選挙区は本来関係ないんですけど、ついつい興味本位でネット検索・・・してたら「徳川家広 出馬会見」なるステキな動画を見つけてしまいました。それほど長いものではないので(8分余り)、お時間ある方は、それぞれに見ていただければと思いますが、とりあえず、ご本人曰く、出馬を決意した理由が3つあって、それは、①浜岡原発の閉鎖・廃炉、②社会的平等性の回復、そして③日本国憲法(の改正阻止?)なんだそうです。いずれも、それなりに「あー、そうですか」なのですが、特に③はですね、何と言えば良いのか、ちょっと目眩がするくらい「そ、そうなんですか?」なので、ついうっかり文字起こししちゃいました。動画では4:15くらいからです。えー、そして第3の、出馬を決意しました第3の理由でございますが、これは、あのー、ま、ちょっと、えー、浮世離れしているように思われるかもしれませんけれども、えー、日本国憲法の問題でございます。ま、皆さんもよくご存知のとおりですね、あの、今では、あのー、ま、右も左も、憲法は、やはり古くなったから変えるべきではないかと、いうような、あのー、ま、お住まいをリフォームするような感覚で言っておられる方が非常に多いんでございますけれども、あの、まず、今の日本国憲法というのは、えー、日本がアメリカに占領されて、占領軍、アメリカ軍が日本人に押しつけたものでは、ございません。占領時代に作られたものなのは確かでございますけれども、帝国議会の衆議院、そしてこの参議院の前身である貴族院での、徹底した議論を経て作られたものでございます。で、最終的には、昭和天皇のご裁可もいただいておりまして、日本人の歴史的経験と叡智が詰まった、日本人が誇るべき文書なんですね。えーと、これを、とにかく衆参両院で、えー、憲法改正に、改変に必要な2/3以上の多数を獲得しているということから、とにかく変えてしまおう、こういう方が非常に多くなっております。えー、あの、ま、現在の自民党で出している、憲法改正のために、あのー、何で憲法を改正するのかっていう文書を見ましてもですね、例えば教育の拡充ですとか、非常事態への対応といった、まあ、普通の立法で対応できるようなものが羅列してありまして、とてもこれ、真面目に考えているとは思えないわけでございます。あの、ま、国会というのは言論の府でもございますので、その点を徹底的に議論していきたいと、それが、私が出馬を決意しました第3の理由でございます。いやー、どこから突っ込んでいいのか、こちらが迷うくらい、一切迷いのない発言ですよ。何ともはや、徳川宗家19代目にして、その頭ん中は天下泰平ですな。三河男児のはしくれとして、ワタクシ複雑な気分です。被占領下の国会において徹底した(自由な!)議論ができるのかしら? とそこからして疑問なんだけれども、百万歩譲って「日本国憲法というのは、日本がアメリカに占領されて、占領軍、アメリカ軍が日本人に押しつけたものでは、ございません」という見方もアリとしましょう。人それぞれ、ですからね。しかしながら、日本国憲法が「日本人の歴史的経験と叡智が詰まった、日本人が誇るべき文書」とまで言われてしまいますとですね、ちょっと上様、こちらをお読みください、ですわ。 日本国民は、正当に選挙された国会における代表者を通じて行動し、われらとわれらの子孫のために、諸国民との協和による成果と、わが国全土にわたつて自由のもたらす恵沢を確保し、政府の行為によつて再び戦争の惨禍が起ることのないやうにすることを決意し、ここに主権が国民に存することを宣言し、この憲法を確定する。そもそも国政は、国民の厳粛な信託によるものであつて、その権威は国民に由来し、その権力は国民の代表者がこれを行使し、その福利は国民がこれを享受する。これは人類普遍の原理であり、この憲法は、かかる原理に基くものである。われらは、これに反する一切の憲法、法令及び詔勅を排除する。 日本国民は、恒久の平和を念願し、人間相互の関係を支配する崇高な理想を深く自覚するのであつて、平和を愛する諸国民の公正と信義に信頼して、われらの安全と生存を保持しようと決意した。われらは、平和を維持し、専制と隷従、圧迫と偏狭を地上から永遠に除去しようと努めてゐる国際社会において、名誉ある地位を占めたいと思ふ。われらは、全世界の国民が、ひとしく恐怖と欠乏から免かれ、平和のうちに生存する権利を有することを確認する。われらは、いづれの国家も、自国のことのみに専念して他国を無視してはならないのであつて、政治道徳の法則は、普遍的なものであり、この法則に従ふことは、自国の主権を維持し、他国と対等関係に立たうとする各国の責務であると信ずる。日本国民は、国家の名誉にかけ、全力をあげてこの崇高な理想と目的を達成することを誓ふ。※衆議院:日本国憲法→http://www.shugiin.go.jp/internet/itdb_annai.nsf/html/statics/shiryo/dl-constitution.htmそう、日本国憲法前文ですが、これを普通に読めば(と言うか、普通には読めない文章なんだけれども)とてもじゃないけど誇れません。ワタクシは日本人じゃないんでしょうか? いや、まったく「真面目に考えているとは思えない」のは、上様の方ですよ。もうひとつ「自民党で出している、憲法改正のために」云々は、コレのことだろうと思いますが、※自民党 憲法改正推進本部:憲法改正ビラ→http://constitution.jimin.jp/これにある「1、自衛隊の明記」に触れないのは、上様、わざとですか? もちろん、普通の立法で対応できるはずもないですよね? 「徹底的に議論していきたい」というのは素晴らしいんだけれども、こういうね、今時、調べればすぐに分かってしまうようなことについてまで「由らしむべし知らしむべからず」的な物腰は、いかにお殿様と言えども感心しませんよ。そう言えば、上様が頼みとする(?)立憲民主党というところは、アレヤコレヤと、とにかく難癖つけて憲法審査会審議にすら応じようとしない人が党首をやってましたっけ。あ、隣にいましたか。さて動画の最後、7:40くらいからですが、こう締めくくられてます。それと、もひとつ、立憲民主党でございまいすけれども・・・ま、あのー、で、このような私の感覚に一番自然にフィットするのが、あのー、立憲民主党さんなんですね。あのー、ま、原発反対・脱原発、これは勿論でございますけれども、あのー、ま、企業優先にかわって、個人も企業もという経済運営についての人間重視の姿勢、えー、そしてですね、えー憲法に関しましても、これ、機械的な護憲ではないんですね。えー、改めるべきは改めるけれども、その前にきちっと議論をしたい、そうした知的な誠実さ、えー、そういうところに惹かれまして、えー、私は今回、立憲民主党さんからの、出馬を希望したわけでございます。「機械的な護憲ではない」「改めるべきは改める」「きちっと議論をしたい」・・・うん、立憲主義、スバラシイ。スバラシイので、そうね、まずは、上様の横でニヤニヤしている御仁(枝野クン)の説得から始めましょうか。国民投票(過半数)に至れば憲法改正が認められるかもしれない、国会での発議(2/3)も現状有り得る、だったら、すべての議論を憲法審査会(何につけ全会一致が不文律らしい)で止めておこう、みたいな戦術が、いつまでも通用すると思わないでくださいね。です。ちなみに、徳川家広さんの政策項目は・・・●すべての世代を支える やさしい政治が求められます●親と子どもへのやさしい支援人口が減少する時代でも豊かさを実感できる社会へ●教育・研究の充実による成長社会の実現一人ひとりが、その人にとって最高の教育を受けられる社会へ●浜岡原発の完全廃炉持続可能で安全なエネルギー政策へ・・・となってます。※徳川家広公式サイト:政策→https://tokugawa.site/seisakuああ上様、何とおやさしい方なんでしょう。あれ? そう言えば、無いですね。憲法のハナシは何処かへうっちゃりですか?・・・ ・・・ ・・・ ・・・ ・・・日本国憲法が米国に押しつけられたものなのか、日本の歴史的経験の叡智が詰まったものなのか、確かに、人それぞれの受け取り方があっても良いし、何なら、それと憲法そのものの良し悪しは関係ないとも言えるかもしれません。ワタクシ自身は、静謐なる環境も時間的な余裕もない中、GHQと日本政府双方がせめぎ合い、結果、このカタチになったというところなんじゃないかと考えております。下記、過去記事。参考までに。※角燈と砂時計:昭和は遠く、平成も終わり、世は令和となりましたが・・・『GHQ ゴー・ホーム・クイックリー』→https://ameblo.jp/hermitofthemask/entry-12459271756.html

  • 02Jun
    • 映画『空母いぶき』の感想・・・の、ようなもの。

      結論。この映画はですね、ミリタリー・アクションじゃありません。「戦争放棄」「専守防衛」を(その良し悪しはひとまず置いといて)前提とした中で厳しい選択を迫られる自衛官、および政治家面々の、時に息が詰まるような人間ドラマです。その意味で「まあ、良かった」と思います。ええ、観に行ってしまったんですよ。夫婦で。レイトショー。(映画館で購入のパンフレット)ちなみにワタクシ、映画は、①劇場で観たい②レンタル始まったらすぐに(つまり新作扱い)でも観たい ③レンタル準新作になるまで待ってから観てあげる ④レンタル旧作でなら観てやってもいい⑤何があっても観ないみたいなランク付しているんですが、『空母いぶき』に関しては、ぶっちゃけ③くらいでした。それが、例の佐藤浩市さんの件で④へと沈没しかけて、そこからネット空間での悪評ぶりを見聞きするうち逆に②に浮上しまして。じゃ、この際とばかりに、近頃西島秀俊氏にハマっていると覚しきウチの奥様を誘ってみたら、これがまた案外二つ返事だったという・・・そこで目出度く①となりました。で、鑑賞後の感想は冒頭のとおり「まあ、良かった」でございます。巷では、リアリティが無いとか、CGに頼り過ぎとか、防衛省が協力してないとか、色々意味不明とか、まあ、とにかく様々な筋からいろんな批判が出てて、映画サイトのレビューなんかもあまり良くないみたいですが、いやいや、皆さん、もちっと映画そのものをひとつの作品として素直に観ましょうよ、と言ってあげたいですね。原作(および、かわぐちかいじ)愛のあまり、「疲労と絶望、そして怒り―」とまで書いてしまう人もいて、ちょっと、どうしたもんかなあと思います。そりゃね、大人の事情を勘ぐることはいくらでもできるんだけれども、映画にも当のかわぐちかいじ氏が「監修」としてクレジットされてるわけでして。パンフレットには脚本担当の伊藤和典氏と対談も載ってますしね。ちょっとだけ紹介すると・・・伊藤:〜〜〜最初に僕が『いぶき』に食いついたのは、中国が尖閣に来ちゃうという、とても生々しい部分だったりしたわけですが、でもそれは、映画にする上ではNGだと。1回心が折れかけたんです。かわぐち:あれもね、そう言われて結局いろいろと考えたんです。考え方が変わったのは2016年秋のアメリカ大統領選挙の時ですよ。トランプがまさかの大統領になって、そのちょっと前にヨーロッパではブレグジット騒ぎが起きてと、考えもしなかったことが続いた。今、世の中はこういうふうにどんどん変わっている、と。日本と中国だって、仲のいい時と悪い時を繰り返してきている、と。僕の漫画はもう走ってるからこのままでいいけど、映画は2時間少々の間で、もし中国と仲のいい時に公開されたりしたら、尖閣の話をしても嘘になると。で、恵谷くんが東亜連邦を考え出してくれたんだよね。伊藤:架空の国?なんじゃそりゃ、と思っていましたけど・・・。実際やってみたら正しかったんです。「国交がない」というのが一つのミソで、大使館があると、そことのやりとりを外せない。2時間程度の映画にはとてもおさまらなかったと思います。(「恵谷くん」=故人、恵谷治氏。軍事ジャーナリストで、かわぐち氏とは幼少の頃からの「盟友」。コミック連載に協力していたそうです)・・・というわけで、そっち方面から批判するのは、違うような気がしますよ。それと佐藤浩市さんなんですけど、アレはそうね、本人として首相役に乗り気でなかったのは確かにそうなんでしょうけど、終わってみればけっこう演れた感もあって、実はその照れ隠しなんじゃないかと、画面での彼の演技を観た今思います。ストレスでお腹を云々という設定については、本編観ただけではまるで分からないし、それこそ映画宣伝としての、ちょっとした撮影こぼれ話くらいのつもりだったんじゃなかしら(もちろん、色々と不用意な発言であることに変わりはないですけれども)。なので、(佐藤さん個人への批判はともかく)そこから映画自体の批判へと行くのもどうかなと思います。ともあれ、そもそも原作コミックと映画は別モノ。そして、好き嫌いはひとそれぞれ。良かったと思う人もいれば、ツマラナイと感じる人もいる。それは当たり前のことで、褒めるのも腐すのも自由だけれども、せっかく観る(観た)んなら楽しめば良いのに、と余計なお世話ながら思います。映画は終盤、人の善意とか良心とか、何なら可能性とか、そういったものを信じたい、みたいな方向に向かうわけだけれども(この辺りは企画の福井晴敏さんテイストなのかしら?)、ソコを捉えて「つまり反戦映画だ」とかレッテル貼っちゃうのは、いかにももったいないですよ。まして、コミック『空母いぶき』ファンはコチラの人、映画『空母いぶき』を良く言う人はアッチの人、みたいな雰囲気があるとしたら、そりゃちょっと困ってしまいます。どちらも、それぞれに良い、と言う人だっているわけですから。ちなみにパンフレットには、主演の西島秀俊さんと福井氏の対談もありまして・・・福井:〜〜〜映画が完成してみると、すごく不思議な映画ができあがったと思いました。敵機を撃墜する場面では、アメリカの戦争映画だったら喝采をあげますけど、逆にお通夜のようなムードになる。あんな戦争映画はないですよ。そして秋津は皆に向けて「この感覚を覚えておけ」と言う。今のほとんどの日本人は戦争経験はないけれども、戦争映画を観るモードってあるじゃないですか。そのモードで観た時の違和感が半端ではないと思うんです。でもリアルに考えてみていただいて、架空の戦争映画というフィクションの向こうにあるものではなく、この作品は、戦争経験のない日本人が戦争に巻き込まれたらどうなるかということをリアルに描いた最初の映画だと。その中で中庸に踏みとどまる努力が人間は非常に大事だし、智慧っていうのは本来そういうところに使われるべきではないかということを体現するキャラクターが秋津なんです。西島:本当にそう思います。終盤の柿沼と捕虜とのシーンで敵兵にかける秋津の言葉、僕も、あそこに秋津の本心を見ていただきたいと願います。(「終盤の柿沼と捕虜とのシーン」については、ネタバレにつき何も言えません。気になる方は、ご自分でご確認を)・・・と締めくくられてます。福井氏については、別の所に、こんな記事もありました。──かわぐちかいじさんのご感想はお聞きになりましたか?福井「漫画というのは終わらせちゃいけないもの」という言葉は印象に残っています。漫画とは、なるべく長く続いて出版社と雑誌を支えていかなければいけないもの。だから、話が上手くまとまりそうなポイントはどんな漫画にもありますけど、プロの漫画家は話が終わりそうになったらマズいと思うそうです。「実は漫画は一つのテーマについて語りきったり、答えを出すのにあまり適していないジャンルだけど、その一方で、映画は答えを出さないとダメなんだね」と仰っていました。原作から変更している点に関しては全面的に受け入れて頂いて、映画的な作品の捉え方に納得された様子でしたね。公開前のインタビューですが、公開後の現在ある様々な批判への答えになってるところも多く、なかなか興味深いですよ。※空母いぶき 福井晴敏(企画)スペシャルインタビュー→https://v-storage.bnarts.jp/talk/interview/116260/さて冒頭申し上げたとおり、映画では「戦争放棄」「専守防衛」という前提自体は問題にしてません。そこは観る人の感性に任せてるのでしょう。なので、ここで一旦『空母いぶき』から発艦いたしまして・・・ワタクシ自身は「そこを前提とする限り、自衛隊員は常に苦渋の選択を迫られ、本来考慮する必要のない危険にも晒される。それで良いのか?」と問われている気がしました。戦争は相手のあることだし、こちらが放棄すると宣言するだけで無くせるなんて考えるほど、ワタクシ傲慢じゃありません。専守防衛を貫くためには、攻撃側と比較して圧倒的な防衛力(つまり武力)を持つ必要がありますよと言う程度には、謙虚なつもりです。「みんな、なかよし。ケンカはしません」家訓とかクラス目標とか、額装して飾っておく標語のようなものならば、そういう理想を書くのも良いでしょう。もちろん、小説や映画のメインテーマにしたって構わないんです。けれど、憲法がそれで良いはずがない。何と言っても国の最高法規なんですから。残念ながら、世の中からワカランチンやナラズモノがいなくなる、なんてことは、多分ないでしょうしね。天空を見上げて理想を語る。大地を見据えて現実を知る。人はその両面でできているのだから、例えば誰かの、そのどちらか一方を切り取ってアッチだコッチだと決めつけるのは、そろそろ止めにしたら良いんじゃないかと思ったりもしてます。ワタクシ自身、そのどちらでもあるし、どちらでもありませんから。おっとっと、我ながら『空母いぶき』からエライところまで飛んできてしまいました。ま、でも、「いぶき、良かった」と言う人はたいてい「考えさせられた」とも言ってるわけですし、せっかくなんで、皆さんも飛びましょう。「憲法のハナシ」と言えば、こちら、ちょっと前にワタクシが書いたものです。よろしければ跳んでみてください。えへへへ。※角灯と砂時計 #274 それでも「護憲(改憲阻止)」ですか?→https://blog.goo.ne.jp/kawai_yoshinori/e/3f5a01eaaf8c808e9bd3b86a5dd661baそうそう、ウチの奥様、鑑賞後の第一声は「(自衛隊員役は)皆似たような制服制帽で、有名どころの役者さん以外、一回テロップ付けてもらったくらいじゃ誰が誰だか分からない」でした。ま、誰が誰だか分からないと話が見えなくなる、という映画でもないからダイジョウブなんですけどね。