映画『ブレス しあわせの呼吸』を観ました。

 

某レンタルショップで目が合ってしまったというだけの理由だったんですが、これが、そうね、なかなか良かったです。

 

 

運命の恋に落ち、家族や友人に祝福されて結婚し、最高に幸せな日々を送っていたロビンとダイアナ。ところが、出張先のナイロビで、突然ロビンが倒れてしまう。診断結果はポリオ、首から下が全身マヒとなり人工呼吸器なしでは息もできない。時は1959年、医師からは「余命数カ月」と宣告される。英国に戻り息子が生まれたが、ロビンは絶望の中にいた。病院を出たいと望むロビンのために、医師の反対を押し切り自宅で看病する決意をするダイアナ。無謀とも呼べる彼らの決断は、ロビンの運命を大きく変えていく――

 

※映画『ブレス しあわせの呼吸』公式サイト

http://breath-movie.jp/about.php

 

 

・・・という、いかにも映画的なストーリーですが、実話(しかもプロデューサーの両親の話)を基にしているのだそうです。

 

おっと、こういう説明をしてしまうと、相当重たい内容なんじゃないかと身構えてしまうかもしれませんね(実際、重いところもあるわけですが)。

 

けれど、そんな息苦しくなるような映画ではありません。むしろ、英国流のちょっとズレたユーモアがそこここに散りばめられていたりして、約2時間、きちんと楽しめるモノになってました。

 

 

で、とりあえず、ワタクシ的に「まあ、ココだよな」というシーンを。

 

映画の終盤、ロビンと家族・友人達が、ドイツで行われた“重度障害者の生き方”専門家会議というものに参加した時のスピーチです。

 

 

会場には欧州各地から「重度障害関係者」が集っているわけですが、始めに、英国で障害研究財団理事長をしているロビンの友人が、前振りがてら、軽くジャブをかまします。

 

まず最初に興味深い事実をお話しします

この会議のテーマは―

“重度障害者の生活管理”です

でもここに障害者はいません

 

会場には、失笑やら苦笑やらが漏れます。「障害の世界、あるある」のひとつですが、ま、そうですよね。

 

そして、ここからがロビン本人。会場の人々に問いかけます。

 

なぜ障害者を監獄に閉じ込める?

 

患者たちの姿は隠されている

健全な社会の一員とみなされていない

 

皆さんはとても真摯に―

障害者たちのケアをなさっています

 

でも私を見て下さい

何が見えますか?

 

奇妙な生き物が―

かろうじて生きている?

 

それとも病院の壁から飛び出してきた―

1人の人間ですか?

 

この椅子の下の機械が―

私のために呼吸してくれています

 

自宅のベッド横には人工呼吸器が

すばらしい友人たちもいる

そして妻がいてくれる

 

私は自分では何もできない

でも今ここにいます

 

麻痺した時死のうと思った

とても死にたかった

 

だが妻に止められた

“生きなければならない”と

息子の成長を見守るために

 

だから生きてます

そう言われたから

 

妻のおかげで

妻と共に

妻のために

 

あの瞬間から日々―

死のリスクを受け入れている

ただ生存するだけでなく―

人生を生きるために

 

だからどうかお願いです

皆さんの病院へ戻り―

障害者の患者に伝えてほしい

彼らも人生を生きられるのだと

 

皆さんには権限がある

ゲートを開き―

彼らを自由の身に

 

 

 

ということで(いきなり大きく出ちゃいますが)有史以来、多数者は・・・

 

 

理由が病気であれ障害であれ、自分を不安にさせる少数者を隔離して閉じ込めて、自分の周囲にはいないものとして過ごそうとしてきました。

 

言うなれば、不安を壁の向こうに追いやり、直接見えなくして無かったことにするようなものです。不思議なことに、大多数の人は、それで安心してしまうのです。

 

「障害者」を隔離することに慣れてしまい、いつしか、そこに疑問を感じることもなくなってしまったのですね。

 

 

けれど、その壁は絶対ではありません。

見えなくしたから存在しないというわけでもありません。

 

ある日突然、自分自身が、あるいは自分の大切な人が、壁の向こう側へと追い立てられるかもしれないのです。

 

 

病気を患い、障害を負う過程は百人百様、千差万別です。

 

そりゃ中には、何らかの過失によるものもあるのでしょう。けれど、大抵の場合は不可抗力です。良い人でもそうでなくても、有名な人でも無名でも、そんなことには一切関わりなく、時も場所も選ばず、ただひたすら理不尽に襲ってくるものです。

 

 

ならば、ソレを含めて当たり前の人生と受け止めるしかないじゃないですか。

 

 

病気や障害が理由で、できないことは、そりゃ沢山あるかもしれないけれど・・・

 

病気の人や障害のある人を見て、ちょっと恐いなあと思うこともあるかもしれないけれど・・・

 

 

この映画を観て、時折クスッとしながら、

 

「ちょっと、手伝っていただけますか?」と問うことに、

 

「はい、大丈夫ですよ(いえ、残念ですが、できません)」と応えることに、

 

人それぞれ、少しずつ慣れていけたら良いなあ、というか、むしろ、慣れるしかないことだよなあ、なんてことを思いました。

 

 

 

その意味(だけ!)で、重度障害のある国会議員が誕生したのは、まあ、良いことだと思います。

 

(山本太郎氏のこれまでの実績も、れいわ新選組の示している政策も、ワタクシほとんど買ってはいませんが)

 

今後6年間、二人の国会議員ご自身が「しあわせ」になれることを願い、周囲の人をも「しあわせ」にすることを期待してます。

 

(正直なところ、お二人ともユーモアが足りない気はしますが)

 

 


・・・ ・・・ ・・・ ・・・ ・・・

 

こちら参考までに。色々と興味深い内容です。

 

※AbemaTIMES:ALS患者が国会へ、「重度障害者に国会議員が務まるのか」との意見に”車椅子の大臣”八代英太氏と乙武洋匡氏の見方は

https://abematimes.com/posts/7012476

 

 

こちらは、ほとんど関係ない、というか、内容様々なのですが。

 

※旧ブログ、テーマ「ぶらり図書館、映画館」一覧

https://blog.goo.ne.jp/kawai_yoshinori/c/bc35e3c8f575c9b7d92076040d9cf98b