私にとって私と不可分なのは「下の名前」。ソレで私を呼んで良いのは限られた人だけ。いわゆる上の名前は、もともと「◯◯さん家の」を示すための家族名。大抵の人は(適切な距離感を保つため)それを便宜上呼び名として使っているのです。

 

 

「選択的夫婦別姓(氏)制度」を求める理由は、大まかに言って2つの方向性があるのだろうと思います。

 

 

●夫婦別姓(氏)を求める理由

 

ひとつは、社会との関わりという意味で「名前が変わる」ことの面倒、不便に対する苛立ち。

 

もうひとつは、アイデンティティの問題という意味で「名前が変わる」ことに対する違和感、不快感、喪失感。

 

 

それぞれ、分からないでもないのだけれども。

 

 

前者について言えば、今日、相当程度、解消されつつあると思います。

 

実際、社会的に名前を変える必要のない「通称使用」が、あらゆる場面で、ほぼほぼ認められるようになっているとのこと。

 

「選択的通称使用」で十分と言われる所以です。

 

 

後者については、感覚の問題なのでどうしようもない部分もある、と言えなくもないのですが、かなりの割合で思い込みを含んでいるなあという気もします。

 

実際、氏といい姓といい、名字といい苗字といい、今日の我が国において、それは「家族の名前」だという認識が一般的でありましょう。

 

絆とか一体感とかいった主観的なことはひとまず置くとして、とにかく「そういうもの」というヤツです。

 

であれば、そもそも姓(氏)に個人としてのアイデンティティを求めること自体、大いなる誤解と言うべきです。

 

当然、夫婦で別姓(氏)も、その結果、不可避に導かれる親子で別姓(氏)も、その根本たる前提が間違っているのですから、それを可とする議論はどこかナンセンス。

 

 

で、怖いもの見たさで、こんな本を読んでしまいました。

 

 

●岩波ブックレット
 

 

夫婦で姓を同じにすることが、当たり前だと思っていませんか? 女性が名前を変えるのが当たり前だという気持ちがありませんか? 実は、夫婦で姓の統一を強制されるのは、世界中で日本だけなのです。なぜ日本では、こうした古い制度が残っているのでしょうか? 今後の結婚における「名前」の問題、一緒に考えませんか?

 

 

 

以下、ちょこちょこと引用しつつコメントを。

 

 

●色々思い込みで

 

表紙の惹句。

 

夫婦で氏を統一しなければならないのは世界中で日本だけ!

日本では96%の女性が姓を変えている。これは一体何を意味しているのか?

 

 

うん、だからね、今、日本で言う「氏」は「家族名」だから。一応付け足すと、ソレは戸籍制度とも密接に繋がってるから。

 

それ自体、日本にしかない制度なんだから、そりゃ「世界中で日本だけ」でしょうよ。

 

戸籍を元に、親族・姻族の繋がりを網羅して辿れる。むしろ、誇って良いことです。

 

 

「96%の女性が」については、結果そうなっているだけ、としか言いようがない。

 

今後は変わっていくであろうし、男女平等でなければ我慢ならんと言うのであれば、婚姻時にじゃんけんで決めたって良い。

 

繰り返しますが、何しろ、新たに家族となる、その家族の名前なんですから、別姓(氏)なんてあり得ません。

 

 

裏表紙の惹句。

 

国連の女性差別撤廃委員会は、日本に対し、2003年、2009年、2016年の3回にわたって、「女性に対する差別を温存、助長する効果のある制度」である夫婦同姓制度を改正し、早急に選択的夫婦別姓制度を導入するようにという勧告を行っています。(本書より)

 

 

出たな、国連女性差別撤廃委員会。

 

ぶっちゃけリベラル左翼の巣窟、くらい言っても良いくらいの、相当に傾いた組織でしょう。

 

はっきりさせておきますが、「夫婦同姓制度」自体は、女性差別を温存も助長もしておりません。

 

結果として、そのように見える、という側面はあるとしても、そちらへ「御注進」に赴いた人達の言う事を、よく調べもせずに信じないでください。

 

いや、むしろ、信じたい、のかもしれませんが、だからと言って、それで、いちいち「勧告」するなど、要らんお世話です。

 

 

ここからは、本文を。

 

 

●それは建前・・・

 

第一章 なぜ選択的夫婦別姓制度が求められているのか/3選択的夫婦別姓制度/「選択的」夫婦別姓制度の目的 から。

 

   選択的夫婦別姓制度の目的は、氏を変更するか婚姻を諦めるかの二者択一を取り払い、婚姻したいと考える夫婦が、嫌な思いをすることなく婚姻できるようにすることにあります。夫婦が、自分たちの希望に沿って、婚姻した後の氏をどうするかを「選択」できるようにすることによって、氏を同じにしたいと考える夫婦も、氏をそのまま維持して婚姻したいと考える夫婦も、何かを諦めることなく婚姻することができます。(P.16)

 

今や二者択一ではありません。ほぼほぼ全ての場面で通称使用できます。

 

戸籍上の氏が変わるのも嫌だ、というのは、そう感じる人がいるのは仕方ないにしても、それは思い込みが強いだけ、かもしれません。

 

付言しておくと「何かを諦めることなく婚姻することができます」なんて美しい言い回しですが、何物も諦めない婚姻(というか人生?)なんて、ありませんよ。

 

諦めることよりも、得られることが多いと信じるから結婚するんです。

 

そうだと信じられない人が多いから晩婚化少子化が止まらないんだ、という話もありますが。

 

 

7選択的夫婦別姓制度が目指すもの/子どもの氏はどうなるのか?

(1)子どもの氏の取り扱い から。

 

   選択的風別姓制度にした場合、その夫婦の間に生まれた子どもの氏をどうするのか。この点について、立法論としては、子どもが生まれる度に、子どもの氏を選択するという方法も考えられますが、法制審議会が1996(平8)年2月に選択的夫婦別姓制度を答申した際は、婚姻届を提出する際に、夫婦の間に生まれた子どもの氏を定めておき、必要に応じて家庭裁判所の許可を得て氏を変更するという方法が採用されています。(P.26~27)

 

これはね、氏が変わることで個人のアイデンティティがどーたらこーたら言ってた口でソレを言うんですか? ですよ。

 

しかも何、子供に、父親の氏か、母親の氏か、選ばせるんですか? そりゃ、いささか残酷じゃありませんか?

 

 

8憲法の話/憲法の視点からみた「良い制度」とは? から。

 

   憲法が個人に対して幸福追求権や自己決定権を保障していることに照らすと、婚姻したいと思っている人たちが自由に婚姻できるようになっているかどうか、婚姻するかしないかを自律的に選択できるように作られているかどうかが、婚姻制度が「良い制度」であるかどうかを考える指針になるといえます。(P.30)

 

こういうところで憲法を持ち出して、幸福追求権だの自己決定権だのと言い出すのが、いかにもリベラルでして。

 

「夫婦同氏」というか「新しい家族となるに当たりその家族名を決めること」が、そんな大仰に言うほど婚姻の自由を阻害しているんですかね。

 

そんなことより、どちらの氏を家族名とするかで双方一歩も譲らない、程度の2人なら、結婚したって上手くいくはずがないよ、とか思ってしまいますけど。

 

 

●そして本音は・・・

 

最後に、以下、おわりに から。

 

   夫婦同姓制度は、結婚の本質を確保するための制度と言えるでしょうか。本書で述べてきたように、同姓であることは結婚の本質とは何ら関係がありません。むしろ、結婚と姓の二者択一を迫ることで人々の自律的な意思決定を妨げ、夫婦の片方に改姓の不利益を負わせたり、従前の姓を名乗り続けることを希望する人たちを結婚という法的保護の枠組みから排除するという弊害を生じさせています。選択的夫婦別姓制度が導入されれば、同姓を名乗りたい人はこれまでどおり結婚して同姓を名乗ることができるのに加えて、従前の姓を名乗り続けたい人たちも結婚することができます。(P.77)

 

ここまでキレイにまとめられちゃうと、もう、何を言えば良いのか、何を言っても無駄じゃないのか、という気になってきます。

 

が、頑張りましょう。

 

 

確かに、同姓であることは結婚の本質とは何ら関係がありません。

 

が、新しく家族になる者どうしとして、その家族名を決めるのは結婚の本質と大いに関係があります。

 

 

結婚と姓の二者択一を迫る、という発想自体、相当に捻くれているように思います。

 

改姓にあたって、多少の不利益(手続きが面倒であるとか)があることは認めますが、だったら、改姓しない側が相方の改姓手続き全部やりなさい、で良いんじゃないですか?

 

何なら、それこそマイナカード上で改姓したら、その他諸々全部改姓できちゃう、くらいにしてくれても良い(そういう意味での紐づけ大歓迎)。

 

繰り返しになりますが、従前の姓を名乗りたいだけなら「選択的通称使用制度」で十分です。

 

 

   ただ、個人が幸せに生きることを確保するために法制度があることからすると、自分の氏名に愛着をもっている人が結婚を真摯に望んでいる場合に、それを妨げるような法制度は、個人が幸せに生きることを確保するという本来の存在意義を果たしていないことになります。(P.78)

 

「名」のみならず「氏」にまで愛着を持っているとしても、両者の違いを感じ、使い分けだってしているでしょう。

 

もし、それが無いとするなら、常にフルネームで呼ばれることを要求するはずで、その行き着くところは姓(氏)不要論です。

 

「真摯に望んでいる場合」を仮定する前に、何故に「上の名前」と「下の名前」とがあるのか、真摯に考えてみてください。

 

   第二次選択的夫婦別姓訴訟の2022年最高裁決定において、渡邉恵理子裁判官は、選択的夫婦別姓制度への若い世代の参政割合が高いことを踏まえ、「比較的若い世代の意見の状況に鑑みれば、家族制度の維持という名のものとでの制約が彼らの世代の将来にとって足かせとならないようにすべき」と指摘しました。家族の形を押し付ける制度ではなく、個人や家族が幸せになるための法制度が求められています。(同)

 

此処に至って、ついに本音が、といったところでしょうか。

 

結局、夫婦別姓(氏)を求めている人達の中心は、「家族制度」自体が嫌、壊したい、という人達なんですよ。

 

もちろん「家族の形」は誰かに押し付けられるものではないし、人それぞれで良いのです。

 

ですが、家族が家族であるためには(たとえそれが「壊れた家族」であっても)「家族の名前」が必要なんです。

 

名前が付いて、初めて、それと分かる「家族」になるのです。

 

家族の名前があるからと言って「幸せな家族」になれるとは限りません。

 

けれど、家族の名前が無かったら、どこまで行っても、それは「家族のようなもの」でしかありません。

 

 

●私なりの結論

 

「選択的夫婦別姓(氏)」=「強制的親子別姓(氏)」≒「家族に名前を付けることの否定」=「家庭(という社会の最小単位)の否定」です。

 

だからこそ、いわゆるリベラル勢力が熱心になるのも分かるというもの。

 

 

ところが、「選択的」という魔法の言葉に惑わされてか、少し前から、保守勢力までソレに乗っかろうとし始めたのがツライところで。

 

さて、どうしたもんでしょか。

 

 

こちら、日本政策研究センターによるリーフレット。

 

 

国民は「選択的夫婦別姓」を求めていません

 

※日本政策研究センター:「選択的夫婦別姓制度」導入に反対するリーフレットを作りました

http://www.seisaku-center.net/node/1322

 

 

参考までに、岩波ブックレット『選択的夫婦別姓』全体の目次を。

 

はじめに

 夫婦は同性で当たり前?

 夫の姓にするのが普通?

 75年以上!?未解決の問題

 選択的夫婦別姓訴訟

 歴史と最新の状況

 

 

第一章 なぜ選択的夫婦別姓制度が求められているのか

 

1婚姻制度のしくみ

 現在の婚姻制度のしくみ

 婚姻制度における氏のについての定め

 氏か婚姻かの二者択一

 

2氏か婚姻かの二者択一

 二者択一による困難

 氏を変更することによる困難

 氏を変更することによる困難

  (1)アイデンティティの喪失感等

  (2)通称により不利益は解消されない

  (3)女性に偏在していることの問題

 法律婚を諦めることによる困難

  (1)やむを得ず事実婚にするという困難

  (2)法律上の不利益

  (3)家族としての関係が公証されないことによる困難

 

3選択的夫婦別姓制度

 氏を変更しないといけないことが婚姻を避ける理由になっている

 「選択的」夫婦別姓制度の目的

 1996(平8)年2月の法制審議会の答申

 

4夫婦同姓制度の成り立ち

 夫婦同姓制度は昔からの「伝統」か?

 明治民法により夫婦の氏の取り扱いが変更

 家制度における妻の扱いと氏の定め

 戦後の家制度の廃止

 「家敗れて氏あり」

 

5なぜ別姓が導入されないのか

 女性の社会進出に伴う議論の高まり

 1996(平8)年の法制審議会の答申

 世論の高まりと政権との乖離

  (1)選択的夫婦別姓制度を求める世論の高まり

  (2)自民党の反対姿勢

 

6世界で取り残される日本

 日本のジェンダー・ギャップ

 婚姻と氏に関する世界の動き

  (1)自由権規約委員会の一般的意見

  (2)女性差別撤廃委員会の勧告

 海外における改正の動き

 世界から取り残される日本

 

7選択的夫婦別姓制度が目指すもの

 反対派は何を心配しているのか

 戸籍制度が崩壊する?

 子どもの氏はどうなるのか?

  (1)子どもの氏の取り扱い

  (2)子どもがかわいそう?

 選択的夫婦別姓制度が目指すもの

 

8憲法の話

 憲法の視点から婚姻を考える

 憲法の視点からみた「良い制度」とは?

 

 

第二章 選択的夫婦別姓訴訟

1なぜ裁判を起こしたのか

2なぜ「憲法訴訟」なのか

3原告となった人たち

4原告が求めているもの

5最高裁はどう判断したか

6最高裁多数派意見の問題点

7今後の展望

8もう一つの訴訟

 

 

おわりに

 

 

 

 

 

横行している「◯◯なのは日本だけ」報道は、それ自体印象操作。そんな中、独自路線を貫いている産経新聞の記事。

 

 

 

色々面白かった記事。「自由」の陰と陽。選択肢が増えると面倒も増える!?

 


 

 

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関連過去記事。自分で言うのも何ですが、色々若い。

 

 

「名前は命そのもの」

というのが、別姓を望む理由なら、
だったら、福島さんでなく、瑞穂ちゃんでなく、
あくまでも福島瑞穂とお呼びしなければならないし、

突き詰めれば、
そもそも苗字不要、
ということになるんじゃないかと思いますよ。

 

 

 

例えば福島瑞穂ちゃん(再び)。

思春期の頃、

気になるアイツに壁ドンされ、耳元で、
「瑞穂・・・」
なんて囁やかれてドキドキした、とか、

いけ好かないバカ男子に馴れ馴れしく肩をたたかれ、
「なあ瑞穂〜」
なんて呼びかけられてムシズが走った、とか、

そういう青春の一コマはないんですかねえ。

 

 

 

別姓選択を認めてしまうと、
ちょっと困っちゃうこともあるんですよ。

例えば、
PTAや子供会、地域自治会の役員とか務めると、
誰と誰が夫婦でその子供が誰でっていうことが分からないと、
物事が進んでいかないことが多々あるんです。

福島太郎クンのお父さんと思しき人に、
「福島さんですね」と確認すると、
「違います。岡田です」とか、

岡田花子チャンのお母さんを探して、
「花子チャンのお母さん、岡田さん、どちらですか?」と呼びかけると、
「あ、私です。福島ですが」とか、

「あれま、じゃ太郎クンと花子チャン、兄妹だったんだね。
 全然分からなかったよ」とか、

覚えるのは大変だし、気も遣う。
やりにくい事この上ない。
ご近所さんとして、そういうことを強いられるんですよ。

 

 

 

 

 

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今週の、もうひとりの私。

 

 

議会が議決するべき事件に「地方自治法その他の法令に基づき議会の議決を経て締結した契約に係る契約の解除に関すること」を加えるという、豊橋市の条例改正。

 

例によって、市長と市議会とが遣り合っております。

 

市長は「全国の自治体に影響を及ぼす判断になる」として議会に対して再議を求めたわけですが・・・

 

 

けど、それを言うなら・・・

 

34小項目の一つでしかない公約、それが主要な争点だったかどうか怪しい選挙、しかも、いわゆる漁夫の利で当選したに過ぎない長坂氏。

 

彼が、議会を無視して、既に着手済みの長期にわたる整備・運用計画の、その契約を解除する(というか、いっそ「反故にする」と表現しても良い)ことだって、いや、その方がはるかに、全国の自治体に影響を及ぼすでしょうよ。

 

・・・です。