私の職歴③(転職大失敗!自殺に失敗) | うつ病で精神障がい者だけど前向きに生きてやる!

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精神障がい者なのに働いてるのが奇跡?のうつ病伊達誠です。うつ病の辛い気持ちを分かってほしいので、正直な気持ち書いていきます。

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●私の職歴③(転職大失敗!自殺に失敗)

 

 

こんにちは。伊達誠です。

 

今回は、私の職歴の3回目です。

 

 

普段、うつ病について書いている、伊達誠ってどんな人か、より多くの人に、知ってもらえたら幸いです。

 

まずは、1回目と2回目の記事を読んでから、読み進めてくださいね。

 

 

・私の職歴①

 

・私の職歴②

 

 

 
 
私は、老舗と呼ばれる、中学受験の塾の校舎長時代に、うつ病と診断されました。
 
入院治療後、私は本社の窓際族として、会社に復帰します。
 
 
でも、その本社で、上司から酷い言葉を、私は浴びせられます。
 
どんな言葉かは、私の職歴②を参考にしてください。
 
私は、その言葉を聞いて、即座に転職を決意しました。
 
 
転職活動をしたら、高校受験と中学受験の世界を知る私は、プロ家庭教師を派遣する会社に、すんなり転職が決まりました。
 
プロ家庭教師を派遣する会社とは、家庭教師のトラ〇のような会社です。
 
私の職場は、目白にある東京本社でした。
 
 
仕事を始めたのが、2007年の1月11日。
 
そして2月には、この会社はブラック企業だと、はっきり分かりました。
 
 
長時間勤務で、千葉の自宅に帰った時には、日付が変わっている毎日。
 
当たり前の、休日出勤。
 
でも、私を一番苦しめたのは、職場の雰囲気でした。
 
 
とにかく、常に怒鳴り声が響く環境。
 
私も、とにかく怒鳴られました。
 
 
「おい、速くしろよ!おめえは、遅えんだよ!」
 
「そんなこと自分でやれよ!なに偉そうにしてんだ、お前は!」
 
まるで、ヤク〇の組事務所にいる状態でした。
 
 
こんな罵声を浴びせられて、私のメンタルは、猛スピードで崩れていきました。
 
帰りの、電車のアナウンスが、聞き取れません。
 
仕事の帰りに、山手線の西日暮里駅で降りるのに、降りる駅に気づかずに、次の日暮里駅まで乗ってしまうことも、何回もありました。
 
 
疲れ切った体で、帰りの電車で、吊革にぶら下がっていると、幻聴が聞こえました。
 
「もう、死んじゃおうよ~」
 
私は完全に、うつ病を再発させてしまいました。
 
 
5月に入った頃には、私は限界を超えていました。
 
そして、5月20日の日曜日に、首吊り自殺を決行して、失敗してしまいます。
 
 
その後、精神科を退院して、実家で療養していましたが、10月に会社はクビになりました。
 
まあ、酷いブラック企業ですから、今思えば、縁が切れて良かったと思います。
 
そして、この頃に、障害者手帳と障害年金の手続きをしました。
 
 
翌年の2008年の秋に、私は障がい者枠で、アマゾ〇の物流センターで、働き出しました。
 
しかし、このアマゾ〇も、酷い会社でした。
 
 
障がい者なのに、仕事内容は、健常者と全く同じ。
 
よくミスをする私は、ある日、管理職に呼び出されましたが、管理職は私が障がい者だと知りませんでした。
 
私は、またうつ病気味になったので、アマゾ〇を半月で辞めました。
 
 
アマゾ〇は、本当に酷い会社です。
 
アマゾ〇の障がい者の採用には、絶対に応募しないでください。
 
 
その後、障がい者枠での仕事に、本当にたくさん応募しましたが、精神障がい者は、全く面接に呼ばれませんでした。
 
でも、障がい者の就職をサポートするNPO法人に登録したら、わずか3ヶ月で、いま働いている企業に、就職できました。
 
 
今の会社に、障がい者枠で就職して、11年が経ちます。
 
この11年も、山あり谷ありでした。
 
パワハラに遭い、一昨年にうつ病が再発して入院し、7ヶ月以上も休職しています。
 
 
私の働く会社は、障がい者を積極的に採用しますが、障がい者をどう扱えば良いか、解っていないので、離職者が多いのが現実です。
 
私はしぶとく、長く働いています。
 
 
でも、65歳の定年まで働くつもりは、ほとんどありません。
 
その理由は、いずれこのブログに、書きたいと思います。
 
 
私の職歴シリーズは、今回で終わりです。
 
「伊達誠って、こんな人間なんだ」と、少しでも分かりもらえたら、嬉しいです。^^