民営文化センター -17ページ目

民営文化センター

民営の文化センターを開設するのが夢。このブログを書いているうちに何かヒントが掴めると思ってやっています。不器用で華やかさに欠ける画面ですが、少しでも世の為人の為になればとwrite everything forever

 

               あの法隆寺 まさかの財政難       

      クラウドファンディング乗り出す 

 

 

 

法隆寺でさえコロナ騒ぎで観光客が激減し伽藍の維持管理が困難だそうです。

 

 

 

法隆寺は斑鳩に移築される前は大宰府に在った倭国王室観世音寺でした。 

 

 

 

そこに在った三十三間堂はそのまま残し、造り直したのが大和政権の観世音寺であり、三十三間堂はその後、京都に移築されました。

 

                                                                                                    

 

 

江戸時代のお堂が残っている観世音寺の大伽藍跡に佇めば倭国九州王朝の昔を偲ぶことが出来ます。

 

 

 

以前、このブログで“夢殿にいる救世観音を百済観音の隣に移せ”と書いたことがあります。

 

 

 

両者は倭国上宮王夫妻を表現しており、その王子が光源氏(のモデル)です。

 

 

 

 

『源氏物語』は倭国の京(大宰府)を初めとする北部九州一円を舞台に展開します。

 

 

 

 

以上のような内容を法隆寺がカミングアウトすれば、コロナ由来の収入減は“あっ”と言う間に挽回され、世界の人々の日本を見る目が激変すること請け合いです。

 

 

 

 

救世観音と百済観音を一緒に展示しない理由が分かる人は「法隆寺移築説」も理解できている人です。

 

 
 

 

 

 

 

6月上旬に発行された某革新系団体の機関紙の記事です。

 

 

 

この団体は更なるワクチン接種を推進しようとしています。

 

 

 

学生運動華やかなりし頃、同級生の活動家たちは もっと弱者に目を注ぎ、正義感があったように思うのですが、今にして思えば、結局、彼らも同じ穴の狢なんだ!

 

 

 

https://corowaku-memo.com/yushi-ichiran/yushi-ishinokai/  

全国有志医師の会

 

 

 

反ワク有志の会に集う医師達との違いは歴然としています。

 

 

 

https://note.com/nakamuraclinic/n/nc6fe7c601364  

       真実を教えてください

 

 

 

 

 

最近、うちの店には、得体の知れない局所痛を訴えるお客さんが一日一人は訪れます。

 

 

 

 

初めて経験する痛みで、一様に悲しそうな表情で訴えるのが特徴です。

 

 

 

 

鎮痛剤はそこそこ効くようですが、長期的にはどうなるのでしょうか?

 

 

 

初めからこれくらいの余裕( https://www.nicovideo.jp/watch/sm40444731

)があれば、そんなことにはならなかったのに・・・・・

 

 

https://ameblo.jp/sunamerio/entry-12746460052.html

 

                                       

1964 年3月、私はN大学を受験したのだが、日本史の問題で、鎌倉時代の武家の系図の3箇所に明らかなミスプリントを発見した。

 

 

 

試験官に向かって手を挙げるわけにもいかず、納得のいかないまま合格発表の日を迎えた。

 

 

 

結果は第2志望合格。

 

 

 

初志貫徹、再度チャレンジして翌年 入り直した。

 

 

 

入学して 人生で最高の気分の2年間の教養部生活中に、このミスプリント事故の真相をテニス部の仲間から聞くこととなる。

 

 

 

現代だったら大問題に発展しかねない内容だが、当時は殆ど表沙汰にはならなかった。

 

 

 

なんでも、大学の採った解決法は、合計1000点満点から日本史の分100点をカットし10/9 を掛けるというものであったらしい。

 

 

 

一律に100点 採点から外すという乱暴な方法でなく、該当部分の微調整であったら私の運命は変わっていたかもしれない。

 

 

 

 良かったか、悪かったかは別にして・・・・ 


 

 

       By the way, 

  

  タイトルの入試科目云々に就いては、このエピソードが理由ではない。

 

 

 

  今の世界情勢からすると、今後「日本史」・「世界史」とも FAKE HISTORY が白日の下に晒される。

 

 

  事細かな出来事の暗記、歴史解釈の強制、自由な発想を妨げる等、入試科目を活用したマインド・コントロールが批判される時がやって来る予感がする。

 

 

                                    

 

 

 

                                       

 

 

 

コロナ騒ぎが始まった頃に比べると、マスク習慣はどっぷりと日本中に根を下ろし、女性の半数以上が“このままのほうが良い”と言いたげです。

 

 

 

化粧に手間が掛からないのは勿論ですが、「おほほ!」と口に手を当て、悪い歯並びを隠したりする日本人独特のマナーと共通の心理が定着したのでしょう。

 

 

 

当初は「マスクを外して顔を見せてっ」と言える雰囲気があったのですが、今ではもう無理です。

 

 

 

昔の『新内科診断学』を紐解くと医療現場で顔を瞬時にチェックすることが求められているのですが、それも出来ません。

 

 

 

悪名高い「パソコン画面ばかり見ている・・・・」診察なら従来と大差なしかも知れませんが、アナログ派には応えます。

 

 

自分の店を構えてから45000人以上のお客さんと顔を合わせ、その吐く息を吸って来たのですから、今となっては医療のロマンは消え、顔なし相手の危険極まりないストレスフルな日々を過ごしています。

 

                                           

 

 

コロナ騒ぎが収束に向かい、観光産業が動き始めました。

 

 

新聞広告に載った羽黒山五重塔が妙に気になります。

 

 

ウィキペディアの解説をはるかに上回る造形です。

 

 

ウィキペディア(抜粋)

 東北地方では最古の塔といわれ、昭和41年(1966)に国宝に指定された。

 

 平安時代中期の承平年間(931 - 938平将門創建と伝えられているが定かではない。現存する塔は、『羽黒山旧記』によれば応安5年(1372)に羽黒山の別当職大宝寺政氏が再建したと伝えられる。慶長13年(1608年)には山形藩最上義光(もがみよしあき)が修理を行ったことが棟札の写しからわかる。この棟札写しによれば、五重塔は応安2年(1369年)に立柱し、永和3年(1377年)に屋上の相輪を上げたという。

 

塔は総高約29.2メートル、塔身高(相輪を除く)は22.2法隆寺は22.87メートル。屋根は杮(こけら)葺き、様式は純和様で、塔身には彩色等を施さない素木の塔である。

 

 

ネットで図面を探し出し柱間を計測しました。

                                           

 

 

曲尺(大和朝廷以来の物差し)で測ると五重塔の一辺は16.6尺あり、これを試しにィ尺(倭国時代の物差し)に換算すると18尺と 切りのいい数値になります。

 

 

設計が趣味の私としては、中途半端な16.6尺なんてありえない話であって、この五重塔は倭国の属州であった東北が“日の本”と呼ばれていた時代の作品ではないかと考えます。

 

 

西暦530年以前に倭国王倭薈は東北を訪れており、それを契機に出羽・陸奥だけで約40の長谷寺が造られたのですが、羽黒山がその中でナンバーワンだったのかもしれません。

 

 

大和朝廷は九州の寺院を瀬戸内海経由で近畿へ運ぶ(移築)ことはできたのですが、東北のものは一つを残し、建築物と共に歴史も消し去ったのかもしれません。

 

 

実は 中尊寺も倭国の時代の創建ですが、奥州藤原氏に話題を集中させ、それ以前の歴史を考えさせない仕組みになっています。

 

 

 

 

室生寺の五重塔も倭国時代の建物であることを書きました。

室生寺の五重塔の図面を読む

 

室生寺は倭国の時代 佐賀県の山中にあった

 

                       

 

 

 

ふむ… 師から聴いた話だが、紫禁城を日本軍が(焼き討ち)攻撃すると聞いた日本軍の一部と蒋介石は、一緒になって宝物を非難させた。

 

 

それを7隻の船に積んで台湾へ

 

 

ただその中の1隻は日本に向かったらしい。

 

 

 今その宝物はどこかの山中に保管されている?!

 

 

ミステリーじみているが、本当だと思うよ。

 

 

 

唐の時代に倭国の首都 大宰府から「清明上河図(原本)」が持ち去られ、現在、台北の故宮博物院にあるらしい。

 

 

この出来事を裏付ける話だ。

 

 

【日本から中国への文化財返還、中国専門家も期待「天皇に返還の意思さえあれば…」】

 

 

略奪した石獅子3体、現在皇居の吹上御苑に収蔵されている旅順から略奪した中華唐鴻臚井刻石の返還を求めている https://news.livedoor.com/article/detail/22133961/

 

 

石獅子1体は靖国神社にあり、略奪でなく対価を支払った説があったかと


 

 

「返せ!」と言うなら、お互い様。

 

 

つまり、薮蛇。


 

 

 

 

「清明上河図」に関する過去ブログ

 

蔡英文総統、「清明上河図」原本を公開してください。

 

「清明上河図」を見れば「日本スゴイですね」は当たり前

 

台北故宮博物院にある「清明上河図」等、驚くべき絵巻

 

「清明上河図」に「日の丸」を発見

 

大昔、桂離宮があった正確な場所

 

驚くべき 明人出警入蹕図(しゅっけいにゅうひつず)

 

驚くべき 明人出警入蹕図(しゅっけいにゅうひつず)(続)

 

「清明上河図」の秘密

 

 

 

 

中学生になった頃、近い将来、自宅を新築するというアイディアを父親から聞かされてから、住宅の間取りについて色々考えを巡らすようになりました。

 

 

 

私の大学入学を機に建築が始まりましたが、棟梁が100%受け入れてくれた自分の書いた平面図が現実になる快感は例えようのないもので、多くの建築家の気持ちが分かるような気がします。

 

 

 

以下は棟上げの日を中心とした写真記録の一部です。

 

 

まだ腕利きの大工、職人衆が元気で、巧みなノミさばき、竹を編んでの伝統的な土壁等、日本建築が当たり前のように建てられていた時代です。

                  

 

 

           1965年5月5日 7:48am

足場となる材木1本が立ちました。

 

 

                                    

                  12:00pm

縄で固定したのみの最小限の足場に乗りハードで緻密な作業が進みます。

                        

                                                                

                                   

        1:20pm

5時間半経過し、人力のみで1階部分はほゞ形になっています。

 

                                                                         

        2:25pm

現在ならクレーンを使う所が、4人がかりで持ち上げるテクがすごい。

                  

                         

       4:36pm

2階部分も形が整いました。

屋根のてっぺんで作業しているのは70歳を超えた大工さんです。

 

                           

        5月11

壁の芯となる竹材が編まれました。


                                   

       5月12日

1階の芯となる壁土が塗り込まれました。

 

                           

        5月15日

2階への瓦リレーを6人がかりで行っている貴重な写真。

 

 

 

不安定な梯子の上で1回分4枚を反復して持ち上げる作業には頭が下がります。

 

 

 現存する寺社以外の日本建築で最古のものは桂離宮(600年代)(桂離宮の秘密)ですが、57年前の我が家にも同じ工法は引き継がれていました。

  
  間近に見る大工、左官ら 職人たちのレベルの高さ、根性、面構えは現在では見られないものです。
 

  古代の宮大工のレベルはとてつもなく高く“匠”は“巧”だったのでタクミと称せられたのだと思います。

 

 

昔の職人について今改めて思うこと

 

仕事が早く、誠実、正確、無駄な動きがない。チームワークが絶妙。

 

最小限の足場で、度胸が良く、隅々まで手が届く。

 

その後の機械化、安全対策の進歩は評価できるが、失ったものもあるだろう。

 

普通科偏重の「高校全入運動」と厳しすぎる「後継者養成法」そして「政府の政策」のミスが伝統的な日本建築を消滅させたのだと思います。

 
 
 

この後、購入した建売住宅に増築、 自分のお店、現在の自宅、計 人生で4回図面を引きました。

 

 

 

“『法隆寺は移築された』の面白さにすんなりハマる条件は整っていた”とは 米田良三氏の後半4冊の編集者である私自身の述懐です。

 

 

 

 

https://news.yahoo.co.jp/articles/84d459d9a01a45c5184234574c141c853bfe04dc  

 「体育座り」は悪影響が多い? 生徒から廃止求める意見、改めた学校も

 

 

 

   既に2015年に この件について書いております。

亡国の「体操坐り」  必ず読んでください!

 

 

 

何を今更の感があります。

 

 

 

今の世の中、日本だけがやっている、という習慣はしっかり検討した方がよろしい。

 

 

 

マスク習慣もその一例になりつつあります。

 

 

 

文科省は日本人の劣化を狙っている?

 

 

 

「陰謀論」?「陰謀」?

 

 

 

「論」の有る、無しの区別がつかない人が多すぎる。

 

 

              

 

 

 

横浜市長選挙では田中康夫氏、佐賀・久留米市長選挙では細川博司氏への応援メッセージを載せましたが不発に終わりました。

 

 

最近知った参政党(https://twitter.com/sansei411)は今までの政党の概念とは全く異なるイメージがあり、真の独立国を目指すのならこの党に期待したくなります。


 

【参政党】武田邦彦 街頭演説@新宿(2022320日)世界標準から日本文化への回帰。政治の役割。参政党に入った目的

 

 

【参政党・神回】宮沢孝幸(京大にゃんこ先生)キレる!CGS神谷宗幣・和泉修(吉本興業)【神戸街頭演説】

  https://ameblo.jp/amiraclehappens/entry-12738380198.html

 

 

 

 

の選挙までの時間を考えると、出遅れたのではないかと思いましたが、準備は着々と進んでいるようです。


 

 

ただ、細川博司氏も含めネットや講演会で人気を集めている人たちは参入のタイミングを失したように見えますが、船頭が多過ぎないためには現状位で丁度良いのかもしれません。

 

 

 

現在の世界情勢からすると、時間的余裕がありませんので緻密な作戦が必要です。

 

 

 

一番大切なことは、早い時期から不正選挙を阻止するために(期日前投票を止め)投票率を格段にアップする必要性を若い人たちに徹底することです。

 

 

 

壬申の乱以後の日本は本来の日本(イメージ的には倭国)とは別物だった、と理解できれば一気にこの国はよみがえります。

 

 

 

具体的に言うと、高松塚古墳が造られた頃、既に九州大宰府は京(都)であり、そこで『源氏物語』は通説より350年早く書かれていたのです。

 

 

 

現存する世界で一番古い木造建築は法隆寺ではなく、神崎郡三瀬(https://geoshape.ex.nii.ac.jp/city/resource/41326A1968.html)に創建された長谷寺であり、大和にある本堂と三門は大和朝廷になってから移築されたものです。

 

 

 

米田良三氏の唱えた これらの説を確認することは真の日本人のプライドを賭けた作業なのです。

 

 

 

日本が“やられっぱなし”から脱却するためには 古代のトップランナーであった我が国の真実を世界に発信することです。

 

 

 

因みに、350年前は江戸時代の初めですし、USの歴史なんか350年の内にスッポリ収まってしまいます。

 

 

 

 

詳しくは

 

       只今受付中