中学生になった頃、近い将来、自宅を新築するというアイディアを父親から聞かされてから、住宅の間取りについて色々考えを巡らすようになりました。
私の大学入学を機に建築が始まりましたが、棟梁が100%受け入れてくれた自分の書いた平面図が現実になる快感は例えようのないもので、多くの建築家の気持ちが分かるような気がします。
以下は棟上げの日を中心とした写真記録の一部です。
まだ腕利きの大工、職人衆が元気で、巧みなノミさばき、竹を編んでの伝統的な土壁等、日本建築が当たり前のように建てられていた時代です。
1965年5月5日 7:48am
足場となる材木1本が立ちました。
12:00pm
縄で固定したのみの最小限の足場に乗りハードで緻密な作業が進みます。
1:20pm
5時間半経過し、人力のみで1階部分はほゞ形になっています。
2:25pm
現在ならクレーンを使う所が、4人がかりで持ち上げるテクがすごい。
4:36pm
2階部分も形が整いました。
屋根のてっぺんで作業しているのは70歳を超えた大工さんです。
5月11日
壁の芯となる竹材が編まれました。
5月12日
1階の芯となる壁土が塗り込まれました。
5月15日
2階への瓦リレーを6人がかりで行っている貴重な写真。
不安定な梯子の上で1回分4枚を反復して持ち上げる作業には頭が下がります。
現存する寺社以外の日本建築で最古のものは桂離宮(600年代)(桂離宮の秘密)ですが、57年前の我が家にも同じ工法は引き継がれていました。
古代の宮大工のレベルはとてつもなく高く“匠”は“巧”だったのでタクミと称せられたのだと思います。
昔の職人について今改めて思うこと
仕事が早く、誠実、正確、無駄な動きがない。チームワークが絶妙。
最小限の足場で、度胸が良く、隅々まで手が届く。
その後の機械化、安全対策の進歩は評価できるが、失ったものもあるだろう。
普通科偏重の「高校全入運動」と厳しすぎる「後継者養成法」そして「政府の政策」のミスが
この後、購入した建売住宅に増築、 自分のお店、現在の自宅、計 人生で4回図面を引きました。
“『法隆寺は移築された』の面白さにすんなりハマる条件は整っていた”とは 米田良三氏の後半4冊の編集者である私自身の述懐です。