『源氏物語』“松風”に見える光源氏の別荘「桂殿」が在ったのが赤いラインで囲った部分です。
600年代のその建物群が江戸時代の初めまで崩壊寸前の状態で遺っていました。
現在の桂離宮は新築ではなく1615年、八条宮智仁親王がこれらの建物を移築・再生したものです。
日本建築は柱系部材がしっかり管理されていれば優に1000年以上持ちます。
倭国時代の桂離宮は池のサイズが小さく、総面積としては、京都のものの約 1/3 程度ですので、一見狭く見えるこのスペースに納まります。
太宰府の玄関口である隣接する「水城」は「白村江の戦」後造られたものではなく、倭国時代から既にある石造りのしっかりした城壁構造を唐の占領軍がぶっ壊し、粗末な土塁に作り変えたものです。
この城壁の御笠川が通過する部分を逢坂の関と言い、上部には楼閣が聳えていました。
御用学者の皆さん、発掘する度胸はありますか? まずは、ドローンに超音波分析器を載せ上空を飛ばせて見たらどうでしょうか。