1年前の記事(マジで! 世界中のマスコミが腕を組む?)がそのまま使えます。
それどころか事態は更に悪化しています。
https://twitter.com/i/status/1552241658510852096
なんで3回も打っちゃったんだろ
https://twitter.com/i/status/1552241658510852096
なんで3回も打っちゃったんだろ
The New Seekers - I'd Like To Teach The World To Sing 1972
まず、世界中の人々に知らしめたい。
『源氏物語』が書かれたのは定説より350年遡る、と。
良心の備わった歴史家、文学者諸氏、日本建築のトップの方々!
自分の都合は脇に置いて、真実を語ってほしい。
宮内庁にある未公開宝物の全てを世界に発信せよ。
全ての国民並びに日本を愛する世界中の人々のために。
以下の動画にあるような結末では、我々並びに先人たちは浮かばれない。
文字通り“宝の持ち腐れ”になってしまう。
世界の狂気は進行中、急がねばならない。
短縮版
https://twitter.com/i/status/1551196887067537408
Youtube版
https://www.youtube.com/watch?v=YDS1HUR9Mro
https://twitter.com/i/status/1549954120198545409
Shohei Ohtani wins Best Athlete Men's Sports at the ESPYs
記事
米スポーツ局ESPNが主催するスポーツ界の年間表彰となる「ESPY賞」で「男性最優秀選手賞」と「MLB最優秀選手賞」の“2冠”に輝いた。米4大ネットワークのABCで全米放送された。
英語でビデオメッセージを寄せ「候補者の皆さま、おめでとうございます。
皆さんと同じ部門の候補になれたことを光栄に思います。
皆さんは最高の選手です。
感謝します。
全てを楽しんでください、
そしてアフターパーティも楽しんでください」と喜びを口にした。
日本人らしい丁寧な英語で好感が持てます。
「聞き流すだけ」という英語教材なんか目じゃありません。
実力を発揮すれば皆が寄ってきます。
https://twitter.com/i/status/1547850315881664512
祭りはこうでなきゃ。
これ今日だよ!
2019年じゃないよ!
みんなイキイキしてる。
博多祗園山笠でコロナ騒ぎからオサラバしよう。
しかし、この祭りが疫病退治を記念(祈念?)して始まった、と言うのは大嘘である。
“白村江”以後、倭国の民が当時の“在日”に奴隷にされた屈辱を後世に伝えるために 祭り化 したのが現在まで続いているのだ。
こんな感じで観世音寺等を解体して斑鳩に向けて運ばされたのだ。そして法隆寺に
博多っ子諸君、ここん所よく理解して、末永くこの祭りを盛り上げていって欲しい。
良かった〜。
そもそも疫病退散が山笠のはじまり。
せんでどげんすると?
山笠があるけん博多たい。
↑ 洗脳に注意し、
博多中に拡散してください!
関係者以外は詰まらないかも知れません。
旭丘高校に関する記事を時々書いていますが(「鯱光祭」を見に 旭丘高校へ 2019 総集編)、自分が撮った写真を含め、かなり校舎に関するこだわりがあります。
物理の成績が良かったら建築家を目指していたかもしれない、と今でも思います。
現在の旭丘の校舎は旧校舎保存運動のドタバタを経て2002年(平成14年)3月 完成したものです。
保存運動については別の機会に書くことにして、今回は2000年6月25日「校舎お別れ会」の日に自身が撮影した思い出の校舎の写真集としてお届けします。
同じ日に撮っておられた26期生の方のネット記事(http://www5a.biglobe.ne.jp/~ASAHI26/photo2.htm)も御覧下さい。
戦前建築部分 203教室から運動場を見る
ここ暫く「米田建築史学シリーズ」のアナウンスをしていないせいか、申し込みが途絶えています。
在庫あと10セット強です。よろしかったらAB&JC PRESSのHPからお入り下さい。
様々な理由で米田建築史学は分かりにくいとの定評があり、かなり教養がある人でも手こずっているようです(教養が邪魔をする?)。
本来 在った国が歴史上全く消えてしまう、ということが 皆さん どうしても理解できないようです。
百済は歴史上存在しているのに、交流相手(九州王朝倭国)が全く表に出て来ないのは何故なのか?
トランプとプーチンの共同ちゃぶ台返しと世界への日本の古代の真相発信で日本(倭)国は復活します。
『源氏物語』が定説より350年昔に書かれているだけでも凄いのに、縄文時代の解明が進めば世界のトップに躍り出ることは確実です。
奈良時代から ずーっと倭国民っぽく振舞って(大和朝廷の前身である)扶桑国を構成していた渡来人の子孫の皆さん、上手く血統を守り貫きましたね。
途中から合流した人々も含め、お疲れ様でした。
今度の選挙で一気に白村江の戦後処理の失敗を取り返そうという魂胆のようですので、お手並み拝見しますね!
https://twitter.com/tiyokoo/status/1198225763843002368
https://ameblo.jp/writeeverythingforever/entry-12749284172.html
学生時代(1960年代)日本でも海外でも、歌が爆発的にヒットすると、超スピードで その歌にちなんだ歌謡映画なるものが作られました。
映画館に足を運ぶ者からすると ストーリーなんかどうでもよく、大きな画面でお目当ての歌手と曲を楽しみたかったのです。
滅茶苦茶な ご時世になってしまいましたが、しばらく以下の動画でおくつろぎ下さい。
本格的な人生が始まったばかりのあの頃、ラストの二人が駆け寄るシーンで、不覚にも思わず涙腺が・・・・
実は、主人公と似た境遇にあったんですねぇ~
今では、ただのひねくれ爺なんですけど。
それにしても、二人の恋が離陸寸前のプロペラ機を止めてしまうなんて・・・
愛は限りなく Dio come ti amo (1966)感動のラストシーン
1993年の東京公演では大人っぽく変身しています。
「愛は限りなく Dio Come Ti Amo」ジリオラ・チンクェッティ Gigliola Cinquetti 93 tokyo
日本語バージョンを見つけました。
https://www.youtube.com/watch?v=YYAS5fmEMNo&t=150s