人気観光スポット室生寺は大和長谷寺の隣(2駅離れていますが)にあります。
長谷寺同様、室生寺も倭国の時代、九州に在ったのですが、その所在地を探る試みです。
まず倭国に在ったとする一番の根拠は、写真集にある弥勒堂平面図の間口の長さ(8.44m)が281mm(1倭尺)でキレイに割り切れる(=30倭尺)ことです。
次に所在地のヒントとして、倭国長谷寺の在った佐賀県三瀬村の西に「上無津呂」、「下無津呂」という地名があり、サウンドが「室生」と似ていますし「大野」と言う地名が佐賀、大和両方にあります。
移築は不自然で無いように両寺(の所在)はセットにして扱われています。(三瀬の長谷寺から遠くない位置)
さらに関連するヒントとして、移築に際し、倭国の民にもプライドがあり、嘗て在った立派な寺院を忘れられないように、例え小さくても跡地に寺院の痕跡を遺しているはずです。
例えば、倭国長谷寺における善正寺、萬福寺のように。
赤系の塗料が残存していると倭国時代の建物である確率が高いようです。
例えば、東大寺南大門、平等院鳳凰堂(最近の塗装以前)、三十三間堂(修理の際塗料が発見される)等。
その他、直感ですが由緒在る寺院には例外なく神社が隣接している。
由緒在る寺院は幹線道路から少し奥に入った所に在る。
以上の項目を満たすとすれば地図(明治時代)上の緑のラインで囲んだエリアの確率が高いと思います。
実は以前、米田氏と現地に赴いたのですが、時間に余裕がなく充分な調査は出来ませんでした。
佐賀県の山の中は本気で古代史を研究しようとする人にとって実に魅力的です。