コロナ騒ぎが収束に向かい、観光産業が動き始めました。
新聞広告に載った羽黒山五重塔が妙に気になります。
ウィキペディアの解説をはるかに上回る造形です。
ウィキペディア(抜粋)
東北地方では最古の塔といわれ、昭和41年(1966年)に国宝に指定された。
平安時代中期の承平年間(931年 - 938年)平将門の創建と伝えられているが定かではない。現存する塔は、『羽黒山旧記』によれば応安5年(1372年)に羽黒山の別当職大宝寺政氏が再建したと伝えられる。慶長13年(1608年)には山形藩主最上義光(もがみよしあき)が修理を行ったことが棟札の写しからわかる。この棟札写しによれば、五重塔は応安2年(1369年)に立柱し、永和3年(1377年)に屋上の相輪を上げたという。
塔は総高約29.2メートル、塔身高(相輪を除く)は22.2(法隆寺は22.87)メートル。屋根は杮(こけら)葺き、様式は純和様で、塔身には彩色等を施さない素木の塔である。
ネットで図面を探し出し柱間を計測しました。
曲尺(大和朝廷以来の物差し)で測ると五重塔の一辺は16.6尺あり、これを試しにィ尺(倭国時代の物差し)に換算すると18尺と 切りのいい数値になります。
設計が趣味の私としては、中途半端な16.6尺なんてありえない話であって、この五重塔は倭国の属州であった東北が“日の本”と呼ばれていた時代の作品ではないかと考えます。
西暦530年以前に倭国王倭薈は東北を訪れており、それを契機に出羽・陸奥だけで約40の長谷寺が造られたのですが、羽黒山がその中でナンバーワンだったのかもしれません。
大和朝廷は九州の寺院を瀬戸内海経由で近畿へ運ぶ(移築)ことはできたのですが、東北のものは一つを残し、建築物と共に歴史も消し去ったのかもしれません。
実は 中尊寺も倭国の時代の創建ですが、奥州藤原氏に話題を集中させ、それ以前の歴史を考えさせない仕組みになっています。
室生寺の五重塔も倭国時代の建物であることを書きました。