続・宇宙の法則 VOL3 意識の経路 心と魂 | 不幸のブログ 

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三次元と四次元の狭間 に関しての記事と生命の科学と宇宙の法則
について語ります。



生命の科学に触れられたくない人間もいれば
イエスの奥義と聖書の詳細に
触れられたくない人間もいて


更には組織的犯罪被害に触れられたくない人間がいて
その上に闇社会に触れられたくない人間がいる。


それぞれ独自の利益を考えては
私の行動を誘導しようとしているように
感じることもあります。


今日は地球の支配者層が一番嫌っているらしい記事
宇宙の法則がらみです。


導入として聖書の解釈を未だ正すことができないでいる
典型的なクリスチャンの言葉を引用して


それに触れてみたいと思います。


掲示板からの引用

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○○○○




光に従っていれば、光の中にある力が働き、
聖書と違ったことを言っていれば、悪魔の世界で、悪霊が働きます。
だから、聖書の知識がとても必要なのです。


今、この世を支配しているのはサタンですが、
イエスを通って神に繋がった者だけが、
この地上の支配権を受け継ぐことができます。


それまでは、悪魔の支配下で、
あなたのエネルギーをこの世の世界に使われているのです。

しかし、すでに、神は、イエスの購いにより、
この支配権を取り戻し、私達に地上の王としてくれました。
その支配する方法が聖書に書かれてあります。
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悪魔とは一体どんな存在なのでしょうか。



私に知識では悪魔とは私達地球社会の人間にこそ

ふさわしい言葉であり、


同時に常に悪いことをしているという存在を作り上げることで

エゴで暴走している自分達の事を

美化する事となっている様にも見えます。


このようなクリスチャンの主張を
他の宗教関係者や一般市民が見れば
それは狂信的であったりオカルトに見えるでしょうし、


聡明な人間相手であれば、それは布教にはならず
逆効果だと思います。


私達には聖書の知識が必要で
聖書の記述と異なることをしていれば
悪魔の世界で悪魔の力が働くとありますが、


聖書の知識はあくまで参考であり
限定列挙であり創造主の意識の一部に過ぎません。


私達は新約聖書から
創造主の意識を感じそれを実践するために
ヒントを得るに過ぎないのです。


それ以前に、クリスチャンは聖書の記述どおりの行為を
実行していると言えるのでしょうか。


今の多くのクリスチャンが実行しているのは、
自分の解釈により自分が正しいと認識した
個人的な価値観を実行しているに過ぎず


そこには普遍的な真理はないと思います。


それ以前に私達は
”創造主に信仰を持つことの一番の目的”
を理解してはいません。


この方は自分が聖書の記述通りのことを
実行できていない事を理解できていないのです。


【今、この世を支配しているのはサタンですが、
イエスを通って神に繋がった者だけが、
この地上の支配権を受け継ぐことができます。】


これはある意味正しいと思います。


現に地球社会を支配しているのは
イエスキリストにサタンの会派といわれた人間達の
意識と思想を受け継いでいる者達だからです。


そしてそんな人間達がこの社会の中で人間の心をこわし
道徳を崩壊させ続けています。


戒律は上辺の形式ばかりが重視されて
大切な道徳心、思いやりや慈愛や誠実さなどは
二の次にされています。


私は悪魔と言うものを実態としては認めません。


それは人間に巣食う負の想念としての魔の意識であり
それがこの社会中に散乱しているのだと想像しています。



天使達がこの社会の中に

真理を語る時に、勧善懲悪のために

神の対象として作り上げた架空の存在に過ぎません。



そしてそれは私達がイメージした時に出来上がる

想念の中にこそ存在しています。


つまり私達の負の想念が渦巻いているこの世は
悪魔に支配されていることになります。


この方は”イエスの贖い”で
それが解消されたと言っていますが


解消などされていないからこそ
この世はエゴと悪意で満ちているのですし


少し以前に取り上げたように、
イエスの贖いは人類すべてのためのものではなくて


”結果的”に永遠の生へと進むことのできた人間にとっての
救いとなっている
考えるべきことで


エゴに従って生きていて
魂の進化のために何の努力もしていない人間の救済をも
イエスキリストが齎してくれたと考えるから


キリスト教は悪人天国だと言われるのだと思います。


独自の改心なくして
魂の成長なくして救いは有り得ないからです。


大体が、イエスキリストは
この社会の支配権を私達に与えるなどとは
語ってはいないはずです。


イエスの教えを理解し実践して永遠の命を得た人間達は、

”天の国の相続権を共有することになる”と触れていたはずです。


それはこの世の中で物や権利に囚われることなく
正しい生き方をすることができれば


そこから離れて、私達が天国と認識するような場所で
暮らすことができるようになると言うことの例えだと思います。


イエスキリストは第一にこの社会の風潮に囚われることを
何よりもタブーとしていた存在です。


そして選民思想を嫌っていた事も明らかです。


特定の人間達だけがこの地球社会の中で
神に選ばれた人間であり、


この社会の王として
この世を支配していく権利を与えられる。


それが血によるものであっても信仰であっても
そんな意識を持つこと自体が誤りです。


私達は創造主の前にみな平等だからです。


そして特定の宗教や特定の血統が、
人間を特別な存在にならしめる事もありえません。


それらは人間が勝手に作り上げた価値観であり

それは普遍的な真理ではないのです。

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本題です。


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私達が悪魔に近づくも、神に近づくも
それは私達の意識しだいです。


それは意識の経路としての心と魂の
使い方に由来すると思います。


意識の経路として心にばかり囚われれば

殆どの人間が心をエゴで固めていることからも
私達が悪魔と呼んでいる存在に限りなく近づいて行きますし


意識の経路としての魂を強く感じ続ければ
私達が神と呼んでいる存在に似ていくことになります。


悪魔と呼ばれるべきものは私達の心のエゴや悪意ですし
一方、魂は創造主の意識の分身だからです。


そして心のエゴにばかり従って生きている人間は
そこから負の想念を垂れ流すことになります。


私達が通常”心”と認識しているものは
極端に言えば脳の機能です。


それは私達が想像している以上に機械的なものであり、
私達はその機械的な思考を
自らの意識として受け止めそれを心と認識しています。


そしてその心と言う意識を持っていることで
自分は自分であると認識しているわけです。


しかし現実には私達が”心”と呼んでいる物は
まずは脳に備わっている”本能”の働きでした。


私達は生まれた時には既に本能を持っています。


それは時には生命維持のために資するものであり、
生命の危機を私達に伝える役目をも持っています。


のどが渇いた、お腹が空いた、眠たい、


それに性欲のようなもの含めて

肉体と脳を正常に維持するのに必要な状態を保つために


私達に、肉体が必要としていることを伝えるのが
本能の目的でもあると思います。


(時にはこの本能は魂の閃きと連動することもあると思います。
現に動物の多くは意識の経路としての心は殆ど存在せず
限りなく本能的に生きていますが魂を常に感じているはずです)


しかし一方ではその本能は、
事後時に作り上げられる私達の独自の価値観と結びついて
心地良い事ばかりを望むために


その本能に極度に従うことは、結果的に
創造主の想定している私達の姿とかけ離れさせることにもなります。


次に私達が”心”と呼んでいる物は
私達の人生の中で作り上げた価値観の受け止める
外部からの刺激に対する印象でもあります。


私達の価値観は、この肉体を持って体験することになる様々な経験と
その時に私達が受け止める印象によって培われます。


体験は人それぞれ異なることからも
人それぞれ価値観も異なることになります。


さらに私達の肉体をつかさどる四つの感覚器が
その価値観を決定付けてもいました。



各感覚器官の好き嫌いが、
私達の価値観を決定付けてもいました。


私達が何かを目にしたり耳にしただけで
その対象から不快感や心地良さを感じさせられるのは


私達の感覚器官が作り上げた
好き嫌いの影響に他なりませんでした。


目が好み、好感を持ったものを見つめるたびに
私達の心は心地良さを感じ、


逆に目が不快感を持っているものを見つめるたびに
私達は不快感を感じることになります。


この傾向は聴覚や、味覚や嗅覚も同様でしたし
これらの器官の複合的な判断で
私達は好きな事と嫌いな事を作り上げてもいました。


時には私達の心の価値観が
不快さと心地良さを作りあげていたわけです。


だからこそ同じものや人や現象を眺めても
そこから受け止める印象は
人によって異なることにもなります。


私達は心を持って現象や人間を裁いている(評価している)からです。


それは人により異なる価値観ですし
普遍的な真理ではありません。


そして全体としての”心”の価値観は、
好きなものや心地良く感じるものばかりを受け入れ
そうでない事を煙たがり嫌う傾向もありました。


つまり心の好き嫌いが分裂や分割を生み出しているのです。


匂いに敏感な人間がタバコや納豆を嫌ったり、
面食いといわれる人間が人の外面の美しさに囚われるのも
このような心の働きとは無縁ではありません。


そんな好き嫌い意識が分割を生み出す原因でしたし、
仲良しグループや政党のような組織は
価値観の似通った人間の集まりともいえます。


そんな人間達は自分達の価値観こそが心地良いのですから
そうでないものを受け入れようとはしません。


人間であれば同じような周波数や波動や価値観で引き合い
時にはそれが組織となります。


分割したもの同士は、時には敵対関係となることもあります。


敵対意識は憎しみや争いの原因でしたし
そんな負の意識こそが私達の心に魔を作り上げる原因でした。


そんな価値観と並行して、
もう一方では本能がそんな意識に影響を与えます。


更には自分の体験や知識が、
先入観や偏見そして独自の真理を作り上げます。


私達が通常”心と呼んでいる脳の意識”は
そんな価値観の集合体に過ぎないのです。


それは思考する回路であり、
思考するために既に与えられている独自の価値観のデーターに基づき、
外部の刺激や現象に対して反応する反射機能のようなものに過ぎません。


その証拠に、心に囚われている人間は
その既存のデーターと矛盾するデーターを受け入れませんし、
理解することもできません。


直感的にそれが嘘であるとか真実だと見ぬく機能を持っていないからであり、
判断基準はすべて脳のファイルの中のデーターが元となっているからです。


誤ったデーターを価値観として持たされていれば、
それと整合性のある、更なる誤った価値観をも
正しいと認識することになります。


しかし真理であっても脳のデーターと整合性がなければ
それを真理と理解することもできないかもしれません。


心に囚われている人間は
データーに存在していない事柄を理解不能なのですし
データーと矛盾する真理を受け入れる事が出来ないからです。


それはパソコンのような機器の反応となんら変わるものではないのです。


そして現に組織的犯罪に用いられるような電磁波による脳への干渉では、
私達の意識の介入も可能となれば

”心は外部から操ることもできる”ことになります。


つまりは私達が意識の経路として”心”と認識しているものは
単なる、脳のメモリーに蓄積されたデーターを元に
脳機能が外部からの入力に対して反応している動きに過ぎないと言うことです。


だからこそ心に囚われている人間は
目や耳や鼻や口といった感覚器官と、
自分が知識や情報として知っている価値観に囚われていて


そこで誤った価値観を正しいと認識している場合には
自分の価値観と整合性のある情報を
それが誤りでも正しいとして受け入れることにもなります。


そして脳機能が制約される事で、
心をも制約されると言う悪循環に陥ることにもなります。
(意識の経路が三次元の物質としての脳細胞に集中しているからです)


だからこそ今の社会では
電磁波の電気的刺激や周波数の脳への干渉で
人間を容易に操ることも可能なわけです。


しかし一方では私達は本来、
意識のもう一つの経路として魂を感じることにもなります。


心の感覚器官とは別に
私達には魂と言う触覚をつかさどる感覚器官があります。


それが受け止めるものは
他人からの想念(テレパシー)であり創造主の意識です。


これは体が受け止める物理的、
そして四次元的なエネルギー含めての受信器官です。


そしてそこから得ることのできる感覚は”物理的触覚”であり
”印象”であり”閃き”であり”インスピレーション”でしたが


それが創造主の意識からのものであれば、
少なくとも自分にとっては正しいもの(真理)でした。


こちらの経路は”心”とは別に存在していながらも
心を持って私達が思考しているときも
常に私達に対して語りかけています。


精神=魂の意識は24時間休むことがないのです。


アダムスキーの説明を引用すれば、


私達が心に囚われそちらから受け止める感覚や
心のエゴに囚われてばかりいる状態は、


心が大声で叫んでいる状態であり、


その状態では精神=魂のささやきを
私達は認識し難いわけです。


魂に関して元々想念の感覚器官としての自覚のない私たちは
心が大声で叫んでいる間は
そのささやきを受けとめることができない。。


まして魂の受け止める感覚は閃きであり、印象であり、
インスピレーションであるために


もしそれを受け止めたとしても、
魂の働きを知らない私達は


それを自分の心の思考であると
勘違いしてしまうことにもなります。


しかし実際それを私達に印象として与えているのは
心とは別の意識の経路としての魂なのです。


こちらの経路から得られる感覚の強さには
個人差があるようですが

しかし誰もがその存在を感じることもあります。


それは良心や罪悪感などといった印象によってです。


以前取り上げた例え話ですが、


道を歩いているとそこにカバンが落ちていたとします。


そのカバンを開けてみると中には
100万円の束がいくつか入っていました。


この時、人によってはそのカバンを
警察に届けようという道徳心が働くでしょうが


そうでなく、それを丸々もらってしまおうと
考える人もいると思います。


しかしその時、人によってはネコババしようと言うその行為に
罪悪感を感じることになるでしょう。


”盗む”と言う行為に
嫌悪感やためらいを感じるかもしれません。


「警察に届けないといけない」


そんな意識に駆られることにもなると思います。


心のエゴや欲求が「それをネコババしろ」といった時に
「それは良くない」とたしなめる自分の意識に
気がつくこともあると思います。


その時に自分をたしなめたり、罪悪感を感じさせる
そんな意識こそが、良心や良識や道徳でしょうし


そんな意識を私達に与えるのが魂からの印象だと思います。


アダムスキーは魂からの閃きを感じる場面として
研究者の話を取り上げていました。


懸命に研究に没頭していても
何故か良いアイデアが浮かばない。


必死に考えても良い結果がだせない。


そんな時に疲れてふっと息を抜いた時に頭に閃くものがあり
それが発見や発明へとつながることになる。。。。


実はその時、研究者は心を持って思考することをやめた為に
魂の経路からの印象を受けやすい状態になっていて


結果、魂から創造主の知恵を受け止めたと言う話になるのです。


私たちは通常意識の経路として
心ばかりを意識しては使用しています。


そして感覚器官としての魂の受け止める感覚を
肉体的反射ともいえる物理的触覚に限定しています。


しかし現実には想念を受け止め創造主の意識を感じると言う
精神的な側面を、魂の機能は果たしていて


その理解不足が私達の心と魂の分離にもつながっているのです。


アダムスキーがスペースブラザーズの知恵として
紹介してくれた”生命の科学”、


そして聖書でイエスキリストが12使徒に伝えたであろう
”イエスの神の国の奥義”は


私達が失いがちな、意識のもう一つの経路としての魂を
強く感じることができるようになるための手段でもあります。


それを実践することで私たちは
魂の経路を強く意識できるようになりますし


生命の科学での私たちの目的の一つは

魂から受け止めた印象や、啓示により
心の価値観を魂の価値観に置き換えていく行為です。


その結果私達は魂と心を同時に使用することになりますし

心を魂の価値観に置き換えることで


個人的真理やエゴは、創造主の意識や普遍的真理へと
置き換えられていくことになります。


そしてそれを実践する行為により
私達の魂への経路は強く確保されるようになりますし


そこから受け止める価値観を実践することで
今度は魂の進化を体験し
魂の進化が私達の脳の進化を引き起こすことになる。


先日も触れた、魂の進化と脳の進化の
フィードバックが起きることになるはずです。


その時私達が進んでいる道は、
間違いなく創造主の御心を意識して
それを実践する人生です。


私達の覚醒は深くなり、魂の進化はさらに続き
私達は本来あるべき人間の姿へと近づいていくことになります。


そしてこのことこそが私達が創造主を信仰する本当の目的であり、


永遠の生、記憶を持った転生へと進むことになるのは
この現実社会で、私達の魂が進化したことに対する”結果”なのです。


考えてみれば意識の低い私達に、
道徳心を高め創造主の意識を実践させるために
天国や地獄と言う概念は必要だったはずです。


今の私達よりも、本能的で粗暴で知性が足りなかったであろう人間達には
イエスやブラザーズの高尚な教えを
そのまま理解することはできなかったからです。


天国と言うアメを与え、地獄と言う名の鞭を打つことで
ようやく彼らの意識を変貌するこことができたという
そんな実態もあったはずです。


そこで与えられた”天国に入ること”は創造主の法を理解するための
動機付けであり、結果に過ぎないのです。


本当は私達が意識の経路として魂の存在を認識し、
それに従う生き方こそが私達のあり方であることを
イエスキリストもブラザーズも私達に語りたかったのではないでしょうか。


多くの思想の究極的な目的としているものは
普遍的真理を追求していく中での結果に過ぎず、


大切なのは日々私達が精神を感じ
そこから感じ取る創造主の意志に従って生きていくこと。


私達の周囲を取り巻く創造主の諸法則は、
私達が創造主の予定通りの存在であるときにこそ
私達にプラスの効果を発現させることになるはずです。


そしてそんな生き方を続けることこそが
本来私達に求められていて


そんな状態に置かれた私達が作り上げる社会こそが
この地上の楽園ではないのでしょうか。


スペースブラザーズのマスターの言葉を再び引用します。

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あなたがたは人間が五つの感覚から成り立っていると主張し、
さらに第六感、第七感などを加えています。


真に存在する感覚を理解し発達させるかわりに、
これらの独断的に考えられた感覚を発達させようとしています。


透視力、透聴力、テレパシー、
超能力などの力が存在することを明言するのに、
一語で全部を表現できるものを少なくとも四つにそれぞれ分類しています。


その結果、人間の真の本体が混同され、失われるようになっています。


これをもう少しはっきり説明しましょう。
まず第一に人間はあなたが自然と呼んでいる無機物と元素類による産物です。


第二は、人体という知的表現として聖なる創造主の産物です。


人体の無機物や元素から成る部分は四つの径路すなわち感覚を与えられており、
その感覚を通じてその部分はいわゆる物理現象としてあらわれているのです。


英知または神は、あなたがたが物質的と言っている
肉体全体のあらゆる細胞を通じてあらわれています。


私がいま述べた四つの感覚とは、視覚、聴覚、味覚、嗅覚です。


地球のあなたがたが”触覚”と言っている感覚を
私があげなかったことを考えてごらんなさい。というのは、
触覚こそは他のすべての感覚にまさる”英知”であるからです。

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マスターは触覚と言うものは
私達の魂が受け止める感覚であり、


それは本来四つの肉体の感覚器官とは
区別されるものであると言っています。


私達の肉体全身に覆いかぶさるようにして存在している魂を通じて
全身の細胞から受け止めることになる感覚は、


物理的感触だけではなくて、
人間からの想念(テレパシー)、


さらには創造主の意識をも含めて
私達は触覚と認識すべきだと言うことです。


そしてそれこそが創造主の分身でもある
私達の魂の、器官としての側面の役割でもあるのです。


未知能力が、その魂の進化の延長にこそ
存在していることを理解できていないがゆえに
私達は超能力を研究しても成果が出せないでもいます。


魂の経路を感じ難くなっている人間ばかりが存在する社会で
未知能力の開発が進むわけもないのです。


未知能力の発現は私達の魂の進化が進んでいる証拠。


しかし何事も機械で済ませ、思考することをやめている私達に
魂の進化は遠い存在と成り下がっているのです。

 
【地球人の神は遠い場所にいるのではなく
近くの万象の中に、人間自身の内部にいる】


地球の法則はその門を大きく広げて
多くの人間を待ち構えています。


理解が、容易であったり、楽であったり、エゴをくすぐったり

更にはバリエーションに飛んだ思想を作り上げることで

地球の法則は幅広い層の人間を飲み込んでいますし


人間の価値観の多様化をも利用しては
多くの人間をその門へと誘導し続けています。


そして彼らの思想は頻繁に変化し、
その主張には一貫性もありません。
(死んだら霊界や天国や地獄に行くと主張し、
輪廻転生を否定することが多いのが彼らの一貫性でしょうか)


一方宇宙の法則は
常に変化するのことのない一貫した真理として
私達の周りに存在し続けてもいます。


ただ地球の法則の前においては
その門はとても狭く目立つこともありませんし


多くの人間が地球の法則へと進んでいってしまうのですから
こちらも道に進む人間はこの社会ではごくわずかです。


ただ、私達が魂の存在に気がついて、それを意識の経路として認識できれば
そこへ進むことは容易だと思います。


すべてを知るもの、”偉大なる英知”の分身でもある私達の魂は、
普遍的真理へと私達を導くことになるからです。


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http://ameblo.jp/uruseiblog/entry-11248386708.html
生命の科学の基礎講座 VOL1
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生命の科学基礎講座 VOL2
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生命の科学基礎講座 VOL3
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真の進化
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All You Need Is Love

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宇宙の法則
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宇宙の法則 番外編 イエスの言葉 後編
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