【家を追い出されたばーちゃん】がウチに来ちゃった!
~★介護日記★~
「見学後、一変した老人ホームの印象」の続きです
★これまでのお話
ばーちゃん(姑)の、ワガママカマッテチャンぶりは、たびたびこのブログで登場しているけど
私の母(2020年97歳11か月で没)の方は、昔は自由奔放ワガママだったのに、晩年は自分からホームに入り、私たちになるべく負担がかからないよう、最後の日まで毅然とした気持ちを持ち続けていた
仲が良かった私たち4人兄弟。上の兄は母に一番近い距離にいたけど、交通事故もあったし、兄嫁は仕事で忙しい。下の兄と姉は関東にいる。だから、暗黙の了解(?)で末っ子の私が大概、行っていた。それで、うまく回っていて、母は喜んでいたし、私も負担は感じていなかった。この感じで行けると思っていたのだけど
それが・・・母が97歳半ばの時に、急に大きな亀裂が
そして、そのとき下した強引な決断が、母の寿命を縮めたかも・・・
どうすれば良かったのか? 今でもよくわからない
そんなわけで、順を追って考えていきます
☆後悔しない自分の老後を考えるために
診察でびっくりした内科医の剣幕
母は、92歳で腎臓に腫瘍がみつかったけれど、その後も一人住まいを続け、趣味のコーラスや読書会にも行っていた。
ハワイへ行ったときには「(マイペースすぎる)お前のお母さんとは、一緒に海外へ行かない!」と怒っていた夫も、淡路へ日帰りのドライブに連れて行ってくれた。
前回の淡路の旅で行けなかったタコせんべい工場見学や、伊弉諾神社へ。途中、車から海岸が見えると、「降りて歩きたい」と言って、砂浜を歩いたりと、母はとても楽しんでいた。
一人住まいなので、ラインで毎日やり取りするのだけど、96歳の冬、インフルエンザにかかり、高熱が出た。
母は、私たち兄弟とのグループラインに
「食べるものや飲み物も買ってあるから、大丈夫」
と毎日書いていた。
ちょうど“還暦の会”という市協賛の同窓会があって、会場が母の家の近くだったので、私は帰りに寄るつもりだった。でも、高校卒業以来42年会えていなかった友人に出会い、2次会へ誘われ・・・迷って・・・で、・・・母の家へ寄るかわりに2次会へ行ってしまった
母はその後、回復!
次の内科の診察の時一緒に行くと、
(2週間に一度、母は内科に通って、降圧剤をもらっていた)
女医さんは私を向いて、小学生に叱る先生のように
「娘さん! お母さんは、このお年でインフルエンザって、大変危険なんですよ!もう、一人では無理ですよ!」
母に向かっても
「お子さんは何人もおられるのでしょう? 大丈夫とか言わずに、助けてもらいなさい!!」
私、先生の剣幕にびっくりして、その日の兄弟のグループラインに、先生に言われたことを報告。
そして、内科の先生が言われた通り、その年齢の頃から、少しずつ母の体力は落ちていく・・・・
つづく
☆後悔しない自分の老後を考えるために
「姑と私の母の介護から考える理想の老後」
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