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【家を追い出されたばーちゃん】がウチに来ちゃった!

                    ~介護日記★~

姑と私の母の介護から考える理想の老後とは?」の続きです

→こちらから

 

 

★これまでのお話

 

ばーちゃん(姑95歳・要介護3)は、29年前、次男夫婦と同居するために家を建て替えた

じーちゃん(舅)が亡くなり、家土地の名義は次男へ

次男も亡くなり、名義がばーちゃんの次男嫁(鬼嫁)に移って、ばーちゃんを家から早く追い出したい鬼嫁👹の、猛攻撃が始まる。

で、ばーちゃんは、家も財産も鬼嫁に盗られてわが家にやって来た

その後、入院退院を経て、特養へ。

 

どうすれば他の人に負担がかからないようにしながら、幸せな老後を送れるのか? 

私の母とばーちゃんの、生き方をたどりながら、じっくり考えていきます

 

 

 

☆人の性格って、年とともに変わっていくものなの?? 

 

またやっちゃった💦

日にち間違えて、明日の予約投稿のはずが、

もう出ちゃってる@_@)

このままにしておくので、今朝の投稿分も

読んでくださいねお願い

 

 

 

<自分が幸せな老後を送るために!>

 

 

カマッテワガママ姑は、もとは“周りを気遣うしっかり者”だった!

 

私と私の3人の子供たちの、少し前までの共通した認識は、

 

私の母は“ワガママ自由奔放” 

 

ばーちゃん(姑)は、“気を遣うしっかり者”

 

このブログで登場するばーちゃんは、“なぜ家を追い出されたか?”のテーマで書いていたから、鬼嫁と同居する前後からの、鬼嫁にへつらうようになった姿と、同居してからのカマッテチャンの姿なのだけど、それまでのばーちゃんは、全く今と違うえー

(ばーちゃんの認知症は、医師によると、病的なものではなく、年相応のものとのこと)

 

 

私の母の方も、私たちの認識がかなり変わった。昔は自由奔放ワガママだったのに、晩年は自分からホームに入り、私たちになるべく負担がかからないよう、最後の日まで毅然とした気持ちを持ち続けていた凝視

 

だから、二人の生き方から自分の老後の在り方を探っていくためには、まず二人の昔の姿から見ていかないと・・・

 

 

私の母:O型。高等女学校を出てからすぐ結婚。初めは何もできないお嬢様(?)でどうしようと思ったと父が言っていた。

 

ばーちゃん(姑):A型。女学校を出た後、洋裁学校へ行き、百貨店の呉服売り場に採用されて、結婚後も子供の生まれる28歳くらいまで勤め続ける。

 

この違いからかな、ばーちゃんは気遣いのできるしっかり者になったのは…

 

この二人の性格の違いが最も出たのは、私たち一家がこのWばーちゃんとハワイ旅行へ行ったとき。

 

その珍道中について、次回お話します(^^)/

 

 

それにしても、人の性格って、年とともにそんなに変わっていくものなのかなびっくり 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

つづくスターバイバイ

 

 

 

 

 

 

☆自分が幸せな老後を送るために

 

姑と私の母の介護から考える理想の老後

→こちらから

 

 

 

 

 

☆姑の介護のお話

 

「訂正後:義母がショートステイ&特養にかかった費用」

→こちらから

 

(中略)

 

最初にすべき具体的な線引き~介護を始める方へ~

→こちらから

 

 

 

☆姑はなぜ自分の家を追い出されたのか?

 →こちら  (発端)

(略)  

 →こちら (結果)

 

☆姑の足が動かなくなってから特養に行くまで

→こちら  (足が動かない)

(略)

→こちら  (特養へ)

 

 

☆兄が脳挫傷で重体から回復・現在まで

 

大ばば様の、言いつけ通りですか?」

→こちらから

 

「毎晩見る不気味な夢が暗示していたこと」

→こちらから

 

「兄が交通事故で意識不明の重体に」

→こちらから

 

(以下略)