【家を追い出されたばーちゃん】がウチに来ちゃった!
~★介護日記★~
「老後までにすべき事、してはいけない事」の続きです
★これまでのお話
ばーちゃん(姑95歳・要介護3)は、29年前、次男夫婦と同居するために家を建て替えた。
じーちゃん(舅)が亡くなり、家土地の名義は次男へ。
次男も亡くなり、名義がばーちゃんの次男嫁(鬼嫁)に移って、ばーちゃんを家から早く追い出したい鬼嫁👹の、猛攻撃が始まる。
で、ばーちゃんは、家も財産も鬼嫁に盗られて、わが家にやって来た。
ばーちゃん(姑)の、ワガママカマッテチャンぶりは、たびたびこのブログで登場しているけど
私の母(2020年97歳で没)の方は、昔は自由奔放ワガママだったのに、晩年は自分からホームに入り、私たちになるべく負担がかからないよう、最後の日まで毅然とした気持ちを持ち続けていた
人の性格って、年とともに、こんなに変わる~?
☆後悔しない自分の老後を考えるために
私の母と、ばーちゃん(姑)の昔の姿から、それぞれの晩年までの、性格の変貌を探っています。
97歳まで気楽な一人住まいを続けた母
☆大阪ばーちゃん(姑)は、大阪に誰かと一緒に住み続けることを最優先にしたのに、結局鬼嫁👹に自分の家を追い出されて、財産まで盗られちゃって、わが家へ来ることに。
☆一方、97歳まで一人住まいを楽しんでいた私の母
しっかり者だった姑が、性格が変わったわけについては、前々回と前回に書いたので、今回は私の母について
母は、97歳半ばまで、一人で住んでいた
それまでに沢山の親しい人を見送って来て、自分なりの老後を、考える機会が多かったのだと思う。
母は6人兄弟の5番目で、年の離れた兄が二人、姉が二人。いもうと一人
上のお姉さん(函館)は、
一人で100歳近くまで住んでいたけど、家の中で転ぶことが増えた。子供たちが代わる代わる遠方から飛行機に乗って来ていたけど、子供たちもまた高齢で体力的にもきつくなり、施設へ入れることに。そこで病気になって、子供たちは胃ろうを選択。体が丈夫だったから、そのまま寝たきりになったけど頭はしっかりしていて…で、お見舞いに行った私の母に
「死ねないのよ~」
と切実に訴えたことが、鮮明に母の記憶に残る。
下のお姉さん(名古屋)は、
自分の家の敷地内に、息子が結婚した時家を建ててあげたけど、お嫁さんとの折り合いが良くなくて、すぐ横の家なのに、嫁姑の交流は全くなく…。でも私がまだ学生の頃遊びに行ったら、当時8歳くらいの孫がやって来て
「おばあちゃん、今日の晩御飯は何? コロッケ? じゃあ、おばあちゃんとこで食べるわ」
ほのぼの、こういう関係も悪くないかなとその時思ったけど・・・
(やっぱりここも鬼嫁だったのか?)
おじちゃんが亡くなって何年か経った後、
“(建ててもらった)自分たちの家は狭い。おばあちゃんは一人住まいなのだから、そんな広い家じゃなくていいよね?”と、広い家の方をリフォームしてもらって、家を交換。
で、90代後半で狭い方の家へおばちゃんは住むことになり、動線が変わったせいなのか?台所の電子レンジか何かに頭を強打して脳出血、言葉が出なくなってしまって、施設へ。
おばちゃんが100歳くらいの頃、私の母(当時93)と、母の妹(86)と、私の姉と私4人で、会いに行くと、明るいきれいな施設で、優しそうなスタッフにひかれて車いすに乗ったおばちゃんが登場。娘さんも来られていた。私たちがしゃべっていることはわかっているかもしれないけど、おばちゃんから言葉はなく、表情もほとんど変わらなかった。
そんなお姉さんたちを見ていた母は、
“自分は、できるところまで一人で気楽に暮らしたい。一人暮らしが無理になったらホームに入るけど延命治療はいっさい断る”
という意思を、固めたようだった
つづく