【家を追い出されたばーちゃん】がウチに来ちゃった!
~★介護日記★~
「96歳までは悠々自適(97歳まで一人住まいの母)」の続きです
★これまでのお話
ばーちゃん(姑)の、ワガママカマッテチャンぶりは、たびたびこのブログで登場しているけど
私の母(2020年97歳11か月で没)の方は、昔は自由奔放ワガママだったのに、晩年は自分からホームに入り、私たちになるべく負担がかからないよう、最後の日まで毅然とした気持ちを持ち続けていた
ずーっと仲が良かった私たち4人兄弟姉妹👭。上の兄は母に一番近い距離だったけど、交通事故もあったし、兄嫁は仕事で忙しい。次男、私の姉は関東にいる。だから、暗黙の了解(?)で末っ子の私が大概、行っていた。それで、うまく回っていて、母は喜んでいたし、私も負担は感じていなかった。
それが・・・母が97歳半ばの時に、兄弟姉妹の中で、急に大きな亀裂が
そして、そのとき下した強引な決断が、母の寿命を縮めたかも・・・
どうすれば良かったのか? 今でもよくわからない
そんなわけで、順を追って考えていきます
90歳頃から、兄弟姉妹に考えの違いが(97歳まで一人住まいの母)
母が66歳のとき、父が亡くなり、それからずっと一人暮らし。
母の家は、私の家から電車を乗り継いで、片道1時間半ほど。
洋服や靴など、お買い物によく誘われて、一緒に行った。
(ハワイ旅行の前には、母の水着も買いに行ったっけ)
テレビとか洗濯機とか、大きなお買い物は、私の夫が車で一緒に行ってくれた。携帯、スマホが出始めると、私たち夫婦が買うときに同じ機種を一緒に母も買って、使いこなせるまで、わからなくなると携帯の時は家の電話で、スマホは携帯(家族間無料)を使って説明して、それでも、うまくいかない時は、母の家へ行って解決
90歳でウイーン旅行へ行くための、膝の人工関節を入れる手術の付き添いと、その後のリハビリのための入院の時も、毎日病院へ。母のことについて、誰にも口出しされず、やりやすかったのだけど・・・
母が90歳過ぎた頃、次兄から連絡があった。
(今から10年前)
兄「安否確認とボケ防止のために、毎日おはようメールを送るように、おまえからお母ちゃんに説得してくれるかなあ。『そんなの毎日できないわ!』って断られちゃったから」
私「毎日ただ、『おはよう』ってメールしろって言っても、そんなの面白くなくて、続かないよ。だからスマホでグループラインにしようよって、前にも兄ちゃんに言ったやん」
兄「ラインは、セキュリティに問題がある!」
その時には母はもう、スマホを持っていて、(次兄の腰が重いから)母と、私の子供たち3人(当時18歳・25歳・28歳)と、私とのグループラインも作っていた。
そのやり取りで、母が元気なことを確認できたし、母もスマホの使い方でわからないことがあったら、このグループに質問を入れて、子供たちか私の、早く見つけた人が答えていた。
けれど、ラインの方が良いよと私が何回言っても、兄も姉も、携帯でいいと頑固に言い張る。
しぶしぶ、後になってから、兄と姉もスマホを買ってグループラインも作ったけどね
(今から思えば、この頃から次兄&姉と、私とで、考えの違いは、もう出始めていた)
当時、母の同世代でもスマホを持っている人は少なかったから、
”まあ、スマホを使いこなしているの、すごいわね❣」”とか誰かに言われたび、
「なかなか覚えられなくってね、いつも娘に怒られてますのよ」
って、謙遜で言っているのはわかるけど、それじゃあ私、悪もんやん!
長くなるので、続きは明日に🙇
☆後悔しない自分の老後を考えるために
「姑と私の母の介護から考える理想の老後」
「カマッテわがまま姑は昔、“周りを気遣うしっかり者”だった!」
「姑・母・子連れで総勢7人ハワイ珍道中」
「私の母がトラブルメーカー?姑・母・子供とハワイ旅行」
「母・姑・子連れハワイ旅行で毎日一騒動」
「息子の嫁と孫の嫁とでウィーンへ行った母」
「ひ孫や孫たちが忘れられない私の母が作った食べ物は?」
「しっかり者だった姑が、性格変わったわけ」
「老後までにすべき事、してはいけない事」
「97歳まで一人住まいを続けた母」
→こちらから