【家を追い出されたばーちゃん】がウチに来ちゃった!
~★介護日記★~
「母92歳、ガンの手術する?しない?」の続きです
★これまでのお話
ばーちゃん(姑)の、ワガママカマッテチャンぶりは、たびたびこのブログで登場しているけど
私の母(2020年に97歳11か月で没)の方は、昔は自由奔放ワガママだったのに、晩年は自分からホームに入り、私たちになるべく負担がかからないよう、最後の日まで毅然とした気持ちを持ち続けていた
ずーっと仲が良かった私たち4人兄弟。上の兄は母に一番近い距離にいたけど、交通事故もあったし、兄嫁は仕事で忙しい。次男、私の姉は関東にいる。だから、暗黙の了解(?)で末っ子の私が大概、行っていた。それで、うまく回っていて、母は喜んでいたし、私も負担は感じていなかった。この感じで行けると思っていたのだけど
それが・・・母が97歳半ばの時に、急に大きな亀裂が
そして、そのとき下した強引な決断が、母の寿命を縮めたかも・・・
どうすれば良かったのか? 今でもよくわからない
そんなわけで、順を追って考えていきます
☆後悔しない自分の老後を考えるために
92歳の母、ガンと付き合いながら一人住まい続けることに
悠々自適で一人暮らしていた母だったけど・・・92歳で、ガンを告知されて
手術をするか?しないか?の質問に迷っていると
先生はこう言われた
「このまま今まで通りの生活をして、血尿がでたときだけ、ちょっと大人しくしておくという方向でいきましょうか? 以前の私の患者さんに、92歳でガンがみつかった方がおられて、手術せずに様子を見ていたら、他の病気で天に召されましたわ。」
「ただね、ガンは2倍、またその2倍と増えていくので、初め小さい時はわかりにくくても、大きくなってからは、それが2倍、2倍と大きくなって、急に目立つことになります。『急に悪くなった』と言われる方がおられますが、そうではないので、それだけは覚えておいてくださいね」
☆ともかく今できることは、今しよう!
父の時のように、倒れたあとでは何もできない。もう後悔したくない
まず、叔母(母の妹・当時85歳)と私の姉と私で、淡路の温泉へ一泊旅行。ふぐ料理を食べたり、渦潮を見る船🚢に乗ったり、人形浄瑠璃を観たり
それから、わたしの二人の兄と姉に声をかけて、集まれる人みんなに来てもらって、有馬温泉の宿で92歳の母の誕生会を開催。
それぞれ忙しい中、子供4人+配偶者4人、孫9人+配偶者5人、ひ孫5人で総勢、母入れて28人集まって、母も嬉しそう
翌年には、淡路へ行ったときと同じメンバーで、名古屋の伯母ちゃん(母の姉・100歳)がいる施設まで面会に行き、その後明治村へ。
ガン告知後も母は、それまでと同じように一人住まいを続け、2週間に一度は、私も一緒に泌尿器受診へ。
帰りの電車の中で、先生に言われたことや、母の様子などを私の姉、二人の兄と兄嫁たちで作ったグループラインに入れる。
(兄と姉もスマホを購入、グループラインがつながり便利になった。)
母は、これまで通りの生活を続け、兄・姉・兄嫁たちは、私の受診の付き添いとラインの報告に「ありがとう~」って言ってくれる、良いリズムができていた……母が95歳くらいまでは……((+_+))
長くなるので、続きは明日に🙇
☆後悔しない自分の老後を考えるために
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