こんにちは。

魂響書占 たまゆらしょせん 恵理子です。

 

 

両親の老いについて 

また私が面した老いについて綴っています。

 

 

 

老いを生きる(1)両親の老い

 

老いを生きる(2)老いの容量

 

老いを生きる(3)母の衰え 認知症

 

老いを生きる(4)認知症の対応

 

老いを生きる(5)延命治療

 

老いを生きる(6)死への向かい方

 

老いを生きる(7)老いとの色々な関わり方

 

老いを生きる(8)そのまま認める

 

老いを生きる(9)死の話合い 末期がん

 

老いを生きる(10)凸凹で取れるバランス

 

老いを生きる(11)歩み寄り

 

老いを生きる(12)私が思う認知症

 

老いを生きる(13)みんないい人

 

老いを生きる(14)どう生きたい?

 

老いを生きる(15)父の変化

 

老いを生きる(16)母は最強

 

老いを生きる(17)普通ってなに?

 

老いを生きる(18)母の入院

 

老いを生きる(19) 叔父他界

 

老いを生きる(20)母 再入院

 

老いを生きる(21)医療と薬

 

老いを生きる(22)還す時間

 

老いを生きる(23)認知症は治さないといけないの?

 

老いを生きる(24)実の親 義理の親

 

老いを生きる(25)どう生きていくか どう死んでいくか

 

老いを生きる(26)ラッキーな人

 

老いを生きる(27)危篤

 

老いを生きる(28)認知症は神様からの贈り物

 

老いを生きる(29)介護者もひと休み

 

老いを生きる(30)今ある幸せ

 

老いを生きる(31) 純粋に還る

 

 

 

先日 祖母の妹のおばさんが

97歳で亡くなったと父から聞きました。

 

今日が告別式で 身内だけの家族葬だったそう。

 

「自分とばぁばが逝く時は家族葬にしたい」

と前々から言っていて 葬儀社も決め準備している父。

 

おばさんのお葬式は父が考えている理想通りだったようで

 

「いいお葬式 という言い方も変だけれど とてもいい式だった。

 家族葬を実際に見ることが出来て良かった。」

 

と言っていました。

 

 

父は 子供がいなかった祖父母の養子なので

遠い親戚にあたるものの 直接血が繋がった関係ではありません。

 

私は幼い頃からその話を聞いていたし

おじいちゃん おばあちゃんが直の祖父母ではないとわかってました。

 

それでも ひとつ屋根の下に暮らした

八王子のこのおじいちゃん おばあちゃんが

有り余るほどの愛情を私に注いでくれて

仏様となっても 一番近くで守ってくれている存在だと思っています。

 

 

この度亡くなられたおばあちゃんの妹のおばさんは

おばあちゃんに顔がそっくりで 幼いながら

「えっ? えっ?」

って二人の顔を見比べて びっくりしたのを覚えている。

 

おばさんは おばあちゃんの孫の私をすごくかわいがってくれて

おばあちゃんたちのお供で百草園(今で言うスーパー銭湯)に

よく連れて行ってもらったっけ。

 

ちょっと甲高いおばさんの声

穏やかで優しかった物腰

おばあちゃんとすごーく仲が良かったこと

 

などなど 懐かしい場面を久しぶりに思い出しました。

 

 

おばさんは 85歳の時に息子さんと一緒に

四国お遍路八十八カ所を車で25日間かけて回ったそうで

完了の認定証が告別式の時 壁に掲示されていたそうです。

 

おばあちゃんも信仰が篤かったけれど

おばさんも同じだったんだね。

 

他にも 晩年の数年 老人ホームで書いていた書があって 

そのしっかりとした筆跡に 

とても90代の人が書いたものだとは思えない

と父は驚いたそう。

 

 

祖母も最期までボケなかったけれど

おばさんも 認知症の症状は出ず

最期までしっかりしていたそうです。

 

だけど 老人ホームから「うちに帰りたい」

って言っていたんだって。

 

 

これは 父方の祖母も同じだったのね。

 

父方のおばあちゃんも 

晩年は老人ホームに入っていました。

 

時々 記憶が交錯することはあったものの

最期までしっかりしていて

やっぱり「家に帰りたい」「一緒に連れて帰って」と言っていたそうで。

 

「おばあちゃんに会いに行って帰りにその言葉を聞くのが辛かった」

「おばあちゃんは長く生き過ぎて辛かったと思う」

 

と父は言ってました。

 

 

102歳という大往生で

「おばあちゃん 長生き! すごーい!」

と当時 私は無邪気に思っていたけれど

長く生き続ける裏側は良いことばかりではないことを

後になって知りました。

 

 

 

現在 入院中の母は

認知症の薬を一切やめたので

症状は進んでいると思います。

 

妄想が時系列を含め あちこち飛ぶし

意識が身体から抜け出て 自由に飛び回ることもあるようで

これも認知症の症状 と看護師さんから聞きました。

 

ベッドから動けない母なのだけど

妄想では毎日忙しく立ち回っているそうで

 

「あー忙しい! 今日はいっぱい歩き回って疲れちゃった~」

「今日は楽しいこと(催し)があるのよ」

 

なぁんて 看護師さんたちにルンルンしながら言っているらしい。

 

「光子さんはいいことしか言わない。

 だからお世話する私たちもすごく嬉しいんです。」

 

と その日担当だった介護士さんに言われてね。

 

 

その話を父に伝えた時 

「とにかく家に帰りたいと言わないでいてくれて本当に助かる」

「認知症で良かった」

と安堵して言っていた。

 

 

 

病院の看護師長さんは

今の母の病状が悪いながらも保たれていることに対して

 

「命は永遠ではないのでね。

 徐々に(死を)受け容れていく ということなんでしょうね。」

 

とおっしゃっていて

その期間を設けられていることに感謝。

 

 

そんな話をしていた時 当の母は「父が死んだ」と妄想し

自分が葬儀を取り仕切ろうとしていたけれど。

 

「お父さんも幸せな人生で 天国に行けてよかったぁ」

と真顔で言っていたし。

 

そんな笑い話を父と出来る今も

やっぱり感謝のひと時ですね。

 

 

 

「家に帰りたい」と思いながら 

帰れない状況にあったおばあちゃんとおばさん。

 

認知症を受け容れている 両親。

(母は自覚ないだろうけれど)

 

やはり晩年認知症になり  でも朗らかに生きた祖父。

 

70歳の時に大腿骨を骨折し 

その後様々な病気に見舞われながらも

穏やかさを持ち続けた祖母。

 

 

 

生きている私たちは 逝く人々に

様々な形で「受け容れる」ことを見せてもらっているんだな

 

と感じます。

 

 

 

おばさん たくさんの優しさをありがとうございました。

 

おばあちゃんと仲良く 安らかにお休みくださいね。

 

 

 

老いを生きる(33) 喜ばせたい 喜びたい

 

      八王子祖父   父方祖母  八王子祖母

 

 


 

 

 

 

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