こんにちは。

魂響書占 たまゆらしょせん 恵理子です。

 

これまで時間的には間を空けながら 

父と母の老いについて 思ったこと 感じたことを書いています。

 

 

老いを生きる(1)両親の老い

 

老いを生きる(2)老いの容量

 

老いを生きる(3)母の衰え 認知症

 

老いを生きる(4)認知症の対応

 

老いを生きる(5)延命治療

 

老いを生きる(6)死への向かい方

 

 

 

 

 

 

夫との不和が原因で 離婚問題が勃発し

2012年3月末に 私は子供たちとも離れ 

1人で家を出て別居生活を始めました。

 

もし私が 

夫との関係が良好で 

別居などせず一緒に暮らしていたら

妻 母 嫁の立場をもちろん優先していただろうし

こんなに実家に何度も

時間をかけてなんて行けなかったでしょう。

 

両親の老いについて 

こんなに見つめたり考えたりすることもなかったはず。

 

 

母の認知症が進むにつれて 

父がその負担をすべて受けることになり

母も父も

私を育ててくれていた頃の両親ではなくなりました。

 

 

子供の頃

聞けばなんでも正しい答えを教えてくれて

何があっても守られる と信じていた両親。

 

 

今は

 

「恵理子 どうしたらいい?」と聞いてくる両親に

 

私が「こうした方がいいと思うよ」と言う。

 

 

立場が逆転。

 

 

 

 

 

元々楽観的で無邪気な性質の母は 

さらに輪をかけて子供に還っていて

外に出かけたいけれど

1人ではもう出かけられません。

 

私が泊まりで実家に行き 

一緒にどこかに出かけることを

指折り数えて待っているような状態です。

 

 

母とはまったく逆の性質のキチンとシッカリな父は 

ドンドン加速する母の

理不尽で身勝手な態度や

手に負えない状況に振り回されています。

 

一切弱音を吐かなかった父が 

今では電話でも母に対する愚痴のオンパレード。

 

前回は息子(孫)に電話し 

「恵理子を連れてきてくれ」と言ったとか。

 

精神的にかなり参っていました。

 

 

一方の母は電話口で

 

「すごーく調子いいのよ!絶好調〜!!」

 

と 私は元気よ(^O^)/アピール。

 

 

お出かけする気マンマンの母が

父の様子などお構いなし

なのも いつものことなのです。

 

 

 

兄一家が二世帯同居しているのだけど

兄は「あのお袋さんの対応は嫁では無理!」と断言。

 

私も妹も 数々の母の尻拭いをしてきた義弟も 

「まぁ そうだろうね」と納得しています。

 

 

それに母は依存心が強いので 

なんでもしてくれるお義姉さんが手を貸してくれるとわかったら

頼りきってしまうのも容易に予想できる。

 

私なら

「自分で出来る 自分でやれ」とピシャリ断るし。

 

父も社会福祉士の方も 

出来るだけ母が出来ることを続けられるような方向へ

持って行こうとしているし。

 

 

そんなこんなで

表面的には 父と母の老いについて

考えたり様々策を練っているようで

 

「でも それだけではないんだな」

 

と感じています。

 

 

次のような意味もあったんじゃないかって…

 

 

 

 

私は22歳で結婚したのですが

それまではたぶん 

「育ててもらう」ことでいっぱいで

養ってもらう 守ってもらう 与えてもらう 

そうして両親に「してもらった」ことはよく覚えています。

 

親として 子供の立場から

2人を見て関わっていたけれど

 

じゃあ

「父という人間」 「母という人間」

はどういう人間なのか

「個人として」なんて考えもしなかった。

 

 

本当に考えるようになったのは

別居後のこの数年です。

 

 

 

私の離婚問題・別居を機に

 

父と母の結婚やパートナーシップについて

知らなかったことを聴いたり

 

父の入院を機に

両親の性質・強さや弱さを客観的に見たり

 

今は母の認知症を機に

父と母の子供の頃の家庭環境まで遡って話をしたり

 

命の期限が少なくなってきた親と 

延命治療について息子も交えて意見を交わしたり

 

私が実家に行く度

時にはカードリーディングもして 

何度も時間をかけて話し合ってきました。

 

 

 

 

私と息子と娘とは両親より先に

やはりそういう考え方や意見の交換を深くして

「親と子」という関係性を超え

だいぶ前から1対1の個として接しています。

 

そして 父と母ともそうなってきました。

 

 

 

「こういう経験をするために別居があったのでは?」

 

とすら思います。

 

 

実は私が別居を決めたのと時期を同じくして

義父が認知症の診断を受けました。

 

 

「嫁として ここは家に残った方がいいのでは?」

 

という考えも浮かびましたが 

その時 とても強い不思議な勢いで

「私が家を出た方がいい」

と背中を押されるような出来事が立て続けに起こったのです。

 

 

最終的には声が出なくなったことが決め手となり

私は自分の身体からのそのサインの方を取って

嫁を放棄することを決意し 家を出ました。

 

同時に 妻と母の役割も放棄したのだけれど。

 

 

当時 いきり立っていた夫と

なんとか事をおさめたい義母には

色々言われたされた と思っていたけれど

その言葉や行動さえ 今は

 

「私に両親とのこの時間を

 与えてくれるためのものだったんじゃないか」

 

と思っています。

 

 

 

 

そうは言っても 

心のどこかで罪悪感が確かにありました。

 

 

90歳の認知症のお義父さんを放っておくって

人間としてどうよ?

 

80歳を越えたお義母さんが老々介護してるんだよ?

 

お義姉さんもいるし

祖父母の家に昨年からは娘が同居しているし 

それでいいかってことにしてない?

 

自分の親のことばかりに費やして

いいのかそれで?

 

などなど。

 

 

でも 別に誰にもこんなこと言われてなくて 

自分で思っていただけ。

 

 

 

最近よく話すようになった夫は

色々と思うことはあるのでしょうが

今のこの状態を良しとして

私には一切なにも要求してきません。

 

まだ私 とりあえず妻で嫁だけど。

 

 

母が父を振り回したコントのような騒動を一緒になって笑い

私もお義父さんとお義母さんの様子を聞いています。

 

でも 何もしません。 

ただ祈るのみ。

 

 

義父と義母には 

前回しばらくぶりに誕生日プレゼントを娘経由で渡してもらい

ついこの間 6月の私の誕生日には

義両親からもやっぱり娘経由でプレゼントが届きました。

 

 

 

 

常識的に考えたら 

私は一般枠から外れた 

妻 母 嫁 なわけだけど

 

その外で

妻 母 嫁 をするのとはまったく違う経験を

わざわざしているんじゃないか

させてもらっているんじゃないか  

 

と思うようになりました。

 

 

「こんなことしても

 え? こんなのも大丈夫なの!?」

 

と無意識に色々試してきたけれど

どれも大丈夫だったから。

 

 

人間はとても大きいね。

 

 

いや あの母だって

エネルギーや生命力は莫大だもの。

 

父は「とてもかなわない」とあっさり認めてる。

 

 

わかっていないのはやっぱり本人だけで

「もう あの世に行きたいのよ~」

と感情的になった時 泣き叫ぶけど

それを聞いた息子が

「迎えに来る天使が嫌がって来ねーよ!」と一喝。

 

次の瞬間には 

「このアイス とっても美味しいねぇ」

なんて笑顔の母なんだもの。

 

 

義父も 義母も 夫も 大きい。

 

 

もう わかっていようが わからなかろうが

常識的だろうが 非常識だろうが

なんだか どうでもよくなって

 

「その中で調和出来ることがあるんだなぁ」

 

と不思議な感覚になっています。

 

 

感謝と一言では言い切れないような。

 

 

老いって

今すでに老人になっている人に対してだけじゃなく

私だって 子供だって 赤ちゃんだって 

死に向かって 老いを生きているんだものね。

 

みんな同じ。

 

 

 

 

ハスの花は4日で散ってしまうそう。

 

 

1日だけしか咲けない花も

何年かに1度しか咲かない花もあるんだってね。

 

 

でもどんな花も

美しくてキレイなのは

純粋に こめて 生きているから。

 

その花たちに

人が心を惹きつけられるのは

やはり 純粋に こめて 人生を生きたいから。

 

 

生あるものはみんな同じなんだろうね。

 

 

 

 

 

写真は 父と母とそれぞれ別々に観に行ったハス

 

その話はまたいずれ。

 

 

いつどんな時も 

自然はとってもキレイで美しいキラキラ

 

 

 

 

 

(藍)サイキックタロットカード 黒6 HARMONY 調和

 

パートナーシップ 鏡   絆

 

描かれているのは男女ですが

必ずしもロマンスを表すものではありません

 

どんな感情を抱くにせよ あなたが今

見ているその相手は自分自身の姿でもあります

 

これまで 受け容れられずに背を向けていたとしても 

もう調和の時が訪れていますよ

 

せっかくのご縁 

その人との間にある学びを知り 

より良い人間関係を築いていきましょう

 

 

 

 

 

 

つづく

 

 

老いを生きる(8)そのまま認める