魂響書占 たまゆらしょせん えりこです。


 

老いを生きる(1)両親の老い

 


前回の続きです。

 

 


父が入院し 

実家で母と2人で過ごしたこと

実は私 初めてでした。

 

 

結婚するまでは 

祖父母 両親 兄妹と7人家族。

 

兄妹で1番早く結婚した私が里帰りする時は 

必ず誰かしらが家にいたし

出産後は 息子や娘を連れて行くのが常だったから。

 


兄と妹が結婚してからは 

孫パワーも相まって

ワァーッと嵐のごとく時間が過ぎるのが当たり前で

 

こんなにゆっくり 

母のことだけを見たのも初めてでした。

 


 


そして 感じたのは


「母が小さくなったな」

 

ということ。



糖尿病を患って母は10キロ痩せ 

背も縮みました。


そうした見た目の小ささは

以前からも感じていたけれど

今回小さくなったと感じたのは 

 

母の容量。


 

見えること 

聞こえること 

覚えていられること 

気にかけられること 

出来ることが

 

「ずいぶん小さくなったなぁ」って。

 

 

 

私の目の前で

 

「えーと 今なにをするんだったっけ?」

 

「なにを取りに来たんだっけ?」

 

疑問符と共に立ち止まる 母。

 

 

少しすると

 

「あぁ そうだった!」

 

と思い出し また動き出す。

 


そんなことが毎日4,5回はありました。

 

 

 

高幡不動のあじさい祭りを母と2人で観に行き

その帰りのバスで走行中 

運転手さんに駆け寄ったのも

降りるバス停の名前がわからなくなってしまったから。

 

 

「富士森公園でしょ。」

 

と私が言ったにもかかわらず 

 

わからないあせる

という不安な気持ちがあふれてしまったようで

すぐさまよろけながら 

運転席まで行ってしまった母。

 

 

運転手さんとのやりとりもちぐはぐで 

でもやっぱり少しして

 

「あぁ そうだった。 富士森公園だった。」

 

納得して席に戻りました。

 

 

この間 バスが走っているのに立ったら危ないとか

運転手さんが「つかまってください!」と声を荒げている 

などという外部情報には気を留めていない。

 

 

今この瞬間の思いを止められない!

 

って感じに 私には見えました。

 

 

 

以前の記事に書いたように 

この状況でこの対応をする母に

ある意味 たくましさを感じたのも確かだけれど

同時に 父が入院したまま

 

「母1人でこれから大丈夫かな?」

 

と思ったのです。




 

 

兄と2人で父のお見舞いに病院に行った時

この出来事を話したのですが 

2人共大いに思い当たることがあったそう。

 

 

実は 父が入院した直後 母が

 

「還付金詐欺にあいそうになったんだよ」

 

と話してくれました。

 

 

その時 二世帯同居しているお嫁さんもいたのに 

相談するという気もまわらず 

電話の犯人の指図の言いなりに

母は必死にATMを動き回ってしまったそうです。

 

 

幸い 母の持ち出したカードが

まったく違う銀行のもので操作が出来ず

(この辺 ゆる~い母でよかったと思うのですが^^)

 

 

ちょうどその時 

父が病院から母に電話をして

無我夢中の母のヘンな様子に気がつき 

事なきを得た とのこと。

 

 

父も兄も 

あれだけニュースでやっているのに

 

「騙されるのがおかしい」

 

「なぜ途中で気がつかないんだ」

 

と そんな母のことを

ふがいなさそうに言っていました。

 


 

以前なら 私も

2人に完全に同調していたと思います。

 

 

でもここ数日 

じっくり母の日常を見ていて

 

出来るようにがんばれと言ったり 

出来ないことをダメだと否定するのは

容量が小さくなった今の母には酷じゃないか

 

と思いました。

 

 

それに がんばり過ぎの父が

これからがんばらないようにするための

1番のいい見本が 

母のそのゆるゆるの部分だとも思うので。

 

 

出来ない 

わからない 

失敗しちゃった 

 

みんなOKだから。

 


 

父と兄で話し合って 

父不在の時は銀行関係のものは兄が預かる

と決めたようで

そうやって周囲が対策を立てれば○なこともあるし。

 


もちろん 両親には元気でいて欲しいけれど

 

「老い」は完全に止まる「死」に向かって

普通に当然 今まで出来ていたことが

ゆっくり ひとつずつ 出来なくなることで

 

その受け容れも必要な気がします。

 

 

「もう歳だから仕方ない」と諦めきるのでもなく

 

「努力してなんとかする」とがんばるのでもなく

 

 

その時々 両方のバランスがとれている所に

両親も私も変化しながらいられたらいいなって。


 


 

病院で感じることも私 

以前とちょっと変わりました。

 

 

父が入院している病院では

たくさんの老人の方々を目にして

前は 弱々しくしか見えなかった患者さんたちを

 

「皆さん すごいな」

 

と思ったんです。

 

 

平均寿命から言って

残された時間が10年ない父と母

 

平均寿命を越えて生きている方々

 

しかも病気を背負って

 

それでも落ち着いて堂々と生きている。


 

「人間はみんな 

   こうやって次第に止まっていくんだよ」


 

まだまだ走れるわたしたちに 

どっしりと体現して

見せてくれているように感じたのです。

 

 

たとえば 今私が

 

「あなたに残された時間は あと数年です」

「もういつ死んでもおかしくないですよ」

 

と言われたらどうだろう?

 

 

あんな風に落ち着いて

堂々と生きていられるだろうか。


 

そこで こんな風に思いました。

 

もしかしたら 老いて容量が小さくなるのは

広く気が行き届かなくなり

ハッキリ明確に考えられなくなること

 

でも そのお蔭で 

先にある死やそれに伴う様々な怖れではなく 

目の前の今 この一瞬に集中出来るっていう

本当はとてもいいことなのかも。

 

 

今まで出来ていた何かが出来なくなって

病気になっても

 

「あじさいがキレイだったね」

「やっぱりご飯は美味しいね」

「このパジャマは着やすくていいな」

「記念写真を撮ろう」

 

そんな小さな目の前の喜びや嬉しいことを

 

「楽しいね~音譜

「幸せだね~ドキドキ

 

って感じて笑っていられたら 

それでいいのかもしれない。

 

 

落ち着いて 堂々と。

 

 

両親に「そう生きて欲しいな」と思ったのでした。

 


 


ちょうど 母と一緒に見ていたテレビで

認知症の老人の介護施設を紹介する番組がありました。

 

 

施設の中庭には昭和を思わせる町並みのセットがあって

 

「家に帰りたい」

 

と言う老人に スタッフの方は寄添って

セットの中のバス停のベンチで一緒に

来るはずのないバスを待つそうです。

 

 

しばらく待って

 

「今日はもう最後のバス行っちゃいましたね。」

 

と言うと 

老人の方は静かに部屋に戻られるそう。

 

 

施設の方は

 

「否定しないことが大事です。」

 

とおっしゃってました。

 

 

 

小さな容量で老いを生きる人を見守るには 

見守る人の心に大きな容量が必要ですね。

 

 

祖父母にもそういう

「老いを生きる」時間があったけれど

直接は両親が対応していて 孫の私は

祖父母のいい思い出しか思い出せません。

 

 

今そしてこれからは両親が私に見せてくれる。

 

私もいつか 子供たちに見せるようになる。

 

 

容量が変わりながら 関わりながら 

 

それも 生きる ということ。

 

 

順繰りなんだろうな。

 


 

そして 家に帰る前日 

母と一緒に父の病院に行った時

父はおもむろにこんなものを私に差し出しました。

 


 

 

 

延命治療を拒否します という声明文。

 

 

「自分の意識がなくなった時に 

 延命治療の判断をする負担を家族にかけないように

 回復の見込みがない状態で 

   延命治療の装置はとりつけないように

 それが自分に与えられた寿命だと信じて 

   自然死を希望します」


 

以前から母と2人で話していたそうで 

母も父同様に自然死を希望すると 

この時 初めて聞きました。





 

父が入院し 母と過ごした9日間は

 

親がどう死へ向かっていくか

子がどう死を迎え入れていくか

 

老いをどう生きるか 

どう見守るか

 

本気で感じた初めての時間でした。



 

つづく


 

老いを生きる(3)母の衰え 認知症

 

 


 

ジプシーカード 6 Death 死