こんにちは。
魂響書占 たまゆらしょせん 恵理子です。
両親の老いについて
また私が面した老いについて綴っています。
先週 実家に滞在中
母と一緒に 家から歩いて5分程の所にある
富士森公園へ紅葉見がてら散歩に行ったのね。
母は歩行器を使って。
最初はこの歩行器のブレーキと
車輪を固定するロックの仕方が混同して
なかなか覚えられなかった母だけど
さすがにもう慣れたみたい。
今までは 私が実家に行った時
1日は昭和記念公園など どこかへお出かけして
母お気に入りのカヘ(カフェ)に寄って来るのがおキマリで。
でも今回は
いつも母の家事をサポートしていた父の本来のお店の仕事が忙しく
それに母の身体の疲労もあって
近場の自然散策にしようってことになったの。
母は散歩中 しきりに
「せっかく恵理子が来てくれたのに
どこにも出かけられなくて悪いねぇ」
「せめてどこかに美味しいもの食べに行かないと!」
と言っていて。
えー 私
どこかに行きたい 食べに行きたい
なんて ひとっ言も言ってないし!
コレ全部 母の願望です。
父にも同じように
「恵理子が来たんだから」
「恵理子に悪いから」
と言って母は願望を述べていたらしく
私をダシに自分の望みを叶えようとしているのは見え見え。
父と私は裏でそう話して
母の思惑は百も承知で
とりあえず 母の言う通りにしておいています。
で この日も
「お出かけも外食も出来ないなら せめて
恵理子に美味しいおやつを食べさせないと!」
ということで 公園を散策して 母の希望通り
”私のための”おやつを買いに行きました。
母は本当は甘いものが大好きなんだけど
糖尿病なので 自分でも気をつけて
食べないようにしてるの。
少し前に母の血糖値が高い状態が続き
日課だったおやつを父も一緒にやめていたそう。
でも 私が実家に行ったことで
おやつが復活しちゃった。
本当は父も母もおやつの時間が楽しみなのね。
おやつの習慣はもう何十年も続いていたことだし
ほんのちょっと甘いものやおせんべいを口にするだけで
気持ちがホッと和むもの。
両親は食卓を囲む時が何より幸せそうだしね。
「食べられない」
となると欲求って増すみたい。
母は糖尿病になってからの方が
食に対して貪欲になり
最近は感情がそのまま出てしまっている。
健康な父は 特に何も制限はないのだけれど
こうしておやつを控えたり
肉も脂身の少ない鶏肉にしたり
食生活を母に合わせています。
父も母の上回った食欲を承知しているし
母の気持ちを逆なでてまで
「美味しいものを自分だけ食べようとは思わない」
って言っていてね。
でも 久しぶりに私が行くとそこが甘くなる。
”私のための”おやつを
「やっぱり美味しいねぇ(≧▽≦)」
って笑顔で食べている両親を見ていると
なんかもう 食べたいもの食べて
それでいいんじゃない!?
と思い 2人にもそう言ったの。
これは考え方だけど。
糖尿病だから と病院にかかれば
今 母が受けているような食事指導があって
たくさん薬を飲んで
出来るだけ長生きできるようにする。
それにはかなり色々な部分で制限がある。
だけど 美味しいものを食べて
笑って嬉しく楽しく過ごして
それで命が短くなる。
私はそれでもいいと思った。
極端にどっちかにするってことでもなくね。
今現在
母に合っていると思われる薬もあるし
信じている良いものはそのまま続ければいい。
美味しいものを
食べられないと我慢したり
食べちゃったと後悔するんじゃなく
「あぁ 美味しかったぁ」
と堂々と気分良く食べる。
気持ちの上で制限が少ない方がストレスがなく
母の場合もその方が結果的にいい方につながる
と私は信じているから。
現に私が滞在中
料理には豚肉を入れて おやつも毎日食べたけど
母の血糖はいい数値が出てたのね。
気持ちをどう持つかはとても大きいと思う。
何よりも 子供としてはいくつになったって
母親が笑っている方がいいもの。
『苦痛な顔で長生きする母より
笑顔でいるなら短命な母でもいい』
何をどう思うか
何を信じるか
何より本人が何を望むか
が1番だけど
嫌悪と歓喜の差がさらに激しくなっている母に対する
これは私の個人的な思いです。
父も私も
かなり母に合わせるようになった
と感じていたけれど
今回の滞在中 父も私もまだ
「自分基準」で母を見ているな
と思うことがありました。
父は
「(母の)携帯に電話しても出たことがない
聞こえてない」
と憤っていたのだけど
よくよく母の携帯の扱いを見ていたら
電話が鳴って
ガラケーをパカッと開けて
「もしもしー もしもしー」
って言ってたの。
受信ボタンを押してない…
それじゃ つながらないって
父にそのことを伝えたら
「まさか携帯の出方まで忘れてるなんて」
とたまげてた
父の当たり前はもう母の当たり前じゃない。
1度言ったから覚えているだろう
ももう通用しない。
携帯を持つたびに
母に電話の出方を確認することが必要だね
って話しました。
私は 母が洗濯物をたたんでいたのに
「自分でたため」とばかりに
私のだけよけて放ってあったように感じて
それに憤って母にもそう伝えたの。
別にたたむのなんて大したことじゃないけれど
なんか嫌~な気分になったもんで。
「そうか… そう取ったんだね」
と母。
母の言い分としては
「洗濯物を広げておかないと
恵理子はわからないと思ったから」
って言っていた。
私だったら
洗濯物がたたんであっても
それが自分の物か人の物かどうかはわかる。
でも 母はちゃんと広げてないと
自分のかどうか もうわからないのね。
父の携帯の話も
私の洗濯物の話も
「自分の基準」で決めつけてしまうとダメ
もっと母のレベルに合わせての歩み寄りが必要
と深く感じ入った出来事です。
出来る人が
「出来ない人のことを基準」にして考えないとね。
父はずっと「自分のやり方が正しい!」と
母のやり方を正しい方に
引っ張り上げようとしてきたけれど
母の老いが進むにつれて
母に合わせ歩み寄らないとという
母の位置に自分が下がらざるをえない
状況になってきています。
母のやり方はどれもこれも
まったくもって理不尽で非効率極まりないので
父の憤りやふがいなさもよくわかる。
私も何度
母の非効率で人の好意を無碍にするやり方に対して
アッタマにキタことか
でも 父が下がる
というやり方になってきて
私も今回また改めて
母に歩み寄る必要を感じて
その方が自分の気持ちが緩むのを感じます。
44歳で別居してから4年と8カ月の間
私は実家によく行くようになり
両親とじっくり会う時間が増えたのだけど
それまでは「父のやり方(生き方)」で生きて来て
だんだん「母のやり方(生き方)」を取り入れている
感じがする。
理不尽で 非効率で
憤りも感じるけれど
それもアリかぁってね。
↑は母お得意の
「初対面でも誰とでもお友達になってしゃべれちゃう」技!
誰彼構わず 声をかけ 笑いかけ
その人の洋服や持ち物やワンちゃんを褒め
そこから
「私は孫が8人いてね~」と自分話へ持って行き
30分でも1時間でもしゃべれちゃう技!
いつも ちゃーんと話を聴いてくれる優しい人を
母は無意識で見極めて選んでいる。
でも 止めないと相手の方にご迷惑なので
大概家族の誰かが止めるのだけど
止めなければ 母は何時間でもしゃべり続けるだろうな。
この高いコミュ力は息子も下を巻くほどアッパレ
家族の誰もマネ出来ない。
出来ないことがどんどん増えている母だけど
この能力に衰えはないね。
さらにパワーアップしてる感じ
母は「人に寄る」のが確かに上手い。
母が教えてくれた「歩み寄り」は
母だけじゃなく どんな人にも大切なことかもしれないな。
大事にしようと思います。
つづく
Positive Relationships ポジティブな人間関係
人との関わり方 向こう側を理解する 慮る
あなたは何らかの人間関係で「問題がある」と
感じているかもしれませんが それはチャンス!
人との関わり方において
これまでと違ったやり方や思い方をすることで
良好な関係性に変わっていくでしょう
相手の目に見える表面的なことだけではなく
目に見えない背後にあるものを理解することが鍵です
現実的に知ることが出来なくても
慮ってみましょう