こんばんは。

魂響書占 たまゆらしょせん 恵理子です。

 

 

両親の老いについて 

また私が面した老いについて綴っています。

 

 

老いを生きる(1)両親の老い

 

老いを生きる(2)老いの容量

 

老いを生きる(3)母の衰え 認知症

 

老いを生きる(4)認知症の対応

 

老いを生きる(5)延命治療

 

老いを生きる(6)死への向かい方

 

老いを生きる(7)老いとの色々な関わり方

 

老いを生きる(8)そのまま認める

 

老いを生きる(9)死の話合い 末期がん

 

老いを生きる(10)凸凹で取れるバランス

 

老いを生きる(11)歩み寄り

 

 

 

現在77歳の母は 

糖尿病で毎回食前のインシュリンが欠かせません。

 

また 2年ほど前からは認知症の症状が出始め

少し前に1つ区分が上がって

「要支援2」になりました。

 

 

これは介護保険に関する要綱として表示されているもので

もちろん公的なもの。

 

 

でも私 母を見ていて母の認知症に

 

「?」

 

と感じることがあってね。

 

 

要綱を批判否定するのでもないし

詳しく勉強などしていないから

あくまで私的な見解だけど。

 

 

 

 

 

はっきり言うと

私は 母を認知症だとは思ってないの。

 

 

要綱でのチェック項目や

病院での先生とのやり取りを父に聞いたところからすると

母は確かに認知症認定になる。

 

そのチェックしていることって 主に生活面なのね。

 

日常 人がしていることで

出来ているか出来ていないかを判断するのだから

それはいたって当たり前の項目だと思う。

 

 

要綱では

食事 買物 金銭管理 着替え 排便・排尿

などと書いてある。

 

ただね これを母の

「やりたいこと」と

「出来ることならやりたくないこと」に分けると

評価が変わってくると思うの。

 

 

例えば食事。

 

 

「”食事”を作る=料理すること」は

母にとっては 

「出来ることならやりたくないこと」

 

 

いざ料理をしようとすると

 

「どうやるか忘れちゃった」

「〇〇ってなんだっけ?」

 

などと

料理法や野菜の名前も忘れることがある。

 

 

よく父に

「座ってるだけで食べたーい!」

と言っているそうで

だから私が実家に行くと 

自分は作らなくても料理が出てくるもんだから

 

「あー嬉しい!

 やっぱり2人で食べるより美味しいね爆  笑

 

などと無邪気にすごーく喜ぶ。

 

 

 

 

でもこれが

「美味しいお店に”食事”に行くこと」

という項目にすると

母の「やりたいこと」になる。

 

 

 

以前 両親が私の家に来た時に連れて行った所が

 

「あのラーメンが忘れられないドキドキ

「恵理子のうちに行ったらまた行きたいドキドキ

 

と母がすごく気に入ったラーメン屋さん。

 

 

もし行けなかったら

死んだ後に化けて出そうな勢いだったから

先日うちに来た時 2年ぶりに行ったのね。

 

 

そしたら

 

「もう少し行った左側よね」

 

と母はお店の場所をちゃんと覚えていた。

 

 

道がおぼろげだった父が

これにはびっくり!びっくり

 

 

 

先月は八王子の実家近くを散歩中にも

いつもは通らない道で

 

「ここをずーっとまっすぐ行って

 右に曲がって3軒目に

 〇〇やさん(母の好きな美味しいお店)があるよ」

 

なぁんて私にすらすら説明していて…

 

 

地図 頭に入ってるじゃん!びっくり

 

 

 

昭和記念公園に行った帰りにいつも寄る

立川駅近くのカヘ(母お気に入りのカフェ)は

自分から行こうと言うし 絶対に忘れない。

 

道も場所も ちゃーんと覚えている。

 

 

 

 

「忘れちゃった」 

「すっ飛んじゃった」

 

と母は良く言うけれど

それらの項目は母の

 

「出来ればやりたくないこと」

 

なの。

 

 

「やりたいこと」はちゃんとしっかり!

 

こうして覚えてる。

 

 

 

2年も経ってだよ?

 

実際の地図はそんなのわからないって言うのに?

 

あのお店は忘れない!?

 

 

そんな都合のいい認知症 ある???

 

 

 

もしも 要綱のチェック項目が

「美味しかったお気に入りのお店」ならば

母はたぶん パーフェクトで満点だと思う。

 

 

 

人は歳をとるにつれて子供に還って行く

 

と言うよね。

 

 

子供って やりたくないことは

泣きわめいたり 駄々をこねてやらなかったりと 

とにかく正直。

 

幼いということで 

それで受け容れられるし それで済む。

 

 

なんだかそう考えると

 

認知症は

大人が本当はやりたくないことを

世間的にやらなくて済む方法

 

なのかもしれないなって感じる。

 

 

キッチリ主義の父も

「認知症」診断が下った母を

「認知症ならば仕方がない」

としているんだもの。

 

 

 

そうでなければ

父はこれまでと同じように母に

 

「あーしろこーしろ!」

「そうするべきだ!」

 

とねばべき論を押しつけ続けただろうし。

 

 

 

人間て 特に大人は

常識的に 世間的に 一般的に従って

かなりのやりたくないことをしているのかもね。

 

 

だけど 本当は

自分のやりたいようにやりたいし

やりたくないことはしたくない。

 

 

「そんなのやるのが当たり前でしょ」

という常識になっているから

「やりたくない」なんて言うと角が立つし

 

だから身体が機能を衰えさせて

「やれない」症状になっている 

 

そんな気がする。

 

 

 

やりたくないことを

長いことずっとやってきたんだから

命の終末期にやりたいようにしたい表明

なんじゃないか。

 

 

母を見ていてそう思う。

 

 

 

母は「座ったまま食べたーい!」

とか口に出しているけれど 

そう言えない人にとっては 

身体が気持ちを表してくれる有効な症状とも言えるし。

 

 

今までに 父も私も頭にキタムキー

母の洗濯物の干し方なんかについても

効率的で疲れない方法を

父と私は何度も母に言ったけれど

 

結局 母は時間のかかって疲れる

自分のやり方を絶対に崩さなかった。

 

 

「忘れちゃうのよ」 

「すっ飛んじゃうのよ」

 

と言って

父や私が言うことを結局拒否してるのね。

 

 

非効率が大好きな母を

もう放っておくことにしたけれど

一緒にいる人たちからしても 

 

「認知症だから仕方がない」

 

は自分の心を落ち着かせる言葉になる。

 

 

 

認知症の本人

認知症患者を看ている人

どっちにとっても ちょうどいいんだろう。

 

 

 

でも これって

認知症に限らないことだとも思う。

 

 

人は自分の心が

 

「ああ そういうことなのか」

 

と納得出来れば落ち着く。

 

 

なにかしら理由づけが欲しいのね。

 

そうやって折り合いをつけて安心したい。

 

 

本当は理由もなく

赤ちゃんや幼い子供のように

 

「自分がやりたい」

 

と思うことをただやれたらいいのだろうけれど。

 

 

そしたらとってもシンプル。

 

 

 

『身体のサインは心の声』

 

 

 

私自身の体験からしてもそう思う。

 

 

言いたいことが言えなかった時

言いたいことが何なのかさえわからなかった時

 

私はずっと便秘だったの。

 

 

出せない 出ない

というめちゃわかりやすい身体からのサインだった。

 

最後の最後は声が出なくなった。

 

 

それが別居すると決めたら 声が出るようになり

1人になった途端 便秘も即解消。

 

 

「1人になりたい」

 

がその時のわたしの本心だったんだよね。

 

 

声が出ないという身体の状態が

私を1人にさせてくれた 助けてくれた

 

と今は思ってる。

 

 

 

「本当は料理作りたくない」

 

「美味しいお店に食べに行きたい」

 

「洗濯物はどんなに時間がかかっても自分のやり方で干したい」 etc.

 

 

『もう そうしたいの!そうさせてよ!!』

 

 

当たり前や常識の向こう側に

言いたいけれど言えない気持ちがある

 

身体が代わりに伝えようとしている

 

 

心と身体はそうなっていると思う。

 

 

 

 

とっても都合のいい母の認知症は

 

「本当のわたしの気持ちを【認】めて!【知】って!【症】」

 

 

 

そして 

 

うん もうそれでいいよ 

 

と思ってます。

 

 

 

 

つづく 

 

老いを生きる(13)みんないい人

 

 

 

 

 

(黄)アールヌーボーカード 12 鳥 

 

言えない思い   人に合わせる   本音を言う

 

憂鬱な気持ちになることがあるのでは?

 

言わないで我慢する 周りに合わせてしまうなど

自分の気持ちよりも他者を優先する傾向が

優しいあなたにはあるのでしょう

 

ですが もう心が満杯なことにも気づいていますね

体は正直 だからため息が出るのです 

 

体調にまで変化が出ているなら なおのこと

言えることから 言える人に

素直な本音や希望を少しずつ出してみましょう

 

心からの思いと言葉は 大丈夫 きっと伝わるから