こんばんは。

魂響書占 たまゆらしょせん 恵理子です。

 

 

両親の老いについて 

また私が面した老いについて綴っています。

 

 

老いを生きる(1)両親の老い

 

老いを生きる(2)老いの容量

 

老いを生きる(3)母の衰え 認知症

 

老いを生きる(4)認知症の対応

 

老いを生きる(5)延命治療

 

老いを生きる(6)死への向かい方

 

老いを生きる(7)老いとの色々な関わり方

 

老いを生きる(8)そのまま認める

 

老いを生きる(9)死の話合い 末期がん

 

老いを生きる(10)凸凹で取れるバランス

 

老いを生きる(11)歩み寄り

 

老いを生きる(12)私が思う認知症

 

老いを生きる(13)みんないい人

 

 

 

今日の記事も

強めのネガティブワードが出てきます。

 

読み進めにはどうぞご注意を。

 

 

 

 

 

 

年末年始 

私は八王子の実家で両親と過ごしました。

 

 

現在の両親の状況です。

 

 

父 … 

50年以上続けた注文紳士服店を廃業することにした

在庫の生地処分でセールス告知したところ注文殺到

仕事と母の病院通いや日常の対処で大忙し

 

母 … 

糖尿病 認知症 それに加えてつい最近帯状疱疹が出た

血糖値測定器の扱いがわからなくなり毎回父が付き添う

前月買物に出かけた先で帰り道がわからなくなりパトカーで帰還

     

 

 

年末 母は私が来ることを首を長くして待っていたようです。

 

それは私に家事を色々やってもらえるから。

 

 

ふうふう言いながら動き

食事が済むと「休まないとだめ~」と横になるのが

もう母の習慣になっていて 食べてはゴロン。

 

動かなければどんどん身体は衰えていく

と自分でも言っているのに

悪循環なのは明白です。

 

 

そのくせ

「もう立っていられない~ 布団入って寝るー」

とフラフラした足取りで寝室に向かう途中で

私と父がコーヒーを飲もうとしていたら

「なに? コーヒー入るの?」と。

 

結局一緒にコーヒー飲んでた。

 

しかも 立ち飲みしてたし!

 

おーい フラフラはどこ行った!?

 

 

こうして私が見ている限り 

母の体調は気持ち次第なのね。

 

 

 

家族内での母の気力をアップさせる合言葉は

 

「ばぁばの前にニンジンぶら下げろ!」です。

 

 

 

 

美味しいものを食べるとか飲むとかいう

ニンジンが目の前にあれば

あっという間に母はシャッキリするの。

 

 

その矛盾に母本人はまったく気づいておらず

 

「あぁ 美味しいね~(≧▽≦)音譜

 

とついさっきまでの不調はどこかへ吹っ飛んで

すっかり元気に喜んでいるというね。

 

 

でも この母の子供のような無邪気な変わりようは

救いでもあります。

 

 

本当に不調で身体が動けなくなって

ガックリ気落ちするような性格だったら

それこそ常に一緒にいる父の負担は相当なものになるから。

 

 

ただ

 

「まぁまぁ そう思っていれば 今の状態を保てれば」

 

としていた両親の状況でしたが

母の病院通いや治療については

どうもひっかかるものがあったのね。

 

 

超絶大忙しの父にとっては

とにかく仕事を進めたい所なのだけれど

母の病院には必ずついて行かなければならず

1回の病院につき半日は時間を取られてしまう。

 

 

糖尿病の診療の際は

血糖値を測定して記録したノートを

先生にみていただくそうなのだけど

毎回この血糖値を計ることが

両親のストレスになっているように見えたの。

 

母にとっては

「出来ない わからない」憤りの時間で

父にとっても 母のやり方を見ては

「あーまたやり方違ってる!」

とイライラする時間でね。

 

 

糖尿病と認知症と

そして今は帯状疱疹の薬もあって

飲み薬と塗り薬の管理は すでに母では無理。

 

父が全部管理しているのだけれど

すぐに横になったり休みたくなる母なので

飲み忘れや塗り忘れもしょっちゅう。

 

で またその状況にイラつく 父。

 

リピート再生を見ているかのように

毎度セリフまで同じこの場面を

父と母は毎日繰り返してました。

 

 

認知症の薬の中には貼り薬があって

私も母の背中に貼ったことがあるのだけれど

注意書きを読んでギョッとしたのね。

 

かなり強い薬のようで 

「これ 副作用の方が強くないか!?」って。

 

実際 母の背中は

毎日貼るその薬でかぶれて赤くなっていたし。

 

この薬 どうなの?と疑問が湧いた。

 

 

病院に行って 

先生に診てもらって 

薬を飲んで塗って貼って

 

ってそれは 

出来るだけ長く生きたいから 

治したいからでしょ?

 

 

だけど 母の口から良く出るセリフは

 

「もう あの世に早くポックリ逝きたいのー」

 

 

ってそれ 矛盾してるよね?

 

生きようとしてないなら 

なんで病院行ってるの?

 

 

父はあまりの理不尽さに

毎度大きなため息をついているけれど

 

クールな娘の私は最近バッサリ 

こう言い放っています。

 

 

「とっとと死んでいいよ」って。

 

だって それが望みなんでしょ?

 

 

常識的に考えてみれば

病気で身体が不調なら 病院に行くのが普通。

 

だけど それは 

元気になりたい人 生きたい人 

という前提です。

 

 

本人の母が望んでいないのに

父や私や他の家族や

病院の先生や体操教室のスタッフさんが

いくら「母を元気にさせよう 生きさせよう」としても 

それは出来ないよ。

 

 

元気になる 長く生きる

 

その方法ややり方を提示することは

他の人でも出来るけれど

 

やるかやらないかは母次第で 

誰も代わりにすることは出来ない。

 

 

以前は「両親には長生きして欲しい」

と思っていたけれど 

今は私 そうは思いません。

 

「母らしく 生きて欲しい」

と思ってます。

 

 

どんどん子供に還り 

現在「美味しいものをたくさん食べたい!」

とほぼ食欲で毎日を生きている母にとって

糖尿病の対処(甘い物やカロリーの高い物は控える)があるから

元々それらが大好物の母は食に関するストレスがとっても大きいのね。

 

 

診療を受ければ 血糖値を下げるために

「カロリーの高いものは控えて」

「おやつは食べない方がよいでしょう」

などという先生のアドバイスを受ける。

 

病院は延命するための施設だもの

それは当然の対処だと私も思います。

 

 

でも その延命のための対策が

何より母のストレスの元になっているように見える。

 

帯状疱疹はストレスが原因とのことだけど

母の場合は「食べられない」ストレスで出たのではないか

と父と私は見ています。

 

それ以外 母のストレス 考えられないし!!

 

 

 

それに今までの母の状態を見ていて思うのだけど

 

丸2日インシュリンを打たず

血糖値の数値が振り切れていた時でさえ

「あ~花火が私を応援してくれてる~」

なんて余裕だった母

そうやすやすとは死なないと思う。

 

最近では警察まで動かすようになったしね。

 

 

「母はどんなことがあっても守られる」

 

これも家族内で確信してることで。

 

 

母の生命力は 

通常の医療認識や一般常識をはるかに越えている

 

と私は思っています。

 

食べたいものをこの世で全部食べるまで 

母は死なないでしょう。

 

 

78歳の母が治療して 美味しいものを我慢して

長生きできたとしても何十年も生きられるわけではなく

長い目でみたら効果はそんなに大きくないと思う。

 

食べられないストレスの方が断然大きい。

 

 

それなら たとえ寿命が少し短くなるとしても

美味しいものを存分に食べる生き方を選んでいいと思うよ。

 

母の早くポックリ逝きたい望みにも

その方が合っていると思う。

 

 

「美味しい~(≧▽≦)音譜

 

って笑顔で喜んで食べる母を見ている方が

 

ストレスで険しい顔して長生きする母と

イライラしながらその母の世話をする父を見るより

 

私は嬉しい。

 

 

これも私の勝手な考えですけどね。

 

 

ただ痛みは薬に頼っていいと思う。

 

他にも母がこの薬はいいと思うなら

それももちろん使って 楽になればいい。

 

 

 

病院に行くか行かないか 

治療するかしないか

という二択ではなく

 

自分がどう生きたいかを自分で選んで

必要なものを取り入れればいいんじゃない?

 

上記を全部伝えた上で 

私は両親にそう言ってます。

 

 

「うん 美味しいものいっぱい食べて 

   とっとと死んでいいよ~」

 

ってね。

 

 

今や母もこう返してきます。

 

「お父さんに迷惑かけるようになったら最後だから!

  もしそうなった時は恵理子が言うように

  とっとと死ぬからねー」

 

 

この期に及んで 父には一切迷惑かけてないと!?

 

そう言い切れる母はやっぱり最強だわ。

 

 

 

母のことがあって考えたことだけれど

 

「どう生きたいか?」は

誕生と同時に死がセットになっている誰もにとって

老いを生きることであり 

大切なことなんだろうな

 

と思います。

 

 

 

 

つづく

 

 

老いを生きる(15) 父の変化

 

 

 

 
 

ご縁 決断 心を開く

 

迷っている時はまず落ち着いて

冷静な判断をするようにしましょう

 

人間関係がテーマの方は好き嫌いなど

感情的な部分で大切なことがあります

 

好きか嫌いかでバッサリ切ってしまわず

向こう側にある背景や事情に

もう一歩踏み込んでみると 

今までわからなかったことに気づき

理解することが出来るでしょう

 

物でも 人でも 出来事でも このめぐり合わせは

あなたに大切なことを伝えようとしています

 

心を開いて 人と関わり

今あるご縁から 本来の自分を知り 

あなたらしい選択決断が出来ますように