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40代後半になり、着物に目覚め独学で習得中です。
高齢出産だったので、まだ小学生と幼稚園の男児が2人います。
最近のブログは、育児や日常のことを絵日記にしています。
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家族紹介
我が家は、ウニ子(私)アラフィフ専業主婦
ツバス(長男)小学3年生 発達障害 難聴
シラス(次男)幼稚園年長 発達遅れ
サケヲ(旦那)アラフィフ会社員
の4人家族です
おはようございます
前回に、子ども達が体調を崩しているとお伝えしましたが、あの後2人とも38度以上の発熱❗️
シラスは40度近くまで上がって、解熱剤を飲んでもさほど下がらず…
また、慌てて病院に連れて行ったらインフルエンザでした
貰った薬を使用したら、熱は下がったのですが、ツバスは咳が酷く、またしても39度近くの発熱が
今日は、私も熱っぽいし嫌な予感…
しばらくは、更新が遅れ気味になります
ここから本題です。
私には、育児に対するこだわりがありました。
それは、私の幼少期における母との関係性からでした。
これからのツバスとの関わりをお伝えする前に、育児に大きく影響した、私の幼少期の話を綴って行きます。
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母からの愛情を感じることが出来なくなってからの話です。
母を喜ばせたい
私は、母に嫌われていると思い、喜んで貰えたらきっと自分を見てもらえると考えていました。
小学生になると、当時は校内作品展があり、図工が得意だった私の作品は、たびたび表彰されました。
入賞した作品は、会議室(広めの教室)に飾られ、校内の児童だけでなく、保護者も見に来れるようになっていました。
最初は、母も喜んでくれたのですが、作品展のたびに選ばれていると、感動も薄れるのか、それとも誰かに何かを言われたのか分かりませんが、こんなことを告げられました。
せっかく表彰されたのに、嫌な顔をされるようになりました。
何が恥ずかしいのか分からず、尋ねたのですが答えてくれませんでした。
どれでしょう⁉️(私の推測)
当時は④だと、思っていました。
正解は…未だに不明です。
でも、何となく①と③かな?と考えています。
なぜなら、母は人の言ったことをすべて悪いように捉える人でした。
おそらく②と④の言葉も、嫌味や悪意があると捉えると思います。
だからか、私のすべてを常に否定して、褒めると言うことがほとんどありませんでした。
母は他人の目を異常なぐらい気にする人だったので、どんな理由であれ、目立つことが気に入らなかったのだと思います。
幼い頃の私は自己肯定感がかなり低く、常に人の顔色を伺う子どもでした。
ただ、友達や先生がいつも賞賛してくれたので、自分に自信を取り戻しました。
その後は、母に褒められるためでなく、自己達成感を感じるために、入賞を目指して作品を仕上げていました。
いつしか貰った賞状は、こっそりと部屋の片隅に置き、母には何も告げなくなったのです。
誰かに聞いたのか、母から話題を振られることもありましたが、以前の母の反応を思うと、何て返答するべきか小学生の私には分かりませんでした。
母は、急に怒り出すことが多々あった(何が地雷か分からない)ので、次第に私は母とは距離を置くようになりました。
それでも、母に喜んで欲しくて努力して来たつもりですが、分かり合えることがないまま、数年前に母はこの世を去りました。
私の子どもとの関わり
私は自分が子どもの頃、母にして欲しかったことを子育てに反映するようになりました。
小さなうちから出来る限り褒めてあげ、一緒に喜び合いました。
子どもは、いつか親から離れるものと思い、幼い頃の思い出作りに必死でした。
我が子には、自分の辛かった過去を繰り返さないように。
幸せになって欲しい。
ただそれだけを願っていました。
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シラスってこんな子です!