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40代後半になり、着物に目覚め独学で習得中です。 

高齢出産だったので、まだ小学生と幼稚園の男児が2人います。

最近のブログは、育児や日常のことを絵日記にしています。

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家族紹介

我が家は、

ネザーランド・ドワーフウニ子(私)アラフィフ専業主婦
ニコツバス(長男)小学3年生 発達障害 難聴
キラキラシラス(次男)幼稚園年長 発達遅れ
うお座サケヲ(旦那)アラフィフ会社員

の4人家族ですルンルン

 

 

こんにちは。




ツバスが急に体調不良を訴えて、昨日の療育会議が中止になりました。




そして、昨晩からシラスも頭が痛いと言い出し、症状が改善しない様子なので、病院に連れて行きました。




ツバスは、風邪だろうと言うことで一安心。




シラスは風邪からの副鼻腔炎で頭痛がするのでは?と言う診断でした。




子ども達は、しばらく自宅療養になりそうです。





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ここから本題です。




私には、育児に対するこだわりがありました。




それは、私の幼少期における母との関係性からでした。




これからのツバスとの関わりをお伝えする前に、育児に大きく影響した、私の幼少期の話を綴って行きます。



前回





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前回の母の出産後からの続きです。




 私の幼少期の辛い記憶




私は一人っ子期間が退屈で、兄弟が出来たことがうれしく、毎日小さな弟を眺めて過ごしていました。




元々、母は構ってくれる人でなかったので、赤ちゃん返りは特になかったと思います。




それでも、幼児の頃は母と遊んで欲しくて、母の周りをちょろちょろとしていました。







結局、幼児期に母が構ってくれることがなく、遊び相手が欲しかった私は、弟が歩き出す頃には、弟と関わることに夢中になって行きました。




私の心の中では、どちらがより弟の関心を引けるか、母と常に争うようになりました。




当たり前ですが、小さな弟は母を慕っていて、いくら私と楽しそうに過ごしても、最後は母のところに行ってしまいました。




母も甘えてくる弟が可愛いかったのでしょう。




いつも、2人でべったりとしていました。




私は、母に話しかけるだけで、理由なく怒られたことが多々あり、無邪気に関わることが、苦手になりました。




母に甘えたりお願いして迷惑をかけてはいけないと常に我慢していましたが、とても寂しく孤独でした。




何となく、自分は母親に、




愛されていない、



大切にされていない




と思い始めるのでした。




そして、母に寄って行かない私は、ずっと相手にされず、放っておかれました。


 



 私の子どもとの関わり



自分の幼少期の経験から、子どもが出来たらいっぱい遊んであげようと、思っていました。




ツバスのことは、一歩引いた感じで関わりながらも、なるべく一緒に遊んであげました。




ツバスからは返事がなかったけど(発語はある)、たくさん話しかけました。




いつか、発達が追いつくかもしれないと、淡い期待を込めていたのです。




しかし、ほとんど成長が見られないツバスを直視するのが辛くなり、比較的定型通りの発達をするシラスに、気持ちが傾いて行くのでした。








シラスってこんな子です!