Bさん:分析。 | マイノリティのお話

マイノリティのお話

ずっと人前で自分を出せない、自分でいてはいけないのだと思ってました。カウンセリングを受けたら、育った環境に原因がある事がわかりました。

私以外全員ASDだった。

ASDについて勉強したら、今まで見えてなかった事が見え始めた、そんなブログです。

Bさんに、分析するなって言われたけど、分析好きだから、分析しちゃう・・・。

 

 

 

前置きすると、Bさんが私の住んでる拠点にくる予定が出来ても、私が今回は日本にいるし。会う機会が少なすぎて、この先、どうにかなる可能性は薄すぎるけれど。でも、やっぱり、一番最初に感じた「この人とは何となく通じ合える気がする」と思ったあの感じは、あながち嘘でもなかったな・・・というのが嬉しい、というのが素直な感想。

 

最初にBさんが距離を詰めすぎて私が引き、次に私が詰めすぎてBさんが引き・・・たぶん、二人ともAvoidant傾向が強いのだと思う。

 

理由は全く違えど、家族とは違う文化背景の国で育って、海外で勉強し、大手グローバル企業で似たような国に住んできたという流れは共通している。しかも、私が前住んでいた国にBさんも住んでいたそうで。そういう共通項もある。しかも、ビジネス関連のオンラインマガジンをいくつか購読しているのだけれど、それも共通。確かに、こういうのを購読している人はいるけれど、私の周囲を見渡しても、それほどいない。しかも、その中で二人とも注目する記事がほぼ一緒というのも、珍しい。私の社内では、私と読む記事がかぶっているのはアビぐらいなのだ。それを考えると、やはり、マッチングアプリみたいなもので、こういう人と出会えるのは、珍しいのだな、と思う。

 

あと、最初の頃に話していた時に思ったのは「私と同じ思考の飛ばし方をする人」であった。何かの会話をしている時に、「あ、これそういう説がどっかにあったな、なんの法則やっけ・・・?」と、お互いにググって、別の記事だったけれど、同じものをググってる亊があった。二人ほぼ同時に、WhatsAppに「こういう亊やん?」とお互いの記事のリンクを出し合う感じも、「に、似ている・・・」と思った(遠い)記憶がある。

 

ただ、私の中では一度完全に消えた人であった。

 

 

先日、私が気に入って聞いているPodcast姉さんが言うていた。

 

「わかるよ?わかるよ。私はADHDがあるからね。ADHDあるとね、忘れちゃうもの。連絡がなかったら、相手の亊忘れちゃうのよ。自分がほかの亊に集中すると、相手の亊は完全に忘れちゃうの。相手に執着ないの。だから、相手を大事に思えば思うほど、相手とつながりたいと思うほど、意識的に、『忘れたくない』が優先順位になるのよね。だから、相手と連絡を取りたくなっちゃう。毎日でも、連絡を取っていて、自分の脳が忘れないようにしたいのよ。でも、これADHDのせいだから。自分のADHDという特性のせいだから。それを相手に押し付けてはだめ。相手がそれでいいなら、いいけれど。自分のADHD事情で、相手を振り回してはダメ!」

 

 

・・・ADHD脳・・・恐るべし。まさに、私はその感じ。連絡を取らないと、忘れちゃうのだ。まるで、その人が全然大事ではなかったかのように、忘れてしまうのだ。そして、私が忘れてほしくない人ほど、私が覚えていたいし、覚えていてほしいから、頻繁に連絡をしてしまう。

 

もう、その通りすぎてわかる・・・。昔の彼氏、ティムくん。彼はマメな人で、毎日連絡をくれる人であった。私は、ティムくんを好きだったけれど、でも、よく考えたら、最初の方に「アレ?この人・・・何かおかしい」と思える違和感があり、「忘れたくない!」と思うほど好きだったわけではないような気がする。だから、この人から毎日来る連絡を、「やや鬱陶しい」と思っていた。

 

香港ディズニーの彼は、遠距離になってから、私は頻繁に連絡を取るようになった。あの頃は「遠距離恋愛ってこういうもの」と思っていたけれど。今考えると、私自身が忘れるのが怖かったのかな、と思う。

 

マッチョくんは、二人とも好き度合いが同じぐらいで。私も大好きだったので、頻繁に連絡を取っていた。お互いに出張が多かったので、遠距離な亊も多かったので、やっぱり、私が忘れたくなかったのかもしれない。

 

この3人、連絡を取らなくなると・・・私の脳内でどうなるか・・・。顔も、声も、ぼやーっとするのだ。

 

恐ろしい話だけれど。1か月ほど前に深い仲になった、パイロット氏・・・。パイロット氏がマッチングアプリのプロフィールに使っていた写真は思い出せるけれど、生身の本人の顔も声も、もはやぼんやり・・・。

 

普通、そんな亊ないやんな・・・?付き合ってる最中でも、そうやった。しばらく連絡を取らないと、相手の存在そのものが薄れるのだ。想い出は残る。いい亊も、悪い亊も。その時の雰囲気というか、空気感というか。そして、その時の言葉とか、そういうものは残る。でも、相手の顔も、声も、ぼやーっとして来てしまう。脳内で思い浮かばなくなる。私って薄情な人間なんやな・・・と思っているのだけれど、これがADHD関係あるとしたら、ちょっとほっとする・・・。

 

そんなわけで、Bさんは、時間経過とともに、思い出は残っているけれど。話した言葉や内容は覚えているけれど。本人の顔や、声や、姿は、もはや夢だったんではないかな・・・レベルの記憶しかなくなっているのだ。何なら、話した内容も、ブログ記事を読み返せば、その時思った亊や、改めて思う亊もあり、思い出せるのだけれど。でも、やっぱり、普段の日常生活で思い出す亊は、まぁ、ほぼゼロ・・・。

 

『Bさんねー、マッチングアプリの初期中の初期の人。なんか気が合ったような、合わなかったような。私の脳内がてんやわんやだったな。』ぐらいの、フェードアウトっぷり・・・。

 

3か月近くたって、Bさんから突然。

 

Bさん: I was having an imaginary trip in my head. And you were standing right in front of me. (ちょっと脳内トリップ・妄想してたら、君が目の前に立ってたんだ)

 

と、連絡が来たのだけれど。正直、Bさんの連絡先も、写真も、マッチングアプリのプロフィールも、全削除していた私からすると、Bさんの姿が私の脳内に現れる事は全くない状態であった。Bさんとの出来事を自己分析のために思い出す亊はあっても、Bさん自体を思い出す亊は皆無・・・。この辺に、Bさんと私の脳の仕組みの違いを感じる。単純な話、圧倒的に、Bさんの方が記憶力が良い(笑)。

 

Bさん: 君はどこまで自分勝手なんだ。まぁ、いいよ。僕がまた君の街に行った時に、どうなるか様子見しよう。君のフラットで、手料理を作ってくれるって言った亊、思い出しておいてくれ。

 

これ聞いた時、「え?そんな亊言ったかな。脳内お花畑だったのかな、私」と思った(笑)。実際、多分、そうだったのだろうし、言ったとしても、社交辞令に数パーセントの恋愛度を足しただけぐらいの気分で言った亊だったと思う。そんな亊を覚えているBさんに驚いたし、真に受けている亊にもびっくりした。そして、これだけ私がBさんの思う通りになってないのに、まだ会おうとする、執着にも驚いた。こういう特徴、ぜーんぶ、私にはないものだし。

 

 

私: いや、それはもうないから。会う亊はないから。私たちは考え方が違いすぎるし、お互いのニーズも違いすぎる。私たちが合わない亊は、もう私は受け入れた。だから、もう会わないでいいよ。

Bさん: 本当に自分勝手だな!自分で言った亊を忘れたのか?!

 

 

とっくに忘れとったわ!!

 

 

とは、さすがによう言わんかったけれど。やっぱり、自分の記憶の薄れ方と、人への執着の無さにびっくりしたのであった。そして、それと同時に、私とは真逆で、私が社交辞令を含めた脳内お花畑発言をした内容を真に受けて、かつ、数か月たっても、あの時と同じ熱量で、私とまだ繋がっていると思う、Bさんの考え方(脳の特性)にも驚いた。

 

私とBさんの中間を取って、例えば、数か月たってから相手にふと連絡してきたとしても。「あの時、僕に手料理を作るって言ったじゃないか!」なんて、多分、普通の人は言わないと思う。「ハロー、元気にしてる?」ぐらいから始めるだろうし、私が「いや、会わないし」と言った時点で「あ、そう」と、やりとりは終わると思う。

 

これ・・・時間経過を感じさせず、ぬるっと連絡してくる感じや、私の話を全然聞いてないのを丸出しで自分の脳内の主張をぶつけてくる感じ、そして、普通忘れてるよね・・・みたいな亊を持ち出したり、執着したりする感じ・・・。全部、普通の人なら「やだー、きも!怖いし!」で、速攻で逃げ去る案件なんじゃないかな・・・と思う(笑)。

 

この感じを、私が「ああ、こういうタイプね」と受け止められるのは、やっぱり、我が家の家族に慣らされてるからだろうと思われる。そして、この感じは、やっぱり、私の脳タイプの逆を行く、ASD寄りタイプなのだな・・・と思うのだ。

 

 

そして、本来であれば「ちゃんとコミュニケーションできる人やないと、友達だろうが、恋人だろうが、もう無理!こじらせた人は、家族と上司・同僚で、手一杯!」なので、スルーするところなのだけれど・・・。

 

 

Bさん、ホンマに、前にぬこさんが分析してコメントしてくださった通りだと思うのだ。この人、かなりのASD寄りだと思うのだけれど。ぬこさんのおっしゃる、「努力できるASD寄り」だと、思うのだ。

 

言い合いになると、その場で相手を言い負かす・相手に勝つ亊に集中してしまい、えげつない亊を言うし、そこで言った亊を覚えていないぐらいなのだけれど。私が、きちんと論理立てて説明すると、しばらく時間はかかるけれど、かみ砕いて、理解して、そして、ちゃんと行動に移すタイプ。

 

つまり・・・たぶん、かなりのASD寄りではあるけれど、こじらせ度は、私の周囲の人たちよりは低め・・・?

 

 

昨日の記事にも書いたけれど。明らかに、私への接し方が変わった気がする。

 

私が「無視される」亊への嫌悪感をWhatsAppのメッセージで訴えてから、明らかに「無視(既読・未読スルー)」が無くなった。時々、どういう亊よ・・・という、スタンプ一つで返してくる亊はあるけれど。「とりあえず、何かを、返す」という努力が見える気がする。そもそも、実際に会った時に、私といる間はスマホをほぼ一切見ない人であった。私のように、ちょこちょこスマホを確認して、必要があればその場で即対応というのとは真逆。基本がモノタスクの人で、意識をしてマルチタスクをこなす人のように思えた。私のように、そもそもがマルチタスク(切り替えが早いモノタスク)の脳とは逆の人に思えた。だから、そういう人がスタンプ一つでも返す・・・というのは、割と、目に見える努力な気がするのだ。

 

 

あと、前は、Bさんが言いたい亊を一方的に言い、私が、Bさんの話の熱量やリズムに合わせないといけないようなコミュニケーションだったのだけれど。私が、Bさんに合わせるのを止めて、スローなテンポで、私の会話ペースにしてみたところ、Bさんが私の会話ペースに合わせるようになった気がする。

 

例えば、前なら、どこかのビジネス系の記事のリンクを何の前置きもなしに私に送ってきて、私が「こういう亊かな?」と推測した返しをする。そして、私の返信をBさんは既読スルー・・・という感じ。

 

それが、最近はBさんのそんな急な記事リンクは相変わらずだけれど。

 

Bさん: (記事のリンク。)

私: Why are you sharing this? (なんでこれをシェアしてるの?)

Bさん: いや、ランダムなんだけど。なかなか興味深い記事だったから。

私: 私とシェアしようって思ったの?

Bさん: そう。前にこんな話をしたから。

私: ああ、なるほど。あの時やな。思い出したわ。あとでちゃんと読んでみるわ。

 

私: 記事読んだ。なるほど。最近のトレンドって、そうなんやな。HBRで読んだ記事とリンクするやんな。勉強になったわ、ありがとう。

Bさん: どういたしまして。

 

・・・とか。ちゃんと、全部に返信が来るのが、まず、今までにはない亊。

 

Bさん: (私の街のレストランのリンク)

私: Hello, how are you? (こんにちは、ご機嫌いかが?)

Bさん: Hi, I am good. Busy working, now between meetings. (やあ、いいよ。仕事が忙しい。ミーティングの合間なんだ)

私: そう。良かった。

Bさん: And you? (君は?)

私: 私も元気です。聞いてくれて、ありがとう。

Bさん: どういたしまして。

私: ところで、最初に送ってくれたリンクは、どうして?

Bさん: 友達がそのレストランがいいと紹介してくれたんだ。だから、シェア。

私: そう。Bookmarkしておくね。ありがとう。

Bさん: どういたしまして。

 

 

こんな風に、地味に「会話」を意識したコミュニケーションをしていたところ・・・。最近は、向こうから「Hi, how are you?」と聞いてくるようになり、「Hey, just sharing with you (やあ、ちょっとシェアしたかったんだけど)」と前置きするようになった(笑)。地味にコツコツ、私が意識していたら、向こうも変わってきた。

 

さらにさらに。最初に「この部分はちょっと苦手だなぁ」と思っていた傲慢さが最近消えた気がする。最初の頃の記事には「一人っ子・Bさん」と頭に付けていたけれど。これは、本人曰く「一人っ子故」の強引さ、わがままさ、自分を押し通す感じがあったのだけれど。それが、最近は見られない。正直、上からものを言う感じが、人を見下した感じの物言いをするおかんと通ずるところがあって、ちょっと嫌やなぁと思っていた。

 

私はとくには意識はしていなかったのだけれど、多分、私が自分で「嫌やなぁ」と思っていたからだろうか。私から、Bさんに話す時には、ことさら丁寧な言葉遣いをしていたように思う。

 

Could you please (どうぞ~していただけますか)とか。Would you mind ~ (~していただけないでしょうか)とか。返事をするときには、Yes, thank you (はい、ありがとうございます)とか。could とか would とか、英語では丁寧な言い回しに当たる言い方をしていて、hey とか thanks とかのカジュアルな言い回しを、無意識だけれど、使ってなかった。

 

それをしていたら、Bさんも、全体的に柔らかい言い回しに変わった。命令形ではなく、「してごらん」「してみてはどうかな」という言い回しや、「~だ」という断定的な言い回しではなく「~かも」「~という亊もある」という言い回しに。

 

特に、Bさんの傾向がASD寄りかなと思い始めてからは、私は、意見を述べる時には、 my personal view (私の個人的な視点からすると)とか、from my perspective (私から見ると)とか、あくまでも、私の視点からである亊を述べたり。I understand what you are saying (あなたの言ってる亊はわかる)とか、I accept your view point (あなたの視点は受け入れる)とか、いったんBさんの意見を受け止めてから、その上で「私の視点からだと」と視点をクリアにしてから私の意見を述べるようにしていたら。いつの間にか、Bさんも「In my view(僕から見ると)」と足すようになった。

 

私のコミュニケーションの仕方の意図をすぐに理解して、それを自分のコミュニケーションに取り入れるという素早さは、私でもちょっと真似できないぐらいで、ホンマに「おお!」とびっくりした。ここ2週間ぐらいのやり取りで、Bさんとのやり取りは、ホンマに心地よくなり、柔らかな、丸い印象になった思う。意識的に行わないと、言葉選びを変える事はできないと思うので、Bさんが自ら、意識して努力しているように思う。

 

マッチングアプリで出会った相手だとしても、相手から学び取ろうとする態度はすごいなぁと思う。そんなBさんの変化を感じるからこそ、私も、少し、自分を変えてみようかな、と思えるのだ。

 

例えば、今までであればイラッとする亊があれば「知らん人やし!もう、いらん!」と、マッチングアプリの相手を消去していたけれど。Bさんに対しては、Bさんが私に対してそうであったように、ちょっと時間をおいてみようかなと思えるようになったと思う。

 

 

 

 

正直、ASD寄りに対しては、無条件でアレルギーがある。我が家の3人だけで、もう手一杯やし。会社でも、必ず強烈なASD寄りに行き当たるので、やっぱり、苦手意識がある。

 

でも、Bさんみたいに「努力」する人は、それだけで尊敬に値すると思う。相手から学んで、相手に合わそうと努力する人に対しては、私もできる限り、歩み寄りたいな、と思う。私も相手の亊を理解して、合わせられるところは合わせようかなと思う。そういう意味で、Bさんの歩み寄りが、私はちょっと嬉しいし、出来れば、このまま親交を深められたらなぁと思っていたけれど。

 

 

タイミングは、合わへんねんなぁ。

 

 

Bさんの「Free flow & sponaneous (自然の流れに身を任せて、その場の直観で)」では、別の国に住んでいる私とBさんとでは、上手くタイミングは合わないのだと思う。やっぱり、私が得意な「Intentional & planned (意図的に、計画的に)」じゃないと、あかんなー。

 

非常に残念。

 

 

 

 

ちなみに、さっきのおかんとの会話。

 

おかん: あんたをX校に行かせたのは、成功だったってわけね!

私: ・・・X校を選んだのは、私やで?私が、自らあの学校選んだんやで?

おかん: 違う!私があんたをYやZ校には行かせないと決めてた。あんたをX校に行かせたのは、お母さんよ。

 

私: いや、なんか記憶が違ってるで。X、Y、Zの選択肢があって。その中で、わざわざ普通なら選ばないXを選んだのは、私。だから、おかんに、「行かせた」と言われるのは、嫌やわ。私の意志で決めた学校やから。
おかん: 親が、子供に「X校に行かせよう」って思ったのだから、あんたを活かせたのは私でしょう!

 

私: 最初と言うてる亊が違うよ。まるで、おかんの意志であって、私の意志ではないような言い方やったやん?違うで?先生たちが、XYZの選択肢があるよって言うて、私がXに決めたんやで?

おかん: 違うわよ!あんたになんか決める権利ないわよ!子供なんだから!親なんだから、親が子の行く学校決めるの当たり前じゃないの!

 

私: ・・・違うと思うよ?子が主体に決めるもんやで?そもそも、おかんの両親も、おかん主体にしてたやろ?おかんとおかんの先生が話し合って決めた進路に、両親が賛成して、サポートしてくれたわけやろ?おかんの両親は「お前をXX大学に行かせたのは、私たちだ!」なんて言うとは思えない。そんな傲慢な言い方絶対せぇへんと思う。

おかん: ・・・。

 

 

私とのアイデンティティの境界線があいまいすぎるおかんは、おかんにとって成功したと思える私の人生は、おかんが決めたものだと思っている。例えば、X校を選んだ亊が失敗に終わっていれば、多分それは、私が自分で決めた亊になり、おかんの言う亊を聞かなかったからとなっていたと思う。成功したら、「おかんの意志であんたは成功している」になる。

 

子は親のもの、という、この間違った概念。

 

私は、前は、こういうのは「古い人の考え」だと思っていたのだけれど。

 

今は、おかんと私とのアイデンティティの境界線があいまいな亊が理由やと思ってる。

 

だって、おかんの両親の世代ですら、「子は親の好きにしていい」なんて、絶対に思ってないから。

 

Bさんにも、私が苦手とするASD寄りの傾向は見えるし、なんならほんの少し、人に対する強引さ・傲慢さみたいなものも見えていたのだけれど。でも、やっぱり、おかんのこのねじ曲がった、こじらせたASD故の傲慢さとは違うな、と思う。

 

はー、実家、早く出たい。

 

私は、私。私の人生は、私の選択で成り立っている。私の成功は、私自身が勝ち取ったもの。

 

引きずられないようにしないと、精神やみそうになる。

 

はっ・・・Bさんの分析と関係ない終わりになってもーた。

 

Introvert と Extrovert

一人っ子Bさん

一人っ子Bさん ②

一人っ子Bさん ③

一人っ子Bさん ④ 消化エピソード

香港ディズニーランドの想い出

一人っ子Bさん ⑤ 最終回。【追記あり】

一人っ子Bさん ⑥ やっぱりか。

終わりと言っておいて、反省会。 

Anxious attachment vs Avoidant attachment style 

Emotionally unavailable or emotionally turned of  

傷つきたくない人。 

Bさんと、CEOさんの共通点、みっけ。

今までと違う:そして、あの人が再び?!③ 

今までと違う:そして、あの人が再び?!④ 

今までと違う:そして、あの人が再び?!⑤ 

Avoidant Attachment Style (回避型愛着スタイル)について考えてみる。 

一人っ子Bさん:私がキレちぎってみる。 

共感力選手権。 

消えた人と、実験体。 

実験結果。 

久々にイヴァンくんとお話、Bさん分析。 

Bさん:タイミング悪い。