終わりと言っておいて、反省会。 | マイノリティのお話

マイノリティのお話

ずっと人前で自分を出せない、自分でいてはいけないのだと思ってました。カウンセリングを受けたら、育った環境に原因がある事がわかりました。

私以外全員ASDだった。

ASDについて勉強したら、今まで見えてなかった事が見え始めた、そんなブログです。

アメブロの皆様。そっと静かに隠れながら書いてるブログです。アメトピに上げないでね。

 

 

いやー、もう。Bさんの話、ごめん。終わるというといて、まだ書きます。Bさん並みにしつこいけれど、ここに書いて、反省会して次回に活かしたい。

 

 

 

 

 

Bさん、思えば最初から距離感めっちゃ近い人であった。もう、ものすっごく距離感が近いねん。びっくりするほど、距離感が近いねん。会う前から「え?そんな話する?」というぐらい。で、例によって、私は距離感が近すぎて、ドン引き。

 

私: ・・・なんか、めっちゃ心地悪いんやけど。Nigerian Scammer (ナイジェリア系デート詐欺)のやり口みたい・・・。

Bさん: どうしてそんな言い方するの?僕は、本当に、君に親近感を感じているのに。

私: いや・・・なんか一方的に、そっちから私に質問たくさんして、自分の亊はあんまり話さへんやないですか・・・。なんかバランス取れてなくて、苦手です。

Bさん: わかった。 

 

と言って、Bさんはそこから自分の話をめっちゃしだした。でも、正直、まったく共感はできんかったし、どうなの・・・という内容。

 

Bさん: という亊で、僕の周りの人は、僕を信頼できる人だとみんな言うよ。

私: ・・・いや、私、あなたの周りの人知らんから、全然情報ソースの精査できへんけど・・・。

Bさん: 本当に疑り深いね。

私: ・・・当たり前です。こんなデートアプリですよ?そもそも、あなたが存在してるかすら、わからんし・・・。

Bさん: 本当に、どこまで疑り深いの。来週、そっちに行くから、そしたら会おう!

私: ・・・はーい・・・。

 

で、会ってお昼になるんだけれど。私は、普通に、知らん人と会ったぐらいの距離感なのだけれど、Bさんの距離感近い近い。実際に、物理的にも、距離感近くて。お昼ごはんを食べた場所に移動するまで、私はめっちゃ居心地悪い状態であった。で、お昼ご飯食べて、その後も2・3軒移動して、数時間以上たって、めちゃ話しまくって、ようやく私も距離感そこまで苦手ではなくなった。でも、そのころにはBさんの距離感はさらにめちゃくちゃ近くなり・・・。私は「ごめんけど、そろそろ帰るわ」と、割と早い時間に切り上げたのであった。

 

つまり、Bさんの物理的距離・心理的距離の方が、最初はめちゃくちゃ詰まっていたという亊。で、その上で、Bさんはいろんな話をしてくれたんやけど。まぁ、ここにすでに書いた話は「へぇ、すごい」とか「大変やなぁ」とか思う話で。でも、時折混ざってくる、なんじゃそりゃも、いくつかあった。

 

Bさん: 僕が学生の時に、なんかのイベントでビルゲイツが来ていて。目の前に居たんだ!だから、「握手してください!」って言ったら、「もちろんだよ、B」って僕の名前読んで握手してくれたんだよ?!?!

私: へー。

Bさん: ビルゲイツ誰か知ってるよね。

私: うん。あ、よかったね。

Bさん: ・・・。

私: あっ、ごめん・・・。アメリカ企業のトップの話は、割と、身近で。私のボスたちは、普通にあのあたりに住んでるから。家からのリモートミーティングでボスが急に明後日の方向向いて手を振るからなにかと思ったら「あ、マークザッカーバーグがセキュリティー連れてジョギングしてて、手を振られたから」って。ご近所さんだって。あと、イーロンマスクの行く意見交換会みたいなのとか・・・。普通に話に出てくるから、米系企業の成功者は結構身近な話で・・・。ごめん。もっと、驚いといたらよかったな・・・ごめん。

 

 

ちなみに、マークのご近所さんは、アビ。イーロンマスクも会員の意見交換会は、おじい本部長です。そっちですでに「ふわぁー、すげぇー」ってなってるので、ビルゲイツとか出てきて「古くない・・・?」と思ったです。

 

 

そして、お題が「旅」になった時。一番楽しかった、WOWと思った旅・・・で話した時。

 

Bさん: 僕が、トラベルエージェンシーに勤めていた時なんだけれど。ある億万長者の人の会社で、その社長が1年間の休暇を取って家族と旅行する亊にしたんだ。で、それをプロジェクトとして、いろいろ手配するという仕事で。で、その社長が、手配した僕たちへのお礼に、社長が行く旅行の一か所、どこでも10日間招待してくれるっていうのがあって。それで、プライベートジェットでモンゴル(あれ?チベットだったかも)に行くっていうのがあったんだ。普通の民間の飛行機は飛んでないんだよ、だから、プライベートジェットじゃないと行けない場所なんだよ。同僚たちと考えて、一番自分たちではいけない旅を選ぼうって思って、それにしたんだよ。

 

私: へー、その社長さん、めっちゃ気前ええなぁ。そして、お金さえあれば、割と結構どこへでも行けるねんなぁ、世界って。

 

これ、Bさんを喜ばす・・・という方向では、完全に間違えた回答してますね、私(笑)。で、代わりに私が話したのは・・・。

 

Bさん: 君は?

私: 一番印象深かったのは、一人旅したキューバかな。閉ざされた社会主義が開かれたばかりで、光を闇を見た感じ。社会主義って悪い亊ばかり取り上げられるけれど、そういう亊でもなくて。医療や教育がタダだし、生活水準も完全に自分の学歴や努力で決まるから、賢い人は知識も教養もすごい。でも、知識を広げたくない人があかんかというと、そうでもなくて。国から食料は支給されるから、ある一定の生活はできる。知識も教養もある人が、じゃあお金持ちかと言えば、そういう亊でもない。私が行ったころは、観光業が盛んになりつつあって、クラッシックカーのタクシードライバーは、なんとお医者さんだった。タクシードライバーの方がもうかるからって。私のツアーガイドをしてくれた20代の女の子は、一級建築士で。でも、大学を終えた後は、大学で勉強した年数分、政府に貢献しなければいけなくて。それが、月のお給料はたった3000円ほど。でも、私のツアーだと、1時間半で3000円。

 

Bさん:・・・それで?

私: すごく仲良くなって、「ごめん、本当に好奇心だけでこんな質問をするのは失礼なのだけれど。もし、嫌だったら言ってね」と前置きした上で、いろいろ教えてもらった。例えば、海外に行くには、持ち家があって、キューバから出ない亊を証明しなければいけない。さらに銀行の残高も見せなければいけない。もちろん、それを見せた上で、フロリダあたりに旅行と言って出て、戻ってこないキューバ人もたくさんいるわけなんだけれど。で、もちろん、キューバ国内で輸入して売られているものは国交回復している国からだけだから、限られていて。「じゃあ、海外に行って買ってくるなら、何を買う?」という質問に、20代前半の彼女は「バイク」を言った。理由は「税金を多く払っても、こちらで高く売れるから」。ブランドバッグを自分で使うために買って帰る世界中のマジョリティーの20代の女の子とはだいぶ違う答えで、少なからずショックを受けた。

 

私: あとは、やっぱり、社会主義ってある意味世界平和につながるんちゃうかなーと思った亊かな。

Bさん: どういう意味?

私: あの国って、白人も居れば、ヒスパニックも居れば、黒人も居て、肌の色がアジア系以外は全部いるのよね。でも、肌の色に全く関係なく、医療も、生活保障も、教育も、やりたい人・できる人には与えられる平等がある。そうすると、ほとんどの国の現状である、白人がマネジメントで、カラードが掃除やメイドみたいな下働きっていうのが無くなるんだね。公園を掃除している白人のおじいさん、ホテルのフロントマネージャーの黒人、クラブでめちゃくちゃ騒いでいる楽しそうな若者は肌の色がみんな違う。そういうのを見て、「あー、私も知らないうちに、肌の色での色眼鏡をかけていたな」とショックで。目が覚めた旅だったな。

 

Bさん: へーーー。

私: あと、ヘミングウェイの好んだ場所なのも、ちょっと素敵やったな。まぁ、その辺は観光名所になってて、ちょっとやめておいたけど。

Bさん: いつか、君といっしょに行ける? ←距離感近すぎて、はんぱねぇ。

私: ・・・ははは・・・。

 

 

こうやって振り返ると、Bさんの生身の話、難民としてヨーロッパに来た話、留置場に入った話とか、そういうので「へー!」というのもあったけど、割としょうもない「人のふんどしで相撲を取る」みたいなのも結構ありましたな・・・。人のふんどし話には、私はほとんど興味がなくて、「そうなんだー。へー。すごー」ぐらいの反応だったし、私の話は自分の身の丈にあった話ばっかりやったから、そのあたりも、Bさんにとっては新鮮やったのかもしれへんな。

 

そういえば歴代彼女の話で、えーどこやったかな・・・どっかの国の財閥の娘みたいなのとか、外交官の娘とか、そんなんばっかりやったけど。いや、その娘は何してはるのん・・・?みたいなのが多かったかも(笑)。

 

ここで反省会で書いていて、整理できたかも(笑)。

 

 

あー。Bさんが、何としても、私に言う亊聞かせようとして、繋ぎ止めようとしている感。あー、そうか。多分、私、彼の周囲にいる女性たちに比べたら、多分、めっちゃ異質なんやな。貧乏話してた時にも、そんなのがあった。

 

 

私: なんか、X国で仕事してた時にさー。仕事変えたら、ビザとかタックスとかの手続きがうまくいかへんで、なんか尋常でない金額のタックス取られて。いや、お給料の3割しか手元に残らんかってん。もともと若いころの給料やし、家賃払ったらもう全然何も残らんやん。食べるお金がなくて、シェアメイトが「もういらん」って捨てたパンの耳を「あっ、私耳が好き」ともらって、めっちゃ長い間かけて食べてた(笑)。あと、会社のパントリーにコーヒーとか飲むようにミルク入ってるんやけど。朝早く言って、冷蔵庫開けて、マグカップで牛乳2杯飲んでた。栄養つけるために(笑)。いやー、あの数か月、めっちゃ貧乏やったわ。

 

Bさん: でも、君、お父さんが海外勤務してる大手企業の人だったよね?そしたら、頼ればよかったんじゃないの?プライド?

 

私: あー、確かに、助けてって言ったらよかったのかもしれんけど。「自立しよう」と思って家を出てたから、そういう発想がなかったわ。まぁ、あそこで入院でもしてて借金したら、さすがに助けてって言うたかもしれへんけど。日々食べる分のお金ぐらいは、自分で節制したら何とかなったし。いや、めちゃくちゃカリカリに痩せてたけど(笑)。

 

 

多分、彼自身が難民として来ているから、貧乏生活はしてはるやろうけれど。成功してから出会った人たちは、お金持ちだったり、成功者だったりしてるから、私みたいに普通の人で、大貧乏をやった亊ある人はおらんのやろうと思う。

 

 

Bさん: 僕は難民だったんだ。

私: そうなんやー。私が育った場所も、難民多くて。学校のクラスも同級生も数人難民の子らがおったなー。あー、そういえば、Xの国の難民の女の子が、すでにピアスあけてて、めっちゃ憧れたわぁ(笑)。

Bさん: そうなんだ。難民という理由で、学校やクラスを分けたりはしなかったの?

私: 今はそうかもしれんけど、難民というより、外国人の子供は、言葉の問題があるから。でも、私が子供だった当時なんて、「え?言葉が話せない?何とかなるなる!ぶちこんでまえー!」という感じだったからね。実際に何とかなってたし。

 

Bさん: え?何とかなるの?

私:なるなる。 私だって、いきなり英語圏の現地の小学校に、まったく英語しゃべれなくてぶち込まれたけど、数か月後には普通にしゃべってたもん。周りの子も助けてくれたし。今の話ではないで。私が子供の頃やで。

Bさん: 難民の子たちとも遊んだ?

私: うん。少なくとも、私や私の周辺には「難民の子」というのは特に、何の違いもなかった。むしろ、なんかちょっと憧れやったで?ホラ、あのぐらいの子って、人とちょっとちがうのかっこいいやん?骨折してギブスつけてるのちょっとカッコ良かったりとか(笑)。

Bさん: あったあった!わかるわかる。なんかケガしてるの、ちょっとカッコよかった(爆笑)。

私: 少なくとも、私の周囲では、そのレベルやったで。その子のうちに遊びに行くと、見たこともない食べものいっぱい出てくるし、家族も大歓迎で迎えてくれるから、むしろ、放課後遊ぶの楽しかったで。

Bさん: そうなんだ。僕が育った環境とはだいぶ違うな。

私: でも、国が与える平等なサポートと未来への機会としては、ヨーロッパの方がちゃんとしているかも。上の学校へ行くためのサポートとか、生活サポートとか。

Bさん: なるほどねー。

 

Bさん: でも、やっぱり、君も両親に甘やかされて育ったんだろ?時計見せて?親にもらったロレックスとか?

私: ちゃうわ。自分で買った時計やわ。仕事で頑張りちぎって、成果出したら、希望の仕事をもらえる亊になった記念に自分に買った時計やで。

Bさん: ・・・。

 

 

 

今考えるとやけれど。私は、多分、Bさんの想定外のさらに斜め上を行く人やったんちゃうかな。私みたいな人は、私の周囲の同僚にはめちゃくちゃおるねん。オーラちゃんだって、ゲイで親にそれをわかってもらうのにとんでもない苦労してるし。エキゾチックちゃんは、ヒンズー教でベジタリアンだけれど、異教徒のクリスチャンの旦那と結婚してるし。みんなそれぞれのストーリーがあって、自分自身をきっちり生きてはる人ばかりやねんけど。

 

もしかしたらやけど。Bさん自身はそういう経験はあっても、Bさんの頑張りで引き寄せた栄光に魅せられて寄ってきた人は、案外、Bさんの外側だけしか見ない人ばっかりやったんかもな。だからこそ、自分が距離詰める傾向があるタイプの人だとしても、free flowでspontanious という亊で周りの人から距離を取って、心地よい場所に落ち着いてたんかも。

 

私と話をしているうちに、もしかしたら、Bさんは私と話をしてそれを自覚して、さらにその傷を私がえぐったから、あれだけいろいろ反応したのかもしれんな。

 

ごめんやで、Bさん。

 

あれだけ山ほどいろんな経験してる人だから、人の傷もわかるし、深く、やさしくできる人やと思うねん。でも、まだ、悟りは開いてはらへんねんなぁ。今思うと、「難民で貧乏で育った」部分は、Bさんは偉くサラッと語った。

 

Bさん: 貧乏だったけれど、愛情いっぱいに育てられたんだ。僕の周りには女性が3人居たんだ。母と、叔母二人。その3人に甘やかされて育ったのが、僕だよ(笑)。

 

サラッと言ったところにこそ、多分、Bさんの人生の本質がある気がする。自分が一番痛いところは、自分の心で整理がついてないと、人には話せないしね。

 

いつか、Bさんが、自分の一番痛いところを、オープンに話せる相手が友達でも、恋人でも、出来るといいね、と神様にお祈りしておきましょう。

 

 

あ。私の一番痛いところは、私の両親・家族のASD問題なので、そこは一切、話しませんでした(笑)。