傷つきたくない人。 | マイノリティのお話

マイノリティのお話

ずっと人前で自分を出せない、自分でいてはいけないのだと思ってました。カウンセリングを受けたら、育った環境に原因がある事がわかりました。

私以外全員ASDだった。

ASDについて勉強したら、今まで見えてなかった事が見え始めた、そんなブログです。

もう、Bさんの亊を書くのはいいかなぁ・・・と思っていたけど。こじらせ具合が結構な感じで、いろんな心理的な解説を読んでいくと「な~るほでぃ~」となるので、続けちゃう。

 

しかも、ぬこさんに興味あるとか言うてもらって、ちょっと図に乗ってます。

 

 

Bさんの生い立ちは、私たちのような普通の日本人にとっては衝撃だと思う。

 

私たちの年代であれば、覚えている人もいるかと思う。イランイラク戦争。多分、私が物心ついてから初めて理解した「戦争」だったと思う。でも、それは、私にとって、遠い国で行われている戦争で、もっと言えば、モノや人の名前が覚えられない私にとっては、イランもイラクも「似てる」・・・ぐらいの感じでしか受け止めていなかった。授業は新聞やニュースなどで読んで「そうなんだ」と世界情勢の知識としてもあるものの、その亊自体を深く考える年齢ではなかったように思う。

 

Bさんは、そのころ、ヨーロッパにたどり着いた難民である。難民となった経緯は全く聞いていないけれど、私たちが軽くどこだかに旅行とか、リロケーションとか、そんな亊とは全くかけ離れた意味での、国をまたいでの引っ越しだと思う。そもそも、自分の国から逃げないといけない自体なんて、考えられる?そして、逃げたとして、受け入れた国では生きていけるのか・・・考えただけで、胸も胃も眉間もぎゅーとなるぐらいの亊。

 

それを、Bさんは当時、3歳、母親と、母親とは10歳・15歳も歳が離れていて、3歳の自分に近いおば達二人とヨーロッパにやってきた。すごくぼろくて汚くて狭いアパートに押し込められて生活をした、と、Bさんは言った。

 

Bさん: 貧乏だったけど、楽しくないわけじゃなかったんだよ。母と母の妹たち、僕は、女性3人に甘やかされて育った一人っ子だよ。

 

すらすら出てきたこのフレーズ。実は、聞いている私はちょっと胸が痛かった。多分、何万回繰り返したフレーズなのだと思う。私もそうだけれど、本当に現実的に大変な亊は、人に話してもドン引きされるので、話せない。でも、事実は事実で話さなければいけないので、サラッと話せるフレーズを用意する。それを、何万回も使い倒す。Bさんの言い回しには、そんな感じが含まれていたと、私は勝手に思った。

 

私: じゃあ、おばさん二人が、大きい姉ちゃんなんだね。

 

と言いながら、お母さんすごいな・・・と思った。Bさんが3歳だとして、お母さんが20代後半、そのお母さんと10歳

15歳年の離れた・・・と言えば、お母さん一人で子供二人と赤子を連れて逃げてきた亊になる。そんなお母さんは、3歳児に全部の愛情を与えられたか・・・といえば、20代・30代だとしても、すごく難しいように思う。異国の地で、子供3人に大人一人・・・。愛情はたっぷりあったかもしれないけれど、それでも、「ごく普通の家庭」とはだいぶ違ったのではないかな、と思う。

 

Bさんはその後、どんどん勉強をして、奨学金を取りまくり、各国のトップ大学6つで勉強し、MBAも取って、コンサル系トップのMに就職する。そこでも、そうそうに頭角を現したのだと思う。スイス、上海、シンガポールに転勤させてもらっている。多分、実力もそうだけれど、努力も半端なかったと思う。奨学金で勉強する学生が、豪遊できるわけないから、アルバイトしながらの苦学生だったと思う。

 

そして、Bさんは大事な親友を事故で無くしている。ほんの数時間前に電話で話した親友の母親から、「Aが無くなったの。車の事故で。お葬式をするから、共通の友達には、あなたから伝えてもらえる?」とお願いされたのだそうだ。ちょっと前に電話で話した親友が、あっという間にこの世にいなくて、そして、それをほかの親友たちに伝えなくてはならない。

 

私: ・・・それは、すごくつらかったね。お母様から電話がかかってくるぐらいだから、一番仲が良かったんだよね。でも、それなのに、泣く暇もなく、共通の友達に事情を説明して回らなくちゃいけない・・・自分が泣ける状況ではなかったよね。

Bさん: ・・・でも、あの時は泣いたけどね。結局ね。でも、確実に、あれは僕の中で何かを変えたと思う。人ってこんなに急に居なくなるんだってわかった。

 

確かに、私も親友を無くしているので、人生観はだいぶ変わった。Bさんにも、その話をした。Bさんは、黙って聞いていた。こんなシンミリした話をした後にも、もう一つ衝撃的な話を聞いた。

 

 

Bさん: もう一人、親友が居て。それが、その車の事故で助かった方の親友なんだけど。彼は僕と真逆を行くやつで。僕は、勉強して、いい会社に入って、上昇志向もすごかったんだけど。彼は真逆で。彼も企業して、自分の会社を持っていたのだけれど、彼は人生は楽しめればいい・・・という感じのやつで、でも、すごく気は合ったんだ。

 

Bさん: だけど、ある時そいつから電話があって。「助けてくれ。会社が大変なんだ」って。事業がうまく行かなくなって、ものすごい借金を背負っていて。僕もどうにか立て直そうと一緒に頑張ったけれど、無理で。彼はもう、うつ状態でまったく仕事が出来ない状態で。僕は「もう無理だ。倒産させよう」と彼に言って、財務諸々の整理をしたんだ。結局、かなりの借金が残ったけれど、彼は鬱で働けなかったから、僕がその借金を返していく亊にしたんだ。

 

Bさん: 5年間かな。彼にアパートを借りて、彼の様子を見れるように医療サービスを入れて、彼に生活費を渡しながら、そして、借金を返し続けたんだ。彼がいつか立ち直ってくれると信じて。でもさ、だまされてたんだ。彼は、僕が渡した生活費を、全部ドラッグに使ってた。まったく気が付かなかったよ。僕が気が付いた時には、もう手遅れだった。彼は病院送りになり、僕は、借金を返したけれど、疎遠になった。

 

こんな壮絶な亊ある?数千万の借金を肩代わりして、全部返して、生活サポートして、ドラッグに逃げて、去ってしまった。

 

Bさん: 怒りまくったけどね。でも、もういいんだ。終わった亊だから。あ、これよりも軽い話ならまだあるね。僕が大学生の頃。そのころは僕は全然お金がなくてね。でも、知り合ったアフリカからの移民の青年と知り合ったんだ。僕ももとは難民だからね、彼の境遇に共鳴して。まぁ、時々出会って、一緒にご飯を食べるぐらいの感じだったんだ。

 

Bさん: ある時、その青年がやってきたんだ。「僕のお父さんが病気で死にそうなんだ。まとまったお金がいる」って。今思えば、たった2000ドルぐらいなんだけれどね。貧乏な学生だった僕にとっては大金で。母に相談したんだ。「ほぼ嘘だと思うんだけれど。でも、万が一本当だったとしたら、何もしなかった亊に一生悔やむだろう」って。そしたら、母は「じゃあ、出してあげなさい。でも、返ってくるとは思わないように」と。で、彼は「ありがとう」と言って、国に帰っていった。のちにFacebookを見たら、彼は国で結婚式を挙げていたよ。ウェディング費用にでも、なったんだろうね、僕の2000ドルは。

 

 

どんだけ騙されるんだ・・・Bさん・・・。一度信じた人は、とことん信じようと思ってるのだな、と思った。でも、それと同時に、ガードのかたさや、パーソナルスペース狭いわりに、がっつりありそうなバリアは、このせいか・・・とも思った。

 

 

で、Bさんの昔の彼女の話の時。

 

 

Bさん: 君、日本人だよね。英語流暢だから、わからないけど。

私: そう。

Bさん: 僕が最後に付き合った、3年前に別れた彼女のお父さんが日本の外交官だったな。

私: へー、そうなんや。

Bさん: すごく好きだったんだ、彼女の亊。

私: どうして別れたの?

Bさん: そうだね、心ではなく頭で決めた亊かな(つまり、気持ちはあったが、実際に現実的ではなかったという亊)。

私: 後悔してる?別れた亊。

Bさん: いや、彼女が幸せであればいいなと思うけど。別れた亊は、後悔はしてない。もう前向きだよ。

 

 

さらに、その前の彼女の亊。

 

Bさん: あ、その前の彼女だけどね。XXの国で、一番の長者番付に入る人の娘だったんだ。

私: へー、そうなんや。

Bさん: だから、もう、いろいろクレイジーでさ!

 

 

この後、彼は、「おお!」と思った出来事を語ってくれたのだけれど。「お金持ちの知人・友人・彼女」の話ばかりであった。自分の力で何かを勝ち取った話は一切出てこなくて、全部、お金持ちの人の決断により、自分にもおこぼれが来たような話。

 

 

私: へー、お金持ちってすごいね。お金があれば、いろいろできるんやなー。

Bさん: 君だって、海外で育ったんだから、裕福な家庭の子だろ?見せてみ?その時計は、父親に買ってもらったロレックス?

私: ・・・。 ←全然違う、自分で買った安物。

Bさん: ・・・。 ← 私の手首持って、固まる。

私: いや、おとうのお金は、おとうが稼いだもので、私のものちゃうからな。

Bさん: でも、お金があるなら、それは利用したらいいんじゃないの?それも生まれ持った資質じゃない?

 

私: うーん、そりゃもともとものすごいお金持ちに生まれたのであれば、そうかもしれないけれど。おとうのお金は、おとうが、日本企業で必死で働いてきたその功績に与えられたものだから。私がねだったり、もらって当然というものではない。私が稼いだものではないから。

Bさん: うーん、プライドなの?

私: プライドではないよ?ただ、考え方の違い?私が稼いでないお金を、よっぽど困ってる状況じゃない限り、出してもらおうとは思わない。

Bさn: へー。

 

 

こんなやり取りから、「お金もち」にものすごいコンプレックスがある人ではないかなとも、思ったのであった。だからこそ、自分の亊ではなくて、お金持ちの知人・友人の話を自慢するのだ。でも、それが「オレって、こういう人達と友達なんだぜ」ではなかったのが、印象的だった。「すごいんだ、お金持ってる人達は。お金の使い方が違うんだ!」という、素直な感想だったのを覚えてる。

 

 

やっぱり、すごく込み入った、こじらせた人なのだろうな、と思う。簡単に数時間話したぐらいで心を開くような人生は送ってなさそうである。

 

 

私のスマホからは彼の連絡先は消したが、多分、彼は私の連絡先は消さないと思う。

 

 

 

万が一、いつか、彼から連絡があったら。会おうと思ってる。そんで、恋人にはならなくても、私はあんな亊ぐらいでは逃げませんよ、と態度で示せたらな、と思う。

 

そこそこの和食屋さんにでも誘って、私がクレジットカードをさっと出して、「今日は、姉ちゃんが、奢ってやろう」とでも言おうかな(笑)。「次、あんたね。ちゃんとスケジュール決めてから誘いなさいね。急なお誘いには、乗りませんからね(笑)」と言うてやろう。

 

そういう日が来るといいな。