実験結果。 | マイノリティのお話

マイノリティのお話

ずっと人前で自分を出せない、自分でいてはいけないのだと思ってました。カウンセリングを受けたら、育った環境に原因がある事がわかりました。

私以外全員ASDだった。

ASDについて勉強したら、今まで見えてなかった事が見え始めた、そんなブログです。

昨日の、Bさんへ送ったWhatsAppのやり取りの結果です。

 

 

 

 

Bさん: どういたしまして :) (←夜10時、横から見た絵文字じゃない、手打ちスマイリー付き)

 

 

 

おお。どうやら、昨日の方法、正解だったようです。

 

 

そして、多分ね、この人。ほんっっっっっっっっとうに、批判や否定を受け取るのが苦手すぎるのだと思う。「批判や否定を受け止められず、謝れない」というのであれば、我が家のこじらせ民全員に当てはまるし、なんなら職場にもそういう人はわんさか居て、「大人になっても謝罪一つできへんのかい!」と思う亊が多いのだけれど。でもなんだか、あの感じとはちょっと違うのだ。

 

私の知ってるこじらせ民は、「でも・だって・そっちが・そもそもは・それを言うなら」みたいな、論点をずらしたり、屁理屈こいたり、あーいえばこーいう感じ。こじらせ民は、そもそも自分が悪いと思ってなくて、基本的に他責ベース。つまり、そもそも自分にも非がある亊を、まったく気が付いていないし、何の自覚もない感じ。だから、おかんや、妹ちゃんや、ジョージーとの会話を思い出しても、何の発見もない。「それ、関係ないよね?今」みたいな亊をぶっこんでくる会話なので、私の会話運びをもう少しうまくしていれば、建設的な会話になったかどうかなんて、考えるまでもなく。ムリ。

 

少し後になって、おかんも、妹ちゃんも、ジョージーも「なんだかわからないが、Sangoを怒らせてしまった」みたいな感じで、コンビニのプリンだのケーキだの、変なお世辞だの、全然関係ないものを代償として持ってくる感じ。つまり、私が「これはされたくないの!こういう理由だから」と言った亊に対してのリアクションは一切なく、まっったく関係ない亊で代償する感じ。

 

この感じと、Bさんとでは、何かが違う。

 

Bさんは、後で会話を見直したり、考え直したりすると。「アレ?これ、自分の亊じゃね?」とか「あ、それ自分の取説なの?」とか、だったり。あるいは、私への言葉だけれど「・・・あー、Bさんからすると、そう見えるのか」と納得いく亊だったり。あるいは、意図的に、その時の話題にちゃんと照準を当てた状態でキレたりする(笑)。

 

なんだろう・・・。

 

ズレを感じないのだ・・・。

 

こじらせては、いると思うんだけど。それは、お互いさまやと思う。お互いに40代で、相手もおらずに、マッチングアプリで人と出会ってる時点で、もう立派なこじらせ組なので、その辺はお互い様として・・・。

 

私は、自分のコミュニケーション能力を常に向上させたい人なので、後で落ち着いた時に、Bさんとのやり取りを見直したりするんだけれど。例えば・・・最近のやり取りやと。

 

Bさん: You were acting crazy in my view. (僕の視点から見たら、君はクレイジーなふるまいをしていたんだ)

 

『僕の視点から見たら』と、きちんと自分の視点である亊を言うし。「君はクレイジーだ!」とは言わない。いや、2か月半前の当時は「君はクレイジーだよ!」と言うていたと思うけれど、2か月半たったら「クレイジーなふるまい」つまり、私自身がクレイジーなんではなく、あくまでも私の「言動」を指摘する形。

 

基本的に、相手を批判する時のコミュニケーション・ルールに沿ってるねん(笑)。いや、まぁ。そうよな。あの世界トップコンサル会社で働いてたから、そりゃ、このぐらいの亊は知ってるけど。それを、きちんと実践している感じが、頭に血が上りすぎてない気がするねん・・・。こういうのが、自分の視点しか持ち合わせていない、我が家のこじらせ組や、ジョージーとは違うな、と思う。それを後天的に学んだのだとしても、きちんと、それが身についている気がするのだ。

 

他にも、多分、私が使ってるコミュニケーション・セオリーを理解してるだろうな、とか。心理学的な亊も気が付いてるな、とか。そして、謝罪はしないものの、私が伝えようとしている亊、意図している亊の本髄に照準を当てたまま、返事をしたり、キレたりするのだ(笑)。

 

 

 

 

私が今回「はぁ?まだ言うか!」とキレた、「Well, Umi」と私が呼ばれたくない名前でわざわざ読んだやつ。あれ、うっかりではない気がするねん・・・。何かを意図していたと思うねん。私の考えすぎやろうか・・・。いや、いくら何でも、あんな地雷、わざわざ踏みに行く人おる?アホすぎるやろ。

 

しかも、今回は2か月半前の言い合いの途中ではなく、何ならペルシャ人と日本人が文化的に似てるみたいな、心温まる内容の最初に、わざわざめっちゃ目立つ形で、呼びかけとして使っている。

 

 

 

 

 

・・・なんか。なんか。・・・なんか・・・。

 

 

 

嵌められた気がするねんけど・・・。なんか・・・。なんか・・・。わざと、私の反応を確かめたような、そんな気がするねんけど。しかも、反応してしまった私に対して、わざと、しばらく「無視=沈黙」を保ち、相手に話させる、the power of silence (沈黙の力) を使われた気がするねんけど。

 

 

ああ・・・今、書いてて、絶対そんな気がしてきた。

 

 

これ、アビが私によく使う手やねん。私が、ジョージーやティファニーやおじい本部長や、アビの行いに「めっちゃ腹立つわぁ・・・」と思いながらも、「言うたらいかん。反応したらあかん。今いう亊ちゃうし」と、「ぐぬぬぅ」と抑えたまま、アビがいるミーティングに参加して。心の中で、「はぁ?!」と思いながらも、普通に抑えた声のトーンで仕事のみに集中した後。

 

アビから、メールや、チャットや、ワンオンワンのリクエストが来て。そこで、だいたい、アビが一度ちょっとなんか私のハレモノに触るねん。「このあたりかな」風に(笑)。そんで、私が「・・・(触るなや!と怒りのオーラ)」を出してしまっても、アビはそれに反応せずに、静かーに、静かーに、待つ。その日中の亊もあれば、数日後の亊もあって。その間に、私は「あー。なんか説明せなあかんかも・・・」という気になって、何に引っ掛かってるかを、アビにメールする亊になるねん。

 

そのメールには、大概、アビは返事しない。

 

「その通り」とも「それは違う」とも、まったく、賛同も反論も一切せず。でも、私が大体最後の一文に書いてある「何はともあれ、XXXのプレゼンはすでにできてるので、フォルダーを見ておいてくださいね」とか、「それはともかくとして、この間のXXXには感謝します」みたいな、関係のない最後の一言にだけ、「ありがとう!」とか「こちらこそ!」と反応する。

 

 

・・・まったくパターン的に同じな気がするねん、Bさんのも。

 

 

 

ちなみに、コミュニケーションの方法で、呼びかけではなく、話の中に相手の名前を入れ込んだり、相手の名前を最初に呼ぶ亊で、親しみを与えたり、注目させたり、威圧を与えたりする亊が出来るというのは、よく使う。今回の、「Well, Umi」と冒頭に持ってきているのは、明らかに何らかの意図があったように思う。

 

そうだとしたら、私はそれにまんまと乗っかってしまい、自分のトラウマを淡々と論理的に話してしもた・・・。まぁ、ええけど・・・隠してないし・・・。

 

そして、Bさんからの「Welcome :)」というメッセージから一夜明けて。

 

 

私: Good morning, hope you have a productive day. (おはよう。生産性のある一日でありますように)

 

 

と、Welcomeからの返事で入れておいたが。わざと、Bさんの名前は入れませんでした(笑)。私は、そこまで心は開いてないし。

 

ちなみに、大ボス・アビは、もはや、いとこの兄ちゃんレベルで心を開いているので。ティムくんの亊も、亡くしてしまった親友の亊も、うちの奇天烈家族についても、深くではないけれど、知っている。アビは、深くまで話をせずとも、「察して」くれる人なので、サラッと「大まかな事実」を話しただけだけれど。それを踏まえて、接してもらっている気がする。

 

 

Bさん。会う予定は全くない上に、私はそろそろ実家帰省という一年で一番気持ちが不安定になるイベントを控えているので、私の中では優先順位は、かなり低いまま、向こうか連絡が来た時にのみ反応する人・・・ぐらいの感じで行きたいと思います。

 

ああ。胃が痛い。そして、口周りに吹き出物も出てきました・・・。口内炎も。

 

あー。ここから2・3か月、この感じかぁ。

 

はぁ・・・。