「引き寄せの法則」(エスター・ヒックス+ジェリー・ヒックス著)

という本を教科書にして、

引き寄せの法則についてまとめてきました。

次のステップとして、

「お金と引き寄せの法則」(エスター・ヒックス+ジェリー・ヒックス著)

という本があるので、こちらをご紹介したいと思います。

 

エイブラハムが教える引き寄せの法則について書いた記事は、
下記になります。
 
「引き寄せの法則」(エスター・ヒックス+ジェリー・ヒックス著) より
 
「お金と引き寄せの法則」(エスター・ヒックス+ジェリー・ヒックス著)より
 
 
 
 
こちらでお伝えしているのは、
宇宙法則の引き寄せの法則です。
潜在意識をどうこうする引き寄せではないです。
解釈が真逆になりますので、
潜在意識系の方は読むのをご遠慮下さい。
(ちなみにこういう風に書くのも法則が働いているからです)
 
エイブラハム達が伝える「引き寄せの法則」
というのは、
似たものを引き寄せる法則のことで、
思考が現実化する法則のことではありません。
考えると波動が出て、その波動に応じて、
引き寄せの法則が働きます。
引き寄せるのは現実的、物質的なものだけではないのです。
引き寄せの法則を伝えていない、
カウンセラー、アドバイザー、メソッドにご注意下さい!
注意喚起を強く行なっています! 
 
 

「お金と引き寄せの法則」(エスター・ヒックス+ジェリー・ヒックス著)

という本の、喜びとお金の源泉としてのキャリアという箇所を、

ご紹介してきました。

 

キャリアとは?(エイブラハム) 

人にまず聞かれること(エイブラハム)

引き寄せの法則とキャリア(エイブラハム)

空虚さの満たし方(エイブラハム)

「思考は現実化する」との出会い(エイブラハム)

ポジティブな気分(エイブラハム)

与えずに得る(エイブラハム)

行動で相殺する必要はない(エイブラハム)

地球へようこそ(エイブラハム)

いちばん大切なこと(エイブラハム)

ドアの開け方(エイブラハム)

欲しいのか?しなければならないのか?(エイブラハム)

楽しみがお金を引き寄せる(エイブラハム) 

肯定的な側面を探す(エイブラハム)

高い評価(エイブラハム) 

概念的な仕事の時間(エイブラハム) 

もっと頑張って働くべきか?(エイブラハム) 

楽しみがお金や収入に結び付くのか?(エイブラハム) 

キャリアに関するストーリー(エイブラハム)

 

という記事の続きです。

 

キャリアに関しても新しいストーリーを、

語る様にしようということで、

新しいストーリーの例をご紹介しました。

 

喜びとお金の源泉としてのキャリアの箇所を、

最初に書いたのは7月だったんですね。

もう10月になってしまい…。

時間が経つのが早すぎて、追いつかないんですよね。

元々のんびりマイペースな性格で、

何事もゆっくりしているらしく…。

最近は一層それが酷い感じです。

ここまで時間もかかってしまい、長くなったので、

振り返りつつまとめておきます。

 

 

キャリアとはなんだと思う?
というエイブラハムの問いかけがありました。
 

エイブラハム キャリアとはなんだと思う?

ジェリー キャリアはライフワークのようなものでしょう。
人生をかけて、最善を尽くし、
全力を挙げられる職業、といえばいいかな。
もちろん、たいていは金銭的な見返りも求めるでしょうね。

エイブラハム それではライフワークとは?

ジェリー 人が残る生涯を捧げようとする仕事。
職種、専門職、ビジネス、商売などですね……。

エイブラハム すると一つのキャリアを選んで、
それからあとはそのなかでいつまでも幸せに暮らす、
というのが、あなたがたの社会に
広く行き渡った信念というか、
みんなが受け入れている信念だというわけだね?

「お金と引き寄せの法則」
(エスター・ヒックス+ジェリー・ヒックス著)より

 
とありました。
 

何をして一生を過ごすかを決めるのは
難しいと思う人が多いのは意外ではない。

あなたがたは多面的な「存在」で、
いちばん大きな目的は
絶対的な自由というベースを楽しむこと、
そして楽しい経験を追求するなかで
拡大と成長を経験することなのだから。

言い換えれば「自由」を実感しなければ
決して本当に「楽しむ」ことはできない。

そして、楽しみがなければ真の「拡大」も
経験できない。

だから、多くの人は子どもっぽいと
考えるかもしれないが、
人生経験に触発されて次の冒険を、
さらに次の、
また次の冒険をしようと思うのは
ごく自然なことなのだよ。

できるだけ早いうちに、自分の最大の目的、
最大の存在理由は
いつまでも幸せに暮らすことだ、
と肝に銘じることを勧めたい。

これはとても優れたキャリア選択だ。

あなたがたの核心である目的
─自由と成長、そして喜び─
に調和した願望を持ち、
それに合った活動を目指すこと。

充分な収入が得られる仕事を見つけ、
得たお金で好きなことをして
幸せになろうとするよりも、
幸せに生きることを「キャリア」にしなさい。

幸せな気分でいることがなによりも
重要だと考えれば
─そして「生活のために」することが
幸せであれば─
あなたは最高の組み合わせを発見したことになる。

どんな条件のもとでも、
あなたは明るくていい気分になれる。

だが、まずバランスのとれた波動を
上手に実現できれば
─そしてその幸せな場所から
環境や出来事を引き寄せれば─
幸せを維持する可能性はとても大きくなる。

「お金と引き寄せの法則」
(エスター・ヒックス+ジェリー・ヒックス著)より

 
”できるだけ早いうちに、自分の最大の目的、
最大の存在理由は
いつまでも幸せに暮らすことだ、
と肝に銘じることを勧めたい。
これはとても優れたキャリア選択だ。”
 
”幸せになろうとするよりも、
幸せに生きることを「キャリア」にしなさい。”
と伝えていました。
 
これはキャリアに関することだけではなくて、
一貫してあらゆることに対して、
エイブラハム達が伝えていることですよね。
 
”言い換えれば「自由」を実感しなければ
決して本当に「楽しむ」ことはできない。
そして、楽しみがなければ真の「拡大」も
経験できない。”
とあります。
 
でも中々自由を実感して楽しんで生きる、
という風にはいかないですよね。
そうすると罪悪感を持ってしまう、
他者や社会の目を気にしてしまう、
ということがあります。
 
エイブラハム 若いうちにキャリアを見つけて、
一生そのキャリアを追求すべきだ、
と人々が信じる最大の理由は何だと思う?

ジェリー もちろんわたしが万人を代表して
発言するわけにはいきませんが、
収入を得られる仕事を探すべきだ、
探さなくてはいけない、
それが倫理的、道徳的だ
ということなんじゃないでしょうか。
言い換えれば、何も提供せず、
なんらかの意味で生産的なことをしないで
お金を受け取るのは不適切だ、ということです。

エイブラハム そのとおり。
ほとんどの人はなんらかの努力や
仕事を通じて自分の存在を正当化する必要を
感じている。
たぶんそのせいで、出会った人にはまず
「お仕事はなんですか?」と聞くのだろうね。

「お金と引き寄せの法則」
(エスター・ヒックス+ジェリー・ヒックス著)より

 

”ほとんどの人はなんらかの努力や
仕事を通じて自分の存在を正当化する必要を
感じている。”

とのことでした。

 

エイブラハム 波動が整っているときには
(つまり自分のなかの「源(ソース)」や願望、
信念と調和していれば)、
他人に対して自分を正当化しなくてはならない
とは感じないよ。
多くの人は自分の行動や思考を
正当化しようとする。
自分自身の「ナビゲーションシステム」ではなく、
他人の意見を指標にして調和を図ろうとするのは、
決していいことではない。

あなたがたが若いころに出会う人の多くは、
その人たちのルールや意見に
あなたがたを従わせようとする。
だが、その人たちが望むことを基準に
意思決定をしていたら、
あなたはどんどん「本当の自分」との
調和から外れ、
生まれたときの意図からも人生経験のなかで
展開していく意図からも外れてしまう。

他人を喜ばせたいという願望は放棄して、
代わりに自分の感情を大切にして
明るくて気分のいい思考を選び
(その気分はあなたが調和したというしるしだ)
「本当の自分」(あなたの「源(ソース)」)と
調和しようという強い意志を持たないかぎり、
決して自由という甘美な経験をすることはできない。

誰かがあなたを認めなかったり
攻撃していると感じたら、
自己防衛しようと思うのは自然だ。

だが「内なる存在」と
調和するように心がけていれば、
そんな自己防衛の必要性はすぐに消える。

なぜなら、
自己防衛しなければならないと思う弱さが、
「本当の自分」という地に足のついた
確かな感覚に変わるからだ。

どんな選択をしようと、
その選択に反対する人は必ずいる。

だが、あなたがバランスをとり、
調和を維持していれば、
見る人のほとんどはあなたの成功を批判するより
成功の秘訣は何ですかと聞きたがるだろう。

それでも批判する人は、
あなたがどう正当化しようとも、
どんなに正当な主張をしようとも、
満足しないはずだ。

人が満たされない気分でいるのを
解決してやるのはあなたの役目ではない。

あなたの役目は自分自身の
バランスをとることだ。

何を望むべきか、
どう振る舞うべきかについて、
社会や他人に指図されていたら、
あなたはバランスを失ってしまう。

自由の感覚
─それはあなたという「存在」の核心だ─
が脅かされるからだ。

自分の気分に関心を向けて、
「本当の自分」と調和した
自分を力強く育てる思考を実践すれば、
豊かさのお手本を示すことができるし、
あなたを見る人たちにも
とても大きな価値がある。

あなたがいくら貧しくなっても、
それで貧しい人々が
豊かになるわけではないし、
あなたがいくら病気になっても、
それで病人が回復するわけでもない。

あなたが人を高められるのは、
自分自身に力があり、
明晰で、調和がとれているときだけだ。

「お金と引き寄せの法則」
(エスター・ヒックス+ジェリー・ヒックス著)より

 

”自分自身の「ナビゲーションシステム」ではなく、
他人の意見を指標にして調和を図ろうとするのは、
決していいことではない。”

とあります。

これはどこでも見られることだと思いますが、

ツイッターだとフォロワーの反応を気にして、

発信内容を調節したり、

大型アカウントの引用RTを繰り返して、

無理矢理意見を書いて自分を売り込んだりとか、

スピ系だとせっかく楽しんでいても、

苦しんでいる人のことをちょっとは考えたら?

自分だけ楽しんで幸せになるつもり?

と怒る人のことを気にして楽しめないとか。

まず他人の反応を考えてしまうという、

他人軸の状態ですね。

 

”他人を喜ばせたいという願望は放棄して、
代わりに自分の感情を大切にして
明るくて気分のいい思考を選び
(その気分はあなたが調和したというしるしだ)
「本当の自分」(あなたの「源(ソース)」)と
調和しようという強い意志を持たないかぎり、
決して自由という甘美な経験をすることはできない。”

とありますが、

自分の感情を大切にするということを、

悪い事の様に刷り込む人達は沢山いますし、

罪悪感を抱かせようとしますよね。

 

”言い換えれば「自由」を実感しなければ
決して本当に「楽しむ」ことはできない。
そして、楽しみがなければ真の「拡大」も
経験できない。”

とありましたが、

自由を感じられない為に、

楽しめず拡大出来ないという状況に陥ってしまいます。

それが目的だとしたら、どうしますか?

誰かを批判することが、

拡大成長を阻もうとする何者かに加担することだとしたら、

あなたは本当にそれを望んで行なっているのでしょうか?

 

私の親も抑えつける言いなりにさせるタイプでしたが、

今思い返してみると、

私はこれを選択したい、私はこうしたいのだ!

とはっきり自覚する為には、

それを抑えつけるものがあった方が、

容易なんだなということです。

最初っから自由に何でも選べるより、

ずっと深い感動や決意が生まれると思います。

だから抑圧も悪いものではないんですよ。

そのお陰ではっきりとした自分の願望が分かるのです。

 

”どんな選択をしようと、
その選択に反対する人は必ずいる。”

とあります。

あらゆるものには二極あるという積極消極の法則がありますから、

自分と反対意見の人は必ず生まれるということなのです。

 

”それでも批判する人は、
あなたがどう正当化しようとも、
どんなに正当な主張をしようとも、
満足しないはずだ。
人が満たされない気分でいるのを
解決してやるのはあなたの役目ではない。
あなたの役目は自分自身の
バランスをとることだ。”

自分で自分の機嫌を取ることが出来る人は、
他人の機嫌を取る必要がないことが分かります。
自分でやればいいんだから、あなたも出来るよね、
と心から思えるのです。
他人の機嫌を取らなくてはと思うのは、
鏡なので、
自分が自分の機嫌を取れていないから、
誰か別の他人が取ってあげないといけない!
と思ってしまうことでもあります。
だからこそ、まず自分の感情に向き合ってみることが、
大事になってきますよね。
 
エイブラハム キャリア選択の
最大の理由はなんだろうね?

ジェリー 最近読んだある調査によると、
ほとんどの人が望んでいるのは特権だそうです。
言い換えれば、名誉かお金とかという選択肢では
ほとんどが名誉を選んだそうです。

エイブラハム 特権を望む人たちは、
自分の「ナビゲーションシステム」の代わりに
他人に認められることを指標に選んでいる。
そういう生き方はあんまり楽しくないだろうね。
なぜなら、あなたが喜ばせようとする他人は、
そう長くあなたに関心を注いではいないからだ。

その調査は確かに当たっているだろう。
ほとんどの人は自分がどう感じるかよりも
他人にどう思われるかを気にかけている。
だが、それでは一貫した指標にはならない。

人はときどき、自分の幸せを
なによりも大切に考えるのは自己中心的で、
周りの人に対して
冷たくて不公平なのではないかと心配する。

だが、それはまったく逆だということを
わたしたちは知っている。

あなたがたが「源(ソース)」と
調和することを大切にしていれば
(調和しているかどうかは、
そのときの気分でわかる)、
そして「源(ソース)」とのつながりを
維持しようと心がけていれば、
あなたの関心の対象となる人は
誰でもあなたのまなざしから恩恵を受ける。

あなた自身が「幸福の流れ」と
つながっていなければ、
誰も高めることはできない。

他人の関心の的になって高く評価されれば、
確かにとても気分がいいだろう。

そのとき、その人たちは
わたしたちが説明したとおりのことをしている。
あなたを高く評価することで
自分の「源(ソース)」とつながり、
それをあなたに注いでいるのだ。

だがいつも「源(ソース)」と調和しつつ
自分に関心を向け、
「幸福の流れ」を注いでくれと
他人に望むのは、現実的ではない。

他人の「源(ソース)」とのつながりは、
あなたにはコントロールできないし、
いつも他人の関心の的でいることもできないから。

だが、自分の「源(ソース)とのつながり」は
いくらでもコントロールできるし、
他人のことは放っておいて、
自分のつながりを維持することを
最大の目的にしていれば、
他人を喜ばせようとする気分から解放され
(いつも他人を喜ばせ続けることはできない)、
いつも「つながり」を維持して幸せな気分で
いられるだろう。

おもしろいことに、
自分の気分を大切にしている人
─いつも明るくていい気分でいる人、
「源(ソース)」とつながっていて、
関心の対象にいつも前向きで
明るい思考を向けている人─は、
ほかの人にも魅力的だ(引き寄せられる)と思われるし、
高く評価され認められることが多い。

他人の承認を必要とする、
あるいは承認を得られていない場所からは、
他人の承認を獲得することはできない。

見晴らしのいいオフィスや専用の駐車場、
立派な肩書きなどは、「本当の自分」と
調和していないことから生じる空虚感を
満たしてはくれない。

その調和が実現できたときには、
そのような特権は
たいして重要だと思えなくなる
─おもしろいことに、そうなると逆に
特権が引き寄せられてくる。

「お金と引き寄せの法則」
(エスター・ヒックス+ジェリー・ヒックス著)より
 
”ほとんどの人が望んでいるのは特権だそうです。
言い換えれば、名誉かお金とかという選択肢では
ほとんどが名誉を選んだそうです。”
というジェリーさんに、
”特権を望む人たちは、
自分の「ナビゲーションシステム」の代わりに
他人に認められることを指標に選んでいる。
そういう生き方はあんまり楽しくないだろうね。
なぜなら、あなたが喜ばせようとする他人は、
そう長くあなたに関心を注いではいないからだ。”
と答えていますね。
ツイッターで他者の反応を気にするとか、
誰かの意見によって自分の行動を決めるとか、
他人に認められることを指標にしていると言えます。
私のイメージを教えてとか、
私のこと褒めてとか、
そうしたかったらやればいいんだけど、
そういう生き方は楽しくないよ!
とのことです。
永遠にその人たちがあなたに注目している訳では、
ないですよね。
また満たされなくて別の誰かを探し求めますよね。
 
”他人の関心の的になって高く評価されれば、
確かにとても気分がいいだろう。
そのとき、その人たちは
わたしたちが説明したとおりのことをしている。
あなたを高く評価することで
自分の「源(ソース)」とつながり、
それをあなたに注いでいるのだ。
だがいつも「源(ソース)」と調和しつつ
自分に関心を向け、
「幸福の流れ」を注いでくれと
他人に望むのは、現実的ではない。
他人の「源(ソース)」とのつながりは、
あなたにはコントロールできないし、
いつも他人の関心の的でいることもできないから。”
承認欲求の塊みたいな人は、
自分に自信が持てなくて寂しさや虚しさがあるのかな?
という風に感じます。
エネルギーバンパイアも同じです。
自分でエネルギーを補充して循環させることが出来ないから、
他者から貰おうとするんですね。
褒められたら嬉しいけれども、
褒められても褒められなくても好きなことをしていれば、
それだけで満足しているはずです。
 
娘が友達と撮ったTikTokがバズった!
2万いいねついてる!と喜んでたことがあって、
娘は投稿はしていなくて、
一緒に撮った友達が投稿したそうなんだけど、
嬉しくてしょっちゅう確認してたのね。
軽いコスプレをして二人並んだだけのものを、
学校行事の時にちょこっと撮ったものらしいのだけど、
それを撮る前にああしよう、こうしようと、
あれこれ相談していた流れを見ていたから、
本当に本人達が楽しんでたのが分かるのね。
その結果だから良かったねって。
狙って誰かにウケることを計算したのではなくて、
ノリで盛り上がって一番やりたいことをした!
という感じでした。
それをやっただけで満足してる状態。
狙って投稿している子達と違って、
作り込んだ感じがなくて、
本人たちも気負ってないのね。
いや、気合は入っているんだけど。
 
”その調和が実現できたときには、
そのような特権は
たいして重要だと思えなくなる
─おもしろいことに、そうなると逆に
特権が引き寄せられてくる。”
とある様に、
まず二人が自分自身と調和していて、
その場を楽しんだというのが先にあって、
その後、周りの評価が付いて来る、
という感じでした。
 
最近もツイッターで、
フォロワー受けを狙って、
パクって流用する人に、
何度か警告しましたけれども、
”自分の「源(ソース)とのつながり」は
いくらでもコントロールできるし、
他人のことは放っておいて、
自分のつながりを維持することを
最大の目的にしていれば、
他人を喜ばせようとする気分から解放され
(いつも他人を喜ばせ続けることはできない)、
いつも「つながり」を維持して幸せな気分で
いられるだろう。”
とエイブラハム達が伝える様に、
他人を中心に置いてはダメなんですよ。
他人を中心に置くからこそ、
パクって流用という行為に繋がってしまうんでしょうね。
 
エイブラハム あなたがたは価値ある存在になりたい、
高めたいという欲求を持って生まれてくる。

そして自分には価値があることも知っている。

今あなたが言ったような虚しさのほとんどは、
他人に永続的な価値があるものを
提供できないからではなくて、
あなたの思考が調和から外れているために生じる。

つまりこういうことだ。

あなたが「本当の自分」
(「内なる存在」「源(ソース)」)
と調和していれば、
出会う人を高めずにはいられないし、
調和していない人たちはあまり目に入らない。

「引き寄せの法則」が働くから、
あなたが満たされているときには、
満たされない人たちは周りにいなくなる。
それにあなたが満たされないでいれば、
満たされた人は周りにいなくなる。

要するに調和の乱れを時間やエネルギーや
行動で相殺することはできない。

その違いはどんなことを考えても埋められない。

あなたが周りの人にとって価値があるかどうかは、
たった一つのことで左右される。

あなたが「源(ソース)」と調和しているかどうかだ。

そしてあなたが他人に与えるべきものは
たった一つ、
調和しているというお手本だ。

人はそのお手本を見て、
そうなりたいと願い、
それから実現に努力するだろう。

だが、あなた自身はその人たちに
調和を与えることはできないのだ。

あなたが観客に与えた楽しみは、
実はあなたが当時思っていたよりも
はるかに大きな贈り物だった。

あなたは悩みを忘れさせた。

観客は問題から関心をそらし、
多くの場合一時的にでも「源(ソース)」と
つながることができた。

だがその人たち一人ひとりについて、
あなたが唯一の関心の的となることで
明るくていい気分を持続させようとしても、
それはできない。

自分が抱く思考や関心の的として
何を選ぶかは、
それぞれの人の責任だからだ。

あなたがたはみんな、
自分が喜ばしい創造者としてここへ来たこと、
常に満たされる方向へと呼ばれていることを
心の底では理解している。

だが、そのために
成し遂げるべき必要項目は
そう多くはない。

あなたがたは物質世界の環境に触発されて
終りのない拡大や願望を抱き、
自分のなかの「ソースエネルギー」と調和して
その願望を実現しようとして、
この世界へやって来た。

言い換えれば、
あなたがたはこの世界に参加することで
願望が生まれること、
願望が生まれたら、実現が期待できるまで
そこに思考の焦点を定めること
─そうすれば願望が実現することを知っていた。

創造の方程式のなかで周囲の人が果す
主な役割は、
あなたの願望が生まれるきっかけとなる
さまざまな多様性を提供することだ。

あなたがたは本来、
他人の価値観で自分の価値を図ろうとは
思っていなかった。

そうではなく
周囲に起こるさまざまな事柄を
きっかけにして新しい考えを抱く、
それがあなたがたの意図だった。

他人との比較は
願望の拡大のきっかけになればいいので、
劣等感を感じたり
自分の価値を低下させるのはまったく的外れだ。

人生とは、仕事が終わったあとや週末、
あるいは引退後にすることではない。

あなたの人生は今現在にあり、
あなたがどう感じているかで表されている。

仕事が楽しくないとか満たされない、
きついと感じるなら、
それはあなたが間違った場所にいるからではなくて、
あなたの視点が矛盾する思考で
曇っているからだ。

途中が楽しくない旅に
ハッピーエンドはあり得ない。

目的は決して手段を正当化しない。

手段あるいは途中の道筋は、
常にそれにふさわしい
エンディングのエッセンスをもたらす。

「お金と引き寄せの法則」
(エスター・ヒックス+ジェリー・ヒックス著)より
 
他人の揚げ足を取るのが好きな人は、
思考の方向がネガティブに向いていますよね。
肯定か否定かだったら、否定の方しか見えない状態です。
 
娘の周りには一緒にコスプレをして、
TikTokを撮って楽しめる友達がいる一方で、
何かとマウントを取って来る子もいるそうです。
「私は全然メイクとかしないから~
娘ちゃんのすっぴんはどうなの?
すっぴん見るのが楽しみだな~」
と言われたと。
なんかその時点で負けていると本人は、
思っているんだろうね。
「それってメイクしたあなたが、
可愛いって褒めてるのと一緒だよね?」
と言ってしまいました。
娘は行事中、クラスの出し物用に、
別の友達とお揃いのコスプレも準備していて、
着替えたら大ウケして、クラスの子に好評だったそうです。
そのせいか、マウント取る子が、
泣き出して座り込んで拗ねて、
他の友達との約束や役割をすっぽかしたそう。
 
娘が楽しんでいる様子を見て、
自分も何か楽しみたい!今度一緒に〇〇しよう!
という子がいる一方で、
足を引っ張ってやめさせようとする子もいます。
 
”他人との比較は
願望の拡大のきっかけになればいいので、
劣等感を感じたり
自分の価値を低下させるのはまったく的外れだ。”
とありますね。
マウント取ることはその子の問題だから、
あなたがどうこうしてあげられることはないし、
その子の顔色を窺う必要はないよ!と、

娘には言っています。

 
好きでメイクをしないのなら、
メイクをしている子と優劣を比較する必要なんてなく、
自分がいいと思うことをすればいいだけですよね。
もし本音はもっと他人から注目されたい、褒められたいなら、
何もしないでありのままの自分でいて、
他の子を引き摺り降ろすことに夢中になるより、
自分を磨いて髪型やメイクを研究して、
自分の魅力を引き出す方に意識を向けた方が、
ずっと可能性が拡がると思います。
 
一緒にTikTokを撮った子は、
小学生、中学生の頃から知っているけど、
その頃から普通に美少女でした。
更にお洒落をしてレベルアップしている、
という感じです。
すっぴんで美少女なら、既に噂になって、
注目を浴びて来たと思うんだよね。
ベビーカーに乗せている時代から、
可愛いね!って皆が覗いてきて、
褒められて生きてきて、
それが当たり前だから、
そんなにコンプレックスを拗らせることは、
ないと思います。
逆に嫉妬されたり、逆恨みされたりしますよね。
その人の態度でどういう立ち位置なのかな?
というのも見えてきます。
 
共依存関係に陥っている人は、
足を引っ張る人に依存して、
あなたの為に我慢するわ!とやりますが、
引っ掛かっていない人は、
じゃあね!と離れて行きます。
やりたいことが沢山あるのに、
付き合ってられない!という感じです。
自分は凄いんだ!と他人を馬鹿にする人が、
本当にそう思っているのだったら、
自信があるのだから、
わざわざマウントを取ることもないですよね。
他人の評価も、自信があるのだったら、
真っ先に気にするという状態にはならないと思います。
褒められても貶されても揺らがないのです。
 
外側は鏡なので、
自分がどう感じているかで、
内面の状態が分かると思います。
 
どうして誰かを馬鹿にしたくなるのか、
優劣や他人の評価が気になるのか、
それは自分の内側にどんな考えがあるからなのでしょうか。
 
 
 
最近もツイッターで、
フォロワー受けを狙って、
パクって流用する人に、
何度か警告しましたと書きましたが、
神様がこう言っていたとか、
降りて来たとか、
天使がとか精霊がとか言って、
まるでチャネリングしている様に、
メッセージを発信している人達が、
結構いますよね。
 
自己啓発系ビジネス系なんだけど、
ちょっとスピ寄りの情報を発信したり、
体質改善やヒーリングに、
チャネリングを付け加えたり、
引き寄せの法則のコーチングに加えて、
降りて来たメッセージを伝えるとか、
エネルギーを注入するとか。
まとめて霊感商法的な感じですが、
自分の売りたいジャンルで今一つ、
伸びないので、
曖昧なスピっぽいメッセージを付けるのでしょうね。
 
こういう商売の仕方は、
天使界から警告されていて、
やめる様に言われています。
 
本人の思い込みか、
自分の意見だということでは、
ウケが悪いので、
神様などの霊的な存在のメッセージだ、
という風にしている場合のことです。
 
例えば、
本当に何かしら霊的な存在からのメッセージを、
伝えていて、
その人自身も納得して行なっているのなら、
この文を読んでも腹が立つことはないと思います。
慌てたり嫌な気分になったり、
ドキッとしたり。
そういう事はないですよね。
自分でそれを行なおうと決めた時に、
信じない人批判する人も当然、
現れるということを覚悟しているのでしょうし、
嘘を吐いているのでなければ、
何も後ろめたいことはないでしょう。
 
ツイッターでも宇宙法則や真理などを、
伝えている本を書き写したものを、
よくご紹介していますが、
フォロワーが少ない、
ほとんど人に読まれることがないアカウントだからと、
商売している人が流用することがあります。
 
私は参考にしてヒントにして、
そこから自分の言葉や、
自分が学んできた用語などに置き換えて、
似たようなテーマで、
独自の解釈を発信することについては、
パクったとか流用しているとか思っていないです。
同じものについて、
気付かなかった様な解釈、
持っていない視点を伝えてくれる人がいたら、
自分にとっても勉強になるので、
有難いなと思います。
 
私がお伝えしているのは、
そのまま流用するパターンで、
その人自身が、深い理解に至っていない為に、
悪質な歪曲をし、
人々を反対方向に誘導する、
というものです。
 
人心を惑わしているということで、
獣指定されます。
 
自分に置き換えて考えてみて、
例えば、にゃんがブログでこんなことを書いてたと、
全く書いてもいない思ってもいない様なことを、
本当のことの様に広められたら、
すごく嫌な気分になるだろうし、
出来る限り訂正しようとすると思います。
必要なら本人にやめるように伝えるかもしれません。
 
自分が言ってもいない、思ってもいないことを、
勝手に広められたら嫌ですよね?
嘘な訳ですから。
それと同じことを、
神様や霊的な存在たちの名前を使って、
広めているんですよということになります。
 
神様という時、
大いなる存在とか創造主という場合もあるだろうし、
名前のある○○の神といった場合もあるでしょう。
創造主という場合なら、
人格なんてないですし、
個人レベルの問題について、
あれこれ口を出すこともありません。
 
名前のある〇〇の神という場合も、
個人の恋愛だとか悩みなんかに、
いちいち対応しませんよ。
そういうのを傍でサポートしているのは、
守護霊とか天使といった霊的な存在達で、
スピリチュアルガイドとして、
誰にでもついています。
 
私が今まで観察してきた中では、
守護霊とか先祖霊といった、
その人をサポートしている、
立ち位置的には祖父母の様な、
家族的な存在達のことを、
守護されている人が、
〇〇の神がついている!と勘違いして、
個人的なメッセージを、
世界を救うメッセージの様に発信している、
というのが結構多く感じます。
 
メッセージを受け取ったと感じても、
基本的には個人レベルのものなので、
あまり多くの人に役立つものではないと思います。
妙な使命感を持って、
自分こそが世界を救うのだ、
皆を救うのだと思い込んで、
メッセージを発信しなければ!
とやる人もいますよね。
 
でも、霊的な存在達は、
そういう考えを笑い飛ばして、
「あなた一人で世界を救えると思うの?」
という様に言います。
共同作業なので、
誰かが特別に使命がある、
といったことは絶対にないです。
 
たかだか地球人にそんな重い責任を、
負わせることはしません。
 
一人一人が出来ることを行なえばよく、
救われなくてはいけない人など、
一人もいません。
全ての人は自分で自分を救えるのです。
 
メッセージというのも、
ツイッターやブログで伝える、
文字情報だけではなくて、
生き方そのものがメッセージだったり、
絵や写真や音楽だったり、
ファッションとか笑顔とか、
その人が一番得意とするものから、

何かしら受け取り触発されます。

 

”あなたが周りの人にとって価値があるかどうかは、
たった一つのことで左右される。
あなたが「源(ソース)」と調和しているかどうかだ。
そしてあなたが他人に与えるべきものは
たった一つ、
調和しているというお手本だ。
人はそのお手本を見て、
そうなりたいと願い、
それから実現に努力するだろう。”

とありましたが、

調和している人はお手本になるということでした。

 

でもそれは、

誰か一人の特別な人ということは、

絶対にないです。
 
もしあったとしたら、
ネットを使う人と使わない人で、
もう差が出来てしまいますし、
文字で理解出来る人と、
出来ない人でも差が出てしまいます。
 
宇宙真理や法則が、
普遍的なものである様に、
メッセージというのも、
一つの形だけではなくて、
様々な形を取って、
全ての人に伝わる様にいつも傍にあるのです。
 
自分は選ばれた人だ、
自分には特別な使命があって、
メッセージを命を懸けてお伝えしているんです!
とか人々の情に訴えかけて、
コントロールしようとする人がいますよね。
 
下記はある方のブログ記事を抜き出したものです。
 
ファースト・コンタクト対策は、いまは、
「準備が整った人」、あるいは、
「重要なメッセンジャーとなるべき人」
に見せているという段階にあります。

実際のところ、このことにより、地球地表上における
広報係としてのコンタクティの人数を増やそうとしています。

その、コンタクティになるための条件が提示されていますので、
お伝えさせて頂きたいと想います。

★光のネットワークに繋がっていること
★心と魂の浄化が、100%中、61%まで完了していること
★感情のコントロールを制御出来ること

このコンタクティになる人には、
生活のために必要な資金が提供されますので、
それほどまでに最重要な仕事となっています。

それはすべて、「内なる声」を通して行なわれますから、
もし、あなたが、その指令を受けたのであれば、
そのことは、誰にも話してはいけません。
 
資金が提供され、誰にもその指令を受けたことを話さない、
というのが条件で、
守れなかったらその役割はなくなります。
この条件から、
商売にしている人は除外されます。
それから自分にはお役目がある!とやる人も、
条件を満たしていませんね。
 
何故資金が提供されるのかというと、
その役割に専念する為でしょう。
お金を稼ぐことを主軸にすると、
どうしても役割を全うできなくなるので、
どういう形かは分かりませんが、
金銭的な心配はいらなくなるそうなんです。
 
誰にも話してはいけないというのは、
例えば自分には特別な使命があるので、
重要なことを伝えますから、
聞いてください!とやったら、
自由意志を奪ってコントロールすることに、
なってしまいますよね。
あの人の言う通りにしないといけない、
という風に受け止める人も出て来る。
また、そういう重要な役割を持っているのならと、
命を狙われる危険もあります。
その人を利用しようと、
マインドコントロールに掛けて、
取り込まれてしまう可能性もあるでしょう。
 
絶対に口外してはいけない、
それを守れないということは、
自尊心や自己顕示欲を満足させたい、といった、
傲慢さの克服が出来ていないということです。
 
 
沈黙についてという記事を書いています。
 

秘伝を受ける者が出合うだろうところの
何か恐ろしい姿形のものがあると言われ、
求道者は試験され、試練され、
苦難に会わねばならないと
言われている。

この様に言われる理由は、
古代においては、秘伝を受けた者は、
心と意識の絶大なる強さというものを
もっていなければならなかったからである。

もし、彼が
国王や国主にとらえられて拷問されても、
準備されていない一般大衆に
秘しておくべき神秘や秘密をもらしては
ならなかったからである。

だから、彼らは、
心的、肉体的、かつ霊的に強くあって、
大聖者がたが世に伝えないところの
秘密をもらさないためのいかなる苦しみにも
耐えねばならないのである。

だから彼らは、大変な努力を必要とする
秘伝を通過したのである。

 

「カバラの眞義」(M・ドーリル博士著)より

 

”準備されていない一般大衆に
秘しておくべき神秘や秘密をもらしては
ならなかったからである”とあります。

 

霊的な情報というのは、

重要度が高いものほど、

セキュリティが厳しくなっています。

 

その為、絶対に口外してはいけない、

匂わせてもいけないことになっています。

 

その情報自体を守る為ということもあります。

別の誰かに伝える、広める度に、

情報の精度は落ちてしまうということもありますし、

まだ魂の成長段階で、知る必要のない人まで、

知ってしまうことで、

その人の成長を妨げてしまう場合もある、

ということもあります。


絶対に口外してはいけないことを、

言いたいという様な気持ちは、

エゴでしかないですよね?

自分はこんな情報を持っているのだ!

凄いだろ!という様な気持ちを克服していなければ、

沈黙を守ることが出来ないのです。

 

 

 

私は特別に選ばれたメッセンジャーです!とやることで、
その様な凄い人の情報ならと、

依存し鵜呑みにする様な人も出て来るでしょう。

原因と結果の法則があるこの宇宙では、

その様に、〇〇さんが言ったから、

という形で何かを選択しても、

その人自身の選択になり、責任を負うことになります。

その為に、自覚して、意識的に自分自身の選択をしていく、

その結果をしっかり受け止めるという必要があるので、

依存させる、鵜呑みにさせるというのは、

その人の成長の足を引っ張る形になります。

 
内なる大師を求める場合に
出会う一つの大きな障害は、
自分の知っていることを
全部話したいという欲求である。

話してはならないことを話すことによって
自己顕示欲を満足さしているのである。

この自己中心的態度によって、
その人の考え方が物的外界に向けられ、
内なる世界に向けられなくなるのである。

この様にして求道者は、
自己にそそがれる聖知識の流れを
閉じているのである。

沈黙の中にのみ強さがあるのである。

沈黙を守る口舌と着実な実行のみが
宇宙と接する資格なのである。
 
「秘教真義」(M・ドーリル博士著)より
 
大きな力を得る前には、
沈黙を守れるか?という霊的な試験を受ける必要があって、
合格した様な人は、
そのことについて一切言わないし、
自分自身についてペラペラ明かしたり、
重要な情報を知っているみたいなことを、
仄めかすことさえしません。
 
つまり、いくら霊的に成長したとしても、

重要な情報を持っているとか、特別な使命がある、

といったことは絶対に明かすことは出来ないのです。

 
下記は、ある方のブログ記事で、
よくご紹介している箇所です。
 
“沈黙のレッスン”について、「限られた方」のために、
お伝えさせて頂きたいと想います。

「沈黙」が、如何に大切であるかということは、
アトランティス文明の頃の大司祭であった、
トートさん著『エメラルド・タブレット』の中に、
次のように書かれてあります。


沈黙は、偉大なる価値あるものなり。
ことば多きは何らの益もなし。

沈黙は進歩への大なる鍵である。
沈黙でもって汝自身の内に力を保持せよ。

我々は喋ることによって力を放出している。
沈黙はこの逆である。

何かを計画していても、それに着手するまでは
他言してはいけないというのはこの沈黙の教えによる。


「沈黙」という叡智は、古代グノーシス派の中で
受け継がれて来たものであり、口伝によって、
教え伝えられて来たものです。

この叡智は、永らく、2000年間、
厳密に隠し通されて来たもののひとつであり、
私たちの、いま・この時期のために公開する機会を得て、
ここに明かします。

このようなものを明かす理由は、その伝承者が、
地球地表上に、ひとりもいなくなってしまったいま、
これ以上、口伝のままにしておいても意味がないから、
隠し通しておく意味が全く無くなってしまったからです。

宇宙の波に乗り、アセンションを果たし、
「弥勒の世」の世界に入る方々には、
このような内容も、知っておいて頂かなければ、
困るからです。

しかしながら、この叡智を受け取ることが出来る者は少なく、
それは、最後まで実践行動に及んだ者にのみ、
その王冠が頭(こうべ)に授けられる。

つまり、これを、ただ肉眼で読むだけでは、
頭で理解するだけでは、全くもって得るものなし、
と云われています。

それは、“不言実行”によって、“守り通す”ことにあります。

また、この叡智は、単に、黙ってしゃべらないという意味ではなく、

“隠密のうちに実行されたのち、成就を果たす”

そして、

“右手が行なうことを、左手に知られてはならない”

というものです。

偉大なる計画があり、それを遂行しようとするときに、
そのことを誰にも話してはいけないし、知られてはいけない。

何らかの計画があることすらも知られてはいけないし、
自分自身が、それを知っているということすらも、
知られてはならない。

これは、錬金術の最終過程にある奥義であり、
錬金術を学ぶ者であれば、どなた様であっても、
必ず、クリアしなければならない最終課題試験です。

この最終課題試験をクリアすれば、
あなたは、本当の錬金術師となるための印が与えられます。

その印を、あなたに与えるのは、
地球内部世界の中心地「シャンバラ」にいる、
シャンバラ・マスター144人のうちのひとり、
ヒンドゥー神として知られています、
ガネーシャさん、その人です。

彼の身体の皮膚の色彩は、
水色よりも少し濃い程度の青色なので、
決して、見間違えないようにしてください。

彼が、ハッキリと目の前に現れて来て、
あなたが日本人であれば日本語で、
あなたがアメリカ人であれば英語で、
といった具合にハッキリと、あなたの母国語でもって、
あなたに伝えられます。

最善なるスピリチュアル・ガイドたちの言葉は、
いつでも、何となくや、気のせいでは有り得ない、
ハッキリとした言葉で伝えられます。


あなたが、この、“沈黙のレッスン”を
日常生活の中で活用するのであれば、
例えばの話、「内なる声」を通して、
“宝くじで大金が当たる”という直観を受けたとします。

これは、自分自身の思い込みで、
宝くじを買って大金を当ててやろう、
だとかいうものではないです。

あくまでも、直観的に受け取ったメッセージとしてです。

あなたは、そのとき、宝くじを買うことも、
買おうとすることも、誰にも話してはいけないし、
知られてはならない。

その後、宝くじを買ったことも、
何処かに仕舞って保存してあることも知られてはならない。

これを掟として、絶対的に守り通さなければならない。


宝くじの例では、現実離れしてるだろう…
と云われてしまいそうですね★

それでは、例えば、あなたが、
絶対に逃したくない異性と出会ったとします。

何とかして、その彼や彼女と結ばれたい、
結婚したいというほどの運命的な出会いです。

ふたりは想い合い、慕い合っていますが、
遠距離恋愛、あるいは、お互いの仕事が忙し過ぎて、
それは、愛を育むための試練なのか困難なのか、
よからぬ邪魔が入ったり、擦れ違いがあったりします。

しかし、それを、絶対的に祈願成就したいのであれば、
ふたりが出会って、知り合ったこと、その後、
恋愛中であることなどを、誰にも知られてはならない、
気づかれてはならない、ということです。

確かにその願望が成就するまでは、
沈黙を保たなければならないということです。

ただ、この場合、芸能人や有名人など、
プライバシーがないような立場にある方々には、
困難を極めるかもしれません。

それが、「未来のヴィジョン」を観て、
誰の目から観ても最重要な出会いなのであれば、
お節介な光の住人の誰かが、シールドを掛けて、
あなたがたを守護するかもしれませんね★


「沈黙」はまた、一国の危機管理にも応用出来ます。

私たちのいま・この時期には、宇宙全体の大転換、
及び、私たちの太陽系と、地球のアセンション計画だけは、
決して、避けて通ることの出来ない大イベントです。

そのとき、

★何を守り通すことが、地球と宇宙の発展に貢献するのか

ということを、第一に考慮に入れておく必要があります。

私たちの時代は、「隠し事の出来ない」時代へと突入しています。

「隠すこと」は、沈黙とは違います。

ですから、「隠すこと」に焦点を置くのではなく、
「何を伝えて」、「公開するか」に焦点を置きます。

そこでは、「真実を知らせる」ということを、
魂意識からの、純粋な想いで発信する必要があります。

あるものについて、隠しておくべきか、
公開するべきものなのかは、そこに、

★天意があるかどうかを検証確認してください

天意があるものには、如何なる場合においても、強力な守護があります。

少数ながら、まだ、闇の残党勢力が残っています。
それに加担する獣たちが増加しています。

この場合の沈黙とは、もちろん、
単に黙ってしゃべらないという意味ではなく、
“感情の沈黙”です。それは、

★自分自身に自信を持つこと
★動揺しないで、不動心でいること
★怒りに翻弄されないこと

です。

獣と化した者たちは、人間の姿のままであり、
私たちの見た目とは、何ら変わりがありません。

ただ、魂が抜けています。

獣たちは、怒りで挑発して、
私たちの心を翻弄してきます。

その怒りに対して、怒りで返してしまっては、
彼らの思うつぼであって、彼らは、
世界中を、混乱状態に陥れたいのです。

獣たちの前では、心を動かしてはいけないし、
一切の感情を止めてしまわなければなりません。

また、情けに溺れてもいけないし、
情に流されてもいけません。


これ以外の例であっても、あなたが、
絶対的に成就させたいこと、人生生活の中で、
これ以上の出来事はないだろうというほどの、
最も重要なイベントを成就させたい、というときに、
この、“沈黙のレッスン”を行なうのであれば、
それは、必ずしや、成就されることが約束されます。

なぜならば、それは、宇宙の法則に
純粋に従った結果を受け取るのに過ぎないからです。
 
 
なんかネットで発信しているの中には、
本物なんていないんだ、
ネットで発信しているということだけで偽物だ!
と決めつける様な人もいます。
何故かと言うと、重要な情報というのは、
必ず口伝で伝承するもので、
ネットなんかで広めることはない!というのが、
根拠だそうです。
でも、
伝承者が地球地表上に、ひとりもいなくなってしまった、
ということなので、
これ以上、口伝のままにしておいても意味がないから、
隠し通しておく意味が全く無くなってしまった為、
ネットで発信している方もいらっしゃいます。
 
私がここで問題に感じるのは、
ネットには偽物しかいないのか、
本物もいるのかということよりも、
ネットで発信しているのは偽物だ!という、
真偽を確かめることが出来ない様な情報を、
鵜呑みにして広めているという部分です。
これも二元論なんですよ。
これを基準にすれば、
ネットで発信しているかどうか?
Yesなら偽物!Noなら本物!という、
短絡的な判断で済ませてしまうことになります。
その元ネタは真実なんでしょうか?
どうして真実だと感じたのか?と言うと、
驚くことに、そういった人が”本物の霊能者”だから、
ということだから、だったりします。
その前提が間違っていたらどうなんでしょうか?
 
鵜呑みにしている他人を批判する人が、
鵜呑みにしている、
怪し気な情報を元に、
仮定を積み重ねて結論を出している、
そして他人を裁いているとしたら、
元の情報が嘘だった場合、
全てが崩れ去ってしまいます。
 
他人の真偽を確認出来ない様な情報を、
土台にしてしまっては、
最終的にはひっくり返ってしまうこともあります。
何を土台にするのか?と言ったら、
自分の経験から理解出来たことです。
経験したことなら、
それが本当のことだと自分は分かっている訳ですから、
揺らがないんですね。
 
 
私は普段からこんなブログを書いているのに、
ツイッターでは、
自分を持ち上げてくれる人に対しては、
その人が宇宙法則に反することをしているのに、
「あなたは間違っていない!
そういう行動を取っても、
ブレることはないし、大丈夫だよ!」
とか言って、厳しいことを言わないとしたら、
なんていい加減な人だろう、
全く信じられないとか思いませんか?
自作自演だなんて言って、
全然理解しないじゃないか!と、
呆れてしまうのではないでしょうか。
 
だから私は人と慣れ合うようなことは出来ないし、
群れをつくることもしないです。
どうしても”身内”みたいなものが出来ると、
その人達には甘くなってしまいますよね。
 
SNSでは自分を持ち上げてくれる人ばかりを、
周りに集めてしまうと思います。
あなたがこういう人はダメだと判断する様に、
誰かの意見に反論する様に、
どんなに正しいと感じられることを選択しても、
それに対して反対する人は必ずいます。
自分に賛同してくれる人ばかりしかいなくて、
いつも共感してもらえる時、
ちょっと立ち止まって、自分の立ち位置を、
確認した方がよいと思います。
 
では逆のパターンはどうか?
自分が逆の立場だったらどう言うか?
様々な視点から眺めてみて下さい。