「引き寄せの法則」(エスター・ヒックス+ジェリー・ヒックス著)

という本を教科書にして、

引き寄せの法則についてまとめてきました。

次のステップとして、

「お金と引き寄せの法則」(エスター・ヒックス+ジェリー・ヒックス著)

という本があるので、こちらをご紹介したいと思います。

 

エイブラハムが教える引き寄せの法則について書いた記事は、
下記になります。
 
「引き寄せの法則」(エスター・ヒックス+ジェリー・ヒックス著) より
 
「お金と引き寄せの法則」(エスター・ヒックス+ジェリー・ヒックス著)より
 
 
 
 
こちらでお伝えしているのは、
宇宙法則の引き寄せの法則です。
潜在意識をどうこうする引き寄せではないです。
解釈が真逆になりますので、
潜在意識系の方は読むのをご遠慮下さい。
(ちなみにこういう風に書くのも法則が働いているからです)
 
エイブラハム達が伝える「引き寄せの法則」
というのは、
似たものを引き寄せる法則のことで、
思考が現実化する法則のことではありません。
考えると波動が出て、その波動に応じて、
引き寄せの法則が働きます。
引き寄せるのは現実的、物質的なものだけではないのです。
引き寄せの法則を伝えていない、
カウンセラー、アドバイザー、メソッドにご注意下さい!
注意喚起を強く行なっています! 
 
 

「お金と引き寄せの法則」(エスター・ヒックス+ジェリー・ヒックス著)

という本の、喜びとお金の源泉としてのキャリアという箇所を、

ご紹介したいと思います。

 

キャリアとは?(エイブラハム) 

人にまず聞かれること(エイブラハム)

引き寄せの法則とキャリア(エイブラハム)

空虚さの満たし方(エイブラハム)

「思考は現実化する」との出会い(エイブラハム)

ポジティブな気分(エイブラハム)

与えずに得る(エイブラハム)

行動で相殺する必要はない(エイブラハム)

地球へようこそ(エイブラハム)

いちばん大切なこと(エイブラハム)

ドアの開け方(エイブラハム)

欲しいのか?しなければならないのか?(エイブラハム)

 

という記事の続きです。

 

 

引き寄せの法則は似たものが引き寄せられる法則なので、
ネガティブないい気分のしない思考をしていれば、
どんどん似たような思考を引き寄せてきますから、
転換する、肯定的な側面を見る必要があります。
しなきゃいけないのか?しなくてもいいのか?
ということを論じる人がいますけれども、
いい経験を人生の中に引き込みたいなら、
いい気分になる様な考えに転換しなきゃいけないです。
思考が現実化するという意識想念の法則がありますから、
いい気分のしない思考を続けていれば、
それが経験として現れます。
今とは違う人生にしていきたいなら変える、
今のまま浮かんだり沈んだりし続けていてもいいなら、
する必要はないです。
 
善悪判断するのがダメなのではなくて、
善悪というのは、立ち位置によって逆転する、
いつも相反する見方が生じるものだから、
しても意味がないのです。
絶対的な善も絶対的な悪もないので、
自分がどうあるかということが大事になります。
明確な善悪がないからこそ、
自分にとっての善、自分にとっていいもの、
いい気分のものは何か?を、
しっかり見つけて行く必要があるのです。
 
よく子どもたちが小さい頃に、
泥棒の国と警察の国があったとしたら、
という話をしたのだけど、
泥棒の国の人は盗むのが善いことで、
警察は敵になるし、
警察の国の人は盗むのは悪いことで、
泥棒は敵になる。
その人達の立場によって、
善いこと悪いことが違ってしまう。
泥棒の国の人の中には、
自分が得する為に盗むのではなくて、
貧しい人困った人を助ける為に、
盗む人もいるだろうし、
警察の国の人の中には、
狡い事をして自分だけ得しようする人もいるでしょう。
 
何が善くて何が悪いのか。
何が正しくて何が間違っているのか。
それを自分で決めて行くんだよ。
といった話です。
 
そのとき、原因と結果の法則、
アミ小さな宇宙人ではブーメランの法則、
という風に説明があったので、
子どもたちには、
必ずブーメランが返って来るから、
どんなブーメランが返ってきて欲しいのか?
ということを考えて選びなさいと教えました。
 
例えば、お腹を空かせている小さな子どもが、
パンを盗んだとして、
それは泥棒だから捕まえて罰を与えなくてはいけないのか?
小さな子どもはみんな、守られて安全に暮らせる様に、
大人が守らなきゃいけない。
盗まないと食べられないくらいに、
お腹が空いている場合、
そういうのは盗みなのかな?
悪い事なのかな?
じゃあ、悪い盗み、泥棒はどんなことかな?
もし、とっても大事にしているものを、
誰かに盗まれたとする。
その場合はどうかな?
色々な場面を想像してよく話し合いました。
 
じっさいには本人はそうしたくないのに、
催眠術をかけたり、暗示にかけたりして
こちらの思うように動かすのがいけないんだよ。

たとえば、宣伝とかコマーシャルのばあいだよ。

おおぜいのひとを洗脳して、
売りたいものを売ったりね……

一部の広告業者が、宇宙の法から見て
どんなにひどい不正を犯しているか、
彼らはそれにまったく気づいていない。

……そしてかならず言うんだ。

”ど、どうして神はわたしをこんなに罰するの?”
”わたしは、なにも悪いことしてないのに”……」

「なにが言いたいんだい?アミ」
とクラト。

「宇宙の基本法は愛だ。
それを破ったときは、とても苦しむのさ。

だって、
自分のしたことはぜんぶ自分に返ってくるからね。

もし、その広告業者が、
自分たちの知識と才能を
人類の幸せにつながることや、
意識の進歩をたすけるようなことに使えば、
それとひきかえに、
すばらしいものが受け取れるんだよ。

だから、これを”ブーメランの法則”ともいうんだ」
 
「アミ3度めの約束」(エンリケ・バリオス著)より

 

”自分のしたことはぜんぶ自分に返ってくるからね”
ここをしっかり理解すれば、
自ずと何が自分にとって善で、
何が悪か分かるはずです。
でもそれは他人と違う場合もあります。
それはそれでいいのです。
 
 
宇宙法則のあらゆるものに二極あるという法則について、
下記の説明もよくご紹介しています。
 
試練や苦しみは人間が作り出したものです。
 
試練や苦しみはなく、ただ現象が起きた時に、
これは試練だとか苦しみだという観念を人間が作り出したのです。
 
たとえば、転んだ時、倒れたという経験をしただけで、
歩くことと、転ぶことに、たいした違いはありません。
 
悲しみから人を救うのではなく、
これは悲しいことではないかもしれない、
という知恵をもたらし、
とらわれや固定観念から人々を解放することです。
 
物事を反転させた時に、
そこに気づきと喜びがあるのです。
 
この星の人は、ひっくり返っていることに気づいていません。
 
人は、気づきを気づきとして理解できません。
 
「宇宙の羅針盤・下」(辻麻里子著)より
 
”悲しみから人を救うのではなく、
これは悲しいことではないかもしれない、
という知恵をもたらし、
とらわれや固定観念から人々を解放することです。
物事を反転させた時に、
そこに気づきと喜びがあるのです。”
と、ここでは反転という表現がありますが、
一つの物事の両極を見ないと、
軸が定まらないんですよね。
 
一つの物事の両極を比較しなきゃいけない話を、
別々の物事を引っ張り出してきては、
比較し続けるという人も多いです。
話がすり替わっているのだけれども、
本人は気付きません。
そこで何が起きているのか?というと、
その人自身が、見たくない何かを避ける為に、
どんどん遠ざかってしまっているのです。
自分を正当化する為に、
関係のない二つを比較しているのですが、
ここの問題点としては、
鵜呑みにする人を惑わせて誘導しているところです。
 
上記の例だと、
”試練や苦しみはなく、ただ現象が起きた時に、
これは試練だとか苦しみだという観念を人間が作り出したのです。
たとえば、転んだ時、倒れたという経験をしただけで、
歩くことと、転ぶことに、たいした違いはありません。”
とありますが、
試練や苦しみは嫌なもの、悪いものだからダメなんだ、
転んだ、倒れたなんて悪い事が起きた、ツイていない、
という風にネガティブに捉える様な、
思考パターンを持っていたりして、
何かの現象に対して試練や苦しみと捉えているだけ、
転んだ、倒れたを善悪判断しているのは、
あなたの固定観念であって、絶対的なものではない、
ということを、
どうしてだか受け入れることが出来ないんですね。
ああそうか、と受け入れられる様な捉え方を、
経験を自分の中から引っ張り出してこれたら、
物事には両極あるんだなと分かってきます。
でもその為には、
目を背けてきた自分の心の闇と対峙することになります。
 

たとえば四人が集まり、
何かが起こったとすると、
その出来事に対して四つの感情体験が生じ、
それらはいずれも各自の認識において
正しいことになります。

一見客観的と見なされる一つの出来事について、
四つの認識結果が生まれるということです。

この点は
どうしても明確にしておきたいところです。

わたしたちは人生での出来事を
全部あなたがつくり出している
と言っているわけではありません。

なかにはそういうケースも存在しますが、
ここでわたしたちがお伝えしたいのは、
人生におけるさまざまな出来事の
中心となるような、すべての体験に対する
内的姿勢をつくり出しているのは
あなた自身であるということです。

あなたが自分の体験をどう認識するかは、
あなたの信念、意図、受けとめ方や感じ方、
あるいは密かな予定表や、
その出来事に対する
感覚・感情などにもとづいているのです。

 

「ハトホルの書」
(トム・ケニオン&ヴァージニア・エッセン著)より

 
”何かが起こったとすると、
その出来事に対して四つの感情体験が生じ、
それらはいずれも各自の認識において
正しいことになります。
一見客観的と見なされる一つの出来事について、
四つの認識結果が生まれるということです。”
という説明があります。
他人の経験や他人の感想というのは、
参考程度にしかならなくて、
人それぞれ違うものなのです。
 

”あなたが自分の体験をどう認識するかは、
あなたの信念、意図、受けとめ方や感じ方、
あるいは密かな予定表や、
その出来事に対する
感覚・感情などにもとづいているのです。”

とある様に、

全く同じである人なんて、いませんよ。

誰かの意見を探し回っても意味がないんです。

自分にとっての正解は、自分の中にしかありません。

言い換えると、
誰かの意見に従っても自分にとっての正解とは、
限らないので、そういう生き方は不正解です、
となりますよね。
正解があるものと、ないものがあります。
私は何でもいいんだよ、正解なんてないんだよ、
とは言い切りません。
これも両極あるということになります。
 
”内的姿勢をつくり出しているのは
あなた自身であるということです。”
という説明がありますが、
これもまた自分で現実を創っている、
ということでもあります。
自分の思考が現実として現れるし、
現実として現れたことをそれぞれが好きに解釈するので、
現実的な経験というのは自分が創造しているのです。
 
一見自分の外側で起きているかに見える出来事は、
実際のところあなたの内側に反応を生み出すきっかけ、
触媒であるにすぎません。

出来事そのものは本質的には空です。

それは引き金であり、あなたの意識のなかに
何らかの反応を引き起こすのです。

人は人生というイニシエーションの過程を通過しながら、
しばしば困難として立ちはだかる無数のものごとに
感覚的、感情的に反応します。

それは人であることの本性です。

もしそうした感覚・感情反応を自覚しつつ、
それを自己への思いやりをもって体験し、
愛によって自身の内側を見つめるなら、
あなたの苦しみをつくり出している
二極性をそこに認めることができるでしょう。

その二極は、あなたの意識のもっと深いレベルにある
信念と選択とに支配されているのです。
 
「ハトホルの書」
(トム・ケニオン&ヴァージニア・エッセン著)より

 

”出来事そのものは本質的には空です。”

というのは、ゼロについての説明と同じです。
 
ゼロとは、なにもない状態を指すのではなく、
すべての数字を含むことができる、
最大の数字であり、
もっともパワフルな数字である。

プラスとマイナスの数値が等しく、
完全にバランスのとれた状態を表現している。

たとえば真空状態というのは、
なにもない状態ではなく、
プラスとマイナスが
同量存在していることを意味する。

「心をゼロにする」という言葉は、
心を空っぽにするのではなく、
相反する正負のバランスを完全なる一点に束ね、
そのゼロポイントを探すこと。

プラス思考でもなく、
マイナス思考でもない、
その中央に位置する不動の領域こそが、
ときにさらされるのことのない永遠の場所なのだ。

「22を超えてゆけ」(辻麻里子著)より
 
空というのは空っぽではない、
ということになります。
どんな解釈も出来るよね!
だから善悪判断なんて”意味がない”ということなのです。
意味がないのだからこそ、
好きに選択できますよ!
ということで、
その好きを見つける時には、
感情を指針にします。
それだけではなくて、
私がオススメしたいのは、
ブーメランが返ること、
原因と結果の法則があることを考えて、
その選択をして自分に同じことが返ってきたら、
どう感じるか?まで見ることです。
 
これは自分が得しそうだ!
でも誰かに同じことをされたら嫌だ、
そう思うならやめた方がいいです。
 
お金の為に、
お客さんを言いくるめて誘導する商売の仕方、
本当にあなたの望んでいることでしょうか?

同じことを別の誰かにされても、

それはいいね、いい気分だと思えますかね?

逆に言うと、

同じ様な商売をしている人がいたら、

自分なら商品を買うだろうと思える様なものを、

お客さんに提供できるなら、

他の人が何を言おうと自信を持てる、

揺らがないでいられると思います。

 

自信が持てないのは何故か?

自信を持とうとしなくても、

自分を信じるということですから、

自分の選択にこれだという確信があれば、

自信は持てますよね。

自信が持てないのは、

それなりの理由があるのではないでしょうか?

 

 

エイブラハム あなたの経歴は
わたしたちがここで話していることを
はっきりと裏づけている。

若いころに楽しくない
厳しい仕事をしていたおかげで、
自分が何を望まないかがはっきりしただけでなく、
何を望むかもはっきりした。

そうだろう?

そして10代では
まだ楽しくない仕事をしていていも、
かなりの時間を
─実は自由な時間のすべてを─
本当に好きなことをして過ごした。

そこで、楽しい創造の方程式の
二つの部分が埋まったわけだ。

厳しい仕事のおかげで
何を望むかがわかった。

そして、音楽や体操や
自分が好きなことをしているときにはいつも
「許容・可能にする」状態だった。

そこで「宇宙」は、
あなたが望む自由と成長と喜びが
得られる最も抵抗の少ない道を
開いてくれたんだよ。

若いころに厳しい仕事をしていて
ちっとも楽しくなかったから、
あなたはおかしなというか、
奇妙なというか、
とにかく人とまったく違う
少数者の仲間入りをして、
至福を求め続けることを自分に許した。

そのことがさまざまな願望の実現へと
つながった。

ほとんどの人は、自分が望むこと、
しなければならないと信じていることとの
はっきりした違いを感じている。

そしてほとんどの人が、
お金を稼げるのは
「しなければならないこと」だと
考えている。

だから、なかなかお金が入ってこないし、
いつも足りない。

明るくていい気分になる思考という
道をたどるだけの賢明さがあれば、
至福の道が望むすべてへと
導いてくれるだろう。

人生の肯定的な側面に
意図的に目を向ければ、
「本当の自分」や本当に望むことと
波動が調和する。

波動が調和すれば、
「宇宙」がきっと願いを
実現する有効な手段を与えてくれる。

「お金と引き寄せの法則」
(エスター・ヒックス+ジェリー・ヒックス著)より
 
”そこで「宇宙」は、
あなたが望む自由と成長と喜びが
得られる最も抵抗の少ない道を
開いてくれたんだよ。”
とありました。
 
娘は同じ中学校に通っていた、
SNSでよくバズっている様な、
目立つリーダー的な子を可愛いと思っていました。
なんか、よくバズる子は、
この商品を宣伝してもらえませんか?っていう依頼が、
来るんだってね。
その子も宣伝して謝礼を貰ったりするそうです。
クラスが違うので、交流はなかったのだけど、
ここ何カ月か、その子から、すごく可愛くなったね、
今度一緒に遊ぼうと、声を掛けられたり、
SNSにコメントをもらったりする様になったと。
でも、嬉しい反面、緊張してしまって、
今一つ、仲良くはなれなかったそうです。
私から見ても、憧れが強すぎてガッチガチみたいな感じで、
せっかく相手から誘ってくれているのになと思っていました。
中学生の頃を思い返すと、
ちょっと発する言葉がキツい、負けん気の強い感じの性格の子だったので、
相手の方から娘の機嫌を取ったり馴れ馴れしくしたり、
ということもしないのでしょう。
 
この二人はどうなるのかな?と思っていたら、
夏休み中に進展がありました。
先日、娘が、友達とコスプレをしてプリクラを撮りに行った時に、
(電車で1時間くらいかかる場所)
人気の喫茶店に入って、お茶をしていたら、
窓の向こうにその子が通りかかって、
合流したんだそうです。
一緒にプリクラを撮った友達と仲良しなので、
自然に話す様な流れになったのだと。
それでも相槌ばっかりしか出来なかった!と言っていたのだけど、
お互いの壁がなくなって、少し仲良くなれたみたいです。
相手の方は娘が大人しそうな子だと感じていたので、
遠慮していた様です。
高校デビューしちゃって!みたいな、
馬鹿にした様な感じじゃなくて、
すっごく可愛くなった!いいね!性格も明るくなったね!
と好意的に受け取ってくれているみたいです。
元々凄い美少女だけど、
メイクもスキンケアもSNSの動画や写真も、
努力して工夫して、こだわっているそうで、
だから同じ様に努力している娘を認めてくれたんだね。
学校で話すより、出掛けた先で、偶然ばったり、
という方がずっと話しやすいだろうし、
コスプレ(自分の学校の制服を好きなアニメ風にアレンジした)という、
ちょっと特殊な状況だったので、どうしたの?と、
盛り上がったみたいです。
 
双方、仲良くなりたいなと思っていたんだけど、
無理矢理距離を縮めることはしなかった。
そうしようとすると娘は抵抗を感じた訳です。
いい気分ではなかった。
でもお互いに対して好意的なポジティブな感情を持っていたので、
”あなたが望む自由と成長と喜びが
得られる最も抵抗の少ない道を
開いてくれたんだよ。”
ということで、
抵抗が少ない形で仲良くなれる機会を得た訳です。
 
地元のお店ではなくて、ばったり会いそうにもない場所で、
窓の向こうにその子が通りかかったとか、
これが男女だったら”運命だ!”とか思いそうなパターンですよね。
娘は本当に、いい流れに乗っているなと思います。
 
 
息子の場合は、反してもっとゆっくりした流れです。
どっちかというと引きこもり気味で、
この前”チー牛”というのを知ったんだけど、
えこれ君のことだよね?と聞いてしまって、
やめろ!そういうこと言っちゃだめ!
みんな泣くから!と怒られたのね。
娘と息子は本当に正反対な感じで、
まぁ面白いなと思うんだけど。
大人しい目立たない息子は、
あまり人とも関わらないし、
学校と家の往復でゲームばかりやって、
どうするのかな?と思ってたら、
入っていたサークルが、
学生プロジェクトという学校が援助してくれるものなので、
何かと先生や先輩とのやり取りが多くて、
息子が考えていた程、引きこもっていられなくなりました。
小学校からの夢で、この大学に進学した理由でもあるので、
人と付き合うからといって辞めるということは考えられない。
サークルに入部する人が少ないので、
息子が部長になってしまって、
結局、オープンキャンパスでの展示とか説明をやったり、
新入生の指導を毎週行なったり、大会に出たり。
オープンキャンパスでは一日中話し続けて、
声が枯れそうなんて言っていて、
今までこの子がこんな沢山の人と話したことがあったかしら?
と驚いています。
のど飴を用意して持たせました。
 
本人は引きこもりたいと言っているんだけど、
結果的にそうも出来なくなった、
でも無理矢理出て行くんではなくて、
徐々にそういう方向になった、
”あなたが望む自由と成長と喜びが
得られる最も抵抗の少ない道を
開いてくれたんだよ。”
ということなのです。
受け入れるしかないし、好きだからやろう、
みたいな感じです。
人との関係でも沢山得るものがありますから、
こういう形で経験させて頂けて、
本当に有難いなと思います。
親だけでは教えられないものですから、
彼には彼の良さがあるので、
人との関係の中で発揮していけたらいいなと思います。
 
宇宙の流れに乗るっていうのは、
本当に抵抗の少ないパターンを、
創ってくれるんだなと、
とてもよく分かる例でした。
 
”明るくていい気分になる思考という
道をたどるだけの賢明さがあれば、
至福の道が望むすべてへと
導いてくれるだろう。
人生の肯定的な側面に
意図的に目を向ければ、
「本当の自分」や本当に望むことと
波動が調和する。
波動が調和すれば、
「宇宙」がきっと願いを
実現する有効な手段を与えてくれる。”
とありました。
無理や我慢なんかは必要ないんですね。
二人の共通点は、好きなことに夢中になった、
ということです。
それだけで、流れが出来て、
どうやってかは予測できないけれども、
望む結果を得られる様になります。
 
子どもたちを見ていて、
これ本当に大事だな!と思います。
大人になるとなんだか、好きということを、
優先しなくなりますよね。
義務とか責任が先に来てしまって。
 
私も最近、好きだなと思うことをやる機会があって、
お金にはならないんだけど、
(それは困ったことかもしれないんだけど、)
楽しいなと感じています。
文字通りワクワクします。
あー私ってこういうことが好きだったんだなと。
その私の行なったことを、
喜んでくれる人もいるので、
それを知ると私も胸の辺りからぶわーっと、
喜びの感情が湧いてきます。
好きでやったことが誰かの役に立った、
(微々たるものだけど)
それはすごく幸せなことですよね。
 
ジェリー 例えばエスターとわたしは
あなたがたとのワークで
収入を得ようとは思っていませんでした。

あなたがたから学ぶのが
とても楽しかったし、
学んだことを応用して
素晴らしい結果が現れるのに
ワクワクしていたのですが、
でも、あなたがたとの交流を
ビジネスにしようなんて
思ってもいませんでした。

ただただ楽しくて、
ためになる経験だったのです
(今でも楽しいことに変わりはありません)。

ところが今では、これが世界規模のビジネスへと
劇的な拡大を遂げているんです。

エイブラハム それでは、
あなたがたの人生経験が拡大し、
同時に思考や願望も拡大したというのだね?

そして初めはどんなふうに展開するか、
細かいところまではわからなかったけれど……
楽しかったし、明るくていい気分でいたので、
それがわたしたちに会う前、
この仕事を始める前から抱き続けていた願望と
目標実現への力強い道になった、
ということだね?

ジェリー そうなんです。
もともとあなたがたと交流したのは、
ほかの人が金銭的に成功できるように
手助けするための、
もっと効率的な道を学びたかったからでした。

それに自然な「宇宙の法則」と
調和した生き方も学びたいと思いました。

ジェリー そんなわけで、
わたしの今までのキャリアとよべるものの大半は、
お金を稼ぐ手段として始まったのでは
ありませんでした。
たいていは楽しいからしたことで、
それがやがて収入につながったんです。

エイブラハム あなたは長年楽しんでいた。
実はそれが本当の
成功の秘密(シークレット)なんだよ。

若いころに、明るくていい気分になることが
自分にはいちばん大切だと決めたから、
その意図を実現する興味深いことを
いろいろ発見できたんだ。

当時は、「すべての成功の秘密(シークレット)は
いつも自分を幸せにすること」
だとは気づいていなかったんだろうが。

あなたがたの多くは、
自分の幸福を求めるのは
自己中心的で不適切だ、
本当の目標は努力や責任や
闘いや犠牲を伴うものだ、
と教えられてきた。

だが、努力して責任を持って
人を高められて、
しかも幸せでいることはできる。

そこを理解してほしい。

それどころか、
本当の幸せとつながる道を
見つけなければ、
ほかの目標も真の価値の裏づけがない
虚しいうつろな言葉にすぎないだろう。

「本当の自分」とつながった
力強い自分になってはじめて、
人を高めることもできるのだ。

人はよく「仕事をしたくない」と言うが、
それは「お金を稼ぐために
嫌なことをしなければならないところへは
行きたくない」という意味だ。

わたしたちがなぜかと聞くと、
その人たちは「自由でいたいから」と
答える。

だが、あなたがたが求めているのは
行動からの自由ではない。

楽しい行動もあるからだ。

それに、あなたがたが求めているのは
お金からの自由でもない。

お金は自由と同義語だから。

あなたがたはネガティブなこと、抵抗、
「本当の自分」になれないこと、
もともと自分のものである豊かさが
否定されていること、
そういうことからの自由を求めている。

あなたがたは欠乏と満たされないことからの
自由を求めているのだ。

「お金と引き寄せの法則」
(エスター・ヒックス+ジェリー・ヒックス著)より

 

ジェリーさんたちは、

元々、エイブラハムの教えで仕事をするつもりは、

なかったそうです。

この本は2009年に初版とあります。

それから”世界規模のビジネスへと
劇的な拡大を遂げている”訳ですね。

未だに、引き寄せのアドバイザー、カウンセラー、コーチングなどで、

商売をしている人が沢山いますし、

増え続けていると思います。

 

その人達は、

”お金を稼ぐ手段として始まったのでは
ありませんでした。
たいていは楽しいからしたことで、
それがやがて収入につながったんです。”

といった状態なんでしょうかね?

私からすると、そうは見えず、

しのぎを削り合っている様に見えます。

法則の通りならそんな必要はないはずですよね?

でも、自分のメソッドが如何に素晴らしいか、

誰よりも優れているかを、

売り込むバトルが繰り広げられています。

他者を下げたりね。

争うのが楽しいという人達なのかもしれません。

 

 

”あなたは長年楽しんでいた。
実はそれが本当の
成功の秘密(シークレット)なんだよ。”
とあります。

 

いい流れというのは、

本当に楽しんでいる人には、

当たり前の様に乗れるものだと思います。

それが法則だからです。

無理をせず自然体で、いつの間にか、

という感じで望んでいたところに辿り着きます。

 

”「本当の自分」とつながった
力強い自分になってはじめて、
人を高めることもできるのだ。”

とありますね。

本人達が楽しんでいるから、

他者にも結果的にいい影響を与えることになります。

これは本当にそうです。

 

引き寄せ界隈のビジネスは、

飽和状態ですよね。

法則なんだから、目新しいことは何もなく、

同じことを言うしかないのにも関わらず、

自分のメソッドは特別だと売り込む。

その為にわざとインパクトのある表現や、

言葉を選んでいるのかもしれません。

だから、本当の法則とはかけ離れたものになっていく。

流れを見ると、オワコンですよ。

楽しんでいるというより、

叶う?叶わない?という強迫観念に駆られて、

必死な感じです。

 

あの人達の叶う、叶わないという発想そのものが、

ちょっとおかしいものです。

 

思考は現実化するので、

いつでも叶っています。

望んでいることを思考し続けたか、

望んでいないことを思考し続けたか、

その違いが結果に現れているだけです。

 

叶うか叶わないかという発想は、

法則を否定していますよね。

自力で叶えるのではないですよ、

自分の選択の結果が叶ったという状態です。

叶ってない状態はないです。

自力で行なうのは、

自分の思考の方向をどこに向けるか、

ということです。

 

あなたは素晴らしい存在だ。
もう他人にコントロールされる赤ん坊ではない。

物質世界の環境に適応し、
今─この本を読みながら─
自分という存在のパワーをフルに認識している。

もう荒れ狂う海に浮かぶコルクのように
「引き寄せの法則」に翻弄されることはない。

ついに自分の運命をコントロールする方法を
思い出した。

初期設定どおりの反応で
今の人生をそのまま受け入れるのではなく、
強力な「引き寄せの法則」を活用して
人生を意図的に導く力を取り戻そうとしている。

それにはこれまでとは違うストーリーを
自分に語らなければならない。

今まであった人生、今ある人生の
ストーリーを語るのはやめて、
自分が望む人生のストーリーを
語り始めなければならないのだ。

意図的に生きるには、
意図的に考えなくてはいけない。

そのためには
思考の正しい方向を決める基準点が必要だ。

あなたがこの世に生まれ出でたときと同じく、
必要な二つの要因は今もそろっている。

まず「引き寄せの法則」
(最も強力で一貫した宇宙の法則)が
すべてを律している。

そしてあなたのなかには、
きちんと出来上がって、
方向をフィードバックしようと待機している
「ナビゲーションシステム」がある。

あなたがしなければならないのはただ一つ。

一見すると小さな、
しかし人生を一変させること。

それは、
「新たなやり方で
自分のストーリーを語ること」だ。

自分が望むストーリーを語るのだ。

あなたが人生のストーリーを語るとき
(あなたは毎日言葉で、思考で、
行動で、人生のストーリーを語っている)、
あなたは明るくていい気分でいなくてはいけない。

どの瞬間もどんなことに関しても、
あなたはポジティブな側にも
ネガティブな側にも
焦点を定めることができる。

宇宙のすべての粒子には、
─時の果てまでのすべての瞬間には─
「望んでいる」と
「望みが満たされていない」
という両面があって、
波動しつつあなたが選択するのを
待っている。

あなたはいつもこの二つの選択肢を前にして、
すべてについて
望む状態に焦点を定めるか、それとも
望みが満たされていない状態に焦点を定めるかを選ぶ。

なぜなら、
すべての物事は実は二つの事柄から
成り立っているからだ。

あなたが「望むこと」、
そして「望みが満たされていないこと」
の二つである。

自分が今どちらかに焦点を定めているかは、
自分の感じ方で見分けることが出来る。

そして、その選択はいつでも変えられる。

「お金と引き寄せの法則」
(エスター・ヒックス+ジェリー・ヒックス著)より

 
”初期設定どおりの反応で
今の人生をそのまま受け入れるのではなく、
強力な「引き寄せの法則」を活用して
人生を意図的に導く力を取り戻そうとしている。
それにはこれまでとは違うストーリーを
自分に語らなければならない。”
とあります。
 
叶うとか叶わないとかは結果で、
その前の段階が大事なんですよね。
 
”意図的に生きるには、
意図的に考えなくてはいけない。
そのためには
思考の正しい方向を決める基準点が必要だ。”
とあります。
特別なメソッドが必要なのではなくて、
いい気分がする様な考え方を選択していく、

それを常に自分の中から探し出す、

その為に感情を観察する様にする、
ということが必要なだけです。

 

そう、あなたは自分の経験を
自分で創造している。

自分の経験は
自分で引き寄せているといってもいい。

創造とは、
何を望むかを明らかにして、
それを追いかけて捕まえることではない。

創造とは、
望むことに焦点を定め
─経験したいと思う事柄に
思考を正確に同調させて─
「引き寄せの法則」によって
それが引き寄せられてくるように仕向けることだ。

「お金と引き寄せの法則」
(エスター・ヒックス+ジェリー・ヒックス著)より

 

”望むことに焦点を定め

─経験したいと思う事柄に
思考を正確に同調させて─
「引き寄せの法則」によって
それが引き寄せられてくるように仕向けることだ。”
とあります。
思考を同調させるということで、
感情を観察するようにします。
こうしたらいい、
ああしたらいい、
ということを、
色んな人があちこちで言って、
それを探し回るから迷子になる、
ジプシーしてしまうんですよ。
色んな人があちこちで言うのは、
少しでも自分を売り込む為に、
何か他の人より抜きんでることが出来るように、
余計なことを付け足しているんです。
 
ネガティブに感じたそのものごとを、
ひっくり返してみて、
ポジティブに感じられるように、
別の捉え方をしてみる。
ただそれだけのことで、
その捉え方は人に教えて貰うものではないです。
自分の中にしか存在しない、
自分にぴったりとくる捉え方、
考え方を探さないと、
感情が動きません。
明るくていい気分になる、
ホッとするような見方を探してみて下さい。
これが出来る様になると、
カウンセラーやアドバイザー、コーチングなんて、
他人に頼る必要はないんだなと分かりますし、
情報収集に右往左往することもなくなります。
 
いつでも自分の中に答えがあるし、
”信念、意図、受けとめ方や感じ方、
あるいは密かな予定表や、
その出来事に対する
感覚・感情”がどう認識するのかに影響を与えるのだから、
自分にしか分からないことですよね。
 
もっと自分と向き合っていきましょう。
自信というのは自分を信じることを積み重ねるから、
ついていくものです。
沢山の考え方を自分の中から探し出して、
ああ、やっぱりこれが一番いい考え方だ、
私にはこれだ!これしかない!という風に、
納得している状態なら、他の人の意見は気にならないですよ?
他の人の意見を聞いても、反対されても、
でも私はこれだと納得したからと、自信が持てます。
自分を信じることは宇宙を信じることでもあります。
善悪は絶対的なものではないのだけれども、
法則は絶対的なもので、
宇宙は法則によって制御支配されているのだから、
絶対的に信じられるものです。
”「宇宙」は、
あなたが望む自由と成長と喜びが
得られる最も抵抗の少ない道を
開いてくれたんだよ。”
とあります。
法則を上手に活用すれば、
最善の道に入ります。
もう荒れ狂う海に浮かぶコルクのように
翻弄されることはなくなりますよ!