「引き寄せの法則」(エスター・ヒックス+ジェリー・ヒックス著)
という本を教科書にして、
引き寄せの法則についてまとめてきました。
次のステップとして、
「お金と引き寄せの法則」(エスター・ヒックス+ジェリー・ヒックス著)
という本があるので、こちらをご紹介したいと思います。
★注意喚起★
「お金と引き寄せの法則」(エスター・ヒックス+ジェリー・ヒックス著)
エイブラハム 多くの人が
お金の不足にピントを合わせているが、
同じように
時間の不足にピントを合わせている人も多いし、
たいていはこの二つの不足というテーマが
ネガティブにからみ合い影響し合っている。
普通この二つの不足がからみ合うのは、
成功するために
必要なことをするだけの時間がないと
感じるのが理由だ。
時間が足りないと感じる最大の理由は、
あまりに多くのことを行動によって
成し遂げようとするためだ。
波動の調和のパワーに気づかず、
調和を実現する努力をあまり、
あるいはほとんどしていないと
─怒りや恨みや気難しさなどに支配され、
そういう感情の視点から行動によって
何かを成し遂げようとすると
─時間が足りないと強く感じる。
エネルギーの調和を相殺できるような行動は
世界中どこを探してもないが、
自分の感じ方を大切にして、
まず波動のバランスを整えようとすれば、
どこに行っても「宇宙」が協力して
ドアを開いてくれると感じるはずだ。
エネルギーが調和していれば、
そうでない人に比べて
ほんのわずかな努力で済む。
調和している人の成果は、
そうでない人に比べてとてつもなく大きい。
時間かお金が足りないと感じているなら、
明るくて気分のいい考えに
ピントを合わせて、
肯定的な側面をたくさん挙げたリストを作り、
明るくていい気分になる理由を探し、
明るくていい気分になることをたくさんするのが
いちばんいい。
明るくていい気分になり、
肯定的な側面を見つけ、
「本当の自分」と調和するのに
時間をかければ、
素晴らしい成果が上がるし、
時間のバランスも
もっと上手にとれるようになる。
時間の不足はあなたの問題ではない。
お金の不足はあなたの問題ではない。
世界を創造する「エネルギーとのつながり」
の不足が、
足りない足りないと感じる気持ちの核心にある。
こういう欠落、不足を満たせるのはたった一つ、
「源(ソース)とのつながり」
「本当の自分」との調和だけだ。
あなたがたの時間というのは
概念的なもので、
時間の進み方はすべての人にとって同じでも、
時間の概念や自分に許容する成果には、
あなたが「本当の自分」と
調和しているかどうかが影響する。
自分が望む人生を描くのに時間をかければ、
問題に焦点を定めていたときには
得られなかったパワーにアクセスできる。
努力がどれほどの成果を上げるか、
人によって大きな違いがあることを見れば、
成功の方程式には
行動とは別の要素があるに違いないと
わかるだろう。
その違いは、ある人の場合は
思考の調和によって「てこ」の作用が働いて
成果を上げられるのに、
別の人は
自分の思考のせいでその「てこ」の作用が
働かないからだ。
あなたが1マイル走っていて、
その途中には2000のドアがあると
想像してみよう。
ドアのところへ来るたびに
立ち止まってドアを開けなければ
先に進めない。
だが近づくとドアが自然に開くなら、
まったくペースを落とさずに
走り続けられる。
あなたが世界を創造する
「エネルギー」と調和していれば、
立ち止まってドアを開く必要はない。
「エネルギー」との調和によって、
物事は自然にうまくいくから、
あなたの行動は自分が達成した
調和を楽しむ過程になる。
「お金と引き寄せの法則」
(エスター・ヒックス+ジェリー・ヒックス著)より
お金の不足にピントを合わせているが、
同じように
時間の不足にピントを合わせている人も多いし、
たいていはこの二つの不足というテーマが
ネガティブにからみ合い影響し合っている。”
成功するために
必要なことをするだけの時間がないと
感じるのが理由だ。
時間が足りないと感じる最大の理由は、
あまりに多くのことを行動によって
成し遂げようとするためだ。”
そうでない人に比べて
ほんのわずかな努力で済む。
調和している人の成果は、
そうでない人に比べてとてつもなく大きい。”
エイブラハム あなたは自分が望むことに
意図的に焦点を定め、
思考のパワーを通じて
創造するということを理解して、
この「最先端」という環境に
やってきた力強い創造者だ。
あなたがたは行動によって創造しよう
という意図は待っていなかった。
行動ではなく思考を通じて創造するのだと理解し、
そのやり方に慣れるまでには、
時間がかかるかもしれない。
だが、現在の状態ではなくて
自分が望むことを考えて口にすることが
どれほど大切か、
いくら強調しても足りない。
思考のパワーを理解するだけでなく、
その強力なツールを
自分が望むほうへ意図的に向けるなら、
人生の行動という部分は思考を通じて
創造したことを楽しむ過程だと
わかるだろう。
波動の調和を達成すれば
(いつも楽しいことを考えていれば)、
そのうえで行動のインスピレーションを感じれば、
あなたは両方の世界の最高を実現できる。
「源(ソース)」の周波数と
波動が同調していれば
行動にまったく苦労を感じないし、
行動のインスピレーションもわき、
その結果は常に楽しいだろう。
だが、波動を調和させずに行動すれば
大変だし、
非効率的で、そのうちへとへとになってしまう。
ほとんどの人は目前のことに対応するのに忙しく、
大切なことに取り組む時間がない。
また、多くの人はお金を稼ぐのに忙しくて
楽しむ暇がないと言う。
行動だけに頼って創造しようとすれば、
疲れ果てて創造を楽しめないことが多い。
「お金と引き寄せの法則」
(エスター・ヒックス+ジェリー・ヒックス著)より
(いつも楽しいことを考えていれば)、
そのうえで行動のインスピレーションを感じれば、
あなたは両方の世界の最高を実現できる。”
本来私達はエネルギー的存在(意識的存在)で各個人は、この宇宙で特定の領域座標を持って存在しています。
座標とは通常、x y z の3つの座標で表現しますが、これらは、過去・未来・現在や陰・陽・統合などに変換することも出来ます。
その中でも第三の軸z(現在・統合)がとても重要です。
そして、他にこれらの軸の背後全体に、第四の軸(客観的領域・宇宙意識)も存在しています。
愛の周波数は銀河の意識レベルでは重要なエネルギーで、視点を変えて定義してみると、
全てを受容し変換できるエネルギーと表現することが出来ます。
全ての事象・体験・感情を受容(受け入れる・認める・ゆるす)するという意識に自分の中で変換した瞬間に、
z軸(現在・統合)の座標が変化し、別のホログラムの中に存在することが可能になります。
すると、自分の周り(スクロール)が変化します。
(他人・環境等の自分に対する態度・言葉・感覚・雰囲気など)
これらは、よく他人や環境は自分の鏡の存在という形から確認することが出来ます。
今世、自分達の経験している体験・出来事は、
かつて銀河系内で克服する事が出来なかった宿題の総決算ということですので、
身に覚えのない出来事(陰)が沢山登場します。
でもスクロールの定義を理解していれば自分の現実を変えることが可能になります。
”すると、自分の周り(スクロール)が変化します。
(他人・環境等の自分に対する態度・言葉・感覚・雰囲気など)”
子供としての汝は、大人になりし時に来りし
知識はもたざりき。
汝、諸宇宙サイクルを人間の誕生より
死に至る人生と比較せよ。
しかして汝の下なるサイクルを
成る知識をもてる子供としてみよ。
汝自身のサイクルをより成長せる子供として見、
時間の経過に従いて向上せる知識をもてる者とみよ。
しかしてわれらがサイクルを
大人にまでなりたる子供として年とともに
知識と知恵とが来りそなわりし者とみよ。
「おートートよ、かくの如く宇宙意識の諸サイクルは、
成長の異なれる状態の子らなるも、
すべては一なる根源たる智恵より来り、
すべてはその智恵にと再び戻りつつあるなり。」
かくて主は話すのをやめ、
主たちにあられし沈黙にと加わりたまえり。
それより再び主はわれに語りて言いたもう。
「おートートよ、われらはこのホールの生命の火を護りて
アメンティーに永く座しおれり。
われらは尚われらのサイクルの一部にして、
そのサイクルとそれを越えしサイクルとにとどく
洞察もて存するなり。
しかり、われらは、すべてのものにつきて
われらの魂に加え得る発達を除きては
何ら重要なるものなきを知れり。
われらは肉体はつかの間のはかなきものにして
人々が重要なりと考えしものも
われらにとりてはむなしきものなるを知れり。
われらの求めしは肉体のそれに非ずして
魂の完全状にすぎざるなり。
汝、人として、結局は魂の進歩のみが考慮さるることを
学び得し時、真に汝はすべての束縛より解放され、
法則と調和し自由に働き得るなり。
解説
高級宇宙意識と低級宇宙意識との違いは
大人と子供とに比することが出来る。
トートは真に大宇宙と小宇宙との例を与えられたのである。
上にある如く下にもある。
主たちはアメンティーに
表われておられるが、主ら自身の宇宙意識と結合しており、
その一部である。
主たちが自分たち自身のものより
他の宇宙サイクルに顕現している目的は
人間の魂に或る成長を援助するためであり、
その結果を自分たち自身の宇宙意識に伝えるためである。
この様にして各宇宙サイクルに
流入させられる不秩序の特性のための
基礎がおかれているのである。
注解
能力的には、九の主の宇宙意識が成人した大人なら
一の主(我々の一段下)の宇宙意識は
幼児の様なものだというのである。
神を大宇宙とすれば人間は小宇宙であり、
大宇宙にあることは小宇宙にもあるから、
”上にある如く下にもある”である。
宇宙意識が幾つもあり、その成長段階も異なるのは、
不秩序(ネガテブ)の種類、様相も多様だからである。
人間の魂にも役割がある様なものである。
しかし、結局は、光を目ざし、
魂の高揚をめざしているのである。
魂の高揚以外のものは考慮に入れられないのだということに
特に注目したいものである。
これはトートの時代よりも
今の時代により必要な警告であろう。
自身の進化の過程において、
自発的に次世代領域への移行を意図(可視行為)する前提には、
全て(陰・陽)の事象を受容する意識・感情(不可視行為)が自身の内に確立されていることが必須条件になります。
現在の自分の覚醒状況を把握するには、三次元地球領域に事象化している
全ての現象(直接的・間接的)(外的・内的)に対して、
自分はどのような意識・感情を持っているかを洞察することが必要で、
陰的現象に対して、排除・逃避意識(不可視行為)が存在している場合は
覚醒状況には近づいていないという理解が必要です。
日常において陽的ポジティブエネルギー(表)を扱えるスキル(光エネルギーの発信)(ポジティブな行動)だけでは
達成することは出来ません。
日常において陰的ネガティブ的(裏)な
出来事(内面に隠れているエネルギー)を
排除・逃避しないで受容し変換するスキル (闇エネルギーの変換)を実行して
波動を反転させることが最重要ポイントで
これは銀河系公認の錬金術です
表裏一体=静動一体=統合
”波動を調和させずに行動すれば
大変だし、
非効率的で、そのうちへとへとになってしまう。”
といった側面があったかなと思います。
疲れ果てて創造を楽しめないことが多い。”
”あなたがたの時間というのは
概念的なもので、
時間の進み方はすべての人にとって同じでも、
時間の概念や自分に許容する成果には、
あなたが「本当の自分」と
調和しているかどうかが影響する。”
とありました。
方向をポジティブな肯定的な方に、
定めていないと疲れ果ててしまって、
楽しめない状態になるんですね。
ネガティブな感情というのは、
思考がネガティブな方向に向いていると、
教えてくれているので、
まず転換する必要があります。
”自分が望む人生を描くのに時間をかければ、
問題に焦点を定めていたときには
得られなかったパワーにアクセスできる。”
とあり、
確かに、問題に焦点を定めていたから、
嫌だなと憂鬱になって、
元気もなくなり楽しくなくなり、
時間が足りない!となってしまう訳ですね。
この、物事をネガティブな気分で眺めている、
という状態が鏡に例えると、
自分の内側を外側に投影している、
ということになります。
部屋が散らかっているのは、
あなたの状態を表しています!とか、
よく言いますけれども、
その部屋そのものがあなたです、
という単純なものではなくて、
そもそも、その部屋に対して、
どう感じるかは人によって違うと思います。
散らかっているという基準も、
絶対的にこう!ということは、
言えないですよね。
自分が散らかっている、
片付けたいと感じている、
といった自分がどう感じるかが、
鏡という投影を表しています。
鏡については、
「エメラルドタブレット」
(アトランティス人トート著/M・ドーリル博士編)には下記の教えがあります。
もし汝、友の性を知らんと求めなば、
彼の仲間に尋ぬることなく、
彼と二人のみにて暫時をすごすべし。
彼のことばとふるまいによりて
彼の心を試しつつ話し合うべし。
解説
各人は自己自身の本性を自己の面前の者に
見いだすのである。
だから他の者らが或る人について
言うだろうことに耳を貸しては
いけないのである。
彼の仲間たちに対する心と態度とを
調べることによってのみ、
あなたは彼の本性を
見いだすことが出来る。
注解
自分の相手が自分の鏡なのだから、
こちらがよほど平静でないと
相手の真性は分らない。
相手が悪いやつだと思うのは、
実は自分の心の悪が
相手に反映していることもあるのだから。
だから他人の批評は聞くなというのである。
見いだすのである。”
こちらがよほど平静でないと
相手の真性は分らない。
相手が悪いやつだと思うのは、
実は自分の心の悪が
相手に反映していることもあるのだから。”
何時であれ、他の人々と関わる時に、
自分と離れた「彼ら」という見え方がするときは、
自分の内側を探るチャンスです。
「彼ら」は自分のどの側面を反映しているのか、と。
誰かに腹が立ったり、誰かと問題を起こすとき、
私たちはよく「私だったらあんなことはしないのに」と言います。
でも、多くの場合、自分が同じようなことをする可能性があるか、
あるいは過去にそのようなことをして
それを認めたくない時に「あんなことはしない」と怒ります。
「ECTON─エクトンが描く意識の地図」(リチャード・ラビン著)より
アダマは私に、
嫌いな人や人生で問題となっている人の名前を
十人挙げなさい、と言いました。
それから私たちがみな一つであることを
理解しはじめなさい、
その人たちが私の一部となっていること、
私も彼らの一部であることに気づきなさい
と言ったのです。
私たちがお互いに一つであるという観点で
見はじめることを私に望んでいます。
私は自分が独立した個人であると感じているので、
そう言われてもあまりピンときません。
私が彼らであるとも、
彼らが私であるとも感じません。
アダマは私に、
それぞれの人に一時間半ずつ時間をとって
彼らを私のハートの中にもってきて、
彼らと一なるものや
合一の気持ちを持たせようとしています。
もし、まったく好感の持てないそれぞれの人に
一時間半かけることに成功したら、
彼らが私であり私たちは同じである
という結論に達するだろう、
と思うことすら難しいです。
「新しいレムリア」
(オレリア・ルイーズ・ジョーンズ著)より
その人達を嫌いな理由があること、
そして彼らと
不愉快な出会いをした理由があることを
理解しなさい。
もしかしたら、あなたを苛立たせるものが
あったのかもしれないし、
彼らはあなたを不機嫌にさせたかもしれない。
そうでなければ、
たとえばあなたを利用しようとしたり、
あなたの人生で
頭痛の種になった人だったのかもしれない。
さて、その苛立ちを取り上げて、
その正体を確認してごらん。
その人物に関することで、
本当に私を苛立たせ、
あるいは困惑させ、
怒らせることは何か、
と自分に聞いてみなさい。
あなた自身に聞きなさい。
あなたの内部に湧き上がってくるのは
どんな感情か?
その人物が目の前にいるときどう感じるか?
この人物があなたに特定の嫌な面を
感じさせることが明らかになるだろう。
そう、もちろん彼らはあなたに
ネガティブなことを
感じさせることはできないよ。
なぜなら彼らは
そのような力を持っていないからね。
あなただけがこの力を持っている。
もし苛立ちを感じるなら、
それはすでにあなたの内部にある感情だからだ。
名前を挙げられた人たちは単に、
あなたがより高い波動の周波数へ移るために、
自分の内部でまだ癒さなければならないものを
認識するための引き金であり鏡にすぎない。
実は、それはその人とはまったく関係ないことだ。
さあ、深く掘り下げて、
本当にあなた自身の内側を見て、
どう感じているのかを分析しなさい。
そしてあなたの人生の中で、
他の人たちや他の鏡がまさに
同じことをどのように刺激しているのかを
分析しなさい。
たぶんまったく同じやり方ではないだろうか。
似たようなことだ。
これが人生全般で何回起きているかを
見てみなさい。
「新しいレムリア」
(オレリア・ルイーズ・ジョーンズ著)より
私がこの鏡をつくりだして、
私自身の中で判断してきたことや
嫌ってきたことは何か?
それがすべて自分のことだと
あなたはとてもよく分かっている。
最も深いレベルで
自分自身について感じてきたことだと
分かっている。
それは決して他人のことではない。
本当に深く入ると、自分の中にある誤解や、
自分についての判断や、
自分に対する怒りをただ表わしているだけだと
理解するようになるだろう。
それは自分についてつくってきた
間違った信念のことだ。
あなたが他人との不和を癒すとき、
あなたが癒しているのはその人ではない。
あなただ。
その人はこのことから
益を得るかもしれないし、
得ないかもしれないが、
それはあなたの問題ではない。
主人公はあなたであって、
あなた自身を癒しているのだ。
これらの経験は単にあなたが自分で
つくりだした触媒にすぎない。
なぜなら、あなたは自分自身についての
誤った信念を正したいと思っているからだ。
それらの信念は潜在意識や
無意識のマインドの中に
深く埋められている。
そのような理由から、
それらは新しいレベルの癒しへの
引き金となるように創造されている。
神は自らの楽しみのために、
苛立たせる人びとを
あなたに送っているのではない。
あなたが自分自身で、
自分の神聖な意図によって光明を得るために、
そのような人たちを
磁石のように引きつけているにすぎない。
彼らはあなたの持つ制限を暴き出し、
意識的な気づきへと浮上させるだろう。
それは癒されるために必要なことを
あなたが経験できるようにするためだ。
あなたに準備ができていれば、
あなたはその経験から自分のために
新たに決意するだろう。
あなたが鏡に向かって、
彼らがあなたに最初に感じさせることを
見極めるときは、
その感情に深く入りなさい。
鏡の役割を演じている人たちは、
本当に
あなたを悩ませようとしているのではない。
彼らはただありのままでいるだけだ。
あなたは、自分について
このような分離された理解を
もはや信じたくない、
今まで感じてきたようには
感じたくないと決意すると、
その誤った自己認識を変えはじめる。
自分の価値に気づきはじめて、
価値や評価が目の前に差し出された鏡より
高いことを認める。
そして深い感情の中で、
深い愛と受容の中で、
あなたは本当に自分自身についての
新しい自己像を選択する。
とても面白い奇跡が起こるだろう。
次にその人物が目の前に現われるとき、
そのエネルギーはないだろう。
つまり、あなたが自分の中で
その問題に対処してきたので、
そのエネルギーは完全になくなっている。
次にあなたが鏡に直面したら、
解決できる別のやり方がある。
「どんなふうに私もそうなのか?」
と自分に問うことだ。
あなたの独自性に応じて自分の内部で進んで
鏡を経験しなさい。
たとえば、何かを盗んでいる人、
泥棒を目撃したとしよう。
このことで実に不愉快になったら、
「どんなふうに私もそうなのか?」と
自問しはじめることだ。
「新しいレムリア」
(オレリア・ルイーズ・ジョーンズ著)より
オレリア─このことについて
私は本当に恐れの問題を抱えていて、
そしてその内容は以下のようなものです。
私や私の使命を
悩ませようとしてきた人たちや、
私をコントロールしようとした人たちがいます。
あなたはそのうちの何人かは
誰のことかよくご存じです。
サナンダ─あなたに彼らと
仲直りしなさいと言ったかな?
オレリア─いいえ。
サナンダ─さっき言ったように、
それは彼らのことではなくて、
あなたのことであって、
あなたの自己との関係だ。
あなたは自分の中で内的なワークを行って、
自分自身と仲直りすることができるだけだ。
鏡のゲームにおいて他人と仲直りすることは
めったにない。
とくに、彼らはたいがい
あなたとはかなり違う見方で
すべてのことを見ることに、
あなたは気づくからだ。
あなたは自分自身を癒せるだけで、
彼らは彼ら自身を癒せるだけだ。
彼らのことはあなたの責任ではない。
実は、あなたがその人たちと
いつか再び会おうと会うまいと
それは問題ではない。
それは彼らに接近することでも、
彼らと関わるすべてを癒すことでもない。
なぜかというと、
このような欲求があるとすれば投影だからだ。
もし彼らが彼ら自身を癒したいのなら、
彼らは自分でそうできる。
とにかくそれは彼らの問題だ。
あなたの責任はあなた自身を癒すことと、
波動の点で一なるものへと進むことだ。
オレリア─間違いなく、それが見逃していた鍵です。
今、理解しました。
サナンダ─そのとおり。
私が言ったのは、
あなたが自分の内側で感情を変化させて癒せば、
次にその人と会うときには
彼らとのエネルギー的反応が
何も起きないということだ。
これはあなたが彼らと和解しようとすることを
意味しているのではない。
また、再び彼らのエネルギーと
関わらなければならなくなる
ということでもない。
オレリア─彼らと一緒に働いて
日常生活で
彼らに会わなければならないときや、
彼らが自宅や近所で
暮らしているときもありますね。
サナンダ─そうであろうとなかろうと、
決して彼らの問題ではなくて、
あなたの問題だ。
そして彼らはただの引き金かまたは鏡だ。
だから、もしあなたが鏡を見なければ、
神はすぐ別の人を送ってよこすだろう。
それも前より大きな鏡を。
それはアダマがこの提案をしたからではなく、
ちょうど今、
あなたの進化でそのタイミングが適切だからだ。
もしこれをやり遂げることを選ばなければ、
その鏡はもっと大きく、
もっと不愉快になる。
アダマがこれをあなたに設定しようと
思っているからではなくて、
あなた自身の神聖な本質が
この段階で
あなたのためにこれを望んでいるからだ。
オレリア─私が今あなたに聞いているのは、
アダマが私に出した課題をやり遂げたいからです。
私は完璧にこなして、
もっと理解したいと思っています。
サナンダ─その上、あなたがこれが
ものすごく楽しくて、
とても元気になることも発見するだろう。
それから、
あなたにとって引き金となった人と
実際につき合いたいと思う場合がある。
だがそうするのは、
自分自身が完全に癒されたあとにしなさい。
その前に彼らに近づくなら、
悲惨な目にあいかねない。
別の人に近づきたいと思うときもある。
それはとくに痛い感情がある場合だ。
あなたは何かを謝りたいと思うかもしれない。
私はあなたがそうすべきだとは言わないが、
あなたのハートはあなたの望むことを
知っているだろう。
あなたは何が正しいのか、
何が合っていて適切かという感情や
感覚を常に持っているだろう。
たいがい、
これらの鏡の経験はもっぱらあなたのためで、
あなたの自己との関係についてのことだ。
神聖な自分と整合していない経験や
迷惑な経験にあって、
自分の内部で
もっと大きな悟りの状態に近づくたびに、
あなたはますます一なるものに近づいている。
すべてのものと一つであることを
感じはじめている。
もはや人生経験や危険をはらんだ出会いを
それほど個人的には捉えなくなる。
あなたは
自分がその経験をつくったと分かるので、
その経験を
簡単に自分のものと認めることができるだろう。
あなたの人生でとても奇妙な、
あるいは厄介な、
挑戦的な、
人という形をとる鏡に直面するとき、
あなたはすぐに自分のものと認めることができて、
このように言うだろう。
「私がその経験を
自分に引きつけることを創造した。
私がそうしたと知っている。
私にとっては重要な癒しなので、
私は今それを自分に与えている」
このように、
これはまさにあなたの威厳を回復すること、
そしてあなたの最も深い真実を見つけ出すこと、
もっと力を与えられて明確になることだ。
それを行うと、あなたはこれ以上、
そのような鏡を
引きつけないことが分かるだろう。
あなたが得る鏡はまったく違ってきて、
それらはあなたの癒された状態を反映するだろう。
鏡はネガティブなものだけではない。
ほら、その他のすべてのことのように、
全部の範囲を表現するからね。
「新しいレムリア」
(オレリア・ルイーズ・ジョーンズ著)より
それらはあなたの癒された状態を反映するだろう。
鏡はネガティブなものだけではない。”
この内側にあるものが外側に投影されている、
というのが鏡になって、
内側にあるものが原因で、
現実的に経験することになる、
引き寄せられてくるというのが、
原因と結果の法則になります。
内側にあるものを見せる為に、
鏡なんだと気付く為に、
様々な出来事が起きてきますよ、
ということでもあります。
経験していること自体には、
善いも悪いもなくて、
これは善い経験だ、
これは悪い経験だと判断する部分が、
鏡です。
その経験自体を引き起こしたのは、
その前にその原因となるものがあったんだよ、
引き金があるよ、
”私がこの鏡をつくりだして、
私自身の中で判断してきたことや
嫌ってきたことは何か?”
とありますが、
鏡(投影)を創り出したという時、
創り出す原因と、創り出したという結果があるよ、
というのが原因と結果の法則です。
「ブーメランの法則?」と三人とも聞きかえした。
「原因と結果の法則、つまり作用・反作用の法則だよ。
もし、きみがとてもよいことをすれば、
すばらしいものがきみに返ってくる。
もし、人々に害をおよぼすようなことをすれば、
きみがしたのとおなじ”色”の害がきみに返ってくるよ。
「アミ3度めの約束」(エンリケ・バリオス著)より
自分がしたことが自分に返って来るという法則ですね。
因果則は、自己自身の運命の唯一の規制者は
自分自身であるという神の聖なる法則である。
それはその人の人生において
起こるすべてのことの責任は
自分にあるという法則である。
人間は、自分自身の行為によって自分自身を罰し、
あるいは応報しているのである。
己れの播いたものは己れが刈りとらねばならないというのが
不変の法則である。
「秘教真義」(M・ドーリル博士著) より
自分に起こることの責任は、
自分にあるよという法則なんだとあります。
返って来たことが悪い事だと思うなら、
それは悪いという捉え方が自分の中にあるのだから、
善いという見方を探し出して、
善い事だと思える様な考え方をしてみよう。
という部分が鏡になります。
捉え方、何かに対する考え方ですね。
原因と結果の法則に怯える人達、
というのがいるんですけれども、
これも内側を投影していて、
私や子どもたちは、
ブーメランが楽しみだな!と、
よく言っているんですよね。
返って来るのいつですかー神様?
みたいな感じです。
自分の行ないに自信があるというのは、
選択したことが自分にとってみれば、
善いと感じることを選択してきたよ、
ということです。
ブーメランが怖いというのは、
その逆ですよね。
その人の言動を見ると、
その人の内側も、
周囲の人から想像出来てしまうよ!
というのも鏡になります。
例えば、何かとんでもない災難に遭っている、
と感じる人がいて、
あいつは悪いことばかりしているから、
ブーメランだよ!
と批判する人もいますけれども、
その本人は別に、
悪い事だと感じてないかもしれないですよね。
その出来事を経験しているのは、
その人自身が原因を作ったのですけれども、
善いか悪いかは本人にしか分からないことです。
それを災難だと感じているのは、
見た人が自分の内側を投影しているからで、
鏡にしているよ!ということなります。
原因と結果の法則で言うと、
災難に遭っていると感じる人を、
目の前で見ることになった原因が、
その人自身にあるよということになります。
ただその結果(目の前で見ている)ということの、
原因というのは一つとは限らなくて、
様々な原因が関係し合っている場合があります。
その原因には今の自分には記憶のない、
過去世でのものも含まれています。
また、その人自身だけで、
その状況を創り上げた訳ではなくて、
それを見ることになったという原因は、
その人自身にあるのだけれども、
その状況自体は、
その場に居合わせた人や、
宇宙的、地球的な原因なんかも、
関係し合っています。
思考が現実化するということだけで、
全てを解釈しようとすると、
こういった場合に矛盾が生じてきますよね。
ツイッターで、
ある人が子どもが具合が悪いと、
園から呼び出されたら、
嘔吐を繰り返して眠たがっていて、
夜間の病院に連れて行ったら、
急性胃腸炎と誤診された、
でも実際は転んで頭を打ったのが原因で、
園からの報告がなかったから対処が遅れた、
貴重な経験だったのでシェアしたい、
というツイートが流れてきて、
ぎょっとしました。