「引き寄せの法則」(エスター・ヒックス+ジェリー・ヒックス著)

という本を教科書にして、

引き寄せの法則についてまとめてきました。

次のステップとして、

「お金と引き寄せの法則」(エスター・ヒックス+ジェリー・ヒックス著)

という本があるので、こちらをご紹介したいと思います。

 

エイブラハムが教える引き寄せの法則について書いた記事は、
下記になります。
 
「引き寄せの法則」(エスター・ヒックス+ジェリー・ヒックス著) より
 
「お金と引き寄せの法則」(エスター・ヒックス+ジェリー・ヒックス著)より
 
 
 
 
こちらでお伝えしているのは、
宇宙法則の引き寄せの法則です。
潜在意識をどうこうする引き寄せではないです。
解釈が真逆になりますので、
潜在意識系の方は読むのをご遠慮下さい。
(ちなみにこういう風に書くのも法則が働いているからです)
 
エイブラハム達が伝える「引き寄せの法則」
というのは、
似たものを引き寄せる法則のことで、
思考が現実化する法則のことではありません。
考えると波動が出て、その波動に応じて、
引き寄せの法則が働きます。
引き寄せるのは現実的、物質的なものだけではないのです。
引き寄せの法則を伝えていない、
カウンセラー、アドバイザー、メソッドにご注意下さい!
注意喚起を強く行なっています! 
 
 

「お金と引き寄せの法則」(エスター・ヒックス+ジェリー・ヒックス著)

という本の、喜びとお金の源泉としてのキャリアという箇所を、

ご紹介したいと思います。

 

キャリアとは?(エイブラハム) 

人にまず聞かれること(エイブラハム)

引き寄せの法則とキャリア(エイブラハム)

空虚さの満たし方(エイブラハム)

「思考は現実化する」との出会い(エイブラハム)

ポジティブな気分(エイブラハム)

与えずに得る(エイブラハム)

行動で相殺する必要はない(エイブラハム)

地球へようこそ(エイブラハム)

いちばん大切なこと(エイブラハム)

ドアの開け方(エイブラハム)

欲しいのか?しなければならないのか?(エイブラハム)

楽しみがお金を引き寄せる(エイブラハム) 

肯定的な側面を探す(エイブラハム)

高い評価(エイブラハム) 

概念的な仕事の時間(エイブラハム) 

 

という記事の続きです。

 
 
エイブラハム 多くの人が
お金の不足にピントを合わせているが、
同じように
時間の不足にピントを合わせている人も多いし、
たいていはこの二つの不足というテーマが
ネガティブにからみ合い影響し合っている。

普通この二つの不足がからみ合うのは、
成功するために
必要なことをするだけの時間がないと
感じるのが理由だ。

時間が足りないと感じる最大の理由は、
あまりに多くのことを行動によって
成し遂げようとするためだ。

波動の調和のパワーに気づかず、
調和を実現する努力をあまり、
あるいはほとんどしていないと
─怒りや恨みや気難しさなどに支配され、
そういう感情の視点から行動によって
何かを成し遂げようとすると
─時間が足りないと強く感じる。

エネルギーの調和を相殺できるような行動は
世界中どこを探してもないが、
自分の感じ方を大切にして、
まず波動のバランスを整えようとすれば、
どこに行っても「宇宙」が協力して
ドアを開いてくれると感じるはずだ。

エネルギーが調和していれば、
そうでない人に比べて
ほんのわずかな努力で済む。

調和している人の成果は、
そうでない人に比べてとてつもなく大きい。

時間かお金が足りないと感じているなら、
明るくて気分のいい考えに
ピントを合わせて、
肯定的な側面をたくさん挙げたリストを作り、
明るくていい気分になる理由を探し、
明るくていい気分になることをたくさんするのが
いちばんいい。

明るくていい気分になり、
肯定的な側面を見つけ、
「本当の自分」と調和するのに
時間をかければ、
素晴らしい成果が上がるし、
時間のバランスも
もっと上手にとれるようになる。

時間の不足はあなたの問題ではない。

お金の不足はあなたの問題ではない。

世界を創造する「エネルギーとのつながり」
の不足が、
足りない足りないと感じる気持ちの核心にある。

こういう欠落、不足を満たせるのはたった一つ、
「源(ソース)とのつながり」
「本当の自分」との調和だけだ。

あなたがたの時間というのは
概念的なもので、
時間の進み方はすべての人にとって同じでも、
時間の概念や自分に許容する成果には、
あなたが「本当の自分」と
調和しているかどうかが影響する。

自分が望む人生を描くのに時間をかければ、
問題に焦点を定めていたときには
得られなかったパワーにアクセスできる。

努力がどれほどの成果を上げるか、
人によって大きな違いがあることを見れば、
成功の方程式には
行動とは別の要素があるに違いないと
わかるだろう。

その違いは、ある人の場合は
思考の調和によって「てこ」の作用が働いて
成果を上げられるのに、
別の人は
自分の思考のせいでその「てこ」の作用が
働かないからだ。

あなたが1マイル走っていて、
その途中には2000のドアがあると
想像してみよう。

ドアのところへ来るたびに
立ち止まってドアを開けなければ
先に進めない。

だが近づくとドアが自然に開くなら、
まったくペースを落とさずに
走り続けられる。

あなたが世界を創造する
「エネルギー」と調和していれば、
立ち止まってドアを開く必要はない。

「エネルギー」との調和によって、
物事は自然にうまくいくから、
あなたの行動は自分が達成した
調和を楽しむ過程になる。

「お金と引き寄せの法則」
(エスター・ヒックス+ジェリー・ヒックス著)より
 
”多くの人が
お金の不足にピントを合わせているが、
同じように
時間の不足にピントを合わせている人も多いし、
たいていはこの二つの不足というテーマが
ネガティブにからみ合い影響し合っている。”
というお金と時間に対して不足を感じてしまうことについて、
ご紹介しました。
 
”普通この二つの不足がからみ合うのは、
成功するために
必要なことをするだけの時間がないと
感じるのが理由だ。
時間が足りないと感じる最大の理由は、
あまりに多くのことを行動によって
成し遂げようとするためだ。”
とありました。
 
あれやって、これやってと、
考えていると気が滅入ってしまう…ということが、
よくあります。
 
このところ、エアコンの水漏れ修理の関係で、
家具や荷物を移動して戻してを、
何日もを行なっていて、
もう、うんざりしています。
 
リビングのエアコンは施工不良の可能性があるということで、
直してもらって、
今度はこのところの多湿のせいか、
寝室がやっぱり水漏れしてましてね。
これもダ〇イ〇のん十万のやつです。
水の量はカレースプーン1杯、もしかしたら2杯くらい。
古いバスタオルを敷いて(捨てずに沢山取って置くようになった)
その上に洗面器を置いてます。
天気予報を確認すると湿度80%から90%あって、
そういう日は漏れちゃうみたいですね。
エアコンってそういう仕様なのかしらね???
 
除湿機を購入したんだけど、
服を乾かした後、
(物凄くちゃんと乾いてほんと嬉しい)
止めちゃったので、
その後、室内の湿度が上がったみたいで、
水漏れしてたんだよね。
予防の為に、多湿の日は除湿機も併用しようと思います。
思いますけど、何なの?みたいな感じですよね。
エアコンのドライ機能がこれってさ。
 
こっちも施工不良の可能性があるし、
うっかり忘れていたんだけど、
冬の暖房時にもエラー起こしてたから、
やっぱり修理は依頼しないとダメなやつです。
(片付けが…)
 
先日、修理に来ていただいた方達に、
もう大丈夫だろう…的な雰囲気で、
お礼を伝えてお別れの挨拶してるんだけど、
また呼ぶのがすごく嫌です。
しょうがないけど。
こちらは、
保証期間中なので無料で対処して頂いています。
 
”エネルギーが調和していれば、
そうでない人に比べて
ほんのわずかな努力で済む。
調和している人の成果は、
そうでない人に比べてとてつもなく大きい。”
とあります。
 
上記にご紹介した箇所を改めて、
まず思考の調和だよねと、
思います。
はぁーやだと思う度に、
不調和になっている訳ですね。
これをひっくり返してひっくり返してと、
やっていく必要があります。
 
 
エイブラハム あなたは自分が望むことに
意図的に焦点を定め、
思考のパワーを通じて
創造するということを理解して、
この「最先端」という環境に
やってきた力強い創造者だ。

あなたがたは行動によって創造しよう
という意図は待っていなかった。

行動ではなく思考を通じて創造するのだと理解し、
そのやり方に慣れるまでには、
時間がかかるかもしれない。

だが、現在の状態ではなくて
自分が望むことを考えて口にすることが
どれほど大切か、
いくら強調しても足りない。

思考のパワーを理解するだけでなく、
その強力なツールを
自分が望むほうへ意図的に向けるなら、
人生の行動という部分は思考を通じて
創造したことを楽しむ過程だと
わかるだろう。

波動の調和を達成すれば
(いつも楽しいことを考えていれば)、
そのうえで行動のインスピレーションを感じれば、
あなたは両方の世界の最高を実現できる。

「源(ソース)」の周波数と
波動が同調していれば
行動にまったく苦労を感じないし、
行動のインスピレーションもわき、
その結果は常に楽しいだろう。

だが、波動を調和させずに行動すれば
大変だし、
非効率的で、そのうちへとへとになってしまう。

ほとんどの人は目前のことに対応するのに忙しく、
大切なことに取り組む時間がない。

また、多くの人はお金を稼ぐのに忙しくて
楽しむ暇がないと言う。

行動だけに頼って創造しようとすれば、
疲れ果てて創造を楽しめないことが多い。

「お金と引き寄せの法則」
(エスター・ヒックス+ジェリー・ヒックス著)より
 
 
娘のバイト先は、
私も高校生の頃にバイトしていたので、
大体の仕事の流れとか雰囲気が想像出来るんだけど、
注文を間違えてしまったり、キャンセルになった商品は、
破棄しないといけない決まりがあるのね。
娘もそれは分かっているんだけど、
間違って作ったジュースを見た時、
飲みたいなと思って、
社員の人に「これもらっていいですか?」って、
聞いたんだって。
ドン引きされてえってなったらしいんだけど、
その日は混んでて30分延長になったから、
「本当はダメなんだよ。
捨てないとワザと間違えて作る子も出て来るから。
でも今日は頑張ったから特別にいいよ」って、
許可が下りて、ジュースを貰えたそうです。
帰りに買おうかなと思ってからラッキー!
みたいな。
それを聞いた時、ほんと娘は凄いなって。
私だったら、チラッチラッと見ては、
飲みたいなーと思いつつ、決まりだからと破棄したと思います。
ルールを破るなんて!って感じです。
この話を息子にしたら、
まずルール!って思うから、
ジュースは確かに飲みたいけど、
目の前のジュースを飲むという発想自体はしないで、
すぐ捨てるだろうなと。
 
娘のそういうところが、
よい引き寄せをまた呼ぶんだろうな。
ポジティブなんだよね。
一応欲しいと思ったから聞いてみた!
もし断られても別にそっかと思うだけだから。
欲しいから欲しい!と言っただけ。
みたいな感じです。
 
私はこれが出来ないなと。
娘のこの言動から、自分を振り返って、
こういうところが足りないなとよく分かりました。
 
宇宙法則じゃないから、
人の作った決まり、ルールは破れる訳で、
実際に善い悪いなんてないですしね。
娘はこういうちゃっかりした子だって、
受け入れられているので、
そんなこと言って!と責められることもないんですよ。
図々しいね!と言われても、だって欲しかったから!だし、
こっそり盗んだわけでもないし、
わざと間違って作った訳でもないし、
誰かが間違えて捨てる前のものを、
ちゃんと社員さんに確認してもらったという…。
ただそんなこと誰も言わないだけで、
娘は言ってみた!そしたら貰えた!
という感じです。
しょうがないなーって爆笑。
それで終わり。
誰も傷つかないしね。
これはヒントになるなと思いました。
欲しいから欲しいって言う。
そういうシンプルな流れでいんですよね。
その後、でもだってとやるから、
手に入らない。
 
”波動の調和を達成すれば
(いつも楽しいことを考えていれば)、
そのうえで行動のインスピレーションを感じれば、
あなたは両方の世界の最高を実現できる。”
とあります。
いつも楽しいことを考えるっていうのが、
難しいと感じる場合がありますよね。
 
そんなこと言ってられない!
だって現実は…!
という感じです。
 
今、私はエアコンと格闘していますが、
どうしても業者に対して、
ネガティブな気持ちになってしまったので、
善いと思える様なところを探し出す、
肯定的な側面を探して、
いい気分になれる様に努めました。
結果的に、それが出来れば出来る程、
スムーズな流れに乗れました。
 
この流れの大きな部分って、
全体的に大片付けしなくちゃな、
したいなと思ってたところがあって、
しなきゃいけない状況に追い込まれた、
と感じています。
 
10年前からガイド達にやれって言われて、
なんだかんだ言い訳して、
片付かないみたいな感じでした。
これもやっぱり、
よく聞く話だと思いますが、
内側が外側の反映なので、
外側を片付けることによって、
内側も片付くことになるんですね。
で、こういうのが集合意識にも反映しますので、
無駄なもの、いらないものを、
個々の生活で捨てて行くことによって、
地表上での出来事としても、
変化として見えて来るよ、
ということだそうです。
私一人が家の片付けをしたくらいで、
世界が変わるということではないのだけど、
それぞれがいらないもの、余計なものを手放していくことで、
外界にも反映されますよとのことです。
苦手なんだけど、やっていこうと思います。
 
エアコンは取り敢えず動くので、
様子見ながらまた修理を呼ぼうと思います。
リビングのエアコンは水の量が多いし、
家族全員ダメージを受けるのでキツかったな。
 
この外側は内側の反映という関係を、
鏡とか投影とか、鏡の法則とか言います。
鏡のことを、ブーメラン、
原因と結果の法則と混同している人を、
時々見かけます。
これは、引き寄せ界隈の人に多いんだけど、
思考は現実化するというのが、
引き寄せの法則だと思い込んでいるから、
何でも思考が中心になってしまって、
解釈の幅が狭くなってしまうのかな?と思います。
 
鏡とブーメランの違いという記事を、
以前書きました。
 
下記は何度もご紹介している、
銀河ネットワークさんの過去のブログ記事になります。
 
本来私達はエネルギー的存在(意識的存在)で各個人は、
この宇宙で特定の領域座標を持って存在しています。
座標とは通常、x y z の3つの座標で表現しますが、
これらは、過去・未来・現在や
陰・陽・統合などに変換することも出来ます。

その中でも第三の軸z(現在・統合)がとても重要です。

そして、他にこれらの軸の背後全体に、
第四の軸(客観的領域・宇宙意識)も存在しています。

愛の周波数は銀河の意識レベルでは重要なエネルギーで、
視点を変えて定義してみると、
全てを受容し変換できるエネルギーと表現することが出来ます。

全ての事象・体験・感情を受容(受け入れる・認める・ゆるす)する
という意識に自分の中で変換した瞬間に、
z軸(現在・統合)の座標が変化し、
別のホログラムの中に存在することが可能になります。

すると、自分の周り(スクロール)が変化します。
(他人・環境等の自分に対する態度・言葉・感覚・雰囲気など)

これらは、よく他人や環境は自分の鏡の存在
という形から確認することが出来ます。

今世、自分達の経験している体験・出来事は、
かつて銀河系内で克服する事が出来なかった宿題の総決算
ということですので、
身に覚えのない出来事(陰)が沢山登場します。

でもスクロールの定義を理解していれば
自分の現実を変えることが可能になります。

”すると、自分の周り(スクロール)が変化します。
(他人・環境等の自分に対する態度・言葉・感覚・雰囲気など)”
という箇所があります。
自分の内側を変えることで、
外側も変えることが出来るというのは、
”上の如く下も然り”という錬金術の極意になります。
 
「エメラルドタブレット」
(アトランティス人トート著/M・ドーリル博士編)では、
下記の教えに当たる箇所です。
 
子供としての汝は、大人になりし時に来りし
知識はもたざりき。

汝、諸宇宙サイクルを人間の誕生より
死に至る人生と比較せよ。

しかして汝の下なるサイクルを
成る知識をもてる子供としてみよ。

汝自身のサイクルをより成長せる子供として見、
時間の経過に従いて向上せる知識をもてる者とみよ。

しかしてわれらがサイクルを
大人にまでなりたる子供として年とともに
知識と知恵とが来りそなわりし者とみよ。

「おートートよ、かくの如く宇宙意識の諸サイクルは、
成長の異なれる状態の子らなるも、
すべては一なる根源たる智恵より来り、
すべてはその智恵にと再び戻りつつあるなり。」

かくて主は話すのをやめ、
主たちにあられし沈黙にと加わりたまえり。

それより再び主はわれに語りて言いたもう。

「おートートよ、われらはこのホールの生命の火を護りて
アメンティーに永く座しおれり。
われらは尚われらのサイクルの一部にして、
そのサイクルとそれを越えしサイクルとにとどく
洞察もて存するなり。
しかり、われらは、すべてのものにつきて
われらの魂に加え得る発達を除きては
何ら重要なるものなきを知れり。
われらは肉体はつかの間のはかなきものにして
人々が重要なりと考えしものも
われらにとりてはむなしきものなるを知れり。
われらの求めしは肉体のそれに非ずして
魂の完全状にすぎざるなり。
汝、人として、結局は魂の進歩のみが考慮さるることを
学び得し時、真に汝はすべての束縛より解放され、
法則と調和し自由に働き得るなり。

解説
高級宇宙意識と低級宇宙意識との違いは
大人と子供とに比することが出来る。

トートは真に大宇宙と小宇宙との例を与えられたのである。

上にある如く下にもある。

主たちはアメンティーに
表われておられるが、主ら自身の宇宙意識と結合しており、
その一部である。

主たちが自分たち自身のものより
他の宇宙サイクルに顕現している目的は
人間の魂に或る成長を援助するためであり、
その結果を自分たち自身の宇宙意識に伝えるためである。

この様にして各宇宙サイクルに
流入させられる不秩序の特性のための
基礎がおかれているのである。

注解

能力的には、九の主の宇宙意識が成人した大人なら
一の主(我々の一段下)の宇宙意識は
幼児の様なものだというのである。

神を大宇宙とすれば人間は小宇宙であり、
大宇宙にあることは小宇宙にもあるから、
”上にある如く下にもある”である。

宇宙意識が幾つもあり、その成長段階も異なるのは、
不秩序(ネガテブ)の種類、様相も多様だからである。

人間の魂にも役割がある様なものである。

しかし、結局は、光を目ざし、
魂の高揚をめざしているのである。

魂の高揚以外のものは考慮に入れられないのだということに
特に注目したいものである。

これはトートの時代よりも
今の時代により必要な警告であろう。
 
また銀河ネットワークさんの下記の過去のブログ記事では、
 

自身の進化の過程において、

自発的に次世代領域への移行を意図(可視行為)する前提には、
全て(陰・陽)の事象を受容する意識・感情(不可視行為)が

自身の内に確立されていることが必須条件になります。

現在の自分の覚醒状況を把握するには、

三次元地球領域に事象化している

全ての現象(直接的・間接的)(外的・内的)に対して、
自分はどのような意識・感情を持っているかを洞察することが必要で、
陰的現象に対して、

排除・逃避意識(不可視行為)が存在している場合は

覚醒状況には近づいていないという理解が必要です。

日常において陽的ポジティブエネルギー(表)を

扱えるスキル(光エネルギーの発信)(ポジティブな行動)だけでは

達成することは出来ません。

 

日常において陰的ネガティブ的(裏)な

出来事(内面に隠れているエネルギー)を

排除・逃避しないで受容し変換するスキル (闇エネルギーの変換)を実行して

波動を反転させることが最重要ポイントで

これは銀河系公認の錬金術です

 

表裏一体=静動一体=統合

 
といった銀河公認の錬金術という表現があります。
 
波動を反転させるということが重要なんですね。
これは引き寄せの法則でエイブラハム達が伝えている、
肯定的な側面を探す、転換すると同じことです。
 
私は片付けをしようと思う時に、
時間が足りないような焦った気持ちになってしまうのですが、
”波動を調和させずに行動すれば
大変だし、
非効率的で、そのうちへとへとになってしまう。”
といった側面があったかなと思います。
 
”行動だけに頼って創造しようとすれば、
疲れ果てて創造を楽しめないことが多い。”
とありますね。
 
時間については、

”あなたがたの時間というのは
概念的なもので、
時間の進み方はすべての人にとって同じでも、
時間の概念や自分に許容する成果には、
あなたが「本当の自分」と
調和しているかどうかが影響する。”

とありました。

 

方向をポジティブな肯定的な方に、

定めていないと疲れ果ててしまって、

楽しめない状態になるんですね。

ネガティブな感情というのは、

思考がネガティブな方向に向いていると、

教えてくれているので、

まず転換する必要があります。

 

”自分が望む人生を描くのに時間をかければ、
問題に焦点を定めていたときには
得られなかったパワーにアクセスできる。”

とあり、

確かに、問題に焦点を定めていたから、

嫌だなと憂鬱になって、

元気もなくなり楽しくなくなり、

時間が足りない!となってしまう訳ですね。

 

この、物事をネガティブな気分で眺めている、

という状態が鏡に例えると、

自分の内側を外側に投影している、

ということになります。

 

部屋が散らかっているのは、

あなたの状態を表しています!とか、

よく言いますけれども、

その部屋そのものがあなたです、

という単純なものではなくて、

そもそも、その部屋に対して、

どう感じるかは人によって違うと思います。

散らかっているという基準も、

絶対的にこう!ということは、

言えないですよね。

自分が散らかっている、

片付けたいと感じている、

といった自分がどう感じるかが、

鏡という投影を表しています。

 

鏡については、

「エメラルドタブレット」
(アトランティス人トート著/M・ドーリル博士編)には下記の教えがあります。

 

もし汝、友の性を知らんと求めなば、
彼の仲間に尋ぬることなく、
彼と二人のみにて暫時をすごすべし。

彼のことばとふるまいによりて
彼の心を試しつつ話し合うべし。

解説

各人は自己自身の本性を自己の面前の者に
見いだすのである。

だから他の者らが或る人について
言うだろうことに耳を貸しては
いけないのである。

彼の仲間たちに対する心と態度とを
調べることによってのみ、
あなたは彼の本性を
見いだすことが出来る。

注解

自分の相手が自分の鏡なのだから、
こちらがよほど平静でないと
相手の真性は分らない。

相手が悪いやつだと思うのは、
実は自分の心の悪が
相手に反映していることもあるのだから。

だから他人の批評は聞くなというのである。

 

”各人は自己自身の本性を自己の面前の者に
見いだすのである。”
という箇所ですね。
 
”自分の相手が自分の鏡なのだから、
こちらがよほど平静でないと
相手の真性は分らない。
相手が悪いやつだと思うのは、
実は自分の心の悪が
相手に反映していることもあるのだから。”
とあり、自分の心が相手に反映しているんですね。
 
あなたの部屋は散らかっているね!
と言われて、
確かに散らかっています!と思うかもしれないけど、
そう指摘した人は、
その人の基準で散らかっていると感じた訳で、
私の部屋を散らかっていると感じたのは、
その人自身の問題であって、
私自身が散らかっているとは感じないのだったら、
何の問題もないですよね。
 

何時であれ、他の人々と関わる時に、

自分と離れた「彼ら」という見え方がするときは、

自分の内側を探るチャンスです。

 

「彼ら」は自分のどの側面を反映しているのか、と。

 

誰かに腹が立ったり、誰かと問題を起こすとき、

私たちはよく「私だったらあんなことはしないのに」と言います。

 

でも、多くの場合、自分が同じようなことをする可能性があるか、

あるいは過去にそのようなことをして

それを認めたくない時に「あんなことはしない」と怒ります。

 

「ECTON─エクトンが描く意識の地図」(リチャード・ラビン著)より

 
何かが気になった時というのが、
そこに自分の内側にある何かを反映しているよ、
ということになります。
それは何だろうと、探す、内観するのが、
鏡の利用法になります。
 
アダマは私に、
嫌いな人や人生で問題となっている人の名前を
十人挙げなさい、と言いました。

それから私たちがみな一つであることを
理解しはじめなさい、
その人たちが私の一部となっていること、
私も彼らの一部であることに気づきなさい
と言ったのです。

私たちがお互いに一つであるという観点で
見はじめることを私に望んでいます。

私は自分が独立した個人であると感じているので、
そう言われてもあまりピンときません。

私が彼らであるとも、
彼らが私であるとも感じません。

アダマは私に、
それぞれの人に一時間半ずつ時間をとって
彼らを私のハートの中にもってきて、
彼らと一なるものや
合一の気持ちを持たせようとしています。

もし、まったく好感の持てないそれぞれの人に
一時間半かけることに成功したら、
彼らが私であり私たちは同じである
という結論に達するだろう、
と思うことすら難しいです。

「新しいレムリア」
(オレリア・ルイーズ・ジョーンズ著)より
 
という方法をご紹介しました。
 
その人達を嫌いな理由があること、
そして彼らと
不愉快な出会いをした理由があることを
理解しなさい。

もしかしたら、あなたを苛立たせるものが
あったのかもしれないし、
彼らはあなたを不機嫌にさせたかもしれない。

そうでなければ、
たとえばあなたを利用しようとしたり、
あなたの人生で
頭痛の種になった人だったのかもしれない。

さて、その苛立ちを取り上げて、
その正体を確認してごらん。

その人物に関することで、
本当に私を苛立たせ、
あるいは困惑させ、
怒らせることは何か、
と自分に聞いてみなさい。

あなた自身に聞きなさい。

あなたの内部に湧き上がってくるのは
どんな感情か?

その人物が目の前にいるときどう感じるか?

この人物があなたに特定の嫌な面を
感じさせることが明らかになるだろう。

そう、もちろん彼らはあなたに
ネガティブなことを
感じさせることはできないよ。

なぜなら彼らは
そのような力を持っていないからね。

あなただけがこの力を持っている。

もし苛立ちを感じるなら、
それはすでにあなたの内部にある感情だからだ。

名前を挙げられた人たちは単に、
あなたがより高い波動の周波数へ移るために、
自分の内部でまだ癒さなければならないものを
認識するための引き金であり鏡にすぎない。

実は、それはその人とはまったく関係ないことだ。

さあ、深く掘り下げて、
本当にあなた自身の内側を見て、
どう感じているのかを分析しなさい。

そしてあなたの人生の中で、
他の人たちや他の鏡がまさに
同じことをどのように刺激しているのかを
分析しなさい。

たぶんまったく同じやり方ではないだろうか。
似たようなことだ。

これが人生全般で何回起きているかを
見てみなさい。

「新しいレムリア」
(オレリア・ルイーズ・ジョーンズ著)より
 
自分に嫌なことをする人がいる時に、
相手が悪くて、相手に原因があると思いますけれども、
実際は、何かされて嫌な気分になろうと決めたのは、
自分自身です。
相手が私のことをコントロールして、
無理矢理嫌な気分を、
選ばせることは出来ません。
いつでも、自分で選んでいるのです。
 
同じ様なパターンを繰り返していることも多いので、
よく掘り下げて内観をしてみます。
どんな風に感じているのかな?
どんなことを刺激されたかな?
といったことです。
 
私がこの鏡をつくりだして、
私自身の中で判断してきたことや
嫌ってきたことは何か?

それがすべて自分のことだと
あなたはとてもよく分かっている。

最も深いレベルで
自分自身について感じてきたことだと
分かっている。

それは決して他人のことではない。

本当に深く入ると、自分の中にある誤解や、
自分についての判断や、
自分に対する怒りをただ表わしているだけだと
理解するようになるだろう。

それは自分についてつくってきた
間違った信念のことだ。

あなたが他人との不和を癒すとき、
あなたが癒しているのはその人ではない。

あなただ。
その人はこのことから
益を得るかもしれないし、
得ないかもしれないが、
それはあなたの問題ではない。

主人公はあなたであって、
あなた自身を癒しているのだ。

これらの経験は単にあなたが自分で
つくりだした触媒にすぎない。
なぜなら、あなたは自分自身についての
誤った信念を正したいと思っているからだ。

それらの信念は潜在意識や
無意識のマインドの中に
深く埋められている。

そのような理由から、
それらは新しいレベルの癒しへの
引き金となるように創造されている。

神は自らの楽しみのために、
苛立たせる人びとを
あなたに送っているのではない。

あなたが自分自身で、
自分の神聖な意図によって光明を得るために、
そのような人たちを
磁石のように引きつけているにすぎない。
彼らはあなたの持つ制限を暴き出し、
意識的な気づきへと浮上させるだろう。

それは癒されるために必要なことを
あなたが経験できるようにするためだ。

あなたに準備ができていれば、
あなたはその経験から自分のために
新たに決意するだろう。

あなたが鏡に向かって、
彼らがあなたに最初に感じさせることを
見極めるときは、
その感情に深く入りなさい。

鏡の役割を演じている人たちは、
本当に
あなたを悩ませようとしているのではない。

彼らはただありのままでいるだけだ。

あなたは、自分について
このような分離された理解を
もはや信じたくない、

今まで感じてきたようには
感じたくないと決意すると、
その誤った自己認識を変えはじめる。

自分の価値に気づきはじめて、
価値や評価が目の前に差し出された鏡より
高いことを認める。

そして深い感情の中で、
深い愛と受容の中で、
あなたは本当に自分自身についての
新しい自己像を選択する。

とても面白い奇跡が起こるだろう。

次にその人物が目の前に現われるとき、
そのエネルギーはないだろう。

つまり、あなたが自分の中で
その問題に対処してきたので、
そのエネルギーは完全になくなっている。

次にあなたが鏡に直面したら、
解決できる別のやり方がある。

「どんなふうに私もそうなのか?」
と自分に問うことだ。

あなたの独自性に応じて自分の内部で進んで
鏡を経験しなさい。

たとえば、何かを盗んでいる人、
泥棒を目撃したとしよう。

このことで実に不愉快になったら、
「どんなふうに私もそうなのか?」と
自問しはじめることだ。

「新しいレムリア」
(オレリア・ルイーズ・ジョーンズ著)より
 
どんな風に自分もそうなのかな?と、
自問自答して、
あれは私だと鏡が理解出来ると、
内面に変化が起こるので、
現実的な変化に繋がっていきます。
 
いつも現実も確認することが大事です。
 
鏡の法則で大事なところは、
下記の箇所なんだけれども、
内観するというのは、嫌だなと思う人と、
実際に仲良くするということではありません。
物理的に距離が離れていても、
一生関わることもなく、会う事がなくても、
内観することは出来ます。
 
オレリア─このことについて
私は本当に恐れの問題を抱えていて、
そしてその内容は以下のようなものです。

私や私の使命を
悩ませようとしてきた人たちや、
私をコントロールしようとした人たちがいます。

あなたはそのうちの何人かは
誰のことかよくご存じです。

サナンダ─あなたに彼らと
仲直りしなさいと言ったかな?

オレリア─いいえ。

サナンダ─さっき言ったように、
それは彼らのことではなくて、
あなたのことであって、
あなたの自己との関係だ。

あなたは自分の中で内的なワークを行って、
自分自身と仲直りすることができるだけだ。

鏡のゲームにおいて他人と仲直りすることは
めったにない。

とくに、彼らはたいがい
あなたとはかなり違う見方で
すべてのことを見ることに、
あなたは気づくからだ。

あなたは自分自身を癒せるだけで、
彼らは彼ら自身を癒せるだけだ。

彼らのことはあなたの責任ではない。

実は、あなたがその人たちと
いつか再び会おうと会うまいと
それは問題ではない。

それは彼らに接近することでも、
彼らと関わるすべてを癒すことでもない。

なぜかというと、
このような欲求があるとすれば投影だからだ。
もし彼らが彼ら自身を癒したいのなら、
彼らは自分でそうできる。

とにかくそれは彼らの問題だ。

あなたの責任はあなた自身を癒すことと、
波動の点で一なるものへと進むことだ。

オレリア─間違いなく、それが見逃していた鍵です。
今、理解しました。

サナンダ─そのとおり。
私が言ったのは、
あなたが自分の内側で感情を変化させて癒せば、
次にその人と会うときには
彼らとのエネルギー的反応が
何も起きないということだ。
これはあなたが彼らと和解しようとすることを
意味しているのではない。

また、再び彼らのエネルギーと
関わらなければならなくなる
ということでもない。
オレリア─彼らと一緒に働いて
日常生活で
彼らに会わなければならないときや、
彼らが自宅や近所で
暮らしているときもありますね。

サナンダ─そうであろうとなかろうと、
決して彼らの問題ではなくて、
あなたの問題だ。

そして彼らはただの引き金かまたは鏡だ。

だから、もしあなたが鏡を見なければ、
神はすぐ別の人を送ってよこすだろう。

それも前より大きな鏡を。

それはアダマがこの提案をしたからではなく、
ちょうど今、
あなたの進化でそのタイミングが適切だからだ。
もしこれをやり遂げることを選ばなければ、
その鏡はもっと大きく、
もっと不愉快になる。

アダマがこれをあなたに設定しようと
思っているからではなくて、
あなた自身の神聖な本質が
この段階で
あなたのためにこれを望んでいるからだ。
オレリア─私が今あなたに聞いているのは、
アダマが私に出した課題をやり遂げたいからです。

私は完璧にこなして、
もっと理解したいと思っています。

サナンダ─その上、あなたがこれが
ものすごく楽しくて、
とても元気になることも発見するだろう。
それから、
あなたにとって引き金となった人と
実際につき合いたいと思う場合がある。

だがそうするのは、
自分自身が完全に癒されたあとにしなさい。

その前に彼らに近づくなら、
悲惨な目にあいかねない。

別の人に近づきたいと思うときもある。
それはとくに痛い感情がある場合だ。

あなたは何かを謝りたいと思うかもしれない。
私はあなたがそうすべきだとは言わないが、
あなたのハートはあなたの望むことを
知っているだろう。
あなたは何が正しいのか、
何が合っていて適切かという感情や
感覚を常に持っているだろう。

たいがい、
これらの鏡の経験はもっぱらあなたのためで、
あなたの自己との関係についてのことだ。

神聖な自分と整合していない経験や
迷惑な経験にあって、
自分の内部で
もっと大きな悟りの状態に近づくたびに、
あなたはますます一なるものに近づいている。

すべてのものと一つであることを
感じはじめている。

もはや人生経験や危険をはらんだ出会いを
それほど個人的には捉えなくなる。

あなたは
自分がその経験をつくったと分かるので、
その経験を
簡単に自分のものと認めることができるだろう。

あなたの人生でとても奇妙な、
あるいは厄介な、
挑戦的な、
人という形をとる鏡に直面するとき、
あなたはすぐに自分のものと認めることができて、
このように言うだろう。

「私がその経験を
自分に引きつけることを創造した。

私がそうしたと知っている。

私にとっては重要な癒しなので、
私は今それを自分に与えている」

このように、
これはまさにあなたの威厳を回復すること、
そしてあなたの最も深い真実を見つけ出すこと、
もっと力を与えられて明確になることだ。

それを行うと、あなたはこれ以上、
そのような鏡を
引きつけないことが分かるだろう。

あなたが得る鏡はまったく違ってきて、
それらはあなたの癒された状態を反映するだろう。

鏡はネガティブなものだけではない。

ほら、その他のすべてのことのように、
全部の範囲を表現するからね。

「新しいレムリア」
(オレリア・ルイーズ・ジョーンズ著)より
 
”あなたが得る鏡はまったく違ってきて、
それらはあなたの癒された状態を反映するだろう。
鏡はネガティブなものだけではない。”
という箇所が、
内側の変化が外側の変化に繋がった、
ということになります。

 

この内側にあるものが外側に投影されている、

というのが鏡になって、

内側にあるものが原因で、

現実的に経験することになる、

引き寄せられてくるというのが、

原因と結果の法則になります。

 

内側にあるものを見せる為に、

鏡なんだと気付く為に、

様々な出来事が起きてきますよ、

ということでもあります。

 

経験していること自体には、

善いも悪いもなくて、

これは善い経験だ、

これは悪い経験だと判断する部分が、

鏡です。

 

その経験自体を引き起こしたのは、

その前にその原因となるものがあったんだよ、

引き金があるよ、

”私がこの鏡をつくりだして、
私自身の中で判断してきたことや
嫌ってきたことは何か?”

とありますが、

鏡(投影)を創り出したという時、

創り出す原因と、創り出したという結果があるよ、

というのが原因と結果の法則です。

 

「ブーメランの法則?」と三人とも聞きかえした。

「原因と結果の法則、つまり作用・反作用の法則だよ。

もし、きみがとてもよいことをすれば、
すばらしいものがきみに返ってくる。

もし、人々に害をおよぼすようなことをすれば、
きみがしたのとおなじ”色”の害がきみに返ってくるよ。

 

「アミ3度めの約束」(エンリケ・バリオス著)より

 

自分がしたことが自分に返って来るという法則ですね。

 

因果則は、自己自身の運命の唯一の規制者は
自分自身であるという神の聖なる法則である。

それはその人の人生において
起こるすべてのことの責任は
自分にあるという法則である。

人間は、自分自身の行為によって自分自身を罰し、
あるいは応報しているのである。

己れの播いたものは己れが刈りとらねばならないというのが
不変の法則である。 

 

「秘教真義」(M・ドーリル博士著) より

 

自分に起こることの責任は、

自分にあるよという法則なんだとあります。

返って来たことが悪い事だと思うなら、

それは悪いという捉え方が自分の中にあるのだから、

善いという見方を探し出して、

善い事だと思える様な考え方をしてみよう。

という部分が鏡になります。

捉え方、何かに対する考え方ですね。

 

原因と結果の法則に怯える人達、

というのがいるんですけれども、

これも内側を投影していて、

私や子どもたちは、

ブーメランが楽しみだな!と、

よく言っているんですよね。

返って来るのいつですかー神様?

みたいな感じです。

自分の行ないに自信があるというのは、

選択したことが自分にとってみれば、

善いと感じることを選択してきたよ、

ということです。

 

ブーメランが怖いというのは、

その逆ですよね。

その人の言動を見ると、

その人の内側も、

周囲の人から想像出来てしまうよ!

というのも鏡になります。

 

例えば、何かとんでもない災難に遭っている、

と感じる人がいて、

あいつは悪いことばかりしているから、

ブーメランだよ!

と批判する人もいますけれども、

その本人は別に、

悪い事だと感じてないかもしれないですよね。

その出来事を経験しているのは、

その人自身が原因を作ったのですけれども、

善いか悪いかは本人にしか分からないことです。

それを災難だと感じているのは、

見た人が自分の内側を投影しているからで、

鏡にしているよ!ということなります。

原因と結果の法則で言うと、

災難に遭っていると感じる人を、

目の前で見ることになった原因が、

その人自身にあるよということになります。

ただその結果(目の前で見ている)ということの、

原因というのは一つとは限らなくて、

様々な原因が関係し合っている場合があります。

その原因には今の自分には記憶のない、

過去世でのものも含まれています。

また、その人自身だけで、

その状況を創り上げた訳ではなくて、

それを見ることになったという原因は、

その人自身にあるのだけれども、

その状況自体は、

その場に居合わせた人や、

宇宙的、地球的な原因なんかも、

関係し合っています。

思考が現実化するということだけで、

全てを解釈しようとすると、

こういった場合に矛盾が生じてきますよね。

 

ツイッターで、

ある人が子どもが具合が悪いと、

園から呼び出されたら、

嘔吐を繰り返して眠たがっていて、

夜間の病院に連れて行ったら、

急性胃腸炎と誤診された、

でも実際は転んで頭を打ったのが原因で、

園からの報告がなかったから対処が遅れた、

貴重な経験だったのでシェアしたい、

というツイートが流れてきて、

ぎょっとしました。

次に、そのツイートを引RTして、
反論しているツイートが流れて来たので、
それには共感しました。
ちょっと呑気過ぎる感じで、
本当に普段から育児しているのかな?と、
感じる内容だったからです。
シングルで奮闘しているということで、
普段から育児をしているそうなので、
一層驚きました。
園からお迎えの要請があった時点で、
診察時間に間に合うと思うので、
病院を受診するだろうし、
引き取る時に、状況の確認をするかなと。
病院を受診することが前提なので、
先生に状況を説明する為には、
どういう感じで具合が悪くなったかという情報が、
必要だからです。
大泣きして普段とは違ってよっぽど具合が悪いと、
感じているのにそのまま家に帰ったそうで、
私の勝手な想像だけど、
園の先生の前でいい恰好したかったとかあるのかな?
と思ってしまいました。
掘り下げては書きませんど。
頭を打った訳ではなくても、
三歳児だそうなので、
嘔吐を繰り返したら、脱水の心配があるから、
受診すると思います。
私なら心配で夜は越せない。
子が眠たがって寝た時に、
上の子達の食事の支度をしたというのも、
違和感しかなく、
嘔吐している子から目が離せないから、
食事の支度なんてしないで、
コンビニで買うか、宅配頼むか、
家にあるものを食べますよ。
いざという時の為の冷食とか常備していないのでしょうか。
ご飯を冷凍しておくとか、うちは子が小さい頃から、
長持ちパンを常備しています。
ツイッターに料理の画像を上げているから、
作りたかったのかな?なんて邪推してしまいます。
嘔吐繰り返していたら、下手な体力を使わせない為に、
入浴なんてさせないと思うんだけど、
吐いて汚れたからと二回もお風呂に入れるとか。
三歳児ですよ、驚きました。
蒸しタオルで丁寧に拭いてあげれば、
よくないですかね。
準備を整えて病院に行った、
というのも、
子よりやることを優先してるんだなと感じました。
夜間の方が待ち時間が少なくて都合がいいと言って、
わざと通常の診察時間を避ける人もいるんですよね。
診察を受けている時に、先生が誤診をしたそうで、
自分には知識があるから絶対に違うと思ったらしいのですが、
もし本当にそんな知識があるんだったら、
もっと前に気付きそうなのにと矛盾を感じます。
子が転んだと教えてくれたから原因が分かったそうなんだけど、
三歳児に状況説明させるかな?と。
子どもの言い分を聞くことないという事ではないけれども、
子どもが言ってくれなきゃ分からないなんて、
そんなの無理だと思うんだよね。
言葉ではなくていつもと違う感じを察知して、
原因を探すものじゃないかなと。
普段からよくしてくれるから、
園は全然悪くないと庇っているのも、
なんか、詳しくは書きませんけど、
子の健康より園を庇いたくなる何かがあるのかと。
別に園を責めて転園しろということではなくてね、
ミスはミスだよね。
 
こういうの、全部、
こう思う、こう感じた、というのが、
鏡になります。
私は私の経験から色々感じるものがあって、
確かに絶対的な正解はないかもしれないけれども、
選べる選択肢が少ない状況で、
それを選ぶのか?という違和感があるツイートでした。
 
最終的に、フォロワー達が不快みたいなのでと削除していました。
これも、誰がどう感じるかは鏡だから、
フォロワーの自由であって、不快に感じるのは、
読んだ人自身の問題なのよね。
自分の行動に対して、
ここで挙げている例では、
ツイートを削除することに対して、
他の人が嫌な気分になるからという理由を付けるのは、
他人軸です。
そうすることで自分には責任がない、
仕方なく…とやる訳ですが、
原因と結果の法則で言うと、
自分の人生の責任は自分で取る、
ということになるので、
誰かの為に行なっても、
その行為自体の結果は自分に返ってきます。
鏡で言うと、
自分のツイートに対して不快に感じるフォロワーがいるかもしれない、
というのは、その人自身の内側の反映で、
自分を批判するリプが沢山ついて不快だとか、
フォロワーが自分に対していい印象を持って欲しい、
といった気持ちがあるかもしれません。
削除することで良く思われたい、
同情されたい、自分のミスは有耶無耶にして、
完璧な親を演じたいとかもあるかもしれません。
フォロワーの気持ちは関係ないんですよね。
本当はフォロワーに自分の気持ちを投影しているのです。
その人がこういう経験をしたのは、
そうなる様な原因が元々あって、
またこの時取った行動が原因となって、
次の結果を呼びますよというのが、
原因と結果の法則です。
 
自分なりに内観をして、
鏡とは何のことだろう、
ブーメランとはどういうことかなと、
考察してみると分かって来ると思います。