穴と橋とあれやらこれやら -65ページ目

穴と橋とあれやらこれやら

初めまして。ヤフーブログ出身、隧道や橋といった土木構造物などを訪ねた記録を、時系列無視で記事にしています。古い情報にご注意を。その他、雑多なネタを展開中。

2021年11月13日、南紀周回宿題回収ツアーの初日。この日のネタで記事にしているのは、メインターゲットだった千人場の滝の隧道訪問記旧・王子橋。今宵はそれらよりも前、お昼前に訪ねた隧道をご紹介。

 

 

 

いきなりこれ。

いや、なんか気に入った写真なもので使いたかっただけで。

 

 

 

 

 

はい、こちら。

カーブしながら進入する悪線形の、無骨なコンクリート隧道。場所はこちら、西側より。

 

 

 

 

 

ここまでくれば、

向こうが見えた。延長は35mだそう。

 

 

 

 

 

お名前は、

「熊瀬川隧道」。昭和52年3月とあった。

 

実際はもっと古くからあったように思えるロケーションだが、調べた範囲では確認できなかった。

 

 

 

 

 

洞内は、

無照明のコンクリート打ち。他にはコメントなし。

 

 

 

 

 

東側、鉄板の構図。

いいですな~。落ち着くな~。

 

 

 

 

 

たった35mの隧道だが、

この短さで全く違う川の谷筋へと抜けている。

 

 

 

 

 

地理院地図だとそれがよく伝わるんだが、

ピンポイントにここ!ってところを突いてるよな~。いや~、この地図だけでどんぶり飯イケるわ。

 

 

 

 

 

こういう、隧道を抜けるとガラッと違う地平が開けるっていうのが、

やっぱ醍醐味よなあ。

 

 

 

 

 

振り返って正対。

こちらも無骨なポータル。

 

 

 

 

 

扁額は…まったく同じかな?

なんか、間違い探しレベルで微妙に違う気もするが、ワカリマセーン。

 

 

 

 

 

極めて地味な物件であり、隧道愛好者でもあまり響く人はいないかもしれないが、

こんなのも大好きだ。

 

 

 

以上。

 

 

 

 

2023年8月22日に敢行した薬院新川の古橋群探索は、酷暑のため福海橋宮の谷橋御陵橋土居橋で打ち切り。平尾架道橋(仮)を見て終了。翌々日8月24日、残る橋をチェックするため、再び西鉄平尾駅へ降り立った。

 

市崎橋餅田橋を経て、その名も新川橋でついに白塗りの呪縛から逃れたところまでをご紹介してきた本シリーズ、残すは今回を含めて2回となる。

 

ラス前の今回は、この日最も撮影しにくかった橋。車も人も、まあよく通ってよく溜まる。これだから街中ってキライ。記事内写真は、最大限人のいないタイミングを狙ったものとご理解いただきたい。

 

 

暑さでバテバテになりながら、まずはこれ。

薬院新川、上流側からのサイドアングル。欄干、またしても白塗りですやん…。

 

場所はこちら。薬院駅至近、160万都市・福岡市のガチ街中である。

 

 

 

 

 

このように、

親柱に特徴がある橋。

 

 

 

 

 

東側より。

きっと古い橋なんだが、周りがあわただしくて、まるで楽しんでる余裕がない。

 

 

 

 

 

この特色ある親柱もねえ…

おかげさまで読みづらいことこの上なしなのよ。

 

読めます?これ。一応「姿見橋」と刻まれとりますが。わたくしにはわかってましたぞ。なぜなら、そこの交差点名が「姿見橋西」だったんですな~。

 

 

 

 

 

こちらにはお誕生日が刻まれていたのだが、もうさっぱり。

もっとアップで撮った画像をよくよく見てもわからんかったのだが、「大」で始まってるので大正橋梁であろうと(あとで調べたら、大正14年製だった)

 

 

 

 

 

橋上で写真撮ってる余裕はなく、

渡りきって横断歩道も渡って、西側より。

 

 

 

 

 

イチイチこの親柱を撮りに行くのも大変だったわ~。

これは仮名での橋名。あらかじめわかってれば「すがたみはし」と読めた。

 

 

 

 

 

で、今日イチ個性ある親柱が最後のコレだったのだが、

「福岡市西●●耕地整理組合」。

 

耕地整理(および組合)については各自調べていただくとして(ひどいね相変わらず)、今でこそこんな街中だけど、かつては耕地整理が行われるほどのどかな場所だったってことよね。隔世の感があるなあ。

 

 

 

 

 

最後に、下流側よりサイドアングル。

いい橋ではあったけど、とにかく落ち着かん橋だった。そそくさと立ち去って、最後のターゲットへ。

 

 

 

では来月、最終回で。

 

 

 

今宵はけっこう久々な感じがする、一発ネタ。

 

 

「武将募集」。

 

 

 

ロケ地:矢掛町某所 

※少々画像処理を施しております

 

 

2015年1月11日、年始の奈良県徘徊。この日のネタで記事にしているのは、大滝の暗渠小倉橋旧・国栖隧道。今宵ご紹介するのはこれらより前、この日序盤に訪ねた物件。

 

 

 

いきなりこれでスタート。場所はこちら

川上村柏木地内、国道169号脇から直で生えてる吊り橋である。

 

この当時までのわたくし、川上村は真夜中に通過することが多く、この吊り橋も気づいてはいたがスルーしていた。川上村がメインだったこの日、ようやく初渡りというわけで。

 

 

 

 

 

メインケーブルはR169上を架空されているが、

もちろん大型車の通行に支障がないよう、高い位置にアンカーレイジが設えられていた。

 

 

 

 

 

さっそく橋上にお邪魔。

下流側に河川占用許可標識が掲示されており、村道柏木・神之谷線という路線名と「御座橋」という橋名が判明した。

 

ちなみに、主塔その他には諸情報は見当たらなかったが、Q地図によれば1959(昭和34)年完成とのこと。

 

 

 

 

 

ご覧のとおり、スペックは車道規格。

グレーチングで真ん中が縞鋼板という、紀伊半島の車道吊り橋のデフォルト的なつくり。

 

軽なら問題ないだろうが普通車だとまあまあ厳しい幅員。Q地図によれば幅員2.1mとのことで、まあそんなものかね。

 

 

で、対岸の様子をご覧いただくと鬱蒼とした雰囲気だが、これが今や大きく変わっていることを知った。

先日、いつもお邪魔している「さすらいの雨降らし」さんとこでこの橋を記事にしておられたんだが、

 

こちらの記事の5枚目写真と比べていただきたい。対岸に真新しい林道が切り開かれて、ぜ~んぜん、違うの!(なんでかわいく言うねん

 

まあこのへん、また後ほど。

 

 

 

 

 

橋上から望む吉野川上流側。

 

 

 

 

 

そしてこちら、下流側。

対岸の様子以外に季節も時間帯も違う(わたくしの訪問は朝8時すぎ)から当たり前だけど、雨降らしさんの記事と同じ橋とは思えないほど雰囲気違うなあ~。

 

 

 

 

 

で、わたくし、

吊り橋を渡ると絶対この手の写真を撮ってしまうんよね~。

 

他にもいろいろこういうの撮ったけど、独りよがりも甚だしいのでバッサリ割愛(笑)。

 

 

 

 

 

で、対岸ですよ。

この当時はこういう雰囲気で、橋を渡るとほぼ直角で右へと折れていた。先述のとおり今は下流側すぐそばの北和田集落から新しい林道が開かれて丁字路となっているみたい。

 

 

 

 

 

正面には、

「林道北和田線」の標識。新しく開かれた林道は、いわば林道北和田線の路線改良ということなんだと思われる。

 

御座橋を渡ったところから林道北和田線になるってことは、先の河川占用許可標識にあった「村道柏木・神之谷線」という路線は、実質御座橋のみってことになるのかな。

 

 

 

 

 

ところで、その脇にあった石碑は道標だったのだが、

(ボケボケで申し訳ないが)「右のぼる 金剛寺道 左 水晶窟道」と刻まれている。

 

金剛寺は後南朝時代の古刹で、新しい林道が金剛寺までつながったのかは未確認だが、この当時この橋から車道はつながっていなかったはず。ここからの徒歩道が正ルートだったのかもしれない。

 

そしてもうひとつの「水晶窟」。ここ川上村は洞窟の宝庫だそうで、それらを村おこしに活用しようという動きもあるようだ。観光洞として公開されている不動窟(この橋からもほど近い)しか知らなかったが、この水晶窟もそうした洞窟のひとつで、現在は公開されておらず立入禁止だとか。こうして案内されているということは、この道標が建てられたころには立ち入ることができたのだろう。

 

江戸時代とかめちゃくちゃ古い道標でもなさそうだが、それぞれ往時の空気感を感じさせてなんかいいなあと思ったので、ちょっと字数を割いてみた。この道標、今も無事なのかなあ…。

 

 

 

 

 

まあわたくしは橋が目的ってことで

ここで引き返した。

 

 

 

 

 

そうそう、

こういうのも必ず撮っちゃう。

 

真正面にアンカーレイジにある祠が見えるのがいい。

 

 

 

 

 

で、国道側に戻って、橋の下に降りる道を見つけたので、

主塔を真下から。真下すぎてよくわからん。

 

 

 

 

 

主塔の根元は、

近年に施されたであろう根巻き。手厚くメンテされてますな。

 

 

 

 

 

最後に、下からのあおりアングル。

当時の御座橋、サイドアングルを撮れるところはほぼなかったなあ。

 

 

堪能した。

 

 

 

 

 

国道へ戻るのは、

こんな階段。ほとんど使われてないな。

 

 

 

てなことで我が備忘を兼ねて、大きく雰囲気の変わる以前の御座橋をご紹介いたしました。

 

 

 

2010年12月27日、第八次三重県探索。この日のネタで記事にしているのは、ふかつろバス停新八鬼山トンネル二木島隧道、荒坂隧道、波田須隧道明神瀧隧道鳥越隧道

 

今宵ご紹介するのは、この日最大のイベント・鳥越隧道へ向かう際に通りすがった橋。もう14年以上も前の記録だが、ストビューで見る限りは今も架け替えられず頑張ってるようだ。

 

 

 

いきなり、ドン。

当時まだ圧倒的に穴指向だったわたくし、この橋も全然ノーマークで通りすがっただけなんだが、この古色蒼然とした佇まいに打たれ、ソッコーで車を停めた。

 

場所はこちら。西側より。

 

 

 

 

 

この時の光線の具合とか、午後も徐々に深まりつつあるという時間帯もよかったのかもだが、

どうすか、この詫び寂び感。わたくしの感性にズドンとはまってしまいましてね。アーチを連ねた欄干意匠も、シンプルながらめっちゃいい。

 

 

 

 

 

親柱を見てみたが。

「昭和十年~」と刻まれてるようだが、どうも判然とせず。

 

 

 

 

 

欄干はところどころ、

このような痛々しい姿が見られた。

 

 

 

 

 

いや~、

好きな感じ。絡まる蔓も大好き。

 

 

 

 

 

こちらの親柱は…

うぅーーん。「い志~」とか見える気がしたが、これまた判然とせず。

 

 

 

 

 

渡って、東側より正対。

戦前のコンクリ橋、大好物。

 

 

 

 

 

こちらはまだ判読しやすくて、

「昭和十年三月竣工」…かな?

 

 

 

 

 

そして、お名前!

やはり「石ヶ谷橋」ですな。

 

念のためQ地図でも確認したが、お名前は間違いなし。ただ、完成年は「不明」となっていた。このように、現地情報で明らかに完成年がわかるのに「不明」となっている物件はけっこうあるけど、あれなんなのかね?

 

 

 

 

 

昭和十年、

ビジュアル的にも納得。

 

 

 

 

 

親柱直近のここが破損するっていうのは、

親柱に衝突して後ろに傾いたことにより、欄干の弱い部分に応力がかかってこうなるのかな。

 

 

 

 

 

最後に、下流側からのサイドアングル。

冒頭、今も架け替えられずに頑張ってると書いたが、ちゃんとこういう破損個所は修繕してもらっていたのでご安心を(誰に?)

 

 

 

 

以上。