2015年1月11日、年始の奈良県徘徊にて訪ねた物件をご紹介。この日のネタで記事にしているのは、大滝の暗渠と旧・国栖隧道。
正確には、この物件は明るい時間に通りかかったのが初めてだったのでようやく撮れた、ってことで、それまでに何度か通過はしていた。先日、この橋のことを思い出させてもらう機会があったので、こうして記事にしておこうと。まあそのあたりは記事中にて。
まずはいきなり、ドン。
奈良県道262号国栖大滝線・川上村東川地内、吉野川に架かる橋である。場所はこちら、東詰より正対。
塗装の剥げかかった、ワーレントラス橋。
高欄だけは近年に取り換えられたか、まだ新しそうなもの。
向かって左の親柱には「よしのかは」、そして右側の親柱は
「おぐらはし」。
それにしても、この親柱と袖高欄、
ありそうで実はそうそう見ない、独特なテイストだ。
下路トラス橋で
絶対に撮ってしまうアングル。いい加減うんざりなのに撮ってしまうのよねえ…(笑)。
いったん西側へ渡って、
こちらも正対。親柱と袖高欄のテイストは同様だ。
左の親柱には「吉野川」、そしてこの右側には…
出ました、二枚付け。
まず正面は、
「小倉橋」。
そして側面のほうは、
「昭和十一年三月架換」。
見た目の印象よりもさらに古かった。この親柱とか、オリジナルなのか?
橋上から望む、
下流側。
そして、こちら上流側。
わたくしの撮った写真ではひじょ~にわかりにくいのだが、赤丸の当たり、ちょっと金属部材が曲がっているのがわかるだろうか?
先日、ブロ友のなおさんが書かれた記事を見て初めて知ったのだが、この歪みは、昭和34年9月26~27日の伊勢湾台風の際に流木が激突してできたものなのだとか。
なおさんの記事だと、部材の歪み具合がよくわかる。ぜひご覧あれ。
この位置に流木が激突するってことは、完全に橋本体までをも激流が洗っていたわけで、以前この記事でも触れたが、その水位たるや、想像を絶する。
いや~、
よくぞ流失せずに耐えたものだ。小泉純一郎ならずとも、「あの言葉」を言いたくなる(謎)。
さて、こっからはボーナスステージというか。
西側の向かって左の袖高欄。
その外側に、
出た!隠し銘板。
隠し銘板とはわたくしが勝手にそう呼んでるだけだが、時折こういう「見つけてほしくないのかね?」と問いたくなるような、密やかな位置に銘板だったり文字が刻まれていたりするケースがあるんだな。見つけたらめっちゃ得した気分になるやつ(笑)。
しかしながらここ、足場が全然なし。しかも微妙に遠いので判読できない。ならば、とズーム撮影を試みるも、上の二枚の写真でわかると思うが、ここはほぼ光が差さないんだな。
何枚ものボケボケの撮り損ねを重ね、
唯一なんとか読み取れそうなレベルで撮れたのがこれ。なんだけども。
上部に書かれた年号から昭和十一年の架け換え時の工事銘板であることはわかるが、残念ながら人名などは不明瞭。くやし~。
その後も何度も通過しているが、撮り直せずにいる。またそのうち…。
以上。