穴と橋とあれやらこれやら -66ページ目

穴と橋とあれやらこれやら

初めまして。ヤフーブログ出身、隧道や橋といった土木構造物などを訪ねた記録を、時系列無視で記事にしています。古い情報にご注意を。その他、雑多なネタを展開中。

【前篇】より続く。

 

 

 

さて、ではいよいよ…

15年越しに洞内へお邪魔いたします。

 

 

 

 

 

坑門と同じく綻びのない5mほどの石巻き部分の先は、

岩盤が荒々しくむき出した素掘りに。

 

 

 

 

 

進む前に、振り返っての鉄板の構図。

だいぶ埋まってるのがよくわかる。すぐに閉塞するようなことはないだろうが、ちょっと気がかりではある。

 

 

 

 

 

では、進もう。

この素掘りパートもまた非常に安定しており、全体的に140年前の隧道とはとても思えない。

 

 

 

 

 

赤いマーキングが見えるが、

すでにこの隧道、管理はされていないはず。にもかかわらずの、この絶好コンディション。素晴らしい。転がっている小岩も、崩落というよりは外部から入り込んだもののように見えた。

 

 

 

 

 

ここで再度、振り返り。

この写真だとよく伝わるのだが、放物線アーチの独特なシルエットが素敵だ。

 

この隧道と同時に開鑿されたのが、ここより北、南越前町と越前市にまたがる春日野隧道と、敦賀市街地へ抜ける手前の金ヶ崎隧道。これら三本の明治隧道はいずれも、同様の放物線アーチを持っている。道路隧道としてはレアなものだ。

 

ちなみに当日この後に、同じく長年の宿題として春日野隧道を訪ねた。金ヶ崎隧道は記事にこそしていないが2012年8月17日の福井県遠征2日目に訪問済み。

 

 

 

 

 

洞床。

 

 

 

 

 

そして天井部。

まったくもって堅牢そのもの。よほど地質が良かったんだろうか。驚嘆するしかない。

 

 

 

 

 

ただ一か所、


ここには一見崩れたふうの、ちょっと広くなっている部分があったのだが、溜まっているのは土砂。

 

 

 

 

 

崩落であれば砕けた岩が転がっているはずで、どうもそうではなさそうな。

じゃあなんだ?と言われたら知らんけど。

 

 

 

 

 

さあ、そう長くもない洞内、

抜ける前の鉄板の構図。

 

すぐ向こうには、現道のシェッドが見えている。ええわあこれ。

 

 

 

 

 

抜けて正対。

多少木がうるさいが、なんとかポータル全体は拝める程度で助かった。

 

 

 

 

 

入ってきた南側とは違って、

こちら北側は隧道脇がすぐ海に面した断崖となっており、

 

 

 

 

 

そのためポータル海側には

ピラスター的な構造物が。これがいい。

 

 

 

 

 

その基壇部の、

ここはどういうものだったんだろう?

 

何かが置かれていた?いや~こんなすぐに海に落っこちそうな危なっかしい場所にはそんなもん設置しないよな。するなら山側だろうし。謎だ。

 

 

 

 

 

藪が鬱陶しいのもあったが、

現道をゆく車から奇異な目で見られるだけだし、現道の黒崎隧道を歩くつもりも毛頭なかったので、これ以上は進まずに撤収とした。

 

 

 

 

 

戻りに動画を撮ったので、よければどうぞ。

まあ、やっとこさの訪問記念ですな(笑)。

 

 

 

 

 

最後に、隧道付近からの敦賀湾の眺め。

この景色は、140年前とほとんど変わってないんだろうな~。

 

 

長年の目の上のタンコブをやっつけてスッキリと、かつ安全に戻った。

 

 

 

 

以上。

 

 

 

2024年5月9日に敢行した、福井県宿題回収ツアー第二弾。その一発目に訪れた超有名物件・阿曽隧道をご紹介。

 

 

この趣味にハマってほどなく…つまり15年以上前からこの物件は認識していた。もちろん、それらを訪ねたい気持ちはずっとあったし、「近場の甘え」を抱えながらも実際そんな機会も何度かあったんだが、なんでここまでの長きにわたって訪ねそびれていたのかというと…。

 

ひとつは、超有名物件ゆえにそのお姿などすでによく知っちゃっていたこと。何年か前にあの大御所までもがレポを公開するに至り、もう十分やな~って。大御所がこういう有名物件をレポ化したのは純粋に意外だったな~。

 

が、主な理由はそれではなく、その「アプローチ条件の厳しさ」だった。たぶん皆さん想像されるのと違うベクトルで。

 

 

 

つうわけで、時刻は早朝5時45分。

ターゲット南側の国道8号路肩(場所だいたいこのへん)に駐車。

 

遠目にこの路肩にトラックが先に停まっているのが見えて青ざめたが、まだ一台分強のスペースは残してくれてたので何とかすべり込んだ。この場所を逃すわけにはイカンので…。

 

 

 

 

 

現場は、

敦賀湾を見下ろす崖の中腹。国道8号はここから何本もの隧道とロックシェッドで、険しい海岸線をクリアしていく。

 

「アプローチ条件の厳しさ」とはまさにこれ。阿曽隧道を訪ねるには、歩道もなにもない狭い二車線の国道8号路肩をずっと歩いて行くことを余儀なくされる。

 

まずこれだけで嫌なんだが、問題はその交通量。大動脈のひとケタ国道だけに日中の交通量は非常に多く、この狭いところを大型車もガンガン走っている。さらに、なんだかむやみに巡航速度がめっちゃ高いのだ。狭いワインディングなのに。

自転車とかもほぼ見た覚えがないくらいなんで、ここを日中に歩いていくなんて、ほぼ自殺行為。まあ死にはしないだろうとしても、かなり迷惑であろうとも思う。

 

 

だからわたくし攻略するには、交通量の少ない早朝に攻めるしかないと考え、そのために前夜から家を出てここに合わせてきたわけだ。

 

 

 

 

 

身支度を整え、いざ出発。日中とは比べ物にならないが、この時間でもけっこう車は通り、気を遣う。ほんと、こんなとこ歩いてるやつ見ないもんな~。

 

 

 

 

 

200mほど?歩いていくと、

ロックシェッドが登場。

 

 

 

 

 

進んでいくとシェッドの先に、隧道が見えてきた。

あれが黒崎隧道。目指す阿曽隧道はあれの旧隧道という位置づけになる。

 

それにしても…大型車がガンガン肩先をかすめていく中、ここを歩いていくことを想像してみてほしい。やりたくないでしょ~。やっぱ早朝で大正解。やむを得ず万一やるなら、思いっきり目立つ色の服装推奨。

 

 

 

 

 

進みながら、シェッドの隙間からチラッと…。

あそこは隧道名となった「黒崎」という名の小さな岬となっており、目指す阿曽隧道はあそこに穿たれているはずだ。見えそうで見えなかったけど。

 

 

 

 

 

黒崎隧道の40mほど手前あたりから、

シェッドの外側にこのような余地が現れ、逃げ込むように退避。かなりホッとする。用途不明だが、歩道ではないだろう。

 

 

 

 

 

そしてようやく!

隧道手前、旧道入口に到達!

 

駐車場所からここまで、早足気味に歩いて5分かかった。ちなみに、北側には倍ほども長大なシェッドが控えており、駐車可能(かもしれない)スペースも遠いので、危険な歩行距離は格段に延びる。南側路肩が空いていれば、絶対こちらがベターだと思う。

 

そういえば、某山神さんとたまごろうさんは、モンキーでここに乗り付けるという飛び道具使用だったなあ。あれはあれで、交通事情によりかなり怖そう…。

 

 

 

 

 

さてさて!

念願の旧道へ踏み入れた~。

 

時節柄、藪の勢いが増し始めているが、このくらいなら全然イケる。

 

 

 

 

 

今歩いてきたシェッドを振り返り。

Q地図によると、お名前は黒崎ロックシェッド、昭和42年製だという。おお、ご同輩。

 

 

 

 

 

進み始めてすぐ、

路肩に駒止めを発見。

 

 

 

 

 

で、黒崎突端方向へと回り込む右カーブ部分に、

トタン小屋?の残骸があった。改めて先人の過去レポなど見てみると、以前はちゃんと建ってたっぽい。

 

 

 

 

 

そいつをかわして、カーブを回り込むと

隧道が目に入って…来るのかと思ってたんだが、そうじゃなかった(笑)。しかしすでに坑門上部は見えている。

 

それにしても険しい地形。確かに、ここは隧道を掘るよりほかにクリアする手段はなかっただろうと思わされる景だった。

 

 

 

 

 

もう少し接近して…

見えた。ネットでは見慣れたあの姿!

 

先人の秀逸なレポートが多数存在するので、拙ブログではもう完全に「行ってきた」に終始させていただくが、本隧道の完成は1885(明治18)~1887(明治20)年にかけての道路整備においてだということで、我が国の近代道路隧道において最初期のひとつである、ということだけ。

 

 

 

 

 

そして、

貫通も無事確認!

 

大きな地震もあったし、直近の状況が不明だったので少しだけ心配していたが、大きな問題はなさそうか。しかし自分がいるこの隧道南側には巨大な落石が大量にゴロゴロしており、影響は確実にあったことが偲ばれた。

 

 

 

 

 

そんな、実に140年近く昔(!)の隧道、しかもこの厳しい立地にもかかわらず、

状態は驚愕するほどに良好。唯一、ここの笠石がひとつ欠損していたくらいか。

 

 

 

 

 

坑口前に崩土が堆積しているおかげで、

憧れの(謎)要石タッチだってできちゃうのだ。この要石だって、ウソみたいにきれいじゃないすか?

 

 

 

 

 

迫石洞内側になにやら穴が見受けられたが、

なんだろね?

 

 

 

 

 

さて、ではいよいよ…

15年ごしに洞内へお邪魔いたします。

 

 

 

【後篇】に続く。

 

 

 

先ごろの福井県宿題回収ツアーから、まずはこれを。

 

 

やっぱいろんな意味で、ここがカギでしたんでね~。

 

 

 

 

【前篇】に続く。

 

 

 

2023年11月23日、三日間にわたる「中国地方TSHO周遊」、初日。朝イチのメインターゲット・大倉隧道続いてやってきたのが、今回のお題。ええ、お察しのとおりです(笑)。

 

 

 

事前下調べでQ地図で見つけて、

わざわざ立ち寄ったのよ。

 

 

 

 

 

まあこんなつまんない橋なんだが、

そう、理由はお察しのとおり。場所はこちら

 

 

 

 

 

もちろん、

この破壊力抜群のお名前、ひとえにそれ。

 

ストビューでつまんないビジュアルは承知していたがそんなんどうでもよくて、ちゃんと銘板が付いてることだけを確認してきたからね(笑)。このお名前が撮りたかった。「土器セン橋」。なんやそれ。

 

「土器」はまあそれとして、「セン」とはなんぞや?しかもカタカナ?最高ですやんこの不条理な名前。

 

 

 

 

 

わたくし、Q地図でこの手の「名前ありき物件」を見つけたら、

すぐストビューで橋名を記した銘板なり親柱がありそうかを確認してるんだが、なぜかそういう橋に限ってどこにも橋名表記のない殺風景な橋だったりするのがあるあるなのだ。こんなん気にしてんの少数派なんだろうが。

 

一例を申し上げると、我が家からも近場である京都府和束町に「日本一橋」なる橋があるんだが、これがまた残念なことに橋名を示すものがなにもないのよね。宝の持ちぐされですやんこんなん。これをアピらなくてどうする(笑)。

 

 

 

 

 

一応なんとか通常の橋記事とするべく、

サイドビューなんかも載せてみるが、つまらんもんはつまらん(笑)。

 

 

 

 

 

名前がこれでなきゃあ、

記事にする以前に撮影さえしない類の橋だ。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

名前以外はつまらん橋だったが、

こういうロケーションは大好き。滋賀にいるみたいで。

 

 

 

以上。

 

 

2024年5月9日、福井県に長年の宿題を回収しに行ってきた。自宅近辺で何度か出かけたものの、実質今年初めてのまともな趣味活。もう今年半分近く終わっとるのに~。

 

いやあもう、楽しかった、抜群に。

 

 

わたくしにとって福井県ってシバキ残しの宝庫で、2020年にも宿題回収ツアー(1日目2日目)を行ったりしたが、実はまだ「ちょっとめんどくさい超有名物件」を複数残していた。これもまた近場の甘え、その気になればいつでも行けると思い続けて、実に15年(笑)。ようやくこのたび、訪問してきた。同好の方にはピンとくる写真も多々あろうかと。

 

 

 

では以下、ダイジェスト。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

マジで未訪問だったところ、サッと走り抜けただけでまともに記録できていなかったところ、近年知って訪ねたかったところ、どうなったか気になってたところ…。それらを一気に回れて、最高に楽しい1日だった。潮風を浴びたりダートを走って泥だらけになったりしたので、最後はしっかり洗車~。

 

 

遠からずどれか記事にしようと思っているが、どれにしよっかな~。