【前篇】より続く。
さて、ではいよいよ…
15年越しに洞内へお邪魔いたします。
坑門と同じく綻びのない5mほどの石巻き部分の先は、
岩盤が荒々しくむき出した素掘りに。
進む前に、振り返っての鉄板の構図。
だいぶ埋まってるのがよくわかる。すぐに閉塞するようなことはないだろうが、ちょっと気がかりではある。
では、進もう。
この素掘りパートもまた非常に安定しており、全体的に140年前の隧道とはとても思えない。
赤いマーキングが見えるが、
すでにこの隧道、管理はされていないはず。にもかかわらずの、この絶好コンディション。素晴らしい。転がっている小岩も、崩落というよりは外部から入り込んだもののように見えた。
ここで再度、振り返り。
この写真だとよく伝わるのだが、放物線アーチの独特なシルエットが素敵だ。
この隧道と同時に開鑿されたのが、ここより北、南越前町と越前市にまたがる春日野隧道と、敦賀市街地へ抜ける手前の金ヶ崎隧道。これら三本の明治隧道はいずれも、同様の放物線アーチを持っている。道路隧道としてはレアなものだ。
ちなみに当日この後に、同じく長年の宿題として春日野隧道を訪ねた。金ヶ崎隧道は記事にこそしていないが2012年8月17日の福井県遠征2日目に訪問済み。
洞床。
そして天井部。
まったくもって堅牢そのもの。よほど地質が良かったんだろうか。驚嘆するしかない。
ただ一か所、
ここには一見崩れたふうの、ちょっと広くなっている部分があったのだが、溜まっているのは土砂。
崩落であれば砕けた岩が転がっているはずで、どうもそうではなさそうな。
じゃあなんだ?と言われたら知らんけど。
さあ、そう長くもない洞内、
抜ける前の鉄板の構図。
すぐ向こうには、現道のシェッドが見えている。ええわあこれ。
抜けて正対。
多少木がうるさいが、なんとかポータル全体は拝める程度で助かった。
入ってきた南側とは違って、
こちら北側は隧道脇がすぐ海に面した断崖となっており、
そのためポータル海側には
ピラスター的な構造物が。これがいい。
その基壇部の、
ここはどういうものだったんだろう?
何かが置かれていた?いや~こんなすぐに海に落っこちそうな危なっかしい場所にはそんなもん設置しないよな。するなら山側だろうし。謎だ。
藪が鬱陶しいのもあったが、
現道をゆく車から奇異な目で見られるだけだし、現道の黒崎隧道を歩くつもりも毛頭なかったので、これ以上は進まずに撤収とした。
戻りに動画を撮ったので、よければどうぞ。
まあ、やっとこさの訪問記念ですな(笑)。
最後に、隧道付近からの敦賀湾の眺め。
この景色は、140年前とほとんど変わってないんだろうな~。
長年の目の上のタンコブをやっつけてスッキリと、かつ安全に戻った。
以上。