二木島隧道、荒坂隧道、波田須隧道 (三重県熊野市二木島町~遊木町) | 穴と橋とあれやらこれやら

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初めまして。ヤフーブログ出身、隧道や橋といった土木構造物などを訪ねた記録を、時系列無視で記事にしています。古い情報にご注意を。その他、雑多なネタを展開中。

2010年12月27日、第八次三重県探索。この日のネタで記事にしているのは、ふかつろバス停新八鬼山トンネル明神瀧隧道鳥越隧道

今宵ご紹介するのは、時系列では新八鬼山トンネルと明神瀧隧道の間のどこか(笑)で通りすがった隧道群。

 

 

 

まずはこれ。

国道311号の二木島隧道・北側抗口前。現在地はこちら

 

撮ってないところを見ると、こっち側には扁額はなかったものと思われる…と書いてから念のためストビューを見たら、ちゃんと扁額がある。まさかの見落としか、あるいは見えにくくて撮っても無駄だと思ったか。

 

 

 

 

 

左側にちょこんと鎮座していたのが、

お地蔵様。往来を見守ってくださっていた。

 

 

 

 

 

で、この後車で抜けたのだが、

ヒイィィィィ!怖ァ!

 

これは怖い。大型車泣かせの隧道だな~。ドライバーさん、プロやな。

 

 

 

 

 

抜けまして~の、

南側抗口。

 

 

 

 

 

今度こそ扁額。

まあこっちも大して見やすくはない。

 

 

 

 

 

ポータル右側には、このような素敵アイテムがあった。

設置された簡易な箱に手書きで

「トンネル内を通る時は必ずタスキを使用して下さい」と。

 

この狭くて危険な隧道、おそらく反射材のついたタスキが箱に入っていて、それを使って視認性を上げてね、ということだと思う。

が、そういう使途であれば先ほどの北側にも同じ箱があって然るべきなのになかったところを見ると、この2010年時点ですでにこのシステムは使われていなかった、ということか。なぜ中を確認しなかったのかは我ながら愚かだな~と思うが。

 

いつごろのものかは不明だが、手書きであることから、おそらくは地元で独自に設置したものではないかと思われる。もしかして通学路だったりしたのかも。

 

 

 

 

ちなみに最新のストビューは2021年12月のものだが、この時点でまだこの箱、現存している。

文字はほぼ読み取れず、蓋も亡くなってしまってはいるが…。なんか胸アツ。今も残っててほしいな~。

 

 

 

 

 

国道311号は起点である尾鷲市からかつてはいわゆる酷道区間も多く存在していたが、順次改良が重ねられ、近代的トンネルによるショートカットも何か所か実現している。

 

そんな中でこの二木島隧道は

いかにもなアンダースペックから想像される通り、1952(昭和27)年製。ウィキ先生によると、この路線が国道に指定されたのが1970(昭和45)年ということなので、国道昇格以前からの古参隧道ということになる。

 

ちなみにスペックは、延長425m、幅員6.0m、有効高3.8m。

 

 

 

 

 

そして、この隧道に続いて通った

波田須隧道も、同じ1952(昭和27)年製。場所こちら

 

 

 

 

 

ちょうど洞内を進行してくる大型車を退避しながら撮ったものがこれだが、

これまた苦しいサイズだ。ここのスペックは、延長121m、幅員6.0m、有効高4.2m。

 

ちなみに当時は起点から進んでいくと二木島隧道の次が波田須隧道だったが、後にその間にある遊木地区をバイパスする遊木トンネルが供用されたため、お隣さんではなくなった。

 

 

 

 

 

さらに、二木島隧道の尾鷲側ほど近くに位置する

荒坂隧道。場所こちら

 

 

 

 

 

この隧道には銘板があり、

「昭和三十一年八月十八日 森田組」と刻まれている。

 

 

 

 

 

つまり、二木島、波田須の両隧道よりも4年ほど新しいわけなのだが、

その間でスペックは進化せず。延長85.2m、幅員5.0m、有効高4.0mと、幅員はかえって狭まってしまってるし!

 

ただ、数値上で1mも違うというほど見た目での違いは感じられない。実際測ってみないと何とも…。ここに挙げたスペックはいずれも、「平成16年度道路施設現況調査/国土交通省」より。

 

 

 

ちょっとイレギュラーな順序で紹介してしまったが、起点側から順に荒坂、二木島、波田須の各隧道。この三隧道が、国道昇格前からこの道を守ってきた古参隧道であり、2022年夏現在、いずれも今も変わらず現役で頑張っている、という記事でありました。

 

 

 

 

 

 

以上。