穴と橋とあれやらこれやら -64ページ目

穴と橋とあれやらこれやら

初めまして。ヤフーブログ出身、隧道や橋といった土木構造物などを訪ねた記録を、時系列無視で記事にしています。古い情報にご注意を。その他、雑多なネタを展開中。

2015年8月23日、前日から敢行した「HTK (Hyogo、Tottori、Kyoto) 彷徨」の2日目。この日のネタで記事にしてるのは、時系列で戸倉隧道関連戸倉峠の明治道と未成隧道榎雪覆網代隧道田君川橋梁三尾隧道宮ノ内橋

 

今宵ご紹介するのは、田君川橋梁と三尾隧道の間に訪ねた物件。こんなタイトルだけど、実は…。

 

 

まずはこれ。

行く手には小山を貫くトンネル…ではなく、実はJR山陰本線の大築堤をくぐるカルバート。

 

 

 

 

 

しかもそいつは二連!

左の道路は兵庫県道261号赤崎久谷停車場線、右の河川は岸田川水系の2級河川・和田川である。現在地こちら

 

 

 

 

 

だいぶ改修されてそうだが、真ん中には

かつての橋脚端部と思われるものが現存していた。これカッコいいな。

 

 

 

 

 

ちゃんとアーチ環もあって、

オリジナルは煉瓦だったりするんだろうか?

 

 

 

 

 

橋脚脇には、こんな表示が。

兵庫-132ってのがなんなのかはわからないが、県道赤崎久谷停車場線の「和田口めがねトンネル」であると、デカデカと宣言。こういうの珍しい。

 

JR側からすれば「橋梁」となるはずだが、道路から見ればトンネルであり、これは明らかに道路管理者側の設置。橋梁としての正式名称はどこにも表示がなかった。つうか、「和田口めがねトンネル」が公式な名称なのかといえば、それもまた疑問かと。

 

 

 

 

 

もしかしてJRは関係なく、完全に道路管理者で管理する「トンネル」扱いなのかとも思ったが、

Q地図様の「全国トンネルマップ」でも出てきていなかった。

 

 

 

 

 

まあなんとも不可思議な「洞内」。

こういう側壁処理、トンネルでも橋梁でも見ないもんね。

 

 

 

 

 

とにかく規模がデカいから、

鉄板の構図だってサマになる。

 

 

 

 

 

こちら側も水切りは埋め殺されていて、

いかにももったいない。

 

まあがっつりボックスカルバートに置き換えられるよりはだいぶマシではあるけど。

 

 

 

 

 

実は入ってきた南側にもあったのだが、

やはり浸水しやすい場所なんだなここ。

 

 

 

 

 

最後に、北側からの引き。

調べてみたらこの二連橋梁、1911(明治44)年の完成だという。香住~浜坂間の開通をもって京都~出雲今市(現・出雲市)が全通したのがその翌年のことなので、開業時から存在した橋梁ということになる。

 

「但馬の近代化遺産」さんのこちらのページには、工事中や改修前(でもすでにオリジナルではなさそう)の貴重な写真が掲載されている。ぜひ併せてご覧いただきたい。

 

 

そんなわけで、こういう記事タイトルだけど「鉄道橋梁」テーマなのだった。

 

 

以上。

 

 

 

 

 

黒川の吊り橋を後にして、たぶんだけど、

こっからエスケープした…かもしれない。記憶も写真もないんだけども、たぶんそうだった。

 

 

 

 

 

ここを抜けると、

駐車場所ほど近くに復帰可能。めっちゃショートカットやんこれ。

 

 

 

 

 

県道から、登ってきた(と思われる)暗渠を振り返り。

…って、あれ?なんかあるぞ?

 

 

 

 

 

わかりましたかね?

なんだあれ?あんな位置、怪しすぎんか?

 

 

 

 

 

さっそくに接近。

石垣をよじ登らないといけないような、

 

 

 

 

 

そんな位置にあった石柱は…

神社の社号票らしきものだった。

 

県道に向いた面にはデカデカと「向幡神社」。

 

 

 

 

 

そして側面には

「大正十一年四月建」。あと一文字くらいは埋まってそうな。

 

 

 

 

 

そしてもう一方の側面が謎だったんだが、

「改築大ユ中」ってなんなのか。

 

 

まあそもそも、なんでこんななにもない場所に神社の社号票が建ってるのか?まさか、遷座された神社の名残りとかか?とはいえそこは平場なんてなく、とても神社跡地とも思えなかった。

 

 

 

 

 

現地ではまったくわけが分からなかったんだが、改めて地理院地図を見ると、

この上に神社の記号が描かれている。

 

もしかしてここが当該の神社なのかと調べてみたらビンゴ。ただし「向」幡ではなく「白」幡神社が正しい名称で、シンプルに刻まれた漢字の解読を間違っていたっていうね。

 

 

 

 

 

で、今いる吊り橋ほぼ直上の位置からはまったく道が描かれておらず、

実際、社号票の背後も石積みの砂防堰堤が立ちふさがっていたりで、付近に道らしい道もない。

 

現状はこんなんだが、かつてはここに参道があったということなのか?でなければこの位置にある意味が謎すぎる…。

 

 

 

 

 

時折県道を車が通るけど、

たとえ「ここになんか石柱がある…」くらいのレベルでも気づいてる人って、どのくらいいるんだろう。ほぼ誰も気づいてないかも。

 

 

 

 

 

…という、まあこれだけの話だ。需要なさそうなネタだがわたくし的には楽しめたので、こうしてスピンオフとして記事にした次第。

 

 

テーマ分けに少し迷ったが、神社そのものは登場しないので、「道路元標、その他石碑など」に分類しておく。

 

 

 

【前篇】より続く。

 

 

 

一見して「これ、渡れますの?」状態。県道から見下ろした時には意外と健全やん?なんて思えたのは、見えた範囲だけのまやかしだったか~。しかも遠くて状態などわからんかったし。

 

ではあったものの、

部材は金属なので、やってやれないことはない。まずはチャレンジ。

 

床版がないことよりも、この足場の悪さなのに障害物が多いことのほうが萎えた。

 

 

 

 

 

とりあえずは、両端の金属部材に足を置いて進んだ。

この程度の幅なのでなんとかなったが、それにしても床版の板切れときたら、スッカスカですやん。気持ちよくパキーーン!と割れるやつ(汗)。

 

 

 

 

 

上半身の位置に障害物がいっぱいあるので、

必然的にアクロバティックな体勢に…なってようやく気づいた。そこにあるのは橋脚遺構じゃないか。

 

 

 

 

 

まあ渡る前からわかっちゃいたが、

ここで気持ちが萎えた。ここまでして渡る意味があろうか?いや、ない(反語)。

 

 

 

 

 

幸か不幸か、

県道から見下ろした際には健全に見えた対岸側まで一応見渡せたので、

 

 

 

 

 

ここで撤収することとした。

方向転換もプチ苦労。

 

思わずここから直接橋脚遺構に飛び移ろうかとも考えたけど、どんくさいわたくしのこと、大ケガしたらバカらしいので自重した…ことを思い出したわ。

 

 

 

 

 

ふと目についたこの景、

この橋がこういう状態になって何年くらいなんだろうか?

 

 

 

 

 

はい、戻りまして

サイドから黒川に降りた。

 

手前にあるコンクリ塊には渡る前から気づいていたが、これなんの遺構だろう?

 

 

 

 

 

そしてここでさらに気づきが。

対岸側にも橋脚残ってるやん!

 

 

 

 

 

状況的に先代橋のものだと思われるが、気になるのは吊り橋と同位置ではなく、

 

微妙に上流側に(しかも少しだけ斜めにオフセットして)位置していること。

 

まったくの同位置にしなかったのは、先代橋が架かった状態でこの吊り橋が架橋されたことを意味してるのかも。橋台部分に支障が出たとかだろうか?あるいは何か他の事情?

 

 

 

 

 

橋脚の根元にこんなんあったのだが、

なんだろうね?

 

 

 

 

 

あと、同じような写真で恐縮だが、

対岸側の橋脚、河原の露岩に直接立てられているのが地味に高ポイント。

 

 

 

 

 

最後に、上流側からのサイドアングルを。

もちろん対岸へ渡ろうと試みたが、微妙に長靴では無理な水深だったので断念。

 

上2枚の写真にも写っているが、対岸の白い建物(地図によるとキャンプハウス)に人の気配があり、あからさまな廃橋をチョロチョロするのがはばかられたため、改めて対岸へ回り込むこともやめておいた。ここまでで十分満足したし。

 

 

気になっていた橋はある意味予想通りでもあり、予想以上でもあった。満足して撤収。

 

 

 

 

以上。

 

…だが、この直後にちょっとした発見があったので、スピンオフとして【次回】に。期待はしないでいただきたい(笑)。

 

 

 

2020年9月22日、謹慎明け東濃~中濃徘徊の2日目。この日のネタで記事にしているのは、朝イチの白川付知林道シデノキ旧廃道とその周辺南北橋七宗第四トンネル旧廃道柿ヶ野隧道飛水峡の飛騨川右岸歩道

 

今宵ご紹介するのは、お昼前に訪ねた、気になってた物件。

 

 

 

気になってたっていうのは、航空写真で見つけてた橋で、

わかりますかね?中央、文字に隠れぎみだけど。これどうも吊り橋じゃないか?ってことで。

 

 

 

 

 

てなわけで現地にやってきたのだが、全然わからず通り過ぎてしまった。これは歩いて偵察しないとわからんやつか。

 

この辺やろ、って付近に車を置いてよくよく観察したらば…

あっ、あった!

 

赤丸部分、主塔が見えてるの、わかるだろうか?やっぱり吊り橋だったか。

 

 

 

 

 

ちょっと位置を変えて、ズーーム。

なるほどなるほど、日なたには床版も確認できた。よーし、渡れそうだ(フラグです)

 

問題はアプローチなんだが、どっから行くんだねキミぃ。

 

 

 

 

 

実は件の橋、地理院地図なんかにも載っているのだが、普通に県道から分岐して渡る感じに描かれている。

そう、実際は全然違った。

 

 

 

 

 

黒川下流方向(地図では左側)へしばらく歩いてようやくアプローチらしき場所を見つけたが、

ここか~。

 

 

 

 

 

どうやらこっからトラバースしながら吊り橋のあるレベルへ降りていくようだが、

ありませんやん!

 

ありませんというか、藪で道に見えなくなっている状態。

 

 

 

 

 

ちなみに目の前に見えているピンクテープは、

国土交通省の地籍調査のもの。

 

この趣味をやっているとちょいちょいお目にかかるやつだが、ものすごい山奥で出会ったりすると、人の痕跡を感じてほっこりしたりする。個人の感想です。

 

 

 

 

 

幸い、藪は最初だけで、

踏み跡も明らかな、ちゃんとした「道」になった。このへんとか「石畳!?」とか思ったけど、まあ0.5秒ほどだけ。

 

 

 

 

 

主塔が見えてきたが、

その手前に、なんかあるぞ。

 

 

 

 

 

そこにあったのは、

簡易なコンクリ桁橋。

 

 

 

 

 

そしてその左側には…

ず、隧道!?

 

いやいや、そんなわけはなく、これは県道の下を抜ける暗渠。山からの沢水を逃がすものだ。

 

 

 

 

 

長らくメンテされていないのか、

洞床部分はこんな惨状。ひどくないこれ?

 

 

 

 

 

いつでもどこでも(笑)鉄板の構図。

裏切らないのよこれが。

 

 

 

 

 

さてようやく、吊り橋の前へ。

不都合な真実からはとりあえず目をそむけた(笑)。

 

水色の主塔上部のなんかハエタタキっぽい感じ(語彙よ…)、この遠征で訪ねた近辺の吊り橋のデフォルト通りなイメージ。まあどれも記事にしてないけど…。

 

 

 

 

 

橋台手前、よく見ると、

石積み土留めですな。それなりに古くからここに橋があった状況証拠…かも。

 

 

 

 

 

さて、では…現実に目を向けて。

これ、渡れますの?

 

 

 

【後篇】に続く。

 

 

 

今回はしばらくぶりに、引き画像を載っけてみる。

気休め程度に、画像処理を施しておりますが~。

 

 

 

 

これもまた提供はかなりローカルなお店で、

「御菓子司 長栄軒」。

 

だいぶ古そうな看板だが、この長栄軒さん、当然のように今も書いてある通りの場所で営業されている。観光客向けではない、京都に数多くある、ご近所の方が買いにくる系の和菓子屋さんである。

 

 

こういうジモティー専属系和菓子屋さんを巡る旅っていうのも、ステレオタイプな京都観光では飽き足らない方にはおすすめかもね、そうかもね。