【戸倉隧道・若桜側】より続く。
戸倉隧道の両側旧道と坑口を確認完了した。
が、しかし。わたくしにとっての「真の戸倉」は、ここからが本番と言っても過言ではなかった。
なぜなら我が最終目的地は、この旧隧道のさらに上に存在するという、
「戸倉の未成隧道」ゆえに。
とは言え、ほとんど何の予習もしてこなかった、敢えて。だって、やはり到達したときの感動が欲しいじゃないですか(笑)。知っているのは、それが開口しているのは若桜側、っていうことくらい。
未成隧道がいかなるものなのかは「その時」に触れるとして、以下は当日の顛末を忠実にご報告していくことにする。
6時20分、アタック開始。
現地で見るに、その取り付きは
隧道向かって左しかなかろう、と。
取っ付きこそこんな藪だが、
そこを抜けるとすぐに
このように歩きやすい感じに。
ここからのアプローチとか全然知らないのだが、まずはズンドコ登っていけばいいだろう。
少し進んで振り返り。
左手のコンクリ構造物は、もちろん隧道ポータル。茂みをすかしてノートさんが見える。しばし待ってておくれよ。
まぁ、しばしのつもりが2時間も待たせたけどな!
ちなみに隧道の上には
こんなご神木クラスの立派な木が生えていた。
素晴らしいけど、隧道に影響はないのかな?
そこからすぐ。
砂防ダム登場。
左寄りに見える銘板には、「昭和55年3月完成 予防治山事業 鳥取県若桜町森林組合」とあった。旧隧道が現役だった時代に造られたものだった。
ここらあたりから、アタックルートは険しさを増してくる。
まずは砂防ダムを乗り越えて…
固まった。
おいおいおい!なんか見えてんぞ!?もうか?
もうなんか!?
いやっ…アレは…?
気づかれるだろうか?もはや尋常でない斜度になっていることに。
そんな傾斜地に忽然と現れた、
コンクリートトンネル。
だが、貫通して反対側が見えている。そして土被りがほとんどない。思わず色めき立ったが、とりあえずコレが目的の未成隧道ではあり得ないだろう。
じゃあ、なんなのだチミは(笑)。
わからぬままに
取り急ぎ潜ってみたり(笑)。
内部は風化が進み、ボロボロ。あちこちでジャンカが露出して、粗悪なコンクリートが使用されたことが窺える。
うーむこいつは…未成隧道と時期が同じっぽいな…。
さらに登りつつ、振り返り。
ぬぅ~いかにも不条理。
だが、コイツの正体がなんとなくわかってきた気がした。
さらに登ることしばし。
きれいな平場に出た。
コレは登りきった地点から左を見ている。紛れもなく道の痕跡だろう、コレは。つまり、先ほどのコンクリートトンネルの正体は…。
同じ場所からさらに上方向を見てみると、
斜面の上から降りてきた流水跡が…わかるだろうか、矢印のところ。
降りて見てみると、
こう。
もちろんコレは先ほどのコンクリートトンネルの反対側。つまりコイツはトンネルではなく、道路下に流水を通す暗渠だったわけだ。
上の写真でわかるとおり大きな築堤となっていたらしいこの道だが、長年の間に大きく崩落し、コンクリ暗渠が露出していたのがさっきの状態だった、と。
いや~、コレはコレで重要な遺構じゃないの。
あー、さて…。
こっからどうすりゃイイんだね?
時刻は6時41分。アタック開始から21分。
【2】に続く。