【戸倉隧道宍粟側後篇】より続く。
ところ変わって、なんのタメもなく、
いきなり、戸倉隧道・若桜側坑口前。
ご覧のように、コッチは隧道直前まで車に乗って到達できる。
その様子は、またしても動画にてご覧くださいまし。
ご覧いただくと実感していただけると思うが、およそ廃道のイメージとはかけ離れたスペックを持つ、実に雄大な道路風景が展開する。コレは一見の価値あり。
ちなみに0分33秒あたりに見えるのがくらたにばしであります。
隧道手前なんて、このように
めっちゃ広~い。廃道っすよ、コレ。
直前まで車で来れるということは、
最後まで道を道として愛でつつ到達できる、ということ。
これは実に素敵だ。
さて、改めて(ほぼ)正対する若桜側坑口。
ポータルデザインは、完全に宍粟側と同じように見える。
ご丁寧に、封鎖の仕方までも(笑)。
さらには、
扁額も!
「宮田書」まで一緒かい!だから誰やねん(爆)。
いや~鳥取県知事でもないのよね…。兵庫側も鳥取側も同じ人物が揮毫しているということは、県を飛び越えて国、つまりは大臣かなんかかな…?と思ったけど、これも違うようだ。昭和29年は第5次吉田内閣時代だが、時の大臣に宮田という人物は見当たらなかった。
まあ…エエか(笑)。
当然こちらでもよじ登ってみた。
単純に明るくなってきたためだろうが、こっちのほうがよく洞内が見えた。
向こうの明かりが見えないということは、洞内にサミット(頂点)があるのだろう。
あーやんさんはこの隧道に怖さを感じられたそうだが、まあ季節や時間、気象によって印象はガラリと変わるだろう、どんな物件でも。
わたくしの訪ねたこの日この時は、そんなイヤな感じはしなかったが…、まあセンサーがバカになっとるだけかも(大爆)。
この現世と常世の接点の鮮やかさよ。これぞこの趣味の醍醐味!
堪能した。
が、終わりではない。
わたくしがここへ来た目的。
長年にわたってここを訪れたいと願ってきたその理由は
この先にある。
【明治道と未成隧道篇1】に続く。