2015年8月23日、前日から敢行した「HTK (Hyogo、Tottori、Kyoto) 彷徨」の2日目。実はこの日後半のメインターゲットだった、とある鉄道橋梁をご紹介する。
探索時間も徐々に押し詰まってきた15時23分、現場着。
そのファーストコンタクトが
遠くに見えてる、アレ。
場所はコチラ。
たいして冴えない橋梁に見えるかね?…そもそもよく見えない?(笑)
だがこの橋梁、実は鉄道橋梁として全国に三例しかない、そのうちのひとつなんである。その名は、田君川橋梁。
何がそんなにレアなのかと。それはね、
ラチスガーダー。
鋼板の替わりに、格子状(いわゆるラチス)に組まれた鋼材をもって構築された桁(ガーダー)をこう呼ぶ。
第一次世界大戦の影響による大型鋼板の輸入途絶を受け、資材の節約という事情に迫られ大正後期に開発されたのが、ラチスガーダー。その成り立ちゆえに、その後まもなく廃れていった。
当時架けられたものが、かつては名寄本線や羽越本線にも存在したらしいが、廃線や架け替えなどにより、現存するのはわずかに三例となった、と。
ちなみに、あと二例のうちのひとつも、同じ兵庫県の山陰本線に存在する。竹野駅付近の竹野川橋梁がそれ。こちらも当然チェックするつもりだったが、時間が押して断念。またいつか・・・。 残るひとつは、山口県は山口線・徳佐川橋梁だそうで。
そんなわけでこの貴重な田君川橋梁、土木学会により近代土木遺産Cランクに選定されている。
さて…ほぼもう言い尽くしたよ(笑)。あとは舐めるよーに鑑賞するのみ!そう…
斯様な橋梁を目にして、遠望で済ませるわたくしではない(笑)。
詳細は割愛するが、プチ苦労を経て
来ちゃった(はぁと)。
コレは浜坂方の煉瓦橋台。
この橋梁は二径間となっており、浜坂方のワンスパンはご覧の通りの
ノーマルなプレートガーダー。写真左寄り、豊岡方のスパンがお目当てのラチスガーダーである。
ちなみに「う」という文字は、側面にペイントされた「田君川橋りょう」の最後のひと文字(笑)。
メインはラチスガーダーとはいえ、せっかくここまで来たんやから、
プレートガーダー側もしっかり鑑賞!
鑑賞に最適な、この高さ!それは大変ありがたいのだが…
実際の様子は
お足元が大変お悪うございます。
背丈に近いグリ~ン・ヘルと、見えるだろうか、ガーダーばっか見上げてたら落ちて怪我すること確実!の水路も。
いや~危ないわ。
しかし、えーと、これが田君川なんかね?
水の流れがあったのはここと、先ほどの浜坂方橋台の直下のみで、いずれもこういう水路状のもの。全体的に見れば、ほぼ避溢橋と呼んでも差し支えないような橋梁だ。
あ、ちなみに避溢橋(ひいつきょう)ってのは、洪水の際に線路より上流部分が水没しないように架けるというのが一般的で、要は水抜き。その他、施設なりなんなりを守るために、地形的要因によらずに架けられる橋梁を指すものでございます。
慎重に水路を渡り、
今、逢いに行きます!
【後篇】に続く。