2015年8月23日、前日から敢行した「HTK (Hyogo、Tottori、Kyoto) 彷徨」の2日目。この日のネタで記事にしてるのは、時系列で戸倉隧道関連、戸倉峠の明治道と未成隧道、榎雪覆、田君川橋梁、三尾隧道、宮ノ内橋。けっこう多い。
今宵ご紹介するのは、榎雪覆に続いてやってきた隧道。
予告篇でご覧いただいた、このファースト・コンタクト。
これだけで「スキ」が確定した。まずはこの前菜だけでどんぶり飯一杯いける(笑)。現在地はコチラ。
小さな港町の住宅密集地にある隧道。
しかも、煉瓦アーチ石ポータル。大好物(笑)。
この生活密着感が、
最高ですやん!
よく見ると、
煉瓦の巻き立てにチョークによる書き込みが。点検時のものだと思われるが、生活隧道だけにしっかりメンテされてることだろう。
で、気になったのがコチラ、
隧道向かって左に鎮座する、二基の…石碑?
右側のには「南無阿弥陀佛」、そして左側のには
表には「青年會 早舩元三郎」、裏というか側面には「明治四十二年八月」と刻まれていた。
いずれもどういう謂れのものかは不明だが、場所柄で考えると海上安全とか豊漁祈願とか、個人名は船主さんとか?
反対側(隧道向かって右側)には石仏を集めたお堂もあったはずだが、なぜか写真を撮ってなかった。
さて、
ようやく隧道そのものを鑑賞~。
程よい長さ(なんだそれ)がいい。ちなみに道路トンネル長寿命化計画資料によると、延長は47.3mとのこと。そして、隧道の完成は1912年。実に今年で御年110歳にもなる古洞だ。
煉瓦巻き立ては四層、要石は…アフロヘア(笑)。
ポータルの切石がじゃっかん隙間が開いてるのが気にはなるな。
洞内へ入る前に、改めてお姿を押さえておこう。
完成当時は海辺に位置しており、この隧道を通らないと行き来できなかったというが、後に海側が埋め立てられて、このように住宅地に飲み込まれたのだとか。港町の歴史ある隧道ならではのエピソード。
生活感に加え、
このヤレた煉瓦の色合いもたまりませんな~。
お約束の
鉄板の構図。
さらに、
別ヴァージョン(笑)。
煉瓦巻きは数mで終了し、
内部は主にコンクリート巻きに変わってしまう。
これを見ると明らかなように、煉瓦を剥がしてからコンクリートで巻き立ててあった。風情には欠けるが、この思い切った改修のおかげで現役を続けられているんだな~きっと。
つうわけで、
洞内はずっとこんな感じ。
洞内中央あたりにも、このようによくわからんものが置かれているが、結構地域の物置代わりに使われてそうなこの生活隧道っぷりが最高だな~。
ちなみに現在は北行き一方通行となっているので、多少ものが置かれてたってへっちゃらだ!知らんけど。
そしてこちらの鉄板の構図も、
やっぱ置いてあんな~(笑)。
これとか絶対、
年寄りが将棋指してるやろ(笑)。最高ですなあ…。
そばにはこんな、
年季の入った水場もあるし、ビールでも冷やして…(笑)。最高ですなあ~。
反対側には、
やはり石碑。非常にクセの強い書体だが、これも「南無阿弥陀佛」と「刻まれているように見える。
そして正対。
隧道にのしかかるような左側の商店(営業はされてなかったような)もまた味がある。
そういえば、ここに至るまでまったくお名前に触れてなかった。このご面相なのに扁額が設えられなかったのが不思議な気もするが、こちら網代隧道という。
この名前ならば圧倒的に伊豆のお方が有名だが、古さではこちら鳥取の網代隧道が20年も先んじているパイセンなのであった。舐めんなよ(笑)。
しかしまあ、なんですなあ(久々の桂小枝ふう)、
うちの近くに、こんな隧道があったら、最高だろうな~。
末永く現役でいてほしい、網代隧道でありました。
以上。