2012年2月3日、第三次伊豆探索。曽我浦片隧道五号&四号の1時間50分後に訪ねた物件をご紹介。
まずはコチラ、
国道135号、新網代トンネル・東側坑口。
で、今いる場所から正面を向いた景が、コチラ。
(事後に移動する際に撮ったやつで恐縮だが)ちょっと斬新な新道旧道分岐。
新旧の道路の位置関係は、地図を見ていただかないと伝わりにくいと思うが、海岸沿いの断崖を行く旧道に対し、行き場をなくした新道は、海上橋という荒業でこの局面を乗り切っているようだった。
で、旧道の先には…もちろん「アレ」が。
それを目指して歩いておるわけだが…
いや、イイねえこの新旧競演!
三ケタ国道の旧道として、極上。この険阻なロケーション由来の、路面のペイントもまたタマラン(笑)。
振り返り。
ここは有名物件なので、探索時ですでにネットでどういうところかは知っていた。
でも、これまで何度も書いてるが、知ってるのと現地を踏むのでは大違い。
そして、新道は
トンネル(立岩トンネル)へと吸い込まれていく。そして旧道上にも…
見えてきた。
お出ましである!
網代隧道!
釣り人?の車(誰かさんの車と似てる・笑)は確かに邪魔だが、サイズ感をつかむ上ではわかりやすいという…(笑)。このいかにも前時代的な狭さでは、伊豆の大動脈を支えるにはいかにもアンダースペックだっただろう。
しかし、しかしながらの、威風堂々たるその姿。
なんといっても目を引くのは、アーチ環はもとより、パラペット(胸壁)、スパンドレル(翼壁)、ピラスター(付け柱)と、総石造のポータルであること。
個人的に萌えなのは、いかにも国道やってました的な、赤黄の警告看板。老体で現役張ってましたっていう健気さが…くるわ~。
で、扁額がないなあと探したら、左のピラスターにあったし。
「網代隧道」。
この蔓の絡まり、この季節で助かった。夏場なら絶対見えへんヤツやろ~これ。
で、右のピラスターにあったのはお誕生日。
「昭和七年六月竣功」か。
石造はおろか煉瓦の時代も過ぎ去った、完全にコンクリ造が主流となったこの時期に、なぜ総石造ポータルの隧道が作られたのかはわからないが、天城峠隧道や観魚洞隧道など、伊豆の有名な明治製石造隧道たちへのオマージュであるという解釈もできそう。
なにしろ、
伊豆半島の大動脈である国道、その難所を克服する重要な隧道だっただろうから。
いやあ、スキがないわ。素晴らしいの一言。
お約束、鉄板の構図。
マジでジャマやな(笑)。
こりゃまたイイねぇ~!
で、洞内がまた、数々の設備遺構が残っていて、感涙モノだった。
一直線に貫通してるので、不安感なく歩いて行けた。
もちろん、反対側もお見せする。さほど変わり映えはしないが(白状)。
【後篇】に続く。