2015年8月23日、前日から敢行した「HTK (Hyogo、Tottori、Kyoto) 彷徨」の2日目。この日のネタで記事にしてるのは、時系列で戸倉隧道関連、戸倉峠の明治道と未成隧道、榎雪覆、網代隧道、田君川橋梁、三尾隧道、宮ノ内橋。
今宵ご紹介するのは、田君川橋梁と三尾隧道の間に訪ねた物件。こんなタイトルだけど、実は…。
まずはこれ。
行く手には小山を貫くトンネル…ではなく、実はJR山陰本線の大築堤をくぐるカルバート。
しかもそいつは二連!
左の道路は兵庫県道261号赤崎久谷停車場線、右の河川は岸田川水系の2級河川・和田川である。現在地こちら。
だいぶ改修されてそうだが、真ん中には
かつての橋脚端部と思われるものが現存していた。これカッコいいな。
ちゃんとアーチ環もあって、
オリジナルは煉瓦だったりするんだろうか?
橋脚脇には、こんな表示が。
兵庫-132ってのがなんなのかはわからないが、県道赤崎久谷停車場線の「和田口めがねトンネル」であると、デカデカと宣言。こういうの珍しい。
JR側からすれば「橋梁」となるはずだが、道路から見ればトンネルであり、これは明らかに道路管理者側の設置。橋梁としての正式名称はどこにも表示がなかった。つうか、「和田口めがねトンネル」が公式な名称なのかといえば、それもまた疑問かと。
もしかしてJRは関係なく、完全に道路管理者で管理する「トンネル」扱いなのかとも思ったが、
Q地図様の「全国トンネルマップ」でも出てきていなかった。
まあなんとも不可思議な「洞内」。
こういう側壁処理、トンネルでも橋梁でも見ないもんね。
とにかく規模がデカいから、
鉄板の構図だってサマになる。
こちら側も水切りは埋め殺されていて、
いかにももったいない。
まあがっつりボックスカルバートに置き換えられるよりはだいぶマシではあるけど。
実は入ってきた南側にもあったのだが、
やはり浸水しやすい場所なんだなここ。
最後に、北側からの引き。
調べてみたらこの二連橋梁、1911(明治44)年の完成だという。香住~浜坂間の開通をもって京都~出雲今市(現・出雲市)が全通したのがその翌年のことなので、開業時から存在した橋梁ということになる。
「但馬の近代化遺産」さんのこちらのページには、工事中や改修前(でもすでにオリジナルではなさそう)の貴重な写真が掲載されている。ぜひ併せてご覧いただきたい。
そんなわけで、こういう記事タイトルだけど「鉄道橋梁」テーマなのだった。
以上。