2015年1月11日、年始の奈良県徘徊。この日のネタで記事にしているのは、大滝の暗渠、小倉橋、旧・国栖隧道。今宵ご紹介するのはこれらより前、この日序盤に訪ねた物件。
いきなりこれでスタート。場所はこちら。
川上村柏木地内、国道169号脇から直で生えてる吊り橋である。
この当時までのわたくし、川上村は真夜中に通過することが多く、この吊り橋も気づいてはいたがスルーしていた。川上村がメインだったこの日、ようやく初渡りというわけで。
メインケーブルはR169上を架空されているが、
もちろん大型車の通行に支障がないよう、高い位置にアンカーレイジが設えられていた。
さっそく橋上にお邪魔。
下流側に河川占用許可標識が掲示されており、村道柏木・神之谷線という路線名と「御座橋」という橋名が判明した。
ちなみに、主塔その他には諸情報は見当たらなかったが、Q地図様によれば1959(昭和34)年完成とのこと。
ご覧のとおり、スペックは車道規格。
グレーチングで真ん中が縞鋼板という、紀伊半島の車道吊り橋のデフォルト的なつくり。
軽なら問題ないだろうが普通車だとまあまあ厳しい幅員。Q地図様によれば幅員2.1mとのことで、まあそんなものかね。
で、対岸の様子をご覧いただくと鬱蒼とした雰囲気だが、これが今や大きく変わっていることを知った。
先日、いつもお邪魔している「さすらいの雨降らし」さんとこでこの橋を記事にしておられたんだが、
こちらの記事の5枚目写真と比べていただきたい。対岸に真新しい林道が切り開かれて、ぜ~んぜん、違うの!(なんでかわいく言うねん
まあこのへん、また後ほど。
橋上から望む吉野川上流側。
そしてこちら、下流側。
対岸の様子以外に季節も時間帯も違う(わたくしの訪問は朝8時すぎ)から当たり前だけど、雨降らしさんの記事と同じ橋とは思えないほど雰囲気違うなあ~。
で、わたくし、
吊り橋を渡ると絶対この手の写真を撮ってしまうんよね~。
他にもいろいろこういうの撮ったけど、独りよがりも甚だしいのでバッサリ割愛(笑)。
で、対岸ですよ。
この当時はこういう雰囲気で、橋を渡るとほぼ直角で右へと折れていた。先述のとおり今は下流側すぐそばの北和田集落から新しい林道が開かれて丁字路となっているみたい。
正面には、
「林道北和田線」の標識。新しく開かれた林道は、いわば林道北和田線の路線改良ということなんだと思われる。
御座橋を渡ったところから林道北和田線になるってことは、先の河川占用許可標識にあった「村道柏木・神之谷線」という路線は、実質御座橋のみってことになるのかな。
ところで、その脇にあった石碑は道標だったのだが、
(ボケボケで申し訳ないが)「右のぼる 金剛寺道 左 水晶窟道」と刻まれている。
金剛寺は後南朝時代の古刹で、新しい林道が金剛寺までつながったのかは未確認だが、この当時この橋から車道はつながっていなかったはず。ここからの徒歩道が正ルートだったのかもしれない。
そしてもうひとつの「水晶窟」。ここ川上村は洞窟の宝庫だそうで、それらを村おこしに活用しようという動きもあるようだ。観光洞として公開されている不動窟(この橋からもほど近い)しか知らなかったが、この水晶窟もそうした洞窟のひとつで、現在は公開されておらず立入禁止だとか。こうして案内されているということは、この道標が建てられたころには立ち入ることができたのだろう。
江戸時代とかめちゃくちゃ古い道標でもなさそうだが、それぞれ往時の空気感を感じさせてなんかいいなあと思ったので、ちょっと字数を割いてみた。この道標、今も無事なのかなあ…。
まあわたくしは橋が目的ってことで
ここで引き返した。
そうそう、
こういうのも必ず撮っちゃう。
真正面にアンカーレイジにある祠が見えるのがいい。
で、国道側に戻って、橋の下に降りる道を見つけたので、
主塔を真下から。真下すぎてよくわからん。
主塔の根元は、
近年に施されたであろう根巻き。手厚くメンテされてますな。
最後に、下からのあおりアングル。
当時の御座橋、サイドアングルを撮れるところはほぼなかったなあ。
堪能した。
国道へ戻るのは、
こんな階段。ほとんど使われてないな。
てなことで我が備忘を兼ねて、大きく雰囲気の変わる以前の御座橋をご紹介いたしました。