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穴と橋とあれやらこれやら

初めまして。ヤフーブログ出身、隧道や橋といった土木構造物などを訪ねた記録を、時系列無視で記事にしています。古い情報にご注意を。その他、雑多なネタを展開中。

 

本日のネタは、ほんとは真夏にやったほうがいい感じなのかもしれない。なんでかって?まあ見ればわかるかと。

それと、皆様のPCまたはスマホの画面明度設定によっちゃあ、真黒写真ばっかになる可能性が大である(笑)。

 

 

 

試しに、これ。

ちゃんと見えてます?(笑) これでも明度を上げてるんですが。

 

 

 

2012年2月27日に決行した、第三次岐阜県探索。と言いつつ、このネタは三重県やけど。この日のネタで記事にしてるのは、日付をまたいだ駅前橋

 

 

 

 

 

時刻は18時1分。物件に向かって歩いてるんだが、

まあ暗い。街灯の類いナッシン。フラッシュ焚いてもこの程度で。

 

 

 

 

 

 

ほどなくして現れたのが、

この狭小なコンクリートトンネル。怖いでしょ(笑)。

 

その小さなポータルには、いかなる情報もなし。現在地コチラ

 

 

 

 

 

 

ついでに、

洞内にも照明なし!

 

アプローチから洞内まで徹底的に明かりなし。ほらね、真夏向きでしょ(笑)。

 

 

 

 

 

当然ながら、抜けた先にも

照明なし。繰り返すが明度をいじってコレなので、実際は真っ暗だった。

 

昼間に来てればなんてことない、ただの面白くないコンクリトンネルなのだが、道草で到着が遅れたことで、図らずもホラー風味が五割増しに(笑)。

 

 

 

 

 

 

 

 

とっとと折り返す。

地図を見ていただければわかるとおり、これは三岐鉄道北勢線の下をくぐる人道トンネル。

 

鉄道から見れば架道橋であり、コンクリカルバートなのだが、「平成16年度道路施設現況調査(国土交通省)」に「オオダハカシタトンネル」として掲載されているので、れっきとした道路トンネルとして記事にする。…まあれっきとした、とも言い切りづらいけど(笑)。

 

そこに掲載されたスペックは、昭和3年建造、延長24m、幅員1.8m、有効高1.9m。

 

で、実はこの上を通る北勢線が開通したのは大正5年。つまりこのトンネルは、鉄道開業時には存在していなかったということになる。地図を見ていると、確かにこのあたりに線路の東西を行き来できる道があると便利ではあるので、住民の便宜のために建造されたのだろうか。

 

 

 

 

 

 

扁額…

は、ない、もちろん(笑)。これまた道路トンネルっぽくない点だ。

 

 

 

 

 

 

 

 

個人的に、

こういう無機質なトンネル、素掘りや煉瓦なんかよりも怖く感じる。

 

 

 

 

 

 

 

 

これとか、

あの世の入り口やん(笑)。

 

陵墓の玄室への隧道そのものやん…と書いてふと思ったのだが、このトンネル名称の「墓下」ってヤバイよなあ。真っ暗でわからなかったが、実際にお墓とかあるんだろうか。

 

 

 

 

 

 

 

まあ、この記事を見て「行ってみたい!」ってなる人はいないと思うのだが(笑)、

どうせ行くならこういう時間帯も面白いかもですぞ。

 

 

 

 

以上。

 

 

 

 

2013年4月19日、最初で最後の岩手県探索。
 

 

 

今宵ご紹介する小ネタはこれらより先、落合の吊り橋の5分前に見つけて急停止したやつ。いや、マジで小ネタですよ?

 

 

 

国道106号を東進していて、チラッと…。車を停めながら、思わず笑ってしまった。

 

 

いやいやいやいや、コレは…

アカンやつでしょ。

 

ペナペナの柵で通せんぼしてあるが、廃橋なのか?場所はコチラ

 

 

 

 

 

そうも言いきれないような、

奇妙な半死半生感が漂っている。

 

場所的にたぶん農作業用の人道橋(with猫車)なんだろうと思うのだが、いや、でもこれは実用は無理でしょ。あらゆる部材が腐朽しまくってるし。

 

 

 

 

 

 

 

しかしながら、

橋脚はけっこう立派だったり。その形状から、おそらくかつて小規模な吊り橋が架かってたんじゃないかな。

 

 

 

 

 

 

柵の外から正対。

もちろん、渡らなかったさ。渡るもんか(笑)。

 

 

 

 

 

 

 

 

これ見てほしい。

H鋼をぶっ違いに渡しただけ。それを支える橋脚は古レール製か?貧弱そのもの。

 

そして腐りきった床板は、どこをどう踏んでも気持ち良く踏み抜きそうな雰囲気満点。この橋で冒すリスクに価値は何もない(笑)。

 

 

 

 

 

ちなみに記事タイトルは、車を停めたところにあった公民館に「小屋野地区」とあったのでそこからつけた。

ところでこの橋を見つけた道、探索当時は国道106号だったが、現在ではバイパスができて、国道指定は外れてしまってるようだ。地図リンクを見ればわかることだが。

 

 

 

 

まあとりあえず好きだ、こういうネタ橋は。

 

 

 

以上。

 

 

 

 

新型コロナウィルス関連の報道で、ここ最近とっても引っかかってることがある。普段あまりこういうこと書かない(どっちかっつうと距離をおきたい)方なんだが、なんかモヤモヤが止まらないので。


それは、「不要不急」について。



先般の「大阪兵庫間の往来自粛」がそうだったし、今回の「東京及び首都圏の夜間・週末の外出自粛」でもそうなんだが、法律的根拠がないために、「お願い」レベルでの「不要不急な移動の自粛」の要請となっている。

まぁそのことや内容、期間についても、ことさらにモノ申したいわけではない。わたくし問いたいのは、「不要不急の行動」の「自粛をお願い」した時に脊髄反射的に出てくる「不要不急ってどこまでを言うのか・・・」「許容範囲を示してほしい」論。

 



バカかと言いたい。



 

「不要不急」に統一の範囲なんてない。目的なく出歩く、あるいはことさらに重要でもなく、またことさらに急がない(今でなくてもいい)用事なら、また今度にして家にいよう、という、たったそれだけのことであり、それ以上でも以下でもない。

 

仕事があるのに・・・とか、アンタにはそれが不要不急なのか?テレワークしたり休んだりできないなら、必要なんだから行ったらよろしいやん。
 
日々の買い物が・・・とか、行かなきゃ生きていけないでしょ?
 
通院が…とか、言わずもがな。
 
 
行けばいいんやって。そのくらい言われなくても分かれよ。メディアも、もうちっと毅然と伝えろよ。行政の言えることには法律の壁があるんやから。
 
 
大前提として、「感染拡大につながるような行為・行動は控える」というのは当たり前。テレビでもネットでも連日あれだけ「やっちゃいけないこと」は言われてるんやから、わからないはずがない。
その上で、なにがその人にとって「不要不急」な用事なのかは、事情により千差万別。各人が「自分にとっての不要不急」を判断し、責任ある行動をすること、それだけでしょう?
 
 
ったく、細かくどこまでも指示されないと判断もできんのか、バカが。
 
あ、言うまでもなく、趣旨をはき違えて「あくまで自粛だからいいかなって」とかヘラヘラ抜かしてるバカは言語道断、コンゴ横断である。
 
 
 
「許容範囲を示してほしい。」
こういう「ほしがる手合い」が一定数以上いるから、専門家たちがメディアで「日常生活に不可欠な外出以外は」とか言うはめになり、バカどもが街頭インタビューで「そんな急に言われてもウニョウニョ」とかいう戯れ言を吐く様子がテレビに映り、さらにおかしなことになっていくんよねえ。
もう日本人みんなバカと思われそうで恥ずかしいし。急もクソもないのよ。アンタ次第やっつうの。
 
 
 
 
まあ当然だがこれは、「お願いレベルの自粛」にとどまっている限りにおいての話だ。緊急事態宣言下、あるいは都市封鎖に至った場合における「指示」や「命令」状態においては、「不要不急」への戯言の余地はなくなる。
 
 
 
 
とにかく、少しは頭を使う日本人が増えることを願いたい。ごちゃごちゃしょーもない文句や説明ばかり求めるんじゃなく、各自社会への責任感を持ってやるべきことをやれっつうの。
 
 
 
コロナの「終息」(収束ではない)が無理なのは自明。「終息」できると勘違いしてるバカの認識を叩き直すのも大事ですな。でないと、百年経っても世界のどこでもオリンピックなんてできませんぞ?
 
即刻とは言わないけどどっかで見切りをつけて、「感染リスクが日常的にある」ことを前提とした共存の道を探っていかないとアカンのじゃないかねえ。
 
 
 
まとまりのない駄文と汚い言葉遣い、申し訳ございませんでした。あくまで個人の意見です。
 
 

 

道路の、印象に残った景を切り取った写真を。

「道路全般」というテーマは、本来こういう手抜き用なんだったわ(笑)。

 

 

この道を記事にすることはないと思うけど、この景だけはご紹介に値するかな、ということで。

 

 

 

 

ロケ地:和歌山県九度山町某所

 

 

 

2011年10月27日、第一次伊豆探索にて出会った橋をご紹介。この日のネタで記事にしてるのは、しょっぱなの汐吹隧道白田川橋小湊二号&一号隧道犬走島隧道

 

今宵は犬走島に先立つこと15分、下田市内で見つけた橋をご紹介。

 

 

 

 

いきなりの正対写真から。

現在地コチラ

 

当日の時点では何の情報もなかったのだが、

 

 

 

 

 

 

お名前を見てピクッとなった。

「黒船橋」。

 

下田で「黒船」?なんか日本史で習ったようなワードだが?とは思ったね(笑)。

 

 

 

 

 

 

読み取りにくいと思うが、お誕生日は

「昭和十一年八月」とあった。

 

 

 

 

 

 

 

サイドアングル。

コンクリート桁橋…かな。

 

 

 

 

 

 

 

渡って正対。

うむ、わたくしの好みだ。

 

 

 

 

 

 

で、左側の親柱の内容が興味深そうだったのだが、

絶妙に判読できない(泣)。どうやら縦書きで三行あるようだが…。

 

まず右端の行、「●橋を架設し●●●」。頭は「鍛」に見えるけど意味が通らんよなあ。

真ん中の行は明確、「寄附す了仙寺」。

左の行は…「●水得●」(?)。

 

一枚目の写真をよく見ていただくとわかるのだが、この橋の先にあるのが了仙寺というお寺。親柱の内容から、この橋の架橋において寺からの寄付があったことがわかる。逆に言えば、寺所有の橋ではない、と言うことか?

 

 

 

で、右側の親柱は橋名の仮名書きだったのだが、

うーーん、二文字めがわからん。

 

「久●ふ祢ばし」。「浪」かな?まさかのヒネリで「漁」?これサンズイ扁よなあ。

 

 

 

とりあえず、帰ってから調べてびっくりした。了仙寺というお寺、あのペリー提督が嘉永7(1854)年に日米和親条約に調印した後、条約により即時開港となった下田の港にやってきた際に江戸幕府が饗応した場所であり、かつ日米和親条約の付録となる下田条約の交渉・調印の場ともなった、日本史上に残るところだったんである。

 

同年3月18日~4月6日にかけてペリー艦隊の7隻が順次下田に入港、下田条約の交渉~調印や、翌年に開港を控えた箱館(函館)の調査などなど、艦隊の下田滞在は70日に及んだという。「遊歩権」を与えられたアメリカ人たちは下田の街を自由に歩き、これが我が国初めての民間の異文化交流であった。

 

お寺のHPによれば、下田の町民たちを対象としたアメリカ海軍の軍楽隊によるコンサートが了仙寺で開催されたとのことで、これが我が国初めての洋楽のコンサートであった、と。確かにそうでしょうな、間違いない(笑)。

 

 

 

 

 

 

 

つまり、先々代かその前ごろのこの橋を

ペリー提督は渡ったわけだ。恐らくは。

 

 

 

たまたま見つけた一本の橋から思わぬ歴史のロマンに触れる、こういう展開は時々ある。そしてわたくし、それが大好物である。

 

 

 

 

以上。