仁丹看板シリーズ、お約束の「ど~こだ?」写真から。
比較的簡単ですな(笑)。
ハイッ、今宵ご紹介するのはコチラ。
難読・珍町名の宝庫である京都市内においても屈指の破壊力を持つ、その名も
天使突抜(てんしつきぬけ)
であります。
初めて聞く人はなんじゃあこりゃああ!?状態かと(笑)。
でも「天使」といっても、いわゆる“Angel”のことじゃないのであります。どういうことかというと…。
天使突抜一丁目のほど近くに、五條(ごじょう)天神社という神社があります。今では小ぢんまりとした市中の神社という趣ですが、実は平安遷都時に空海が勧請して創建されたという由緒ある古社で、後鳥羽天皇の時代に現在の名称に改められるまでは「天使の宮」と呼ばれ、民衆には「天使さん」と親しまれていました。
かつては長さ五丁ともいわれた森が広がる広大な境内を誇っていたということですが、時代が下った1586年、豊臣秀吉が京都の市街を再整備(天正の地割)した際に、五條天神社の森を南北に貫通する道を強引につけてしまったために、「天使さんの森をぶち抜く」というその蛮行への反発や皮肉をこめて「天使突抜」という地名が生まれた…とされております。
ちなみに「突抜」という町名は、実は京都市中あちこちにあるんですな。同じように秀吉による天正の地割で、区画の真ん中に新しい道を通して新しい区画を作ったあたりにこの「突抜」という地名が残されていることが多いです。そんな視点で市街地の地図をじっくり見てると、面白いですよ~。
天使突抜は四丁目まであるんですが、確かに一丁目から四丁目まで東中筋通りを南北数百mにわたって続いており、かつての「天使の森」が確かに広大であったことをうかがわせます。
長さ五丁の森だったということで、一丁が約109mとして五丁だとおよそ545m!確かにそのくらいは続いてそうです。
ちなみに仁丹看板で「天使突抜」と入っているものは、今回ご紹介したやつが現存唯一かも?
そうそう、こんなのもありますぞ(笑)。
マンション名とかでもあったと思う「天使突抜」シリーズ。探してみるのも一興かも(笑)。
以上。けっこう大作になってしまった(笑)。