***前回の記事、その42より続きです***
4月5日スタートのブラタモリ新シリーズ、東海道57次に続いて今度は伊勢街道の旅だそうです。
「伊勢路は途中の町が面白い」とのテーマだそうです、これは歩いたばかりでジャストタイミングで嬉しい!
途中の宿場町の古くからの和菓子はかなり食べたし笑。
もしかして街道ものがこれからも続くのかな??
それはさておき・・・。
当方のお伊勢参りの旅は無事参宮は終えましたが、このシリーズまだ行かねばならぬ場所が二つ。
途上にある片参りになる寺社(wiki調べ)、津島神社、多度大社、津観音、香良洲神社、を家から神宮までの間すべて巡って伊勢まで来ました。
しかし内宮背後の山、朝熊山山上に鎮座する金剛證寺と二見の海の二見輿玉神社、この二か所はお伊勢参りコンプリート?には欠かすことはできません。
まずは二見輿玉神社を目指して二見道を歩きましょう、短いですが見どころありますよ!
朝いちばんの近鉄特急で一路伊勢へ。
木曽川に架かる国道1号線の尾張大橋はいつ見ても美しいし楽しい。
長く長く歩いてきた伊勢路も近鉄特急はあっという間で笑。
近鉄宇治山田駅、この昭和6年築の駅舎からして見所です。
昔は火の見櫓として使われていたという塔の部分、先端のネオン的看板もレトロ感あっていいね!
駅前に石碑があるのに初めて気が付きました。
度會府廳跡。
明治9年までの伊勢の国南半分の渡会県時代の庁舎のあった場所がここなんか~。
駅前の道路の反対側の森に由緒ありそうな神社があるようなので朝イチ参拝しておきましょう。
やあこれはターミナル駅前にあっても足を踏みいれるとちょっとだけ空気が変わる神社です。
この大クスの御神木の存在感!
箕曲中松原神社といいました、やはりかなりの古社です。
御本殿横にはちゃんと遷宮の敷地があってこの地が伊勢であることを駅前で感じられます。
今日の安全のお願いを終え歩き出します。
ブラタモリでも見た宇治山田駅の旧バス乗り場転車台跡が下から見えました。
まずは伊勢参宮街道歩きで二見道が分岐していた勢田川を渡る小田橋へ向かいます。
橋を渡ると左、勢田川右岸を行きます、すぐにポケットパークがあってここに二見道道標。
江戸時代の道標の「すぐ(まっすぐ)二見」に従い、二見道歩きスタートです!
植栽で隠れ気味ですが下の方に小さく見える「川崎」も途中にある湊町「河崎」のことで立ち寄ります。
解説板にあったとおり先ほどの道標は「簀子橋の道標」といい、小田橋ではなく次に現れるひとつ下流の簀子橋のたもとに立っていたもので、今日はその簀子橋の前を通ります、ん、足元になんか見つけた、プレートが埋め込んでありますよ・・・。
なんと「弘化四年銘 簀子橋道標跡」とある小さなプレート。
あの道標が建っていたのはまさしくこの場所だったのでした。
移設保存道標は数多くありますがこんなん初めて見ましたありがとうございます、です!
偶然の発見に気をよくして進みます。
最近あまり見なくなって、見ても閉店していることが多くなった銭湯。
それでも街道歩きでは前を通ることは結構あって入りたいな~と思いますが、汗をかく途中なのでなかなか入れないよね。
錦水橋で信号待ちして右を見たら石屋さんの突然の石仏さま方で驚きます。
対岸に石物があるのを目ざとく見つけてテンション上げて近づきます、「錦水橋」という石碑で大きな橋の旧親柱にしては貧祖だけど・・・。
左岸すぐ先にあった解説板に答えが書かれていました。
明治38年に神宮徴古館への道として架けられた錦水橋の架橋を記念しての石碑なのでした。
「昭和五十八年十二月架替」、は架け替え時に追加で彫ったのかな?
石碑と解説板で錦水橋周辺で少し右往左往しましたが先に進みます。
JR線の橋脚はここもレンガ造りで古き良き時代の面影。
またお風呂屋さんが。
潮浴び参宮とは?
明治時代に海水でのお風呂「潮湯」が出来て・・・の駕籠たて松という松の木の解説。
今はさすがに海水温浴ではないでしょ、と思って調べると露天風呂の湯舟は二見から汲んできた海水で沸かした潮湯なのだそうです。
二見まで行かなくてもここであたたかい二見ヶ浦のお湯で禊ぎができますよ!というコンセプトです笑、入りたいわ~。
でも今日は寒い寒い、春とは思えない寒さでお風呂してから歩くと風邪ひいちゃうしね。
勢田川右岸をさらに進むと対岸に蔵なんかが見えだしました。
河崎の町に入る地点に解説板。
勢田川は伊勢湾からの伊勢の玄関口として河崎の川湊やさらに下流にもいくつもの湊町が点在しています。
なかでもこの河崎の町は問屋や蔵が立ち並んだとても賑やかな町でした。
勢田川右岸沿いに来た道から少し岸を離れて河崎南側公民館の前に注目。
折れてるし状態はあまり良くないし塀や資材などでちょっと見づらいのですが、ここになかなか大きく良い道標があります。
東西南北で地名がたくさん!
南 (□□、すぐ?)朝熊岳 □□道
なんでコンクリートで字を埋めたりしてしまっているのだろう?
道が変わった?
消されて完全に見えない道の名前が激しく気になります。
方角からは鳥羽とかかな?
東 嘉永六年癸丑九月 寄進してくれた人と思うけど下の方隠れて見えんよ・・・。
北 すぐ 外宮 山田 内宮 古市 道。
こちらは明快ですが「四角く掘り下げた部分のすぐ」はいかにも後からの加工にみえますが初めはどうなっていたのか?
これも道が付け変わって「右」とか「左」とかだったのを直したりしたのでしょうか?
今回の旅的には裏面が見たかったのですが資材なんか見えにくい・・・。
西 左 二見大湊神社 ミや川 道
となっています。
大湊と神社は河口に近い湊町で興味のある町なのですが行く機会あるかな。
レプリカはイヤですが現代の技術でもう少し綺麗に修復して見やすく置いてもらえると嬉しいですよね。
せっかく公共施設の庭先に保存されているのだし江戸時代の大きなものだしもったいないよ。
南新橋の親柱も並んで保存してありました。
ここからは対岸のほうが古い町並みが残っているので、その南新橋を渡って勢田川左岸に。
道標も元々は橋詰あたりにあったのでしょうか?
川からよく見えたこのきれいな蔵は飲食店として使われていました。
橋を渡り左岸の川から一本入った道からが川崎の町並のメインストリートです。
まずは左に曲がって町の南端へ。
いきなりくる。
河崎の古民家の軒先にはこうして解説を掲げてくれていることが多くて特徴も詳しく書かれていて、興味深く眺めることができるのも嬉しいです。
これは壮観です。
この三軒並びも一軒は飲食店になっているようです。
三軒並び妻入りの向こうには・・・。
これは外壁なのか石製巨大うだつなのか?
いやそれ以前にこれは平屋の店先ではなく大きな長屋門なのか?
枠に収まりきらない超個性的な構え、後ろには堂々蔵付き。
ここもお店になっていて、川崎の町、ただの古い町ではなくて積極的に街作りに動いているようです。
古いだけでは寂れていくか消えていくだけですし、ここは伊勢の町も近いし、なかなか盛り上がっていけそうな町のようです。
異常なまでにあんまり人が増え過ぎても昨今まあアレなのですが笑。
そのお向かいも母屋をはさんで両側に蔵が建つ個性的さ。
対岸から見えたレンガ造りの蔵はこの榎本商店さん奥にあるようです。
町の端とおぼしき場所にお堂があります、庚申さんです。
手を合わせて上を見ると三猿がこんなところにいました。
上から見ざる聞かざる言わざるされてしまいました。
河崎のマップ、河崎のまちなみ散歩地図。
観光地ではありますが生活感のある人が集まりすぎないこういったバランスのいい古い町は良いなぁ。
河崎に来るのは初めてではないのですがやはり何度来ても楽しく歩くことができます、残りの河崎の町歩き、続きます。